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アーノルドはその内容を理解出来なかった。
突然、彼の耳に入ってきた自分以外の噂の数々。
その内容は全て、数日前からカミラが少女に対してひどい嫌がらせをしているというものだった。
しかも、それはただの根拠のない噂ではないらしい。すぐに幾人もの目撃者まで現れる始末だ。
どうやら本当のことだと知り、アーノルドは困惑する。
一体なぜ彼女がそんなことを。
彼自身、まるで予想がつかない。
理由は分からないが、彼女は、周囲に隠すことなく少女に対して嫌がらせを行なっているらしい。
そのため、こうしてアーノルドの耳にまで入ってきたのだった。
アーノルドは頭を振る。
理解出来なかった。
中にはアーノルドの噂を聞いてカミラが少女に嫉妬したという話もあったが、そもそも自分を憎む彼女がこのような暴挙に出るはずがない。
それに、少女とカミラの間に交友があったようにも思えない。彼は一度も二人が共にいるところを見たことがなかった。
今の今までカミラが少女の存在を知っていたのかすら怪しいほどだ。
全くと言っていいほどアーノルドには、カミラが少女を虐げる理由が思いつかなかった。
けれど現時点で、カミラは少女に対して執拗に嫌がらせをしているという。
分からない。
どうしてそんなことをするのか全く分からない。
そもそも彼女は、このようなことをする人間ではなかったはずだ。彼女は常に模範的に振る舞っていた。
だから、今回のことはあまりにも異常すぎることだった。
――真相を確かめなければならない。
アーノルドはカミラを呼び出すのだった。
♢♢♢
カミラとアーノルドは屋上で正対する。
アーノルドから見て、目の前の彼女の様子は驚くほどに穏やかだった。
正直言って、そこにいる彼女は、噂や証言の中に登場する彼女とまるで一致しない。
どこか儚げではあるものの、至っていつも通りの様子に見えた。
内心戸惑いながらもアーノルドは訊く。
「理由を聞きたい。どうして、彼女を傷つけるんだ?」
「どうして、って分からないの? あの子が、私達の仲を引き裂こうと邪魔をするからよ」
そう言葉を返す。
アーノルドは一瞬、彼女が言った言葉を理解することが出来なかった。
意味が分からない。
自分を憎んでいる彼女が、一体なぜそんなことを口にしたのか。
まるで、目の前の彼女が自分に対して好意を持っているようではないか。
有り得ない。そんなことがあるはずが無い。
それに少女を虐げる理由にはならない。
学園に入ってからアーノルドと少女が言葉を交わしたのは、先日の一回きりだ。
仮にあの時、たかが数分程度の他愛のない会話を彼女が偶然目撃したとして、そこから『自分たちの仲を引き裂こうとする少女に嫌がらせをする』という発想には決して繋がりはしないだろう。
……おそらくこれはでたらめだ。彼女は自分を混乱させようとしているに違いない。
戸惑いながらもアーノルドはそう判断する。
だから、
「――違う。嘘を吐くな」
気がつけば、アーノルドの声音はまるで責めるように攻撃的で、とても低いものになっていた。
それに、
「俺が勝手に堕落すれば、君は喜ぶはずだ。なぜ、一緒になって名を落とそうとする? わけが分からない……」
全くもって理解出来ない。なぜ、彼女はする必要も無いことをしているのだろうか。
自分との関係が終われば、彼女はより幸せになるだろう。
黙って破滅を見届けるだけで彼女に幸せが舞い込んでくるはずなのに。
なのに、そうしない。
――まるで自分と同じことを考えているようだ。
そうアーノルドは思ってしまう。
「あの子に嫉妬してしまったの」
少女は強く笑みを浮かべて言った。
「また嘘だな、お前は別に何とも思っていない」
平気で嘘を吐く。
それは彼女の得意なことであり、自分の得意なことでもある。
――だから、アーノルドはこの時もカミラが嘘を言っているのだと思い込んでいた。
「――私はあなたを愛してるの」
嘘だ。そんなことは有り得ない。
先程から笑いながら言うのが、その証拠だ。
お前は俺を愛していない。嫌という程知っている。
だから、次に嘲笑うようにして、こう言うだろう。
――自分はお前のことが嫌いで仕方ないと。
アーノルドが睨みつければ、カミラはおもむろに言った。
「だから私ね――あなたが大嫌い」
それはアーノルドが予想した通りの言葉だった。
しかしそれに対して彼女の顔は、驚くほど悲しみに溢れていた。
アーノルドは硬直する。
なぜそんな今にでも泣きそうな顔をしているのか彼には、分からなかった。理解出来なかった。
彼女は大嫌いだと言った。
それなのに、どうして――
アーノルドの頭の中が真っ白になる。
その間に彼女はすでに行動していた。
「さようなら、アーノルド」
気がつけば彼女は、屋上の縁に立っていた。
そして、笑みを浮かべる。
それは、今までアーノルドが一度として見たことのない彼女が初めて見せる心からの笑みだった。
「――カミラ!」
必死になって手を伸ばす。
だが、その手が届くことはない。
アーノルドには、涙を流しながら微笑む彼女の姿がとても遠い場所にいるように思えた。
♢♢♢
この後、カミラは意識不明の重体となるも、どうにか一命を取り留めることは出来た。
彼女は、戻ってきた。
けれど、本当の意味で彼女が戻ってくることはなかった。
「――お久しぶりですね、アーノルドさん」
アーノルドの目の前には、カミラに似ているだけの別人がいた。




