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 声の方へと視線を向ければ、ここ最近一番慣れ親しんでいた顔が自分を見つめていた。


「……先生」


 カミラのか細い呟き。

 先生は、微笑みをたたえて、訊いてくる。


「ここから先は男子寮だが、何か用事でもあるのかね? いや、まずはその顔をどうにかしないといけないな。髪も酷い。いつもの君が台無しだ」


 先生は、手招きをする。


「来なさい。今から医務室へ行くつもりだから、そこで落ち着くといい。いつものように」


 彼の言葉は温かった。

 渋めで柔らかな声音。聞くだけで心が安らかになる、そんな魔法のような魅力が込められていた。


 一層、カミラの目から涙がこぼれる。

 人前で泣くのがみっともないものだと思っていても、溢れる涙を止めることは出来ない。


 顔をうつむけて、手で覆う。

 カミラは声を押し殺そうとしたが、嗚咽は喉から出てしまう。


 先生は、ハンカチをカミラに渡した。

 そして、彼女が少しでも安心できるように隣で歩幅を合わせて、共に歩く。

 それらは、随分とぎこちないものでどうみても不慣れな様子であったが、とてもカミラを気にかけていたのは間違いない。


「辛いことや苦しいことがあったら気軽に話してくれて構わない。何でも相談に乗ろう。いつものように他愛もない雑談をするように、気兼ねする必要など何もないさ」


 彼は、言う。


「君を助けたい。構わないね?」


 カミラは、泣きながら何度も頷いた。


 ♢♢♢


 そして、説明した。全てを。カミラは打ち明けたのだった。


 貴族としてではなく、何ひとつ取り繕っていないただのカミラ自身として。


 アーノルドが察しているかもしれないこと。皆が、自分を疑っていて隠しきれないこと。

 それに加えて以前に一度、彼に相談に乗ってもらった際、胸の内に秘めて押し隠してしまったことも。

 際限なくこみ上げる感情と共に何もかも、これ以上ないほどに全部だ。


 先生は、それを黙って聞いていた。以前と同じ、カミラの言葉を邪魔することなく自身の中で考えを巡らせるように。


 今回、カミラは、何の躊躇もしない。

 椅子に腰かけ、先生と正対する。

 そして、マグカップ越しのぬくもりを手に感じながら、後先考えずに延々と吐露し続けるのだ。


 それを彼女は心地良いとさえ感じた。


 ひとりで重荷を背負ってきた。心の底では常に孤独だった。

 だが、今は手を差し伸べてくれる相手がいる。


 目の前が開けて明るくなっていくような、そんな日差しに似た温かな希望を感じる。


 話していくうちに鳥籠から羽ばたく小鳥のような自由な気分をカミラは味わうことが出来た。


 でも、先生の顔は見ることが出来ない。

 カミラは、終始俯いてマグカップの中のコーヒーばかり見つめていた。

 泣きはらした顔を先生に見せるのは、何だか気恥ずかしかったから。


 それでも泣き声のような悲鳴のような消え入りそうな声音で、カミラは言葉を紡ぐのを決して止めようとはしなかった。


 口を挟むことなく先生は、気が済むまでカミラをずっと喋らせた。

 何も言わず、カミラの傍に居続けようと努めていた。


 そして、


「――ありがとう。よく話してくれた」


 カミラが語り終われば、先生は頭を下げて誠意を示す。


「……いえ、先生は頼り甲斐のある方ですし……」

「そう言われると嬉しいが、実際よく決断したと思う。――頑張ったな、カミラ君。それは本当に誇らしいことだ」


 先生に褒められ、カミラもどこか嬉しそうに微笑む。


「……こちらこそありがとうございます。全部聞いてくれて……。私だけでは、どうしても抱えきれないことでしたし、先生のおかげでどうにか気を持ち直しました」

「そうか、それは良かった。私も君の本当の姿を見れて嬉しいよ」


 そう言われて、カミラは頬を赤らめた。

 男性に醜態を晒してしまった。あとで思い起こして、羞恥に身悶えしそうだ。

 誤魔化すように、残りのコーヒーを全て口に流し込む。


「君が私に対して全てを打ち明けていなかったことは何となくだが、理解していた。けれども、一介の教師ごときが生徒の抱える事情に深く踏み込むことは出来ないからね。君が、自分から語ってくれるまで待つしかなかった。すまない。だけど、君は本当に頑張った。私はそう思うよ」

「……先生」


 カミラは、目頭が熱くなってくる。

 散々泣いたはずだ。カミラは先生にこれ以上みっともない姿を見せたくなくて、必死にこらえる。

 ついでに感極まったせいか、頭がぼんやりとしてくる。もしかして泣きつかれたのだろうか。


 だが次から、上手くことを運ぶにはどうしたらいいか早く相談しなければならない。周囲への対応と対処の方法を議論しなければならないのだから、うたた寝をする暇などカミラにはない。


 けれども次第にカミラは眠気に襲われていた。

 それは、どうしてか抗い難い類のものだ。


 そんなカミラを先生は、ただ見つめる。


 そしておもむろに、



「……やはり君はどうあっても『彼女』ではなく君のままでしかないんだな」



 どこか落胆するような声音で彼は呟いた。


「残念だよ、カミラ君」


 次に、彼女を見る先生の目は恐ろしく冷え切ったものへと変わり果てていた。


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