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「さあ、行きなさい。あなたはもう立ち止まらず、前に進むことが出来るはずよ」
『彼女』は言った。
もう大丈夫だと、だから進みなさいと。
カミラは力強く頷いた。
カミラの心はもう迷わなかった。
一杯泣いた。一杯苦しんだ。一杯辛かった。
何度も死にたいと思ったこともあった。
けれど、前を向いて歩くことにしたのだ。
『彼女』と出会って、『彼女』の言葉を聞いて。
『彼女』は自分に愛されているのだと教えてくれた。
だから、カミラはその愛に応えるため、前を向く決心をする。
もう逃げることはしない。
立ち向かう勇気を『彼女』にもらったから。
「――ありがとう、私を励ましてくれて」
「何のことか分からないわ。でも、その意気よ。頑張りなさい」
『彼女』は、微笑むとその後、どこか寂しそうな表情を浮かべる。
「――ねえ、最後にだけひとつ。あの子と先生に伝えてくれる?」
それにカミラは了承する。
おそらく『彼女』は、もう彼らに会うことはない。
これが彼らに対する『彼女』の最後の別れの言葉なのだ。
だから、カミラが真剣な表情になれば、『彼女』は小さく苦笑した。
「そんな大仰なものじゃないわ。ただの感謝と謝罪の言葉。大したことないから別に伝えても伝えなくてもどっちでもいいけれど」
「ううん、絶対伝えるわ」
「そう、ありがとう」
カミラに言伝を耳打ちした『彼女』は照れ臭そうに笑う。
そして、「さあ、もう行きなさい」とカミラを促した。
しかし、カミラは最後に一つだけ聞いておきたいことがあった。
多分、『彼女』はこう答えるのだろうなと予測はついているけれど。
カミラは『彼女』に質問する。
「ねえ、私も最後に一つだけいい?」
「何?」
「あなたの名前を訊いてもいい……? あなたが一体誰でどんな人なのかも」
その問い対し、最後に彼女は意地の悪い笑みでこう言った。
「嫌に決まっているでしょう。絶対お断りよ」
私は私。そのことだけカミラが知っていれば十分なのだと、カミラが予想した通りの返答をする。
「そう、分かったわ。ありがとう。――さようなら」
カミラは最後に笑みを返す。そして目の前の扉をくぐった。
扉の先は何もない真っ白な空間だ。それがどこまでも続いている。
背後から『彼女』の声がかかる。
「ああそう言えば、言い忘れていたけれど、私は自分が歩んできた全てを悲観的に見ていないわ。確かにカミラになった最初は最悪な気分だった。……苦しんで泣いて辛くて死にたくなったけれど。でもね、こんな私を愛してくれる人たちがいて、私は最後とても幸せだった。――今ではそう思ってる」
――じゃあね、さようなら。カミラ。
『彼女』はとても満ち足りたような声でそう告げて、扉をゆっくりと閉めたのだった。
その言葉を聞いてカミラは小さく微笑む。
そして、歩き出すことにした。
カミラは、真っ白な空間の中を止まることなく足を進める。
決して振り返らず、ひたすら前へ前へと。
夢から覚めるため。現実に戻るため。
愛する人に会うために。
♢♢♢
『――起き……くれ……カミラ……』
♢♢♢
カミラの意識が覚醒する。
「――カミラ! 駄目だ、頼む起きてくれ、カミラ!!」
目の前には、必死になって呼びかけるアーノルドの姿があった。




