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2話

 少しだけ開けられた窓から入る心地の良い風が、この世界に春をもたらしているのを感じた。

 昨晩は急に事が進み、色々混乱して疲れ果てていたのか、すぐに眠りについてしまっていた。

 目を覚ましたのは今日の……朝方だろうか。ずっと牢に入れられたままで時間の感覚が戻ってきていない。


 「それで……その最高指揮官とは一体何者なんでしょう……」

 「あれ? 昨日君が話していたあの老人だよ〜」

 「今は引退されましたが、昔は強かったんですよ」


 今日は寝起きすぐにサンとイナに呼ばれ、その最高指揮官と言われる昨日のおじさんに会いに行くらしい。と言っても、もう用事は無いのだが。


 「用事ってなんでしょうね」

 「さぁな、あ、イナ、お前なんかやらかしたんじゃねぇの?」

 「ええ! ぼくのせいですか!?」


 並んで歩く彼ら二人は仲の良さそうに見える。殺しの仕事をしているはずなのに、ここまで笑顔になれるというのは頭もイかれている。

 サロは横目でそんな事を思いながら、ふとすれ違う人物に身体が固まった。


 「…………っ」

 「……どうしたサロ? 傷痛むのか?」


 足を止めたサロに、サンは心配の声をかけるが、サロは返事をする余裕も無かった。

 忘れもしない、あの額に走った傷跡、左頬の傷跡。目の前で叔父を殺し、沢山の仲間の命を奪った外道……!


 「あの、サロさん……何かありましたか?」


 イナが手を握ってくる。気が付かないうちに拳を握りしめていたらしい。手のひらに食い込んだ爪の傷跡から血が滲んでいた。


 「もし何かあったら話してくださいね。ぼく達チームですから!」

 「そうだぜサロ、包み隠さずなんでも話そうぜ! うーん、そうだなぁ、今日の俺のパンツは赤色! な?」


 訊いてもいないのにサンはずっと自分の話を続ける。けれどそれが何故か嬉しくて、つい笑ってしまった。


 「あ、サンさん! サロが笑いましたよ! ほら!」

 「へっ、ちょっとは可愛げがあるじゃねぇか、なぁ……? ん? 何照れてんだよイナ!」

 「てっ! 照れて、ませんよそんな!」


 サンのいじりを笑いながら誤魔化すイナはやはりまだどこか若さがあった。サロも思わず一緒になってイナをいじってしまう。イナも困ったような嬉しいような顔で対応していた。




            *




 「さてと、ここが最高指揮官のお部屋。中では騒がないように〜」


 一番騒ぎそうなサンがその忠告を口にする。それからサンはリズミカルに何度か扉を叩いた。すると、


 「おや、サンかな? ふふ、君はいつになったら礼儀を覚えられるのかね」


 と、扉の向こう側から穏やかな声がした。昨日のおじさんの声と一致する。


 「入りなさい、待っていたよ」


 おじさんの声がして、サンが部屋の扉を開けた。


 「しっつれいしまーす!」

 「失礼致します」

 「失礼……します」


 入った途端におじさんは頭を抱える仕草をした。


 「イチさん、今日は何用で?」

 「……やっぱりサンのところに入れるのは間違いだったか……」

 「えー、そりゃ酷いっすよー、でもイチさんもたまには固くない相手とも喋りたいんじゃ?」

 「ふふ、そうだね、いい提案だ」


 そして、イチと呼ばれたおじさんは椅子から立ち上がって、頭に被っていた灰色の帽子を脱いで胸の前で構え、小さくお辞儀をした。


 「昨日は急がせてすまなかったね、僕がこの組織の最高指揮官、イチだ。よろしく」


 ニコリと穏やかに笑う彼は、昨日と全く変わらないままで、一瞬でイチという男の人物像を作り上げてしまう。


 「イチさん、昨日は失礼しました。こちらこそよろしくお願いします」

 「いいんだ、それより、怪我の方は大丈夫かな?」

 「すっかり元気に、と言いたいところですが、まだ少々痛みますね」


 それを聞いてイチは大きくため息をついた。


 「……そうか、ヨンといいサンといい、バカばっかりだよね、うち。本当にすまないね」


 イチはチラリとサンを見ながら深々と頭を下げた。


 「そんな、困ります……」

 「ていうか、しれっと俺とヨンを一緒にしないでくれますか」

 「ナナさんも大概ですよ」


 いちいち茶々を入れる男二人は無視して、イチに聞きたかった事を聞く。先手必勝。


 「あのイチさん。その名前の付け方って……」

 「あぁ、いい質問だね」


 イチは椅子に座り、こちらを見上げるような形になる。


 「実はこれは管理ナンバーなんだ。僕達一人一人の個体別番号、とでも言おうか」

 「個体別番号……」

 「そう、基本的には死ぬまでそのままなんだけど、万が一その番号の人が死んじゃったら、次に入る人がその名前を名乗ることになる。もしくは、ロクやサンのように、襲名することもある。それだけだよ」

