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1話

 初めて立ち上がっても頭がつかない高さの部屋だった。壁も床も石で造られ、トイレが一つとベッドらしき薄いマットが一枚敷かれているだけの部屋。周りから聞こえてくるのは呻き声と叫び声と鳴き声と謝る声と怒る声と、歩き回る鎧の擦れる音と鉄格子を殴る音、壁に頭を打ち付ける音。こんなに音に塗れる世界は初めてだった。


 「3067番、外へ出ろ」


 突然、外から声が聞こえた。この部屋の向かい側に居るやつれた表情の男がそこから手に枷を嵌められ落ち着いた足取りで連れられて行った。

 彼はきっと死ぬ。

 長年の経験から分かる。連れて行かれる時、その前後を固める兵士から殺意を感じた。


 「それと、3068番」


 先程の牢に鍵をかけた兵士の一人が、こちらにやってきた。


 「お前もだ、出てこい」


 思っていたより早くきてしまった。人生に終止符を打つ時が。


 「聞こえてんのか! 早く出てこい!」


 兵士の怒号にようやく足を動かした。兵士は出てきたところをすかさず捕まえ、手枷に鎖を繋いで、それを自分の腰に巻きつけた。

 前を覗くと、先程の彼は別の人と繋がれて四人ほどの列になって進んでいた。

 死の整列。もはや死んでいるも同然の彼らの肩が少し震えているのを見た。


 「……今更後悔、か」

 「何か言ったか?」


 前の兵士が厳しい目つきで睨みつけてくる。


 「なんでも……ありません」


 重たい足取りを強引に引っ張られる。牢獄の狭い廊下を引かれるように歩いていると、周りから哀れむような声が聞こえた。

 まだ若いのに、とか。女の子なのに、とか。

 関係無い。私はただ自分の人生を全うした。彼らみたいに、生に執着して、今更後悔なんてしない、そう思っていた。

 けれど、眼から溢れる涙で視界が悪くなった。今更怖くなって、死ぬということが、どれだけ恐ろしいのかを。何も感じなくなる。何も考えられなくなる。何も見えなくなる。何も動かなくなる。分からない。死への恐怖というより、未知への恐怖が身体を震えさせた。


 「おい、そいつは何番だ」


 気が付けば突き当たりまで来ていた。この建物の一番端、つまりは処刑場の入り口。


 「はい、3068番です」


 鎖を繋ぐ男は敬礼をしながらそう答えた。すると、聞いた男はこちらを睨みつけるように見た。


 「お前は……残念だがこっちだ」


 前の隊列が左に曲がるのに対し、なぜか右に連れて行かれる。また怖くなってその男を見たが、中指を立てられてしまった。


 「この先は俺たちは進入禁止だ、ここでしばらく待っていてくれ」


 前を見ると、黒い扉があった。あまり使われていなさそうなその扉は、少し異質な雰囲気を出している。

 兵士はノブを回し開け放つと、繋いでいた鎖を解いて、その扉の中に入るよう促す。

 私はしぶしぶその中へ足を踏み入れた。途端に扉を閉められ、丁寧に鍵までかけられた。中からは開かず、外からしか干渉できないようになっているようだった。

 諦めて、改めて部屋を見回した。あまり広くは無く何もない。待っていろと言われたものの、ここに誰かがやってくるような扉もない……否、一つだけ、不自然なものがあった。部屋には天井の真ん中に、吊るされるように蝋燭が灯っている。兵士が入らないはずの部屋になぜ蝋燭などというものがあるのか。その答えはすぐに分かった。

 突然床の石が一つ盛り上がって、ギシギシと音を立てながら、その石を中心として人が通れるぐらいの扉が開いた。


 「……通れ」


 中から低い男の声が聞こえた。

 言われるままにその細い穴に足を入れた。瞬間、足を引っ張られ、中に引きずり込まれた。

 尻から地面に落ち、しかしすぐに立ち上がって引っ張った奴に向かって殴りかかる。

 しかし、伸ばした右腕は避けて捕まれ、そのまま腹に膝蹴りを入れられてしまった。息がつまり隙を見せた時、同じ足でもう一度腹を蹴り飛ばされた。口の中は血の味でいっぱいになった。


