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 少女に袖を引かれながら、カミラは現在、自身の席があるという教室へと歩を進める。


  案の定、意識を失う前に自分が在籍していた教室とは、また違う場所へ少女の足は向かっていた。到着した教室は、上級生──三年生が使用していたはずの教室だ。勿論、そこはカミラにとってまったく馴染みのない場所であった。


「さあ、着きましたよ。アーノルドさんに、回復したその姿を見せてあげてください」


 妙に芝居がかった大仰なおどけた調子で、彼女はおもむろに扉を開けてみせた。


「どうしたのですか、カミラさん? 教室に入らないのですか?」


 少女は、首を傾げて訊いた。それに対し、固まっていたカミラは慌てて答える。


「ごめんなさい、少し戸惑っていたの。どんな顔で彼に会えばいいのか……その、分からなくて」


 この中に、アーノルドがいる──そう思うと、一歩足を踏み出すことを無意識に躊躇ってしまうのだった。体が、前へ行こうとしてくれない。どうしても二の足を踏んでしまう。ここに来て、カミラは怖くなったのだ。

 それに加えて、このまま踵を返して走り去ってしまいたくなる衝動に駆られる自分がいた。


 ──逃げたい、あの時のように。いっそ、なにもかも投げ出して。そうしたら楽になれるだろうか。


「そうですね、笑顔で『私は元気です』と伝えればそれでいいと思いますよ。その言葉一つで彼も安心してくれるでしょう。──まあ、許すかどうかは別問題ですけどね」


 そう言って、意地の悪い笑みを浮かべた少女は、カミラの背後に回り込むとその両手で彼女の背中を力強く、けれど優し気に押したのだった。


「くよくよして立ち止まるのは、あなたらしくありません。だから、行ってきなさい! あとそれと彼に対して『ごめんなさい』も言い忘れてはいけませんよ!」


 少女は、にっこりと微笑んでカミラを送り出した。


 ♢♢♢


 大勢の視線が、こちらに集まるのを感じる。


「え、と……その、失礼します……」


 教室の中に半ば無理やりの形で入ることになったカミラは委縮してしまっていた。


 彼女からしてみれば、上級生の教室に無断で押し入ったようなものだ。三年生とは、後に卒業が控えている学園の最高学年ではないか。色々と気まずいものがある。

 いつもの通りに悪役令嬢を演じようにも、意識を取り戻してからというもの衝撃的なことばかりで、とてもそのような気にはなれないし、第一に自分が虐めていた少女とはすでに和解しているというではないか

 なら何に、誰に対して悪役振れというのか。


 カミラが足を踏み入れた途端、波を打った静けさが室内を支配した。ずしりと空気が重くカミラの肩にのしかかる。


 たまらず音を上げて反射的に、「失礼しましたっ」と言い残して教室から飛び出したくなる衝動に襲われた時、一人の生徒が声を上げた。


「──カミラ! 気がついたのか!」


 その人物は席から立ちあがり、弾かれたような勢いでカミラ目掛けて駆け寄ったのだ。そして、


「……ああ、良かった。君が無事で……。本当に良かった、目を覚ましてくれて……俺の前にもう一度現れてくれて……」


 彼は、歓喜の涙を流していた。「ありがとう」と何度も泣きながら彼は言う。


 予期せぬ出来事に、カミラの頭の中は真っ白になる。今、自分は顔は一体どのような表情をしているのだろうか。間違いなく、間抜け面を浮かべていたに違いない。


 だって、彼は、どう見ても自分の無事を心から嬉しく思っているように見えるのだ。まるで、その態度は本気で自分のことを大切に想っているかのようではないか。

 雨が降ろうが槍が降ろうが、彼の感情はカミラに対する憎しみに染まっていたはずなのに。


 そうだ……どうせ演技に決まっている。目覚めたばかりの自分を騙して嘲笑うつもりなのだ。


 ──けれど、カミラの心はそれを迷いなく否定する。彼が演じる姿は、他の誰よりもずっと長い間、傍で見てきた。だから、今の彼は間違いなく偽りのない本心であるのだと嫌でも理解出来てしまう。


 だって、このようなこと(・・・・・)は彼に会ってから一度もなかったから。だから決して、自分には向けられることはないものだと思っていた。


 それが、いとも簡単にカミラ自身に対して向けられているのだ。自分は一切、何もしていないというのに。


 ──そんなことは断じてあり得るわけがない。

 ──信じられない、あまりにもおかしすぎる。


 彼が、あろうことかこの私の身を案じるわけがない、仮に気遣いはしてもそれは所詮上辺だけなのだとカミラは何度も何度も内心で呟きを繰り返す。


 ……このようなこと(・・・・・)は、あの時の別れからして、何が起ころうとも絶対にあり得ない。……そのはずだ、そのはずなのだ。


「……頼む、カミラ。もう、どこにも行かないでくれ」


 みっともなく彼は、感情を露わにしてカミラに希う。そこに負の感情はなく、純粋なまでの正の感情。想いが表れていた。


「君に誓う……二度と、離さない」


 そして次に彼が──アーノルドが、自分の体を優しく抱きしめてくれていた。


 今が夢か現か、カミラにはもう判断することは出来なかった。


 彼の温もりは紛れもなく本物だ。それなのに、



 あの時──最期に望んだ通りのままの光景が──都合の良い世界がそこにあったのだから。



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