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≪溶≫

 天気予報士が梅雨入りを声高に宣言した翌日、地上の人間をあざ笑うかのように太陽は容赦なく照りつけた。ふらふらとした足取りで日陰を選んで歩く阿諏訪はここ数日で目の下の隈をさらに色濃く育て上げ、周囲から妙な優しさと施しを受ける日々を送っている。


 時刻は正午を回った。その上がりきった気温は学生で賑わう購買に行くだけで阿諏訪のなけなしの体力を奪っていく。


「暑っ……!」


 誰に文句を言うでもなく苦悶の表情を浮かべる。阿諏訪はいつものように購買でコーヒーと栄養ブロックを購入し、冷房の効いた研究室で昼食をとる予定だった。


 視線の先で輝く金の髪がなびくまでは。


「あ、いたいた。やっほー、来ちゃった」


 冷房のかかる楽園まであと数歩。うだる暑さに疲弊した阿諏訪は幻覚を見ているのではと己の目を疑った。しかし嬉々とした様子で阿諏訪に向けて手を振るその姿はいつまでたっても消えない。


 阿諏訪を待ち構えるように研究室の前に立つ島田大斗の幻覚は、暑さを吹き飛ばすかのように笑った。


「ヨウ先生顔色悪いなー。ちゃんと寝てる? 食ってる? あ、夏バテ?」


「目の前に幻覚が見える程度にはバテているね……」


「俺は幻覚じゃないって! ヨウ先生に会いに来たんだよ」


 そう言ってぐいぐいと腕を引く島田に逆らう気力もなく、阿諏訪は再び太陽のもとに引きずり出された。


 昼休み中の学生で賑わうテラスの隅にあるベンチに腰掛け、阿諏訪はようやく一息ついてコーヒーを流し込む。横に座る島田はスイカの形をした棒アイスに齧りついていた。


「で、なんでここに居るんだ?」


「俺ここの学生だし。休学中だけど」


 阿諏訪は片眉をピクリと動かし、「そうだったのか」と呟く。島田は笑いながら「そうなんです」と返し楽しげに阿諏訪を覗き込む。


「来年復学したらマホちゃんと一緒の学年になるから、二人でヨウ先生のゼミ入るね!」


「それは予言?」


「宣言だよ! っと、そんなことよりヨウ先生、忘れてないよね?」


 念を押すような島田の視線に心当たりのない阿諏訪は目で「何を?」と問いかける。ピンと来ていないその様子に島田が勢いよく突っ込んだ。


「情、報、共、有! ミスズに会ってきたんだろ?」


 なるほど。阿諏訪は合点がいったように頷き、栄養ブロックを咀嚼するのを中断した。



*



「……つまり俺たちは超能力の実験のために集められて訓練させられてたってわけか」


 溶けた棒アイスが滴るのを暗い瞳で見つめながら、島田が阿諏訪の説明をかみ砕いた。その事実を知った時の真火の様子と比べると、島田は随分と落ち着いている。


「あまり動揺しないんだな?」


 思わず口をついたその疑問に、しれっとした表情で島田は答える。


「しないね。実感がない。合宿では確かにテストばっかりだったけど、臨床実験らしいことはされなかったし。ミスズがそんなに怒るってことは、実際臨床に使()()()()やつがいるってことだろうけど……俺は知らないな」


 実感がない。島田は真火と違って合宿で過ごした記憶がある。自分の記憶と美鈴の言う合宿の目的がかみ合わないのだろう。臨床実験のことは子どもたちに知らされていなかったというのは事実のようだ。


 阿諏訪は少し考えた後、別の問いかけをする。


「その後、真火さんに関する予知はどう?」


「さっぱりだね。あれから夢にマホちゃんが出てこない。むしろ――」


 島田の瞳がまっすぐに阿諏訪を捉えた。


「誰かさんはよく出てくるんだけどな。ふらふらしながらずっと調べものしてるから気になって気になって」


 阿諏訪は黙ったまま目を伏せる。美鈴と会ってからの数日間、阿諏訪は取りつかれたように研究資料を読み漁っていた。特に人間を対象とした臨床実験の実例が書かれた論文は調べ尽くしたと言ってもいい。


 しかしどの研究でも長期間子どもを対象にした実験は行われておらず、『能力開発合宿』の成果と見られる論文は見当たらなかった。それはつまり、合宿企画者たちの目論んでいた研究は成功していない、もしくは()()()()()()()()()ことを示している。


 寝食をおろそかにして数日かけても、得られた情報はたったそれだけだった。暗い表情の阿諏訪に、島田がたしなめるように声をかける。


「ミスズの言う臨床実験のこと。調べるのはいいけどぶっ倒れたら元も子もないでしょ」


「つまり僕はぶっ倒れるわけか」


「今のヨウ先生を見れば誰でも分かるって。というわけで『予言師』からの忠告。食って寝ろ、以上」


 その言葉に阿諏訪は困ったように眉を下げ、栄養ブロックをコーヒーで流し込んだ。


「先生、これからどうする? ミスズからはもう情報は出ないんだろ。次のあてはあるのか」


 阿諏訪はもそもそと口を動かしながら『劇団 幻惑』のフライヤーを取り出す。それを見た島田は一瞬顔をしかめ、「コーザか……」とため息交じりに呟いた。


「ダイ君も来る? 彼に会うのは久しぶりだろう」


「いや、今回もパス。ミスズもおっかないけど、どっちかというとコーザの方が昔から苦手なんだよなあ。我が道を行くというか、人の話を聞かないというか。ケンとマホちゃんのことしか見えてない感じでさ。ヨウ先生にもツンツンしてただろ……って覚えてないんだっけ」


 島田の苦い表情に阿諏訪は目を瞬かせる。優美な笑みでフライヤーに映る人物は、その外見からのイメージと本来の性格が大分違うようだ。


 畑中光三郎。十年前の『能力開発合宿』の成績上位者であり、≪PK(念動力)≫の最大評価を受けていた子ども。現在は『劇団 幻惑』の看板俳優をしている。


 阿諏訪は真火とともに彼の舞台を見に行くことにした。しかし美鈴の時とは違い、劇団に連絡をしても主演を控えた畑中には取り次いではもらえなかったため、会って話ができるかどうかは運次第といったところだ。


 それでも行くしかない。美鈴の口ぶりからして、畑中は『左手の松明』の中で重要な立ち位置に居るはずなのだ。明日の舞台でどれだけ彼に接触できるかで今後の動き方が大きく変わってくる。


「『()()の松明』か……」


 畑中の映るフライヤーに視線を落としながら島田がぽつりと呟く。


「そういえばコーザ、左利きだったな」


 溶けたアイスがぽたぽたと垂れ、二人の足元に小さな染みを作っていた。


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