 「……では、サロという人は以前いたのですか?」


 この質問には、イナが素早く反応した。


 「サロはぼくとほぼ同時に入った人の名前でした。彼は四度目の任務に失敗し、仲間をその場から逃がすために肉壁になって死にました。滅多刺しだったそうです。命なんてちっぽけですからね。しょっちゅう新しい人が入ってきますよ」


 真顔のまま、表情一つ変えずに話す彼の目の奥に、冷たいものを感じた。

 これ以上聞いてはいけないと察した。


 「あ、イチさんの用件は……」

 「あぁそうだった、すっかり忘れていたよ。最近歳で物忘れが多くなってきてね」


 はっはっと笑うイチに、さすがのサンも返せないかと思っていたが、


 「やっぱじじぃになりましたか?」


 などと失礼極まりない発言をするものだから、大慌てでイナがフォローに入るという最悪な形になってしまう。


 「ふむ、話しやすい相手と躾のなっていない相手を履き違えるなよサン」


 と、イチがその細い双眸でサンを睨む。これにはサンもたじろぎ、背筋を伸ばして前を向いた。


 「それでね、僕からの用事は二つ。一つ目は……その服だね」


 イチはサロの服を指差した。


 「いつまでも囚人服で居られるわけにはいかないからね、彼ら二人と同じ服に着替えてくれ」


 イチは座る机の下から黒い服を取り出し、それを広げてみせた。


 「安心してくれていい。あらかじめ君の身長体重、バストウエスト、それに指の長さから手の大きさまで調べてある。何があってもぴったりのはずだ」

 「イチさん、バスト、分かるんですか」

 「あのサンさん……」

 「あ、すまん。でも安心してくれ、俺の好みは年上だからな!」


 いよいよダメな人だ、と諦めつつ、サロは広げられた黒い服を見た。

 ポケットは全部で四つ。体側に二つと腕に二つ。


 「(すね)と心臓の部分と首の付け根には金属の板が入れられている。最初は動きにくいかもしれないけど、慣れてきたら便利な盾になるさ」


 イチは胸の金属板をコンコンと叩いて確認させた。


 「あと支給するのは、このナイフとトランシーバー、それに火薬もあるが、あれは倉庫に取りに行ってくれ」


 イチは机の上にその二つを並べた。

 ナイフは腰に携帯するように作られており、革製の鞘に収められている。トランシーバーは利き腕じゃない方に収納するようにと言われた。


 「こんなにたくさん……ありがとうございます」

 「いやいや、大したことないよ。倉庫に行けばもっとたくさんあるから、あとで行ってみるといい」


 と、この発言で気が付いたのか、イナがあっと声を上げる。


 「もしかしてイチさん、もう一つの用件って……」


 イナの質問に、イチは少し口角を上げた。


 「そうだ、察しがいいねイナ。そう、もう一つは殺しの仕事だ」


 サロはイチを見た。イチはサロの焦りを感じ取ってか、優しく微笑んだ。


 「そう固くならなくていい。次の仕事は一週間後、マライという小さな町の商人で、どうやら違法薬物を扱っているらしい。君達にはこの商人の男を殺してもらう。いいね?」


 拒否は出来ない。その目の不気味さに再び心が震えている。


 「了解しました。確実にやります」

 「あぁ、よろしく頼むよ」


 三人は、拳を胸に当てる仕草をしてから部屋を出た。


 「ついに仕事きたなぁ、どう? 初仕事、わくわくする?」

 「……殺しに行くのにわくわくはしませんよ」

 「ま、そうだろうな。俺も始めの頃は嫌だったよ。俺と全く関係無い奴を殺すなんて俺の美学に反していたからな。けどそれが今となっちゃ、俺を存在させる唯一の方法だ。俺が生きててもいいと証明される瞬間だ。そうやって自分を正当化していかないと……」


 サンは曲がり角で右の奥を見た。

 そこに、何人かの黒服の男女が手を合わせている姿があった。


 「……彼らは……?」

 「一昨日、心が病んで、一人死んじまった。あいつは良い奴過ぎた。任務から帰ってきたから部屋に引きこもりっぱなしで、仲間が心配して入った時には……首を吊ってたって噂だ」

 「…………」

 「ま、そうならないように、笑って生きてこうぜ、な?」


 この時、この組織が影の部分に存在していることを再確認した。

 殺していい人などいない。けれど、殺さなくてはならない理由がある。その時、サロという人格は、ちゃんと保てるのだろうか……


 「……そう、ですね」


 この日、午後からの戦闘訓練に参加した。

 実戦に向けた立ち回りの練習だった。

 ほんの少ししか生きていない人生だったが、無駄なことは何もないんだと、笑えるような気がした。

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