 「良い、反応だった」


 目の前の人影はそう呟くと、転がる私の手を引っ張って、その穴の奥へ連れて行こうとする。


 「……おい、何処へ……」


 必死に抵抗したが、相手の力にねじ伏せられてしまった。

 その後は狭く低い穴をずっと連れられ、特に何があるわけでもなく部屋の扉と思しきところまで来てしまった。


 「入れ」


 男は背中を押すと、そのままどこかへ消えてしまった。全く気配を感じさせなかった。

 扉を少し叩き、恐る恐る開けて、


 「失礼、します」

 「やぁ、3068番とは君のことかい?」


 入るなり、ビシッと衣装を決め、小さめの杖をつく白髪のおじさんが笑顔で聞いてくる。

 ここの異質さとのギャップに驚きながらも、


 「はい、3068番は私です」


 と短く答えた。その時、少し口に残っていた血が出てしまった。


 「おや、怪我を……んん、ヨンの奴、手を出すなと言ったはずだが……」

 「……?」

 「いや、私の部下が失礼したね。ロク、治療の準備をしておきなさい」


 白髪のおじさんは、横に立っていた細く長身の男にそう指示した。彼は小さく頭を下げると、足早に別の道へ行ってしまった。そうして、この部屋に二人きりになり、余計な緊張が増えてしまう。


 「まぁ、立っていられるなら話をしようか」


 笑顔を崩さない男に、色々な意味で恐怖を感じる。


 「……何を、話すのですか」

 「そうだね、君は……」


 少し間をおいて。


 「君は死ぬのは嫌か?」


 私はどう答えて良いかわからなかった。死ぬのは怖い。だけれど、嫌なのかどうかは分からない。覚悟は決まっていた。いつ死んでもおかしくない事ばかりしてきた。怖いというのは、嫌ということなのか……


 「私は……嫌、です」


 男は全く表情を変えず、


 「そうかそうか、嫌、ねぇ」

 「……どういう意味の質問ですか?」

 「んん、特に意味は無いさ。君が死に急ごうという気がないことが確認できて満足だよ」


 意味が分からない。そんなこと確認してどうなるのか……


 「まぁ、やっぱり本題に入ろうか」


 今まで笑顔だった顔が少し変わり、その細い目を少し開いた。

 すると、その目の奥に見えた憎悪に満ちた光が、体を突き抜けるような心地がした。


 「君はこれから……人殺しをしてもらう」


 不気味に笑う男の目を見た。全く揺らがないその眼力に、逆に目を逸らしてしまう。


 「し、しかし……私は人を殺した罪で投獄されたのですよ。それなのに……どういうことですか」

 「そんなに焦らないで。一つ質問いいかい?」


 無言で頷いた。


 「君は黒狼って聞いたことあるかな」


 私は、記憶の中を探した。以前仲間の一人が、黒狼がどうしたとか言っていたような気がするが。


 「聞いたことはあります」

 「うん、そうかい。実はね、我々は殺し屋なんだよ」


 眉をひそめて、何か言おうとした口をふさぐのも忘れた。


 「……殺し屋……? まさか国家の……」

 「察しがいいね。ここは国の特別機関、指名手配の人間、重要人物、蛮族なんかを暗殺することを目的とした国家特別機関、通称黒狼。驚いた?」


 驚いたも何も、そんな恐ろしい機関があるとは知らなかった。では先程蹴られたあの男もその一人、いや、一味と言うべきか……


 「そう言うことだよ。それでね、君にも加わってもらうからね」

 「え……?」

 「あれ? まさか気が付かなかった?」

 「いや、あの……」

 「あ、拒否権はないからね。もし抵抗するなら……」


 うなじ辺りに冷たくて硬い物が当たるのを感じた。


 「首をはねちゃうかな」


 突然後ろから殺気を感じた。今まで部屋に二人しか居ないはずなのに……!


