≪涙≫
煤だらけの施設内を進み、ケンはコートヤードと呼ばれている中庭に足を踏み入れた。それに続く島田、そして真火も寂れた遊び場に引きずり出される。崩れた壁があちこちに散乱する中、迷わずに足を動かすケンに抗う術を真火は持たない。何より島田を操られている以上、下手を打つことができないのだ。
コートヤードの隅まで足を運んだケンは、タイル張りになった地面の一部をごつんとかかとで踏んだ。するとその部分がまるで何かのスイッチのように凹み、周りのタイルが一斉に沈んでいく。そして真火がその様子をぽかんと眺めている間に、地面には隠し階段が出現していた。
「こんな仕掛けが――?」
「昔からあったよ。まあここは非常口みたいなものだけど」
躊躇うことなく階段を下りていくケンに続き、島田と真火は施設の地下へと足を踏み入れた。
薄暗い明かりにぼんやりと照らし出される白い通路。火事があった建物の真下にあるとは思えないほど小綺麗なのが、真火の不安を助長させる。
『予知夢では、もっと綺麗な床にヨウ先生が倒れていたんだ。こんなに煤だらけじゃない、もっと白くて手入れされているような――』
島田の言葉が真火の頭の中で繰り返される。ただひたすらに続く白い壁の先には重厚な扉がどっしりと構えており、ケンは真っ直ぐにそれを目指している。真火は震える足を動かしながらごくりと喉を鳴らした。扉の先に探し人――阿諏訪が居ると本能が告げていた。どうか倒れていませんように、どうかいつもどおり疲れたような表情で立っていますようにと何度も願いながら無機質な大扉を見上げる。
「そんなに構えなくていいよ」
ケンが扉の横のパネルに手をかざしながら呟く。何度か機械音が鳴り、扉がゆっくりと開いた。再び薄暗い通路が続き、その先には白く不気味な声が響く空間が広がっている。
不気味に照らされる広い空間。中央にはコードがたくさん繋がった謎の機械。そして、人間の背中が真火の視界に入った。
「ひっ……!?」
部屋の壁に向かって座らせられた大勢の人間を認識し、真火は声にならない叫びを上げる。躊躇なく部屋に入るケンと島田とは正反対に、入り口で足を止め、恐怖による浅い呼吸を繰り返す。
「マホ!」
部屋の奥から聞き覚えのある声が響いた。機械の影から畑中が顔を出し、嬉しそうに真火の元に駆けつける。真火は呆然としながら「コーザ……」とだけ呟き、目の前の異常な光景と昔なじみの平然とした姿を見比べ絶望した。
このたくさんの人をこうしているのは、ケンたちなのだ。やはり人を拐って閉じ込めていたのだ!
信じたくない現実が真火に迫った。涙目でがくがくと震える彼女の肩を抱き、畑中は恨めしそうにケンを睨む。
「マホが怯えてる。やっぱり俺が迎えに行くべきだった」
「誰が行っても同じだ。おいでマホ。先生は奥の部屋だ」
壁際に座る人々を視界に入れないよう俯き、口を押さえながら真火は黙ってその声に従った。ぽんぽんとその頭を撫でる畑中が子供をあやすような口調で語り出す。
「どうしたんだマホ、そんな顔して。こいつらは襲いかかってきたりしないから大丈夫さ。何も考えてない、思考回路ぶっ壊れの脳無したちだよ」
「な、なんでそんなこと――」
「そりゃあ、やられる前にやらないと俺たちがああなるからだ。マホだって例外じゃない。合宿で能力を開花させた者は絶好の生体サンプルとしてこいつら研究者に狙われてるからな」
ぎくりと肩を跳ねさせた真火は恐る恐る壁に向かう背中を見回した。コードに繋がれた彼ら――誘拐された合宿関係者であり研究者が、能力者を狙っている。
「コーザ、」
ケンが咎めるように畑中を呼ぶ。その声に片眉を上げ一旦口を噤んだ畑中は、そういえば、と話題を変えた。
「こいつダイだよな? 久しぶりだけど、催眠中?」
「ああ、抵抗されても面倒だし」
ケンの側で虚ろな瞳をしたままの島田に畑中が興味深そうに近づく。そんな二人を横目に真火はケンに連れられて奥の部屋へと向かった。
自動ドアをくぐると十畳ほどの倉庫のような部屋があり、その中央には美鈴の後ろ姿があった。真火の浅い呼吸に今気が付いたように首だけ振り返り、悲しげな笑みを浮かべる。
「来たのね、マホ」
「ミスズ……」
美鈴は振り向くと同時に、彼女の体に隠れていた椅子をくるりと正面に向かせた。その姿を見た真火の目がかっと見開かれ、体は弾かれたように椅子に座らされた阿諏訪に飛びついた。
「先生!」
ぐったりと背もたれに体を預け、阿諏訪は椅子に深く腰掛けたまま目を閉じている。真火は涙を浮かべそっと阿諏訪の肩を揺らした。
「先生――阿諏訪先生!」
「大丈夫。深い眠りについているだけだ。ヨウ先生には今、思い出してもらってるんだよ」
「先生の記憶も奪っていたの――?」
真火と同様、合宿のこと――特に子どもたちのことを覚えていなかった阿諏訪の様子に納得がいく。ケンはその問いに答えることはなかったが否定もしなかった。
「私の記憶も返して」
「それはできない」
「どうして!?」
「マホ、やめなさい」
ケンに詰め寄る真火を美鈴が制す。しかし真火は構わずにその手を避けて縋るようにケンのシャツを両手で掴んだ。
「私たちのために悪いことをしているんでしょう? 何故か知りたいの。思い出したいの、ここで何があったのか。なんで私の記憶を消したの? 消さなきゃいけないようなことがあったんでしょ!?」
真火の叫びに二人は黙り込む。ふるふると肩を震わせたまま、真火は大粒の涙を流した。




