≪昏≫
物販の列に並んでいた真火の腕をひっ掴み、阿諏訪は畑中の待つ楽屋へと向かう。案内役の男性の背を追いながらずんずんと歩を進めていると、驚きと戸惑いの表情を貼り付けたままの真火がやっとの思いで口を開いた。
「ちょっと先生! 一体、何事ですかっ!?」
「畑中君が僕達に会いたいってさ。これはラッキーとしか言いようがない! この機を逃したら彼と話はできないだろうから」
「コーザが……?」
真火は訳が分からないと言った表情で阿諏訪を見上げる。
畑中は異能集団『左手の松明』の一員であることが分かっている。それはつまり、合宿関係者の誘拐を疑わなければならない存在であるということだ。真火にとっては美鈴と同じ古い友人に猜疑の目を向けることになる。真火の表情は徐々に暗く沈んでいった。
その心中を察した阿諏訪も畑中の意図は読めなかったが、一つだけ気になることを思い出していた。
『我が道を行くというか、人の話を聞かないというか。ケンとマホちゃんのことしか見えてない感じでさ』
目を伏せて島田とのやり取りを思い出す。島田の言っていた畑中の人物像から、導き出される一つの可能性。阿諏訪は隣で肩を落としながらも粛々と足を運ぶ真火をちらりと見る。
ここに連れてきたのは正解だったかもしれない。阿諏訪は目を据わらせたままにやりと口元をつり上げた。その様子に真火はぶるりと体を震わせじっとりとした目線で阿諏訪を睨む。
「先生時々そういう顔するよね……」
「え?」
「なんでもないです!」
二人は案内されるがままに舞台裏の関係者通路に足を踏み入れた。舞台終わりのスタッフたちが慌ただしく動いている中、阿諏訪は片づけられていく舞台装置に目をやる。
「そういえば、今回の舞台は演出がとても凝っているんですね。風が客席まで届くかと思いました」
阿諏訪が案内役の男性にそう話しかけると、彼は困ったように頭に手を当てて言った。
「いえ、それが風の演出は予定していなかったものなんです。送風機も何もないのにいきなり風が吹きこんで小道具が飛び上がって……舞台装置も最近導入した奈落しかないですし。こんなことは初めてですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。まあ、直前で演出を変えたのかもしれませんが。我々スタッフは聞かされていなかったので焦りました。団員に怪我が無くて本当に良かったですよ」
打ちっぱなしの壁面に囲まれた舞台袖から舞台上を見ると、確かに送風機は無く、天井にも吊り上げ用のワイヤーは見当たらない。ならば畑中の衣装を波打たせていたものは一体何だったのか。畑中の立っていた舞台の中心を横目で見ながら阿諏訪は舞台袖を後にした。
舞台裏を抜け、スーツの男性が通路の奥まった場所にある部屋の前で止まる。
「こちらです」
促されるがままにその部屋の前に立ち、軽くノックをする。横で真火がごくりと喉を鳴らした。
*
「いらっしゃい! ヨウ先生、そしてマホ!」
部屋に入るとすぐに耳触りの良い声が部屋に響き渡った。
阿諏訪と真火の警戒心を吹き飛ばすように煌めく笑顔を見せるのは、先程まで舞台に立っていた畑中光三郎その人だ。長身痩躯に中性的な顔立ち。舞台衣装を脱いでラフなシャツを着ているが、主演を張ったその名残のような風格は隠しきれていない。
「会いたかったよ二人とも、本当に、会いたかった……!」
畑中は満面の笑みでそう言い阿諏訪の手を熱く握りしめた後、真火をぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「久しぶり、コーザ。あのこれ……脱水症状って聞いたから」
真火は首に回る腕をそのままに、畑中にペットボトル飲料を差し出す。それを見て畑中は面白そうに目を細めた。
「ああ、それはロビーパフォーマンスに出ないための嘘だよ。でもありがとう。マホは相変わらず可愛い、いや、綺麗になったな。ミスズから連絡を受けてからずっと今日を楽しみにしていたんだ。元気そうで良かった」
ペットボトルを握ったままの手を取り、まるで未だ舞台上に居るかのように熱く語り出す畑中に気圧されながらも真火は口を開く。
「えと、私コーザが役者さんだなんて知らなかった。今日の舞台とっても良かったよ!」
それを聞いて嬉しそうに真火の頭を撫で繰り回す畑中は、ふと阿諏訪に視線を移す。
「ヨウ先生……俺、ガキの頃、人気者のヨウ先生と張り合ってすごく嫌味な態度取ってたよな。悪かったよ。今になって考えるとあの合宿でまともな大人はヨウ先生だけだった。あの頃俺たちに寄り添ってくれて、そして今はマホを支えてくれて感謝してる」
詠うように思い出を語るその様はやはりどこか芝居がかっているようで。阿諏訪はゆっくりとその姿を目だけで追う。
「だからさあ、」と畑中は口元だけを微笑ませて阿諏訪の肩に手を回した。
「俺たちこれからも仲良くやっていけるよな? ヨウ先生」
「それは……君次第かな」
全く笑っていない瞳を向けられたまま、阿諏訪は端的に返答する。彼の調子に合わせてはいけない。ゆるやかに、しかし根こそぎ判断を奪われそうになる台詞回しは話半分程度に聞くのが丁度いい。恐らく身体的にも精神的にも近づいて、自分のペースに持ち込むのが畑中のやり方なのだ。
「君は今日の舞台で能力を使ったのか?」
「さあ、なんのこと? でも先生、今さら超能力のことを聞きにわざわざここまで来た訳じゃあないよな」
もっと核心を突いて来いと言わんばかりの態度に、阿諏訪は片眉を上げ畑中に向き直った。
「辻さんから話を聞いているんだろう。合宿関係者を誘拐しているのは君か?」
その単刀直入な問いに、一瞬場が静まり返る。阿諏訪が畑中の張り付けた笑みから目をそらさずにいるのを、真火が黙って見つめた。
「本当にまともで安心するよ、ヨウ先生。また手を組まないか? きっとケンも喜ぶ」
「また……?」
畑中は愉悦と激情を隠したような昏い眼差しで阿諏訪に語りかける。
「そう、ヨウ先生は何が知りたいんだ? 合宿関係者の失踪? 答えはノーだ。俺は何もしてないぜ。あと、ダイの予言? それなら心配ない。マホは守られているし、そもそも俺が守る」
大袈裟に両手を広げて一人舞台で演じるようにゆっくりとその場を歩き回っては台詞を吐いた。言っていることはほぼ美鈴と同じ。しかし次の問いかけに阿諏訪は身を固くする。
「それとも――合宿所の火事のこと?」
身構えた阿諏訪に畑中は妖しく笑って見せた。