9話
まだ日が昇りきっていない朝方、今日は特に実習は無くぐだぐだしていたいのだが、朝食の時間は決まっているので、ボサボサの髪を直すこともなく、重たい足取りで食堂に向かったのだが、
「あ、サロさん。おはようございまふ」
こちらの姿に気が付いたのはパンを口に咥えたイナだった。周りの目も気にせず大きく手を振る姿を見ると、こっちが恥ずかしくなってくる。
「ん、サロ。おせぇな……なにしてんだ」
スープを飲み干しておかわりに席を立ったサンも気が付いたようで、自分たちの席へ手招きしている。
サロは自分のパンとスープを受け取り、イナが確保してくれた席へと向かった。
「すみません、遅くなりまして……」
挨拶代わりに小さく謝罪をして、席についた。
「ぼくは良いですけど、サンさんなんて、『サロはどこだぁー!』って言って走り回ってましたからね」
「んなっ! よく言うぜ、お前だって『サロさんまだかな……』なんて言ってたじゃねぇか、あぁん?」
「言ってませんて!」
席を立ち上がって睨み合う二人の一連の流れは、これまでに幾度と無く体験してきたコミュニケーションの一種で、少々周りの目が気になるところではあるが、もう慣れてしまっている。
「サンさん、スープ冷めてしまいますよ?」
サロがその仲裁に入り、一度睨み合い掴み合い言い争いは終了、再びまともな朝食の時間だ。
「そういや、今日二人は訓練あんの?」
早々に食べ終えたサンがテーブルに体を預けたまま訊いてきた。
「ぼくはありまふよ。また対人戦術のやつでふ」
「あー、ドジったやつな」
「違いますけど!?」
パンをスープで流し込んだイナは強く否定するものの、にやにやするサンは全く聴く様子が無い。
「んでサロは?」
「私は今日は無いですよ、珍しく」
「そうかそうか、丁度良かった」
サンは体を持ち上げて、サロの方に向き直った。
「後でちょーっと付いてきて欲しいんだが」
「イヤです」
「なんで!」
折角の休みだから体を休めて明日に備えようとしていたのだが、サンが顔の前で両手を合わせて願うものだから、仕方あるまい。
「……少しだけですよ?」
「やったぜ。じゃあこの後レンヴィントン・ホテルの……」
「サンさん!?」
イナが高速で突っ込みを入れる瞬間に、サロの拳がサンの腹を突き抜けるようなパワーで殴り飛ばした。
「サロさん!?」
イナはどちらに加担しようかオロオロと迷っている様子だったが、サロの殺人を犯しそうな目で見られ、恐る恐るサロの後ろに付いた。
「それで、何の用ですか」
サロはまるでゴミを見るかのような目付きでサンを見下す。サンは目を合わせないように横を向いて、
「珍しく来る客人の出迎えに付き合え」
「……客人、ですか」
サンは静かに首を上下に振り、
「この組織を知ってる奴だよ」
嫌そうに笑った。
*
食事を終え、いつもの訓練の服装に着替えると、サンとサロは狭い廊下を歩いていた。
そもそもこの建物は地下に牢獄があり、出入り口もそこしか無い。なのでわざわざ地下まで降りてから地上に出るという手間がかかる。
「普通に入り口ぐらい作れっての」
「響くので静かにしてください」
そんな何気ない話をしながらしばらくして、この施設の正面玄関に到着した。
正面玄関と言っても、ただ出入り口の門があるだけで、飾ってあったりなんかはしない。
「ん、サンと……サロだったか」
二人が到着するより早く来ていたのは、きちっととした服に身を包んだイチだった。少し白髪の混じる髪の毛を真ん中で分けて固めているのが彼らしい。
「おはようございます、イチさん」
「おはようっす」
二人の挨拶に、にこりと笑って、
「老人は朝に強くてね。おはよう、二人とも」
実は眠くて堪らないサロの心を見抜いたかのような言動に少し顔が強張ったが、すぐに戻して一礼した。
「ところでイチさん。今日は誰が来るんですか?」
そんな中、サンはその場に座り込んでイチに質問を投げた。
「うん、そうだね、君に会いたいと言う人だったよ。多分君も覚えているはずだが……」
「俺に会いたい? 誰だ……」
腕を組み唸りながら悩むサンを尻目に、イチは遠くで鳴る、蹄が土を蹴り上げる音を聴いていた。
「サン、そろそろ来るようだね」
「あぁ、俺に会いたい人ってのは」
「答え合わせだね」
門を最初に通ったのは先導と護衛をする騎馬が四騎、その後ろに続いて、豪華な装飾が施された王家の家紋付きの馬車。もちろんその後ろにも護衛の騎馬が六騎。どれもこの極悪人を収容する建物には合わぬ装飾で、高貴さを表している。
「サロ、こっちへ」
イチが手招きして、サロはサンの横についた。
そして、その騎馬隊はイチとサンとサロの目の前で止まり、小さく頭を下げた。
「高いところから失礼する。ただいま到着致しました。イチ殿と其方の御二方、お待たせしてしまい申し訳無い」
主将と思われる先頭の騎馬にまたがる騎士が頭を下げた。
そして、
「本日はこのような機会を作って頂き、誠に有難うございます。そして……」
「バーサーク大将、その辺にしておいてくれ。貴様は話し出すと長い」
騎士の言葉を遮ったのは、馬車から身を乗り出す老人だった。
「はっ、申し訳ありません」
騎士はすぐに話をやめた。大将と呼ばれた男ですらこの老人には逆らえないのである。なぜなら、
「ようこそおいで下さいました、カルセン・ハーク国王陛下、そしてカルナ・ハーク第二王女様」
そう言ってイチは深々と頭を下げた。サンとサロもそれに合わせて頭を下げた。
しかしサロはその偉い人たちに対する好奇心が勝り、つい顔を上げてしまった。
そこには煌びやかな服装をした老人と美人の姿があった。そして今回会いたいと言っているのは、
「お久しぶりね、今は……サン、でしたっけ?」
純白の長いスカートのドレスを身に纏い、どれを取っても上品な身のこなしで笑った。この女性こそサンに会いたいと言ったカルナ・ハーク第二王女である。
「私のこと覚えているかしら?」
「……あぁ、今やっと思い出した」
サンはニヤリと笑って、
「久しぶり、カルナ」
右手を差し出したのだった。