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それは、今でもはっきりと覚えている。
『──ねえ、仲直りをしましょう?』
突然、笑顔でそんなことを言われた。だから、戸惑いながらも自分はこう返したのだ。
──仲直りも何も、あなたと仲が良かった時期は今まで一度もありません。
その言葉に対して、彼女は『ああ、そうだったわね』と苦笑して、次にこう言った。
『それなら、私と友達になりましょう』
訳が分からなかった。この目の前の人物が何を考えているのか。だから、怖くて頷けなかった。気がつけば、無意識の内に引き攣った顔で首を横に振っていた。
──ごめんなさい、無理です。
彼女は、その言葉に笑みを一瞬止めた。その顔から表情が剥がれ、わずかに覗いたのは恐ろしく氷のように冷たい怒りだった。
思わずそれを見て、後ずさった。口から小さな悲鳴が漏れる。自分の反応に彼女は失態を犯したと、眉を寄せるが、すぐさま元の笑顔に戻って言葉を発する。
『ごめんなさい、これはあなたに対してではないの』
彼女は、頭を下げて謝罪をした。あろうことか、この自分に。信じられなかった。誠意を持ったそれを見ることなどおそらく一生無いのだと思っていたのに。
そして、彼女は次にいつも行っていたことについても謝ってきた。丁寧に、何の悪意もなく真摯な態度で何度も何度も頭を下げてくるのだ。
そのあまりの豹変ぶりに別人かと疑った。自分がいつも見ていた彼女とはまるで違う。違和感だらけで頭が混乱する。
事故に遭って大けがをすれば、人はここまで変わることが出来るのだろうか。
あまりの執拗さに、謝罪を止めるように言えば、自分が彼女の謝罪を受け入れるまで止めないという。
彼女は、本当に改心したのだろうか。分からない。本当は騙すつもりなのかもしれない。より深く絶望させるために。
先ほど見せた表情だって、本当は自分に向けたものかもしれないのだ。
……けれど、もし、彼女が本当に私に心の底から謝りたいのだとしたら……?
謝罪する彼女をよそに視線だけを動かして、彼の姿を探す。これまでの彼女の動向は彼もすでに知っているはずだ。もしや彼に言われて彼女が自分の元に来たのだろうか。それなら、もしかしたら、彼が近くにいるかもしれない。
だけど、彼の姿はどこにも見つからない。彼女は自身の意思で自分に謝りたいと思ったのだろうか?
──分かりました。
ひとまず謝罪を受けいれることにした。このままでは埒があかなかったからだ。
『……ありがとう』
彼女は安堵の表情を浮かべた。随分とほっとした様子だ。
けれど、了承した後に自分は、でも、と続ける。
──私は、あなたを許すつもりは絶対にありません。それに忘れるつもりもありませんから。
驚愕に固まった彼女の顔を──私は二年以上経った今でもはっきりと覚えている。




