第四章、その六
「……う、う、う、うしお〜」
いかにも意識が朦朧となっているかのように、うわ言をくり返すばかりの少年。
そのただならぬ様子につい先ほどまでの葛藤なぞすべて忘れ果て、慌てふためきながら華奢な体を抱え上げ、座敷牢の中へと運び込む。
「ほら、しっかりしろ。取りあえず水飲め、水」
「んぐっ」
無理やり水の入ったコップを花の蕾の唇に押しつければ、無我夢中で喉を鳴らし始めた。……こいつ、この暑い中、水もろくに飲んでいなかったのか?
たしかに表向き食糧は尽きたことになっているが、倫理面を度外視すればタンパク源は豊富に確保されており、飲み水に関しては湖や泉等の天然の貯水場に恵まれており、まったく不自由することはないはずなのである。なのにどういうことなのだ、この有り様は?
「こんなに痩せこけて、食事もろくにとってないんじゃないのか? せめて塩や砂糖をなめておけよ。この暑いのに塩分が不足したら死ぬぞ!」
そう言って厨房に調味料でも取りに行こうとすると、少年のか細い指がしがみついてきた。
「腹減った〜。に、肉が食べたい〜」
「──うっ」
忘れてた。こいつはイヤンな肉食獣だったんだっけ。
……待てよ。つまり僕って今、非常に危険な状態にあるんじゃないのか?
『腹を空かせた人喰いの謎の美少年』だなんて、字面だけなら何だかカッコいいけど、実際問題『飢えた山犬』とか『安達ヶ原の鬼婆』とかと、一緒にいるようなものではないか。
でもなんで、こいつ何も食べてないんだろう。こう言っちゃ何だが、あの食糧庫はまだまだ『在庫』は豊富なようだったし。こいつ一応はこの里で一番偉いってことになっているんだから、女中さんたちも放っておくわけもなかろうし。
『──潮、我に褒美をくりゃれ』
『なんでもこの里の古よりの習わしでは、自分が狩った獲物を分け与える行為は、相手に対する求婚の意を表すというのだ』
まさか、こいつ。自分を『餌づけ』した潮叔父さん本人だと思っている僕が、人の屍肉を食べているのを見て嫌がったから、人肉が食べられなくなったとか?
ぼ、僕のせいだって言うのかよ。だからって人肉を食ってもいいなんて言えるものか!
『ふぉふぇ、うふぇふぉふぇ』
『潮、いるか。飯を持ってきたぞ!』
そういえばこいつ、会った初日に自分で狩った獲物を僕にやろうとしてたんだよなあ。それに食糧難になってからも、何かと食事の面倒を見てくれていたし……。
しかたない。たとえ相手が人喰いだろうがアリクイだろうが、恩を仇で返したんじゃ人道にもとるってもんだ。
僕は大きくため息をついたあと、その少年を両腕で抱え上げ、聖なる泉へと向かって駆け出した。
……しかし、人喰いのモンスターを『お姫様だっこ』したのって、世界広しといえど僕ぐらいなものだろうな。
◇ ◆ ◇
「まあまあ満様、申し訳ございません。あとのことは我々でお世話申し上げますので、御安心くださいませ」
取りあえず鞠緒を『満月の泉』のほとりにある食糧庫へと運んだら、その入口で番をしていた女中さんが快く引き取ってくだされた。
「何だか数日前から鞠緒様ったら、『肉類』をまったく口になさらなくなったものだから、皆心配していたのですよ」
「はあ、こちらこそ大変申し訳ございません」
何謝っているんだ僕は。人喰いが肉を食べなくなることは、結構なことではないか。
「ふふふ。ご心配には及びませんよ。本人が断固として拒否されておられますから、『例の肉』のほうはすすめたりいたしませんので。ちゃんと他にもいろいろと在庫はございますから、ご安心なさってください」
こちらの顔色でも読んだのか、女中さんが意味深なことをのたまった。
ところで『他にもいろいろ』って何だろう。たとえばリャマとかアルパカの肉なんかがあるのだろうか。
「でも意外でしたわ。潮様の甥御様が、こんなにも鞠緒様に御親切にしてくださるなんて」
……その件に関しましては、何ともコメントがしづらいものがありますので、ここは遠慮させていただきます。
「鞠緒様も満様のお言いつけはちゃんと守って、あんなに大好きだった肉も食べなくなるんだから。やはり愛の力って偉大ですわね♡」
愛ちがうから。あと、基本的には男同士であることもお忘れなく。
「とにかく鞠緒のことをよろしくお願いします。それと、明日からは座敷牢のほうに来ても構わないからって、伝えておいてください」
「あら、いいんですか?」
「ええ。結局、僕のほうの勝手な言い分だということがわかりましたので」
「まあ、満様もますます男らしくおなりになって。去年の潮様とは大違い。これは今度こそ鞠緒様とうまくいかれるやも知れませんね」
いやだから、どうしてそっち方面に結びつけるんだ。もしかしてあなたって、世間で噂の『腐女子』さん?
「あ、それから満様もお食事面でお困りになられるようなことがあれば、遠慮なくお申し出くださいね」
「……はあ」
人肉とか人魚の肉とかを、喰わせてくれるとでも言うのですか?
「うふふふふ。そんなにしかめ面にならなくてもよろしいではございませんか。しょせんこの世は他人との競争の繰り返し。共喰いだろうと殺し合いだろうと皆様のミステリィ小説業界における功績争いだろうと、結局は同じようなものではないですか。最後に勝ち残った者がすべてを奪い取るゲーム──そう、あたかも『蠱毒』の呪術のように」
「こどく?」
「ええ、我が国古来の呪いの術法にて、蛇や百足など同じ種類の多数の生き物を狭い空間に閉じこめ共喰いをさせて、最後まで生き残った生命力が最も強く他者の怨念をより多くその身に秘めた個体を生け贄として使い、強大な霊力を発現させ呪術に利用することなのです。まさに今行われている皆様の、サバイバル・ゲームそのものとは言えませぬか?」
不意に背中に氷の塊を入れられたような悪寒が走った。失念していたが目の前の見目麗しいこの女性も、立派な人喰いの一人だったのだ。人間をゲームのコマとして使い捨てにすることなぞ、何のためらいもないであろう。
「……それでは、これにて失礼します」
何だか急に居心地が悪くなり、そそくさと僕が踵を返そうとしたとたん「──お待ちくだされ」
「以前もお伝えしましたが、満様には何とぞ最後まで、鞠緒様のことをお見捨てなきようお願いいたします。そうなされておられるうちは私どもも、何はさておきあなた様のお命をお守りすることができますから」
その物騒きわまるセリフに、思わず振り向く。
「それって、脅しですか?」
「ほほほ。とんでもございません。私どもごときに何ほどのことができますやら。何せあなた様は鞠緒様にとっての一番大切なる『王子様』。鯛や平目である私どもはただ、あなた方お二人の前で舞い踊るのみでございます」
またしても突きつけられた意味深な言葉には何も答えず、今度こそ本当に座敷牢へと向かって歩を進め始める。
何が『王子様』だ。何が『鯛や平目』だ。『人魚姫』だか『浦島太郎』だか、どっちか一つに統一しろ。だいたいおとぎ話ということ以外に、何も共通点はないだろうが。
ぶつくさとつぶやきながら歩き続けていた僕は、そのときすっかり忘れ果てていたのである。
その二つの物語の主人公の男性が、どちらも結局たった一人の『女』の手のひらの上で踊らされ、最後には使い捨てにされてしまっていることを。
──そう、まさに魔女そのものである、あの『女』たちに。




