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≪演≫

 都会の中心から電車で五分程。若者たちが集まる賑やかな市街地の一角には、立派な専用劇場を構えた『劇団 幻惑』の所有地がある。開場前には既に行列ができており、老若男女がパンフレットを見ながら時間を潰していた。阿諏訪も購入したパンフレットを何気なく捲る。


 『劇団 幻惑』。新鋭の劇団ながらその知名度は高く、パンフレットの紹介文によると古典からSFまで様々な内容の演劇を手広くこなして固定ファンを獲得しているようだ。


 若手の実力派俳優を擁しているが、いわゆるメディア露出は控え目の舞台集中型が多い。畑中もその内の一人なのだろう。演劇ファンからの熱い期待を背負った新時代のエースと紹介されている。


 今回の舞台演目は古典演劇『ハムレット』。シェイクスピア作の四大悲劇の内の一つだ。デンマーク王子であるハムレットが王位を簒奪した叔父に復讐するという内容で、作中の有名な台詞は今回の舞台のテーマとして扱われている。


「To be, or not to be(生きるべきか死ぬべきか)……か」

 

 劇場の入り口には今回の演目が描かれた大きなポスターと、その主演である畑中の煌めくような等身大パネルが飾られている。行列から外れたところでぼんやりとそのパネルを眺めていると、軽く肩を叩かれる感触に阿諏訪は振り向いた。


「先生、お待たせしました!」


 視界に真火の姿を捉え、阿諏訪はきょとんとした顔をして首を傾げた。


「あれ? なんだかいつもと雰囲気違うね」


「ミスズを見て私も頑張ろうと思いました! それに、初めての舞台鑑賞なので気合入れないと」


 二歳しか違わない美鈴のスタイルに感化されたという真火は、柔らかいイエローのワンピースにふわりとしたストールを巻き、一見いいところのお嬢さんといった装いだ。普段ゆるく一つに結われている髪は下している。


 いつもどおりのゆるいビジネスカジュアルに目の下の隈を携えた男が横に並ぶと、気合の入れ方がちぐはぐな二人組の完成だった。それでも真火は意気揚々として開場を待つ列に並び始める。


「随分楽しそうだね」


「そりゃあ楽しいですよ。だってせっかくの……」


 言いかけた言葉を飲みこみ、咳払いをする真火。阿諏訪は重たげな瞼を必死に持ち上げながらパンフレットを読んでいた。


「なんでもないです。先生は――眠そうですね」


「どこぞのSNS予言師に寝ろって忠告されてしまって。久々に布団でちゃんと寝たら体が疲れを自覚したのか一気に疲労が襲ってきて……僕も歳だね」


 あくびをかみ殺して目をこする阿諏訪を横目に真火は拗ねたような視線を送る。


「ねえ先生って、彼女いる?」


「いたらこんな生活送ってないよ」


「ですよねっ」


 阿諏訪の自虐的な返答に、真火は元気よく、しかし貶しているようにも取れる相槌を打った。



 灯りの落とされた劇場内で幕が静かに上がり、畑中の独白から劇が始まる。スポットライトを浴びる彼は見る者を引き付けるオーラを放っており、まさしく主演を背負うにふさわしい役者であることが一目で分かった。


 演劇に詳しくない阿諏訪もいつのまにか畑中の演技に引きずり込まれるように鑑賞している。


「うわあ! コーザ、こんなにすごい人だったんだ」


 ハムレットが怒りを表す場面で真火が静かに感嘆の声を上げる。阿諏訪も黙って頷いていると、ふと畑中の視線が二人の方に注がれた。真火の肩がびくりと跳ねる。


 舞台上から客席までは距離がある。演技中に一人一人の顔まで見ていないはずだ。そう思ってはいてもこちらを見ていると錯覚してしまうほどに畑中の視線は鋭かった。


 アイドルがこっちに手を振ったと誤解するのと同じだ。阿諏訪は中々外れない視線に耐えるようにひたすら舞台全体を見つめる。すると阿諏訪の目におかしなものが飛び込んできた。


 舞台上のセットがカタカタと小さく震えている。


 室内を表現した小道具が畑中の一挙手一投足に反応するように震え、布は揺らめき、まるで舞台上に大きな風が吹き込んでいるかのようだ。


『私はこの憎しみの炎が消えるまで復讐を止めることはない』


 畑中の情念のこもった台詞とともに、ぶわりとその衣装が羽ばたくように波打ち始める。畑中の周りに設置された置物や家具の類のセットが一瞬宙に浮いたように見えたその時、舞台は暗転した。


「先生、私コーザと目があったような」


「僕も……」


 瞬きも忘れて舞台に見入っていた阿諏訪と真火は呆然とした表情で顔を見合わせる。今時の舞台は仕掛けも凝っているのだと思い込みたいが、阿諏訪の脳裏に畑中のデータが蘇る。


 畑中光三郎。≪PK(念動力)≫の最高評価を受けた子ども。


 こんな人目の多い場所でその力を使うわけがないと高をくくっていた。しかし、先程の舞台セットが浮遊したように見えたのは果たして本当に演出だっただろうか。舞台が無事に終わるまで、阿諏訪は不安と疑念を抱えたまま畑中だけを見つめていた。



 舞台を終えると役者たちがロビーパフォーマンスを行うということで、観客はここぞとばかりにロビーに押しかけていた。もちろんお目当ては主演の畑中だが、本人は中々現れない。


 圧巻の演技を見せた畑中はカーテンコール後に阿諏訪たちにウインクをして見せた。もちろん自分たちに向けたものではないとは思いつつも妙な胸騒ぎを感じ、阿諏訪はロビーパフォーマンスがぎりぎり見える位置で彼を待った。真火は舞台に感動したらしく、物販の列に並んでいる。


「今日の仕掛けすごかったね。私この演目見るの二回目だけどこんなのはじめてだよ!」


「あと光三郎のアドリブめちゃくちゃ良かったー!」


 阿諏訪の近くで繰り広げられるファンの話をまとめると、今日の舞台はいつもと違い仕掛けが凝っていて、畑中が珍しくアドリブを入れたということらしい。


 しばらくすると劇場スタッフがロビーパフォーマンスを待つ観客たちに向かって声を上げた。


「申し訳ございません。本日の主演、畑中はロビーパフォーマンスを休ませていただきます!」


 どうやら畑中は舞台後に脱水症状を起こしたらしい。強烈なスポットライトを浴び続けながらの演技は体力消費が激しいのは明らかだ。観客たちは残念そうにしながらも、他の役者たちのパフォーマンスを待つようだ。


 さすがに舞台当日に会って話をするのは無理があったか。阿諏訪はフロントに設置されたファンレターボックスに向かう。そこに自分の連絡先を書いた手紙を入れて、畑中からの連絡を待つしかない。


 フロントの前に立つと、突然スーツ姿の男性が阿諏訪に駆け寄ってきた。「阿諏訪陽司様ですか」と問われ思わず頷く。


「楽屋にご案内するように言われております。どうぞお連れ様とともにこちらへ」


「えっ? 楽屋、ですか?」


「はい、当劇団の畑中がぜひ阿諏訪様とお話しさせていただきたいと」


 カーテンコール後のウインクは間違いなく阿諏訪たちに向けられたものだったようだ。願ってもない申し出に、阿諏訪は唇を引き締めた。例えそれが巧妙な罠だったとしても、避けて通る理由を最初から持っていないのだ。


「こちらこそぜひ」


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