全裸ニートの埋葬
全裸ニートとは何か?
という問いに答える必要は無いだろう。
仮に「全裸ニート」と言う言葉から、全裸ニートの何たるかを読み解けない人が居るとすれば、その人はもはや本文を読む必要は無いといえる。読んだところで意味が分からないだろうから。
また、全裸ニートの何たるかを識っている人であっても、本文を読む必要は無いだろう。本文の意味が分かったところで、得る物などないのだから。
しかし、だとすれば何のために、本文章は存在するのか?
それは偏に、超然のためである。
ここで貴方はこう思う訳だ。
はて、超然とは何か?
と。
しかしながら、これもまた、答える必要はない問なのである。
先の忠告を経た上で、本文章を読み進めている以上、貴方は既に超然を識っている。
あるいは体現している。
疑うなら、鏡の前に立ってみると良い。
部屋に姿見が無いのなら外へ出たまえ。
出来るだけ大きな鏡を探し出すのだ。
全身を映し出せれば十分だが、大きければ大きいほど良い。
貴方の超然には、それくらいが丁度良い。
その際衣服は捨て置くのだ。
貴方はもはや、何ものにも囚われない。
貴方はもはや、何ものにも覆われない。
かくいう私も全裸でね。
それゆえに、全裸ニートを自称しているわけだけれども、もはやそんなことはどうでもいい。
全裸ニートは超然の作法の一つに過ぎない。
だから私は懲りずに記憶をたどる。
そして書き記す。
超然のための物語を。
***
升添氏に『超然』を教えた私は、氏の背中に跨って、生駒山の獣道を突き進んでいた。
「ハイッドー! エイッヤー! ホイッサー!」
そう言って士気を高めつつ、氏の額を手の平でピッシャンピッシャン打ち据える。
そのたびに氏は、
「ゾエッ! ゾエッ! ゾエッ!」
と、威勢よく嘶くのであった。
氏の超然も、随分と堂に入ってきたものである。
氏と私の出会いについては、依然記した通りである。
なので、興味のある方はバックナンバーを紐解けば良いだろう。
そうすれば貴方はより一層、超然を知り、超然を体現出来るはずである。
ともあれ私と升添氏は、緑深き森林の間隙を、稲妻のように走り抜けていた。
しかし、山に分け入って半時間ほど絶った頃、突然の轟音に耳が震えたかと思うと、私はこの身を投げ出された。
同時に一瞬、低いうなり声が聞こえた気がした。
だが、そんなことを気にしている余裕は無かった。
物理的慣性に肉体を弄ばれ、勢いよく氏の背中から振り落とされた私は、樹齢200年ほどの楢の幹にぶつかって、「土偶ッ」短く叫んだ。
額から鮮血が滴って、漸く天と地の識別が可能になった。
その頃には、升添氏は既に息も絶え絶えであった。
「どうした!? 升添!?」
体中が痛むのも忘れて、私は氏に駆け寄った。
つぶさに観察してみると、氏の肛門には不信任案が突き刺さっている。
不信任案の造形は凶悪そのものであった。
攻撃的な造形を俗に『命を刈り取る形』と言い表すことがあるが、氏に刺さったそれは、『心を砕く形』をしていた。
一度刺さったら最後。
抜くことは許されない、歪なフォルム。
それでいて日常生活を送るのはギリギリ耐えれそうな安心設計。
氏はケツに不信任案が刺さったまま、余生を生きることを余儀なくされている。
その精神的負担が、氏を廃人へと変えてしまったのだ。
「ゾエー……、ゾ、ゾエー……」
氏は力なく鳴き声を上げた。
それはかつての覇気に満ちた氏の暴走振りからは、想像もできないほど弱弱しい声だった。
「鳴くな、升添……。尻に障る」
私は涙を流していた。
氏はもう助からない。
誰の目にもそれは明らかであった。
それでいて、氏の眼にはまだ、生命への執着の炎が滾っていた。
その灯りが、私の眼に、ひどく沁みた。
ああ。
氏はまだ生きている。
しかし、氏の超然は死んでしまった。
せっかく教えた超然が、いともたやすく蹂躙されるのを目の当たりにして、私はひどく悲しかった。
やがて死ぬ運命に抗おうとする生命ほど、俗物的な物は無い。
俗物的な、あまりに俗物的な氏の姿に、私は涙を堪えきれなかったのだ。
ならば、せめて、華々しく散れ。
私は氏の身体からチャイナドレスを剥ぎ取ると、
「これ、書道専用だからッ」
と宣言し、氏の顔面に脱糞した。
チャイナ服強奪の際に、氏は両腕を脱臼したらしく、マトモな抵抗を示すことは無かった。
抗う代わりに、氏は「ゾエーッ」と威勢良く叫んだ。
私は、大きく空いたその口の中に、更に脱糞し、彼の咽喉を潰すことにも成功した。
それでもギョロギョロと動く目玉が気持ち悪かったので、剥ぎ取ったチャイナドレスで顔面をグルグル巻きにした。
その上から小便を掛けて、氏の気道を入念に塞ぐ。
氏はビクンビクンと全身を痙攣させ、およそ6分の時間をかけて、ゆっくりとその脳細胞を壊死させていった。
完全なる脳死の直前、氏の肉体は弛緩して、その肛門から不信任案が抜け落ちた。
「これで、自由になったのだ」
私はそう言って氏の再出発を祝うと、その亡骸を手厚く弔ったのであった。
4時間の後、夜が訪れて、8時間の後、朝が訪れた。
氏の墓標に手を合わせて別れを告げ、一人、生駒山の獣道を歩み始めた。
更なる超然を求めて、私の冒険は続くのである。