≪歪≫
どんなお洒落な店に連れて行かれるかと戦々恐々としていた阿諏訪だったが、素朴な店構えの小料理屋に嬉々として入っていく女子二人に呆気にとられていた。大通りから逸れた道にひっそりと佇む、個人経営の落ち着いた店。美鈴は常連なのだろう、入ってすぐに店員に話しかけていた。
「ここ、ほとんど常連さんしか来なくて静かなの。落ち着いて話せるかと思って」
「こういう隠れ家みたいなお店憧れるなあ」
掘りごたつのある座敷に通されてからいくつか食べ物を注文して、改めて阿諏訪は美鈴に向き直る。
彼女は本当に他人の思考が読めるのか。真火の隣で和やかに笑う姿をじっと見つめる。そんな阿諏訪の視線に気付き、美鈴は目を細めた。
「そんなに見つめなくてもちゃんと分かっていますよ。インタビューは口実。ヨウ先生は私の力を試したいのね?」
「それは僕の心を読んだのかい?」
「いいえ、これはただの勘。大斗くんから連絡をもらったときからそう思ってた。ヨウ先生がようやく私たちに興味を持ち出したんだって」
ようやく? 阿諏訪は美鈴のもったいつけるような言い方に首を傾げる。なおも笑みを崩さない美鈴に真火が伺うように口を開いた。
「ミスズは本当に精神感応者なの?」
「ええそうよ」
その問いかけに何の戸惑いもなく肯定する美鈴。その隣で目を丸くする真火を諭すように続ける。
「でもね、他人の心をずっと読んでいるわけではないのよ。そうすると煩くて頭が痛くなるの。だから私はこの力を制御してる。使いたいときに使えるようにね」
「その力、見せてもらってもいいかな」
阿諏訪の真剣な視線を真正面から受け止め、美鈴はにっこりと花を咲かせるように笑う。
「ヨウ先生に頼まれたらやるしかないわね。何をすればいいかしら」
阿諏訪は鞄から束になったカードを取り出し、テーブルの上に置いて何枚かを美鈴に見せる。
「アナログな手法だけど、このトランプの内一枚を僕が選ぶから絵柄を当ててくれ」
「ふふ、分かりました」
阿諏訪が絵柄を選んでいる間は美鈴に背を向けさせる。横に移動してきた真火に見守られながら、阿諏訪は一枚のカード指に滑らせた。
「これに決めた。辻さん、どうかな?」
美鈴は背を向けたままその肩を楽しげに揺らした。
「最初に言っておきますね。私には透視はできません。あくまで人の思考を読み取るだけ。そしてヨウ先生は『スペードのジャック』を選んだと心の中で言っている……私にはそう聞こえました」
でもね、と美鈴は付け加えゆっくり振り向いた。
「先生はご存じですか? マホは昔から嘘がつけないいい子なんですよ」
阿諏訪の隣で大きく肩を跳ねさせた真火は、意味がないのに慌てて口を押えた。
「そんなマホが『ダイヤのジャック』と言っているので、ヨウ先生が選んだのは『ダイヤのジャック』です。先ほどは小細工なしだと言っていたのに、随分用心深いですね?」
「恐れ入ったよ」
阿諏訪は手のひらに隠していたカードの絵柄を美鈴に向ける。それはダイヤのジャックだった。その隣で真火が困ったように縮こまっている。
「先生は心の中で嘘ついてたのに……私のせいでばれちゃった」
「勝負じゃないんだ。構わないよ」
真火の心が読まれることは想定内だ。だから阿諏訪はあえて選んだカードとは別のカードを心の中で唱えた。そして美鈴は間違いなく阿諏訪と真火の思考を読み取ったのだ。
先程美鈴が自分で言った、カードの絵柄を透視することができないということは、つまり他人の視覚情報までは読み取れないということだ。
阿諏訪がそこまで判断するとその思考を肯定するように美鈴が頷く。
「ええそうですね。私が読み取れるものは人の思考。視覚や聴覚……つまり五感から得られる情報までは分かりません。同様に、私の思考を人に伝えることができても、感覚は伝えられない。もう少し訓練したらできるようになるのかもしれませんが、それよりも力の制御を優先しているので……普段はなるべく力を使わないようにしているんです」
「君がホンモノだと言うことは分かった。それで、君に聞きたいことが――」
急くような阿諏訪の言葉をやんわりと制すように、美鈴はぱきんと音を立てて割り箸を割った。
「そのことはゆっくり食べながら話しましょう? マホ、お料理冷めちゃうわよ」
「あっう、うん」
それからしばらくちまちまと箸を進めながら、真火は黙っている阿諏訪と美鈴を交互に見て冷や汗を滲ませていた。もしかして二人は心の中で自分に聞こえないやりとりをしているのではないか。真火がどうすればいいか分からず眉を下げていると、美鈴がゆっくりと切り出す。
「ヨウ先生が聞きたいのは『左手の松明』のことですね?」
阿諏訪は美鈴から目をそらさずに頷いた。美鈴は何かを思い出すように虚空を見上げる。
「『左手の松明』は特別な力をもつ人々を支えるために私たちが作った組織です。世の中には人と違うというだけで生き辛さを感じている人々がたくさんいるんですよ。だから、その人たちに自分は一人じゃないんだって、知ってもらいたくて活動しています。民間のボランティア団体と思ってもらっていいです」
「具体的にはどんな活動を?」
「主に心のケアと力の使い方の指導ですね。相談にのったり、力の制御の訓練をしたり」
それと、と美鈴は読めない笑顔を阿諏訪に向ける。
「一部のメンバーは、あの合宿のような人間の選別を未然に防いでいます」
それを聞いた阿諏訪の表情が一気に険しいものになる。
「せんべつ?」
店の看板メニューだという特大シュウマイを口いっぱいに頬張りながら真火は首を傾げた。美鈴はええ、と柔らかく答える。
「『能力開発合宿』の企画者たちは特別な子どもを探していたの。色々なテストは、子どもをふるいにかけるためのもの。特別な実験に耐えうる子どもかどうか判別するためのね」
「ふるい? 実験……?」
「……っ!? まさか!」
険しい表情のままテーブルに両手を付き身を乗り出す阿諏訪。その反応に真火の表情が徐々に怯えるような色に変わっていく。美鈴は構わずに続けた。
「そう。ヨウ先生もご存じとは思うけど、ESP研究はその臨床実験の母数が少ないことが問題とされている。だから、お偉い先生方は研究のために実験に使える材料が欲しかったのでしょうね。それが合宿参加者……つまり私たちだったってこと」
真火が驚愕の表情を浮かべる。阿諏訪は信じがたい言葉のその先に、長峰の言葉を思い出した。
『君にも知る権利がある。しかし、それによって君に危険が及ぶかもしれない』
長峰たちが秘匿していた歪な真実の欠片を、阿諏訪はまた一つ握りしめた。