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≪重≫

 二日ぶりに太陽の下に晒された阿諏訪は片手で目を覆った。


 地面からの蒸されるような熱気に耐えながら歩き慣れた通勤路を進むと、いつも同じ時間にバス停にいる学生たちが幽霊でも見たかのような表情をする。


「あ、阿諏訪先生? オハヨーゴザイマス?」


「はいおはよう」


 顔を引きつらせながら様子を伺ってくる学生たちに軽く挨拶を返し、日陰を選びながら大学の敷地に入る。阿諏訪は気を抜くと落ちてくる目蓋を必死に持ち上げた。


 体調、機嫌、ともに絶不調の阿諏訪はとにかく人相が悪い。顔色の悪さも相まって、その童顔がホラー映画に出てくる生存者のように生気を感じさせないのだ。そうなったのは二日前の畑中光三郎との邂逅で何も情報を得られなかったという失態を犯したせいだった。


 畑中の念動力を前にして何もできなかった。あの時の畑中はどこか様子がおかしく、刺激を与えるべきではなかったのだ。もしも阿諏訪がきちんと畑中を落ち着かせていたら、もっと実のある話ができたかもしれない。そんな思考に突き動かされ、阿諏訪は家で寝食を忘れて延々と畑中の言葉を反芻していた。


  『能力開発合宿』で子どもたちに強いられていたという洗脳。それを語る畑中の目は昏く、不穏を感じさせた。にわかには信じがたい話だが、もしかしたらという思いが阿諏訪にはあった。


 島田が言った、あの合宿は人間の潜在能力を目覚めさせるためのもの。


 美鈴が言った、合宿の企画者は特別な実験に耐えうる子どもを選別していた。


 そして畑中が言った、子どもたちは『いい子』になるために洗脳されて実験された。


 彼に寄り添えばよかったのか。それとも無理やりにでも追いつめた方が良かったのか。そこまで考えて、ぼんやりと自身の弟の姿が脳裏に浮かぶ。


 阿諏訪の弟は警察官だ。超常現象などまるで信じない究極の現実主義者を気取ってはいるが、幼い頃には人には見えない何かが見えると言って泣きわめいていた程には()()()()()()に好かれる性質を持つ。それでも一切のオカルト話を否定し、阿諏訪の研究分野も一蹴してしまう態度には呆れるほどの強い意志を感じる。


 目に見えないものは信じない。阿諏訪はそんな弟が羨ましかった。畑中の言葉を信じなければ、もっと非情に彼を問い詰めることができただろう。


 何度目かの重いため息を吐いた。社会人として、『左手の松明』のことばかりを考えている訳にもいかない。阿諏訪は重要な学会発表を控えており、その準備期間に入るところなのだ。畑中たちを野放しにするつもりはないが、仕事を疎かにすることもできない。


 阿諏訪の目の下の隈は日に日に深く刻まれるのであった。


 

 *



「ええっ! 学会中止ですか!?」


 阿諏訪の素っ頓狂な叫び声が教授室に響き渡る。バサバサと持っていた資料やポスター発表用の印刷紙を取り落とす阿諏訪に御堂が冷静に頷いた。魂の抜けたミイラのようによろよろと御堂に近づいた阿諏訪は力尽き床に伏せた。


「一年かかったこの論文……このデータ。この日のためにかけた時間……全部パアだ。一体何故、何故中止に」


 阿諏訪は脱力したまま虚空を見上げぶつぶつと呟く。御堂は困ったように眉間に手をやりながら端的に説明した。


「今回のサイ科学学会の主宰であるD大学の教授が行方不明になったそうだ」


「は」


「そして、この学会に参加予定だった多くの研究者たちも連絡が取れなくなっているらしい。今回は事態が事態のため開催が見送られることになったんだよ」


 阿諏訪はがばりと起き上がり、御堂に激突する勢いで詰め寄った。


「学会参加予定者の一覧はありますか!」


「ホ、ホームページに載っていたはずだが」


「ありがとうございます失礼します!」


 覚醒したかのように瞳の色を変え部屋から出ていく阿諏訪に、御堂は眉間に深く刻まれる皺に再度手をやるのであった。


 阿諏訪はサイ科学学会のホームページと『能力開発合宿』企画者一覧を見比べて合点がいったように大きく頷いた。


「やはりそうか……」


 阿諏訪が出るはずだった今回の学会の主宰者は、『能力開発合宿』企画者の一人。そして学会参加予定者の中にも合宿関係者の名前が多く見受けられる。つまり、彼らは長峰と同じように失踪したのだ。『能力開発合宿』の関係者だから狙われた。


 とうとう仕事にも支障が出始めた。阿諏訪は重い目をぐっと開く。ふと肩に触れる手に気付き、そのままの顔で阿諏訪はぐるりと振り返った。


「きゃっ」


「あ、すみません」


 視線の先で事務の女性が短く悲鳴を上げた。突然大きな目で睨み付けられたその女性はびくびくしながら阿諏訪に郵便物を手渡す。


「これ、阿諏訪先生宛てです。先ほど届きました」


 阿諏訪は「どうも」とだけ言いその白い封筒を受け取った。無機質なゴシック体で大学の住所の後に『阿諏訪陽司先生』と宛名が書かれているだけで、差出人は不明。その奇妙な手紙に眉を寄せていると、ふと切手の上から押されたS市の消印が目に入り、阿諏訪の心臓が跳ねた。


 S市は例の合宿所があった場所だ。胸騒ぎを抑えながらペーパーナイフでゆっくりと開封する。


 中から出てきたのは一枚のカードだった。


 Leave us alone.(私たちを放っておいて)


 真っ白な背景にそれだけ手書きで書かれている。阿諏訪は厳しい表情で唇を引き結んだ。カードを裏返すとそこには()()()()()()()()()()()シンボルマークが描かれている。


 とうとう彼らは直接警告してきたのだ。阿諏訪はカードを手にしたまま、遠い目をして記憶を辿る。


 阿諏訪は確実に、あの合宿で起こった何かを忘れている。美鈴と畑中の悲しげな顔が頭から離れない。何の確証もなかったが、阿諏訪は彼らをこのままにしておけなかった。


「大丈夫だ。絶対に放っておかないから」


 誰に語るでもなく阿諏訪はぽつりと呟き、封筒に残された唯一の手掛かり――S市の消印をじっと見つめた。


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