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カミラがアーノルドに微笑みかけると、それに対してアーノルドは同じく微笑で応じる。アーノルドが愛を囁けば、カミラも言葉で愛情を表す。
学園に入学する前から、現在までカミラとアーノルドは仲の良い婚約者同士。相思相愛の二人は、これからも変わることなく仲睦まじく過ごしていくのだろう。
──第三者から見れば、そうだった。
実際は、二人は心の底から互いを憎悪していた。
学園卒業後、結婚し、子供を育てて、老後を共に暮らしていく。だが、そこには愛情というものはひとかけらも存在せず、あるのはただ義務感だけである。
自分はこのまま貴族の一員として生き、貴族の一員として死ぬ。つまりは、国を動かす歯車の一つのようなものだ。
両親からは、貴族というのは責務だけで生きる壊れた生き物なのだと教わった。己の欲のままに生きることが出来る貴族がいたとすれば、それは地位と爵位だけを持つただの人間なのだと。お前は、人間ではなく貴族なのだと常に心に刻まれ続けた。
──決して愛を欲してはならない。それは、貴族を人間に変える罪深き感情。愛は、人を不幸にする。
そう教育され続けて、カミラは内心で反抗した。──「好きな人と一緒になりたい」。けれど、その考えは、現実を理解していない子供が抱くような具体性に著しく欠けたような漠然とした考えだったのだ。今まで彼女は憎しみを知っていても、本当の愛を知らなかった。
その後、両親の教育の思想が刷り込まれた結果としてカミラは結婚に夢を持つことはなくなったし、色恋など自分には無縁なのだと無意識的に思い続けるようになった。諦めていたのだ──学園に入るまでは。会った当初から相も変わらず憎しみをアーノルドに対して持ち続けることが出来たのは、愛とは真逆の感情だったからだろう。
だって、愛を持つことは許されなくとも、憎しみならいくらでも持つことが出来た。これだけは偽物ではなく本物だ。そう信じて。
だからこそカミラは学園に来て本当の愛を知り、抑えることが出来ずに壊れたのだ。そして、逃げ出した。逃げ出したその先には、天国のような地獄が待っているということを知らずに。
──愛は、人を不幸にする。その通りなのだと、カミラは後に思い知る。
♢♢♢
アーノルドと再会したカミラは夢心地の気分だった。何せ、あの時願ったことが、現実のものとなっていたからだ。
目を瞑り、夢なら覚めないで欲しいと、心の中で何度も強く祈る。そして、不安げに目を開けてみても自分が見ている光景は先ほどと何も変わらない。
今見ている全ては紛れもなく現実である。そう実感すると、心の緊張が解けて、胸の底からこみ上げてくる安堵で泣き崩れそうになった。
「それではお二人共、生徒会室に行きましょう。卒業までにいろいろと仕事が山沢山ですし。それとカミラさんはまだ本調子ではないみたいなので今日は働かせるわけにはいきませんが、実際に自分の目で状況を把握するだけでもかなりの違いがあると思いますので、見学ということでどうでしょうか?」
「俺はそれでいいよ。カミラはどうする?」
「私も構わないけど……」
カミラは口ごもる。彼女の場合、目が覚めて起きてみれば、二年も経過していたのだ。──二年間。その空白が持つ意味はあまりにも大きすぎる。
「どうして生徒会室に行くの?」
「どうして、って生徒会室に行くのは当然でしょう。だって、カミラさんは──副会長ですよ?」
「えっ、私が……?」
思わず、驚きの声を上げてしまった。生徒会の副会長が自分であるという驚愕の事実。二年前までは、カミラは悪役を演じて、それは学園中に知れ渡っていた。どう転んだ結果が、副会長なのだろうか。カミラにはその経過が想像できない。
「そうですよ、何寝ぼけたこと言っているんですか。もしかして、階段で頭を打って記憶が無くなったとかいいませんよね?」
内心冷や汗をかいてカミラは、それを笑って否定した。
「そんなことって、実際に起きると怖そうね……」
「確かに。まるで自分だけが、知らない世界に迷い込んだみたいで想像すると頭がおかしくなりそうですね……」
──自分の時間だけが止まっている。周囲の者達は、皆揃って時の流れに乗って進み、移ろいながら変わっていく。その中で変わらないのは、自分だけ。
自分だけが、流転することなくひとり取り残されている。
この夢のような現実が、思いがけない幸運で幸福な出来事だとカミラは思っていた。
しかし少女に指摘されて、カミラの中に本来抱いているはずのその恐怖と不安と孤独感が堰を切ったように、一気にまとめて押し寄せてきたのだった。
怖くてたまらなくなった。息が詰まりそうになる。だが、カミラは無理やりに湧き上がったいくつもの感情を抑えつける。
「……そうね、でもそのような状況になっても私はアーノルドを想い続けるに決まっているわ」
それでも、負けるつもりは毛頭ない。――今度は逃げてたまるか。そう、カミラは固く決意して、不敵に笑ってみせるのだった。