≪蘇≫
異様な光景に目を見開いた阿諏訪は、しばらく呆然としてから思い出したように背を向ける人々に駆け寄った。彼らの頭を締め付けるように嵌められた『装置』は、その顔の上半分をすっぽりと覆っている。一人ずつ肩に手を置き、覗き込むようにその顔面を確認すると、数人目で阿諏訪の動きがぴたりと止まる。
「長峰先生!!」
椅子に凭れかかるようにしている一人の男性。阿諏訪は悲痛な声を上げその名を呼んだ。脱力した体を慌てて地面に寝かせ、頭の装置を外そうとする。しかし頑丈な造りをしたそれはびくともしなかった。
「くそっ! 長峰先生、しっかりして下さい!」
忘れもしない、穏やかに笑う口元に並ぶ二つのほくろ。阿諏訪のことを自分の息子のように扱ってくれた恩師。阿諏訪が必死に声をかけても、長峰はぐったりとしたまま反応がなかった。
「これを何とかしないと……!」
「無駄よ。装置を無理矢理とったら、彼らどうなるか分からないわ」
遅れて部屋に入ってきた美鈴が冷たく言い放つ。阿諏訪は焦りを堪えた様子で美鈴に詰め寄った。
「彼らに何をしているんだ!」
「私たちがされたこと」
阿諏訪の荒い呼吸が空間に響いた。疑念と焦燥でぐちゃぐちゃになった顔で問う。
「なんだって?」
「彼らは、これを、していたの! 私たちに!」
美鈴は怒りを露わにし、長峰の頭に繋がるコードを乱暴に引っ張った。
「やめてくれ!」
「ヨウ先生の先生でも許せないの! これは洗脳装置よ。『いい子』になるためのね。こいつらみんな悪い子だからこうしているの……そうでしょう、ケン?」
美鈴は語り終わると部屋の一角、背を向けて座る人々に目を遣る。その視線を追うと、きらりと光を反射する二つの目が阿諏訪を見据えていた。
捕えられた研究者達に混ざるように、こちらを向いて座っている青年。阿諏訪が部屋に入ってきたときからずっとそこにいたであろうに、呼吸の一つすら感じさせない。ぞっとしながらその精巧に造られた人形のような彼に、阿諏訪は問うた。
「君が、ケンなのか?」
どこか異国の血を感じさせる顔立ちに、琥珀色の瞳。瞬きを忘れたかのように阿諏訪だけを見つめる彼は、視線を動かすことなく口を開く。
「そうだよ。ヨウ先生。いらっしゃい、僕らの基地へ。やっと来てくれた。手紙を出して正解だった」
「あのカードは君が……?」
ケンはただ頷いて、この場に似合わぬ純粋な目で阿諏訪を見返した。
「ヨウ先生に会いたかった。話があるんだ」
ぽつりとそう零した後、ケンはコードに繋がれる人々を片手で指し示す。
「僕たちはね、こいつらをどうにかしようと思ってる。でもヨウ先生はそれを止めようとするだろう? しかもマホとダイまで引き連れて……ヨウ先生でもそれは困るんだ。だから取引しよう?」
「取引――?」
「そう。僕たちのしていることを見なかったふりをして帰るか、僕たちの仲間になってここで一緒に居るか」
ケンの提案に阿諏訪は顔を歪める。彼らの仲間になる。つまり『左手の松明』の一員となるということだ。阿諏訪は噛みつくようにそれを斥けた。
「それは断る! あの合宿に関わっていた大人たちを狙っているのなら、僕もその一人だろう!」
「こいつらとヨウ先生を一緒にしないでもらえるかな」
機械的に喋っていたケンが僅かに語気を荒げる。そして横に座る大人たちを冷たく睨み付けながら、ケンは囁くように呟いた。
「でも……そうだな、ここまで知られてしまったのならもう思い出してもらおうかな。十年前のことを」
「え――」
阿諏訪が何か言う前に、ケンはパチンと指を鳴らす。それと同時に阿諏訪の思考は急激に時間を遡りはじめた。
『ヨウ先生だめだよ。勝手に出たら怒られるんだ』
『大丈夫だ、この地下室から逃げよう。君は体調を崩して僕が家まで送っていったと言うことにするから』
『でも、僕を勝手に帰らせたらヨウ先生が怒られてしまうよ!』
『いいんだよ。そんなことより、他の先生たちが地下室で君に何をしようとしていたのかちゃんと聞きださないと。これは大人の仕事だ。心配しないでケン』
『ヨウ先生……』
阿諏訪の脳内で短い会話がフラッシュバックした。まだ学生の身分の阿諏訪と、幼いケンが声を潜めるようにしてやりとりしている。阿諏訪はこの地下室のことを知っていた。さらにはケンを逃がそうと策を練っていたのだ。今まで忘れていた事実が突然蘇り、耳鳴りが警鐘のように阿諏訪を襲った。
「どうして忘れていたんだ……僕は、僕は君のことをここから連れ出そうとして、それから――?」
「失敗したんだ。こいつらに気付かれて……でも気にしないで、ヨウ先生は悪くない。先生だけは僕らを救おうとしてくれた。先生だけが味方だった。けど、僕らを庇ったことがばれたら危険な目に遭ってしまう」
ケンは残念そうに首を振り、感情が映らない硝子玉のような瞳を阿諏訪に向ける。
「ヨウ先生は優しすぎた。だから僕の力で記憶を消したんだ。僕たちにもう関わらないように。それなのに、上手くいかないね」
天童ケン。資料による彼の能力はHypnosis。そのまま頭を抱えてその場に崩れ落ちた阿諏訪の腕を、成り行きを見守っていた畑中が捕えた。
「ケン、もういいだろう。マホがこっちに向かっているんだ。ヨウ先生はお前が――」
「マホとダイは僕が迎えに行こう。コーザとミスズはヨウ先生をおもてなしして」
「はあ?」
「言い争いはやめて。行くわよコーザ」
ケンに突っかかろうとする畑中を美鈴がぴしゃりと叱る。畑中は文句を言いたげな表情をしながらも、阿諏訪の体をふわりと宙に浮かせて運び始めた。
「ま、まて」
「記憶のフラッシュバックは脳と精神に負担をかける。今は大人しくしていた方がいいよ」
ケンの言葉どおりすっかり青ざめた顔をしている阿諏訪は、それでも声を絞り出す。
「十年前僕の記憶を消して、それから何をした? ここに、火を放っただけじゃないんだろう?」
「……コーザ、奥の部屋に連れて行って」
「まて、ケン。待ってくれ」
「さっきの取引のこと、考えておいて。いい返事を期待しているよ――」
脱力し、つま先だけ引きずられるようにずるずると運ばれる阿諏訪には、ケンを引き止めることができなかった。真火と島田に、彼を会わせてはいけない。脳内で鳴り響く警鐘はより一層酷くなってゆく。