 「っ! 殺しの専門……」

 「あぁ、君の後ろにいるのがハチだ。彼は強いからね、大人しくしておいた方がいい」


 男を少し睨んで、拳を心臓に当てた。兵士が、リーダーにする合図。


 「服従する合図か。よく知っているんだね。いや、そんなことより……」

 「治療の準備が整いました」

 「そうかい、ではそうしよう」


 男は、ロクと呼んだ男の報告を受けて、手招きをした。


 「まだ色々したいことはあるが、死んでもらっては困る。先に治療だね。ヨンには後で僕から叱っておくよ。許してくれ」


 そして、ロクが目で合図を送り、ロクの後ろをついていく形になった。長身の彼は苦しそうに穴を進んでいた。




            *




 「気分はどうだい」


 目を開けると、先程のロクとは違う人が覗き込んでいた。


 「ヨンがやったんだって? 全く、あいつは手加減を知らないからなぁ……」


 男はロクとは真逆で、よく喋る。この人は何人殺してきたのだろうか。


 「あ、そうそう、君の名前決まったよ」

 「……? 私には」

 「君は今日からサロだ。俺はサン、よろしく!」


 サンはニコリと笑うと、その場から去っていった。身体を持ち上げ、周りを見ると、いくつかベッドが並べられていて、病室のような雰囲気だった。

 すると、人影が部屋に入ってきた。


 「あの、サンさんから話を聞いて来ました。大変でしたね」


 サンやロクとは違い、まだ若く、少し顔に幼さを残したぐらいの青年だった。


 「君は……」

 「ぼくはイナです。これからよろしくお願いしますね」

 「……これから? どういうこと……?」

 「あれ、サンさんから聞いていませんか?」

 「サンは、私の名前をつけただけでどこかにいってしまったよ」

 「あー、サンさんらしいですね……っと、これからというのはですね」


 この組織の仲間ということなのか……?


 「ぼくとあなたとサンさんは組になったのです! だからよろしくお願いします!」

 「ちょっと待って、組って……なに?」

 「ここでは三人一組が基本なのです。日々の生活もそうですが、作戦遂行時もこのメンバーです。理由は色々ありますけど、今更気にすることでもないですよ」


 サロは思考を止めた。そこに入ればそこに従えみたいな言葉があったことを思い出し、ここのルールに沿うことを決めた。悪く言えば諦めた。


 「そうなんだ、じゃあ、これからよろしく、イナ」

 「はい! こちらこそよろしくお願いしますサロさん!」


 二人は握手を交わし、しばらく他愛も無い話で盛り上がってから、


 「おっと、ぼくこれから訓練があるので失礼しますね」


 それでは、と彼は丁寧にお辞儀をして部屋を出ていってしまった。

 再び一人になり、今の状況を整理していた。

 本当は処刑されるところを何故か引き抜かれ、黒狼と言う国の機密組織に所属してしまった。しかも強引に。


 「どうなってんだこの国は……」


 思わず声に出してしまってから、慌てて口を塞ぎ周りを見た。誰もいない事に安心した。

 しかし、改めて見ると、普通に窓が付いているし、治療ということは医者もいるわけで、あまり秘密にされている感じがしない。普通の軍事組織のようだ。

 などとずっと整理しているものの、


 「暇だ……」


 そこで、ベッドの柔らかな手触りと心地の良い肌触りに気が付き、思わず顔を埋める。以前は固く冷たい土の上に木と藁を敷いたところで寝ていた。だからまるで夢のような心地の良さだ。

 サロはうつ伏せのまま眠りに落ちていた。


 幸せな夢を見ていた。

 お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと私の四人で食事をしていた。会話はあまりできなかったが、四人でする食事は特別なものを感じさせて、それはもう至福の時間だった。

 しかし、場面はすぐに切り替わる。家が燃やされ、慌てて逃げる背後から母の首をはねた黒い影――はどこかで……どこかで見た…………いやだ……思い出したくない……見たくない……見たら、きっと……!


 夢はここで途切れた。サロは落ち着いた呼吸を取り戻し、そして深い眠りに落ちていった。

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