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人魚の声が聞こえない  作者: 881374
第五章、オトヒメの供物(サクリファイス)。
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第五章、その三

 ○月×日。最初の犠牲者は今なお小説界で大人気の『キャリア組の警察官僚』であった。


 はっきり言って、あっけなく事が済みすぎて、別に何も記すことがないほどだった。

 何だかあの男、自分が殺されようとしていることすらも、きちんと自覚していないように思えるほどだったのだ。

 何であんな木偶の坊がミステリィ小説界でもてはやされているのか、頭が痛くなってしまいそうだった。

 別に警察だけでなく財務省でも厚生労働省でも同じことであるが、彼ら東大出のキャリア官僚というものは、別に取り立てて天才でもなく、もちろん何でもできるスーパーマンというわけでもないのだ。

 一人一人は単に巨大な人脈の歯車にすぎず、ただのその学閥そのものが、この国の政財界に巣くい最大最強の公権力を誇り続けているというだけなのである。

 それを何も知らない三流ミステリィ小説家どもが、誇大妄想的に勝手にキャラを膨らませて、たとえばいまだ衰えない人気を誇る警察小説なぞにおいて、あるときは主人公を陰で支える力強い味方として、あるときは最後に立ちふさがるラスボスとして、好き放題に活躍させる姿を見るたびに、あきれて物が言えなくなるほどであった。

 結局ミステリィ作家たちは『何でもアリ』の便利なキャラクターが欲しいだけなのである。古くは私立探偵がこれに当たり、休職中の刑事や反組織的な一匹狼刑事など手を替え品を替え、今現在はこの『キャリア組の警察官僚』に行き着いているだけなのだ。

 実態というものを調査研究する努力を怠り、ただ御都合主義的に能無しサラリーマン公務員たちを大活躍させている様は、もはやファンタジーと言ってもいいほどに滑稽なものと成り果てていた。


 最初から気の滅入る獲物にぶちあたったものの、取りあえず右脚だけ切り取って座敷牢へと持ち帰り、人肉グルメの達人にそのお味のほどを聞いてみることにした。

「う〜む。まるで一度だけ食べたことのある『養殖ウナギ』そっくりじゃ。何ともぱさついて味気なく、食べているだけで物悲しくなってくるのう」


 ──本当に悲しいのは、こんなやつらに支配されている愚かな国の国民のほうだ。


          ◇     ◆     ◇


 ○月×日。今度はいきなり真打ちの『私立探偵』の登場である。


 こいつもあっさりと倒した。ていうか、もういらん。二度とミステリィ小説の中なんぞに登場しないで欲しい。

 はっきり言ってこれから先、私立探偵なんかを自分の作品に登場させるやつはどんなベテラン作家であろうとも、ただの『能無し』と決めつけるからな。

 一度じっくりと考えてみたまえ。日本を舞台にしたミステリィ小説で私立探偵を登場させることに、必要性や現実性や将来性や独自性がほんのわずかでもあると言えるのかを。

 結局すべての作家は先人の受け売りをしているだけであり、さらにはその先人たちは単に英米探偵小説の主人公を国風の違いなぞ少しも勘案せずにそのまま単純に密輸入して、自分の作品のキャラとして活用していただけなのである。


 ──そして、これこそが『諸悪の根源』であったのだ。


 いったいこの日本でこれまでに『私立探偵』とカテゴリィされる生き物が、何か一つでも難事件と呼ばれるものを解決したことがあるのかね?

 そんなことは平安の大陰陽師と呼ばれる『阿倍清明』が、本当に目を見張るほどの奇跡を起こしたことがあるのだと言い張るのと同じような、もはやファンタジー小説そのままのたわ言にすぎないのだ。

 もちろん英米においては実際に私立探偵なるものが活躍し、それなりの社会的貢献を果たしており、それゆえにかの国の探偵小説にはリアリティを見いだすことができた。

 しかし日本のミステリィ小説においては、土台からすでに事実無根であり、独自性と色物化とを履き違えてどんどん奇怪な発展を続けていき、もはや探偵というキャラについてもミステリィという小説の枠組みについても、現実と完全に乖離してしまって収拾がつかない有り様と成り果てていた。

 それで、自分たちこそは『本格』だ何だとほざいているのだから、とんだお笑い草である。


 一抹の不安を抱きつつも獲物の左腕だけ切り取って、座敷牢へと持ち帰ってみたものの、返ってきたのはすげない一言だけであった。

「いらん。もう食べ飽きた」


 御もっともです。


          ◇     ◆     ◇


 ○月×日。休職中の刑事。


 一言で言えば 、『私立探偵』のバリエーションの一つである。

 特に、女性向けのソフトな作品でよく見受けられる。

 だけどねえ、ここではあえて『刑事』という名称を使わせてもらうけど、『休職中の刑事』という言葉自体がすでに矛盾しているわけなんだけどねえ。

 あのさ、別に実際の警察にはテレビの『刑事ドラマ』のように、最初から『刑事』や『白バイ隊員』として採用される警察職員なんていないわけなんだよ。

 なのにあんたらって『刑事』と言えば、採用されたときから退職するまでずっと『刑事』であり続けていると思っているだろ? こうして指摘すればすぐに気づく奴も多いとは思うけど、普段は得意のテレビドラマにすっかり洗脳されてしまっているものな。

 たとえばさ、『休職中の刑事』という言葉を聞いても、何の疑問もなく受け容れてしまうだろう? それがそもそも間違いなんだ。

 警察職員は人事異動や昇任試験でそのつど担当部署がころころ変わっていくのであり、休職したときたまたま刑事であったとしても、彼の階級名や職務名が『刑事くん』でも『刑事さん』でもないわけなんだ。あくまでも一警察職員にすぎないのである。

 つまり休職した瞬間に彼は、無所属の一公務員となるわけであり、もはや刑事でも何でもなく、復職した場合でも『刑事畑』の部署につくとは限らないのだ。

 すなわち『休職中の刑事』なんて者は、この世にただ一人として存在しないのである。

 これは警察権力という国民の権利に重大なる制限を及ぼすものをできるだけ公正に適用させるために、警察官がその権限を行使し得るのをあくまでも職務上必要な場合に限定させているわけであり、民主国家の在り方として至極当然のことにすぎなかった。

 結局ミステリィ小説家はフリーハンドな何でもありの主人公が欲しいだけであり、特に女流作家にとっては『休職中の刑事』というものが、野暮ったい私立探偵よりも何だか目新しくて女性受けがよさそうで好都合であったのだろう。実に浅はかな考え方である。


 まあ、しょせんは素人芸の産物である。勝負はものの五秒でついてしまった。今回はやさしくて思いやりがあると評判だった、『心臓ハート』を手づかみでえぐり出して持ち帰る。


 ──お客様、お味のほうは?

「何とも頼りない味じゃのう。結局私立探偵と大差はないし。むしろ癖がなさすぎて物足りないぞ」


 ……鞠緒まりお。おまえって案外、小説の評論家の素質があるんじゃないのか?

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