第二章、その四
「──まあまあ、鞠緒様ったら。そんなところではしたない」
呆然とたたずむ僕の脇をすり抜けるようにして、先ほどまで岩穴の前に陣取っていた女性が、鞠緒の許へと駆け寄っていく。
「今宵は夕霞様たちの歓迎会だというのに、間食しては駄目じゃないですか」
突っ込むところは、そこなのかよ?
「何を言うか、我は巫女姫であるぞ! 余計な留め立てはするでない!」
女性の差し出した懐紙をはじき飛ばし、まくしたてる少年。その瞳はこれまでになく、毅然とした意志に満ちあふれていた。
「自分以外のものを、食べる目的以外には殺すことをけして赦さず。もしその命を奪うことがあれば、屍肉を必ず平らげること。それがこの里に住む者の掟であり、生き物としての当然の理であろうが!」
「これは出過ぎた真似を。申し訳ございませぬ」
地面へとひざまずき頭をたれる女性。おお、まるでライブで時代劇を見ているようだ。
しかし何なんだそのワイルドきわまりない、『里の掟』だか『当然の理』だとかいうやつは。一瞬納得しそうになった自分が、ちょっと怖くなったぞ。
「もうよい! 気分を害した。我はもう行くぞ!」
いかにも憤懣やる方ないといった表情のまま、後ろも振り返らず大股で立ち去っていく少年。
その実に男らしい雄姿でさえ、なぜだかワガママ美少女の逆ギレにしか見えないところは、本人にとっては損なのか得なのか微妙なところであった。ていうか、僕の里の案内のほうはどうなるんだ?
「申し訳ございません、お恥ずかしいところをお見せして」
僕のほうへと歩み寄り、優雅に腰を折る『女性』──て、こんな見目麗しいお方に向かって、いつまでもこのようなぞんざいな呼称を使っていてもいいのだろうか。
「あなたはたしか、お館の──」
「ああ、我々のことはひとまとめにして、『女中』とでもお呼びください」
いきなり解決してしまった。
いや、それもどうだろう。今いろいろとうるさいし。何せ男性上位時代が何千年も続いてきた(そうだ)から、これから先数千年間は女性上位時代が……え、これからは男女平等社会でいいの? なんで、それじゃ女性が損しっぱなしじゃない。なぜ誰も文句言わないの? 本当に差別されていたわけ? それで本当に平等になれるわけ?
「満様も我々相手にかしこまる必要なんてないのですよ。この館で生まれ同じ血を引いていても、鞠緒様と我々はあくまでも主と使用人の関係にすぎないのです。義理とはいえ鞠緒様の兄上に当たられるあなた様も我々にとっては主も同じ、ご用があれば遠慮なく何なりとお申し付けくださいませ」
再びひれ伏すように目線を下げる『女中さん』。ぼけっとしていたら僕自身が時代劇のお偉いさんに祭り上げられてしまっていた。実際にやられると非常に居心地の悪いことを痛感する。
「何でそこまでして、あの幼い少年のことを大事にするのですか。それにどんな理由があろうが生肉を食べるのはやめさせたほうが「──鞠緒様は特別なお方なのです!」
うわっ! 何だこの人、いきなり人の胸元をつかみあげたりしてきて。その瞳孔の開いた青灰色の瞳も、何だか怖いんですけど。
「この限られた土地に移り住んでから、我々は何度も滅亡の危機にひんしました。そんなとき必ず皆の命を救ったのが、一族の中で唯一不思議な力を持って生まれる『巫女姫』の血筋の者でした。この里は巫女姫を中心に一致団結してきたからこそ、過酷な環境の中で今まで生き長らえてこれたのです。生肉を食べることぐらい何ですか。限られたこの地では、贅沢なことを言っている余裕すら無かったのですよ」
ああ、なるほど。鞠緒の言っていた里の掟って、つまりはこういうことだったのか。
たしかにそうだよな。こんな食糧事情が限られたところじゃ、捕食のため以外の殺傷なんかをする余裕も無いだろうし。それでも何らかの理由で動物等を死なせた場合は、その死を生ある者たちが最大限に有効利用していこうっていうわけなんだ。
まったく、たとえ虚構の中といえども意味もなく人を殺しておいて、やれトリックだのアリバイだの読者への挑戦だのとふざけたことを言っている、ミステリィ関係者にこそ聞かせてやりたくなってくるよ。
「とにかく満様に覚えておいていただきたいのは、鞠緒様があなた様を想う気持ちは本物だということなのです。それこそ血のつながった実の兄弟以上に、満様のことを慕われておられるのです。これからも『巫女姫』であるゆえに、何かとお気に障られるような言動をなされるやもしれません。それでも満様には広きお心にて、鞠緒様のことを見守っていただきたいのです」
そう言い残し、岩壁の定位置へと戻っていく女中さん。あ、しまった。本当にそこが宝物庫なのかどうかを聞くのを忘れていた。
そして何よりも、鞠緒がなぜそれほどまでに、僕のことを慕ってくるのかも。
泉の前にただ一人たたずみ、今し方起こったばかりの衝撃的な出来事の数々を反芻しながら、僕はたった一つのことを心の中で決意するのであった。
二度とあの少年の前では、動物や鳥などに興味を見せるそぶりをしてはいけないぞと。