6話
――期待した月夜は現れる事なく、雲の上に消えていった。
月の光を遮る分厚い雲は、密かに動く彼らの影を消すかのように、静かに、ゆっくりと、空を流れていく。
目的の村、マライを一望する山の草むらに、その影は身を潜めていた。
「そろそろ行ったほうがいい」
空を見ながら低い声で言ったのはサンだ。
「雲、ですか?」
イナも同じく上を向くが、ただ暗闇が広がるだけで何も見えない。この人は何を見ているのだろうか。
「風向きが変わってやがる。あと二時間もしたら晴れそうだ」
サンが立ち上がった。腰や腕、背中に付けた武器や道具がガチャガチャと音を立てる。
「作戦通りにいこう、と言いたいところだが」
サンが後ろ髪を触る。この仕草をするときは、何か言い訳するときだとイナは知っている。
「どうかしたんですか?」
「あー……ドアに設置する小型の爆弾を積み忘れた」
イナは「はぁ……」と下を向く。
「ま、そゆことだから、サロ、期待してるぜ?」
サンは片手を差し出した。それに応じるように、サロも手を出し、固い握手をした。手の震えは、無かった。
「うんうん、緊張は無さそうだね」
「!? どうして分かるの?」
「え? そりゃ脈触れば分かるさ」
にこりとサンは笑い、そうして、
「サロ初仕事、いっちょ行きますかぁ!」
サンの掛け声で一斉に飛び出した。
*
静かな世界に二つの影が躍る。
サンとイナは予定通り円柱の部屋の屋上へ上がった。報告書と同じ形状で、そして部屋への入り口である天窓も付いていた。
「サンさん、どのタイミングで行きましょうか?」
イナの問いかけに、サンは小さく顎で下の草むらを指した。
「サロさん……ですか」
「そうだな、あいつが出たら俺たちもお邪魔しようか」
そしてすぐにそれは決行される。
暗闇の中、一つの影が躍り出た。低い体勢で走り込み、庭で見張りをしていた衛兵の腹に拳を叩き込む。声を出す時間すら許されず、衛兵はその場に倒れこんだ。
――まずは一人。
気配に気が付いた別の衛兵が、倒れこむ仲間の姿を確認した。そして辺りを見渡し――もう手遅れだった。影は素早く衛兵の後ろに回り込み、首に腕を絡ませた。
「――ぐっ!」
衛兵は短く嗚咽を漏らすと、気を失いその場に倒れこむ。
――二人目。
遠くから見ていたのだろう衛兵が細身の剣を抜いて走りこんでくる。
影は突き出される剣を姿勢を低くして躱し、腹に肘を叩き込む。辛うじて気を失わなかった衛兵は、剣の柄を影の頭目掛けて振り下ろした。が、遅い。影は横に転がり、隙を見て上に跳躍。そのまま衛兵の顔面に蹴りを入れた。
そして影は辺りを見回して敵がいない事を確認した。
人間離れした身体能力に驚く暇もなく、もう一方の任務が開始される。
サンは無理矢理天窓をこじ開けて、部屋に飛び込んだ。イナも続けて飛び込み、素早く部屋の鍵をかける。
「サンさん!」
「分かってらぁ!」
サンは両手に剣を持つと、部屋に居た三人の衛兵を確認、そして――
「邪魔だぁ!」
一閃。サンの一番近くにいた衛兵は全身から血を吹き出して動かなくなる。
と同時に、イナも剣を抜いて一撃。首元を狙った攻撃は後ろに身を引かれて躱される。しかし隙を作ることなくイナは踏み込みもう一撃。狙った心臓は大量の血を吐き出す。主人もまた、口から血を吐いて倒れた。
そうしてイナが一人を追い込んでいるうちに、サンは最後の一人に剣を向けた。
「今楽にしてやる」
衛兵は身震いしながらも剣を前に突き立て、迎撃の構えを見せた。が、サンの素早さに追い付かない。サンは姿勢を低くして右や左に身体を動かしながら間を詰める。そして、衛兵の防御も虚しく、左手の剣が腹を貫通。右手の剣は首元を横から串刺しにして肉塊と化す。
「くそ! なんでこんなことにっ!」
本丸、今回のメインディッシュである討伐目標の小太りの男は、大慌てで外に繋がる裏口に手をかけた。
しかし外に出た瞬間、腹に強烈な痛みが走った。そして再び部屋に転がり込む。
「おかえりぃ!」
声の主は背後から。男は振り返ろうとして――
