8話
「そこまでっ!」
教官の合図に、今まで炸裂していた銃声が止んだ。
そして盛り返すように蝉の声が鳴り響き、陽射しが訓練生の肌をジリジリと焼くのである。
「五分後に再開する。それまで休め」
教官はそう言って建物の陰へと消えていく。しかし、その姿に文句を言う人はいない。今更、なのである。
そして研修生には水の一つも与えられない。
今後、兵団の一員として働く者は、これくらいの状態に慣れていかなければならない、そうらしい。
とはいえ、徐々に上がらなくなる肩や腕。乾き続ける喉と眼球。頭の思考力は低下して、意識は朦朧とする。この休憩さえも休憩とは思えない状態である。
「――、教官に呼ばれているぞ」
同じ訓練生の青年が肩を叩いて呼びに来た。と言っても、教官に呼ばれることが良いことではないことは確かで、呼びに来た青年も、どこか不安げな色を見せていた。
「○○、大丈夫よ。ありがとうね」
そう言って教官のいるはずの建物の陰へと向かった。
「遅い! 呼ばれたなら10秒で来い!」
「すみません……」
教官は仁王立ちで構えていた。しかも来るなり叱責から始まる。
「なんなんだ貴様、本当にやる気はあるのか?」
「……はい、あります」
睨みながら、教官はある一枚の紙を出した。
その紙は、以前対人用射撃訓練にも用いられていた的で、ひとつだけ穴が空いている。
「これがなんだか分かるか?」
「……対人用射撃訓練の模擬試験でしょうか」
「あぁそうだ。で、お前はどこに撃った?」
穴は人型の絵が描かれている横に空いていた。
「人の、横です……」
「何故そこに撃った?」
怒られない言葉を探す。だがこういう時、なかなか見つからないもので。
「すみません……」
「あぁ? すみませんじゃねぇだろ! やる気がねぇなら今すぐ辞めろ! 邪魔だ。迷惑だ」
教官の怒号は終わらない。
「あ、それともあれだな。男性団員の性処理玩具にでもなるか……お前、若いから丁度いいだろ、なぁ?」
「! それだけは……許してください……」
「あぁ? 許してだと? お前が赦しを乞うような権限はない」
「で、でも……」
「うるせぇよ。大体女なんかハナから身体目的でしか入団出来ねぇし。お前もあれだろ? 男とヤりたくて入団希望したんだろ?」
「ち、違います! 私は……私はたった一人の弟の為に!」
「はっ、はいはい姉弟愛ね、うっざ」
「――っ」
人生の分かれ道と言うのはいつも唐突にやってくる。いつか来るだろう日は来ないのに、来てほしくない日はすぐにやってくる。
この時の私は頭がおかしくなったのだと思う。暑い日差しにやられて。そう、そのせいで。
「……何の真似だ?」
服の内側に隠していた拳銃を取り出した。銃口の向く先は勿論教官。
「……しないでください」
「あ?」
「私と弟を馬鹿にしないでください!」
「はは、なんだ、そんなことか……して、その銃をどうするつもりだ?」
教官の威圧的な眼が睨み付けてくる。でも、この引き金を引いて仕舞えば……
「まぁ、どうせ撃ったって当たりゃしないし、悪足掻きもこれくらいにしなよ、雑魚」
聴こえた。いや、正確には聞こえてはない。だが、心の中で燻っていた何かが、突然発火するのが聴こえた。
心のエネルギーは、そのまま身体のエネルギーへと変化して、
「早く銃を捨ててその場に伏せ……ぎゃあああ!」
乾いた破裂音と共に教官が耳を押さえてその場に倒れこんだ。耳からは真っ赤な血がドクドクと流れ出ている。
「っ! お前! 俺に刃向かうとは何様……ああああぁぁ!!」
腰の銃を教官が引き抜く前に両腕に二発。力の入らない腕を震わせて、痛みに必死に耐える表情で立ち上がった。
しかし、迷いはなかった。特に計画があったわけではない。むしろ計画は無いに等しかった。だが、覚悟だけはあった。
「ただじゃ済まねぇぞ! お前は! 何をしたか分かってんのかぁ!」
「……黙りなさい、この虫どもめ!」
その後はよく覚えていない。まるで記憶が抜けたように。
ただ覚えているのは、射撃音を聞いて駆け付けた他の教官も撃ち殺したこと。
そしてその後、逃げるように……逃げるように……あれ、どうしたんだっけ私……
*
「ふわぁ〜……あ、やば、こんな時間!」
時計の針は朝の五時を示していた。
倉庫番の朝は早い。五時半には全ての備品をチェックし、不備があれば補填する。それをこなさなくてはならないのだが……
「これは、間に合わないわね……」
倉庫に行ったところで気が付いた。もう既に時計の針は五時半をゆうに過ぎ、間も無く六時になろうかというところだった。
「どうしようかな……」
迷った挙句、欠品を目視で確認して、後でこっそり補填するという少しせこい事を思いついた。
「どうせ昼間は誰も来ないんだし、良いよね」
適当に備品点検を終わらせ、いつも座っている倉庫番の席に座った。
普段なら紅茶を飲みながら書類の整理を始めるのだが、今日は紅茶も用意していないし、書類もやらなかった。
何故かというと、備品点検の際に拳銃が一つ、無くなっていたから。勿論直ぐに施設内の放送で知らせ、警戒態勢を敷いてもらっている。が、原因はそれではない。
今朝の、夢。
あったような無かったような過去を思い出してしまった。
何もかもが終わったあの日、手を差し伸べてきた偽善者、嘘と偽りと欺瞞の波の中で踊らされて、 誰も信じれなくなった自分を救ってくれたあの人。今はそう……
「お、やっぱ倉庫に居たか」
入り口から声がした。聞き慣れた声だ。
「訓練で持ち出したまんま返し忘れたってよ。それで……ん? どうした? ナナ?」
いつも通りの姿で歩み寄るのはサンだった。相変わらず低い身長で、でもそれが何故か心を落ち着かせる。
「あ、いや、なんでもないわ。相変わらず阿呆みたいな顔をしていたからね」
無理やり取り繕った笑顔、それをどう受け取ったかは分からないが、
「けっ、持ってきてやったってのによぉ……」
と、サンは拳銃を片付けながら、「でも」と一言置き、
「あんまり暗い顔すんじゃねぇよ。勿体無いだろ?」
ニカッと笑う彼は、恥ずかしさなんて一欠片も無く、ただ純粋にそう思ったからそう言ったのだろう。そういうところ、である。全く……
「そう、ご忠告ありがとう。任務に戻って良いわよ」
「うっぜぇ! まぁいいや、また遊びに来る」
サンはポケットに手を突っ込んで倉庫を後にした。
その後ろ姿を見送って、
「……待ってるわ」
聞こえない、聞こえたとしても届かない願いだとしても、そう願わずにはいられなかった。