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自分の記憶が二年間抜け落ちていることを、カミラはアーノルドに伝えるつもりはなかった。あんなにも、彼はカミラの無事を喜んでくれたのだ。だから彼に余計な心配をかけるつもりはさらさらない。
医務室の先生には、後からそのことを告げた。先生はカミラの言葉を黙って最後まで聞いて、「分かった」と頷いて彼女の意思を尊重すると約束してくれた。
アーノルドには、事実を教えない。彼を悲しませたくはなかったから。
「カミラ、どうかしたのか?」
「いいえ、別になんでもないわ」
それに、もし彼に本来の自分ではないことを伝えてしまえば、何か良からぬことが起きてしまうのではないかと、カミラは思ったのだった。
それが、何かは具体的には分からない。けれど、ざわざわと胸騒ぎがするような、とても嫌な予感を感じるのだった。
彼女は、頭を振って消極的な思考を追い払う。そうだ、今は積極的に考えていかねばならない。
ただでさえ、カミラには二年という空白期間があるのだ。その期間、自分は一体どのように生きてきたのかを詳しく知る必要がある。他人から怪しまれないために。
──アーノルドと幸せに過ごすために。
♢♢♢
空白の二年間について、それをアーノルドに訊くことだけは躊躇われたのだ。何せ、発端となるあの時のことは『事故』という扱いになっている。だから、アーノルドには訊くことは出来なかった。彼の中で、あの時がどのような扱いになっているのか見当もつかなったからだ。
だから代わりに、カミラは少女にその詳細を訊くことにした。
彼女は、二年前と比べて気さくな性格へと変わっていて、カミラは内心驚いた。当時の彼女は、とても内気でカミラが虐げとしても決して抵抗することはないような気弱な人間だった。
しかし今思えば、虐められて明るく振る舞うことは誰であっても難しい。おそらくあの時は、悪役を演じていたカミラの前であったから、暗い性格に見えたのだろう。本来の彼女は、温和な雰囲気で誰とも打ち解けられるかなりのお節介焼きだ。
カミラが、少女に引け目を感じていているのに対して、彼女はカミラを親友だと思っているのだから、
こちらへ遠慮なく踏み込んでくる。それで何度も、カミラは戸惑うのだった。今のところ、彼女に対する距離感に迷うカミラである。
しかし、今回ばかりは彼女の好意に甘んじることにしたのだった。正直、気が咎めるけれど、悠長にはしていられないのだから。
「……そ、そういえば、私、二年前に屋上から落ちたはずだけど、どうして助かったのかしら?」
「あれ、カミラさん、そのことを忘れたんですか? 転落した場所が、ちょうど刈った草や伐採した木を集めていた場所だったんですよ。それが、クッションになって奇跡的に助かったんです」
「そうだったの……?」
「はい。以前は違う場所に集めていたらしいのですが、事故の前日に移動したようでして、そこにカミラさんが落っこちてきたみたいです。皆、運が良かったって騒いでいましたよ。まあ、怪我はそれなりにしてましたし、数日間意識が戻らなくて正直かなり危なかったですけどね」
カミラが助かったのは、ほんの偶然だったらしい。その偶然が、カミラの命を救った。
「……あ、ああそういえば、そうだった気がするわ。あの後、目覚めてから何日かは記憶が曖昧だったような気がするから、正直あまり覚えていなくて……」
「大怪我でしたし、無理もありません。……ああ、なるほど、だからですか。あの時──あんなことを口走ったのは──」
少女にとって、それは実に他愛のない戯言のようなものだったらしい。しかし、カミラにとってその言葉は、あまりにも重要な情報であった。
「──『私は、カミラじゃない。私には他にきちんとした名前がある。だからカミラと呼ばないで』って言って混乱していたそうですよ。ちなみにこれは、伝え聞いた話ですので私は、実際にそこにいたわけではありませんけど、今思えば、どういうことなんでしょうね?」