第二章、その九
「うしおー。お風呂に入ろうぞ♡」
てんやわんやの一日が終わり、夕霞さんとの明日以降の予定の確認と就寝の挨拶も済ませ、与えられた客間で早めに敷いてもらった布団の上に大の字に横たわり、やっと安堵のひと息をつこうとしたところで、またしてもあの少年が不意の襲撃をかけてきた。
「……風呂って、おまえと?」
「そうじゃ」
「僕と一緒に?」
「そうじゃ」
「今からすぐ?」
「だから、そうじゃと言うておろうが。それとも何か? 我とおまえが一緒に風呂に入るのに、なんぞ不都合なことでもあるのか?」
「いや……特にはない」
「だったらつべこべ言わずに早う支度をいたせ。よくそんな汗だらけの体で布団に寝転んだりできるものじゃ。ううむ、見るからに暑苦しい。夏場はこれだからいやじゃのう。まずは一風呂でも浴びなくては、ゆっくりとくつろぐ気にもならぬわ」
ぷいっと拗ねたように口を尖らせてそっぽを向く鞠緒の姿を見ながら、僕はこっそりとため息をついた。
たしかに不都合なことなぞ何もない。思春期まっただ中とはいえ僕らは男同士なのだ。あくまでも明朗健全サワヤカ路線なのである。むしろ部活帰りの後輩に「ようし、これから一緒にいい汗流そうぜ!」と、銭湯に寄り道をさそう気のいい先輩の白い歯キラリの世界なのだ。どこにもためらう理由なぞないはずなのである。
……しかし、あれは絶対反則だよなあ。
そそくさと旅行鞄から着替えや洗面道具を取り出し始めた僕の姿を見て機嫌を直したのか、月長石のような青の瞳を興味深げに煌めかせ桃花の唇の両端をにんまりと上げながら、入口で待ちわびている少年。
う〜ん、あれで本当に『少年』なのだろうか。どう見ても女の子──いや、絶世の美少女にしか見えないんだけどなあ。
そんなこんなで館の浴場(浴室なんてレベルではない、なんと露天風呂なのだ)の脱衣室へと到着する。
そこへといたる短い道すがら鞠緒と並んで歩きながら、僕の心臓は早鐘のごとくバクバクと暴走しっぱなしであった。
──ついに、この瞬間が来た。
何のためらいもなくするすると衣服を脱いでいく少年の姿を盗み見しながら、僕は握りこぶしをかためて決意を新たにしていた。
正直言って僕はずっと疑っていたのだ。この少年は実は女ではないのかと。いやむしろ、そうであってくれと。
こんな外界と隔絶された山奥の隠れ里の、いかにも古き因習に満ちていそうな一族の後継者なのである。何か余人のうかがえぬ理由でもあって、性別を取り換えて育てられている可能性だって大いにあり得るのだ。第一『巫女姫』が男であるほうがおかしいのである。
それに、あくまで明朗健全サワヤカ路線といえども、学園ラブコメならしっかり許容範囲なのであった。
たとえば「先輩。ボク、本当は女の子なんだ。田舎の古いしきたりで男の子として育てられてきたけれど、先輩とはずっと幼なじみの友達同士で過ごしてきたけれど、ボク、ボク、実は先輩のことが!」という展開だって、むしろ大歓迎なのだ。
「……さっきから、何をぶつぶつ言っているのじゃ、おまえ?」
「あ、いや、そのう」
いかん。いつのまにか興奮しすぎて、『内面表記』をそのまま口にしていたみたいだ。あぶないあぶない──って!!
思わず我が目を疑った。ほんの鼻先には背中を向けたままいぶかしげな表情を振り向かせている、鞠緒の姿。残念なことにも僕の期待はあっさりと裏切られ、それはどこをどう見ても少年の肢体であった。
しかしそんな邪な感情など、あっけなく脳裏から大宇宙の彼方へと飛び去ってしまう。
──こ、これは、いったい。
すべての衣服を脱ぎ捨ててあらわになったその少年の素肌は、まさに夢の中の少女そのままに白く透き通るようにすべらかであり、どこか『白蛇』を思わせるようなみだらで妖しげな雰囲気をかもしだしていた。
だがこれはどういうことなのだ。そのいたいけな若者の柔肌には見るも無残な『刻印』が、無数に焼き付けられていたのである。
その四肢、胸、腹、背中、下腹部を問わず、少年の体中を縦横無尽に走っていたのは、傷痕であり、みみず張れであり、やけどの痕であった。
「ま、鞠緒、それって──」
いわゆる児童虐待ってやつう!?
「うん、どうした?」
相も変わらず無垢な笑顔を浮かべたままでその少年は、僕の視線の先をなぞるように自分の体を眺め回しながら、さも別に大したことでもないように平然とのたまった。
「ああ、これか」
「これかって、何でそんな!」
……落ち着いていられるんだ?
「おまえのほうこそ、何をそのように慌てふためいておる。初めて見るわけでもなかろうに」
──え?
笑みをかたどったままの薄紅色の唇が、これ見よがしにゆっくりと言葉を紡いでいく。
なぜだか不吉な予感が「──だって、」
脳裏に走っていく「──我にこの傷を付けたのは、」
いけないこれ以上聞いては「──すべて、」
「潮、おまえではないか」
そのとき生まれてはじめて『血の気が引く』という表現を、実際に痛感することができたのだった。




