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「ひどい熱だ。数日は安静にしておいた方がいい」
先生にそう診察され、ベッドの中でアーノルドは力無く頷くしかなかった。
アーノルドは、生徒会の仕事が終わってすぐに寮へ帰っていた。
体に著しい不調をきたしていたからだ。
全身が熱く、とてもではないが平常ではいられないほどの倦怠感に襲われる。
彼は自室で寝込み、あまりの熱のひどさに次の日先生に診てもらうこととなった。
そうして、先生からは精神的ストレスからくる熱だと判断された。
「アーノルド君、何か最近、悩み事でもあったかね? 私で良ければだが、相談に乗らせてもらうよ」
そう先生は声をかけてきたが、アーノルドは先生の方を見ようとせずにおもむろに首を横に振った。
「いいえ、何もありません」
「そうか、だが何かあれば遠慮なく言ってくれると助かる」
先生は、「また様子を見に来る」と言い残して、部屋を後にした。
先生が退室した後、しばらくアーノルドはぼんやりと天井を見つめているだけだった。
やがてアーノルドは、ゆっくりと目を閉じる。
彼の目尻に、涙が伝った。
♢♢♢
「やあ、アーノルド君。調子はどうだろうか?」
時間が経ち、再度様子を見にきた先生はアーノルドに声をかける。
「特に変わりません」
アーノルドの素っ気無い言葉に、先生は「そうか」と返すと、彼の熱を測る。
「確かに熱は全く引いてないようだ。きちんと休息を取った方がいいだろう」
「はい、こうして寝ていますので大丈夫です」
先生の言葉にアーノルドは答える。
それに対して先生は、首を横に振った。
「いいや、アーノルド君。私は、君に心の休息を取って欲しいと言っているんだ」
「心、ですか?」
「そうだ。私は君に精神的ストレスからくる熱だと診察しただろう? なら、心を休めなければ話にならない」
先生はそう言った。
「確かにそうですね。分かりました。心を休めようと思います」
アーノルドは虚空を眺めるようにして、そう無機質な声音で言う。
先生は溜息を吐く。
「……どうやら相当根が深いようだな。全く君といい、カミラ君といい、手がかかる生徒たちだ」
カミラの名前が出て、そこで初めてアーノルドは先生に視線を合わせる。
「……カミラに何かあったのですか?」
「いや、何もないが、強いて言えばまあ少し悩み事があるらしい」
「悩み事、ですか」
「ここ最近は、あまりそう言った様子を見せていないが、当初はかなり思い詰めていたよ」
そのことを初めてアーノルドは知った。
「……それはどういったことについてなのか、聞いても?」
「悪いが、それは言えない。たとえ婚約者の君でもあってもね。もしも気になるなら、彼女自身に聞いてみるといい」
先生の言葉に、アーノルドは「そうですね、分かりました。そうしてみます」と答える。
けれど、彼は彼女に訊くつもりはなかった。
自分に、彼女のことについて聞く資格はないと、そう思っていたからだ。
彼女を傷つけた自分には――
「ゆっくり休んでいてくれ。また様子を見に来る」
先生はそう言って、部屋を去っていった。
♢♢♢
「体の調子は少しは良くなったかね?」
三度目の先生の訪問。
アーノルドは首を横に振った。
「いいえ、全くです」
「そうか、まあじきに良くなる。少しの辛抱だろう」
先生はそう言って、アーノルドとの会話を始める。と言っても、今までの二回とも基本は先生が一方的に話しかけ、アーノルドが相槌を打つという程度のものでしかない。
今回もそうだろうとアーノルドは思っていた。
「少し深く訊くことになるのだが、アーノルド君、もしかしてカミラ君と何かあったかね?」
そう訊かれ、アーノルドはわずかに表情を動かす。
「別に確証はない。君たち二人の雰囲気を見ていると、『何かあったのかもしれない』と思えたのでね。もし違ったのなら、謝ろう」
アーノルドは先生の言葉に何か言おうとするも、すぐに口を閉じる。
そして、彼はこう答えた。
「何もありませんでしたよ。俺とカミラはいつも通りです」
彼の表情は、あまりにも無感情なものだった。
アーノルドの表情を見て、先生は謝罪の言葉を述べる。
「分かった。勝手に詮索してすまなかった」
そして、先生はそれっきりアーノルドに対して話題を振ることなく診察すると、「ゆっくりと休んでくれ」と再度言って帰っていった。
アーノルドは、目を閉じる。
何も、なかった。
自分と彼女の間には。
初めて会った最初から、今の最後まで何一つ。
自分たちの間には、何もない。何も残っていない。何も為していない。
自分たちの関係は、空っぽの関係だ。
アーノルドは、今更そのことに気づいたのだった。
彼女とは、他者に対して演技で仲良く見せているに過ぎなかった。
だから、相手のことを知ろうとすることがなかった。
必要がなかった。
そして、そのために自分たちの関係は空っぽになってしまったのだ。
アーノルドはカミラを愛している。
その愛は本当の愛だった。
けれど、空っぽの愛でもあったのだ。
彼女のことをどれだけ大切に想っていても、空っぽでは意味がない。
アーノルドはカミラのことを理解しようとしてこなかった。
何一つ、知らない。
己自身に問う。
――自分は一体、彼女の何を知っているのだろう。
彼女の好きな色を知らない。
彼女の好きな食べ物を知らない。
彼女が趣味としていることを知らない。
彼女が何を考えているのか知らない。
今まで彼女の隣にいたはずなのに。
何も分からない。
好きになったはずなのに。愛していたはずなのに。
知らない。
何も、知らない。
空っぽだった。
だから、彼女を傷つけた。
だから、自分は間違えた。
そのことにアーノルドは今更ながら気がついたのだった。
――もう手遅れとなってしまった時に。