「あばよっ」
三本の剣が男を串刺しにした。
「――ッ! ァァ……」
目を剥き、口から血を流し、舌をダラリと垂らさせ、その場に崩れ落ちた。
「イナ、サロ、お疲れ様だ。すぐに引き上げるぞ」
「お疲れ様です」
「サロさん、お手柄でした!」
三人は近くの森を駆け抜け、馬が繋がれている場所まで辿り着いた。
「話は後だ、早くここを離れよう」
サンは緊張感を緩める事なく馬を繋いでいた綱を切り落とした。
そして装備品を外す事なく馬に跨り、手綱を引いた。
「このまま本部まで逃げ切る予定だ。緊張したろ、少し休んでていい」
最後、サンが優しく笑ったような気がした。
*
「イナ、サロ、起きろ、もうすぐ着く」
サンの声で目を覚ました。辺りは薄暗く霧がかっている。
「朝になっちまったぜ。休憩挟まずに走りきったから早いけどな」
サンは地べたに寝転がり、顔に布を乗せて横になっていた。
サロもイナもいつの間にか木にもたれていた。
「あ、ありがとうございます……」
サンは顔の布を取り、小さく笑った。
「お疲れ、サロ」
それからしばらくサンは横になり、相変わらずイナは起きないまま陽が完全に上りきった。
その頃には一行を足止めしていた霧も消え、綺麗な緑の森が包み込んでいた。
「そろそろ出発しましょう」
そう発言したのは寝続けていたイナだ。彼はすっかり寝癖を直し、身支度も整えて馬に跨っている。
「あぇ……? お前がそれ言うか……さっきまでいびきかいて寝てたくせに?」
「いびきはかいてないですよ! 失礼ですね!」
と言う彼の突っ込みを無視して、サンとサロはそれぞれの馬に跨った。馬も近くの川辺に繋がれていたので機嫌が良く、鼻を鳴らしていた。
「んじゃ、お仕事報告に帰ろうで」
「おー」
「帰りましょう!」
三人は、朝日が照らす道を颯爽と駆けて行った。
*
「ご苦労だったね。暫くは仕事は無いから、ゆっくりしていると良い」
そうにこやかに話すのは、白髪混じりの髪をかきあげて固めた初老の男――イチだ。
「特にサロ。初任務、どうだったかな?」
イチは黒い瞳をサロに向けた。
「はい、思っていたほどではありませんでした」
そんなサロの淡白さと冷静さにイチは少し驚いて、
「そうか……そうかそうか、それなら良かった。僕も意を決して送り出した甲斐がある」
嬉しそうに笑うのである。
人を数人殺しておいて。
サロは表向きでは冷静さを保っているが、内心は困惑していた。
「てかイチさん、調査報告書の件なんですけど……」
サンが話に割り込み、初めに心配していた話を切り出した。が、
「おっと、これから僕は大事な用事があるんだ」
などと言ってサンの話を遮ろうとする。
しかし、サンも引かない。
「イチさん、調査報」
「急がないと、間に合わないね……」
イチは完全に背中を向け、頭にハットを被り、お気に入りなのだろうか、何の変哲も無い杖を握り、振り返った。
「じゃあ、少し行ってくるよ」
そう言い残して、イチは足早にその場を去っていった。サンも必死に止めようとしたが、何処からともなくヨンが現れて塞がれてしまう。
「ちょっ、ヨン! そこどけや!」
激昂するサンの前に、全くの無表情で立ち塞がるヨン。
「いくら兄貴でも、イチさんを困らせるのはいけませんぜ?」
少し細身ではあるが、大柄のヨンは上から易々とサンの視界を封じる。サンも必死に押し退けようとするものの、残念ながら体格差が大きく出た。
「ぐぬぬ……」
顔を赤くしてヨンを押したり引いたりしているが、ヨンは少し溜息をつくばかりである。
「チッ……分かったよ、俺が悪かった。どうせ今から走ったって間に合いやしねぇしよ……」
ヨンを掴んでいた両手を離し、もう一度舌打ちをしてから、イチが出た通路とは反対側――部屋に繋がる通路へ身を翻した。
そんな反応のサンに、慌てて付いていくイナ。普段ならいつもの光景なのに、サロの耳に届いた言葉は、どこか悲痛な叫びにも聞こえて。
「兄貴は、何故本気を出さないのだ……」
その声の主は、サロが振り返る時にはもう既に姿を消していた。