私は何をすればいいの?(中)
間があいてしまってすいません……(´つω・`)
* * *
——今日は来るだろうか。最近めっきり姿を見せなくなった男に一人想いを馳せる。
カチャンとフォークが音をたてる。ああ、お箸が恋しいものよ。
何度目か分からない晩餐で私はため息をつく。使い慣れない食器で食べるご飯はあんまり美味しくない。更に。その席に着くのは私独りだけ。うん。相乗効果は期待できないね。
実は、私の包帯が外されてから私は三人の誰かとご飯を一緒に食べたことはない。誘ってもいつも断られてしまう。
私の目から包帯が外された時、使用人は姿を消した。だから、私は自分で自分の料理を作る。その際に、一人で食べるのは寂しいからと皆の分も作って誘ったのだ。
だが、一人としてその誘いに乗ってくれた人はいなかった。何度リベンジしてもダメだった。皆困ったように眉を垂らして謝るだけ。
食事を断られる理由は知らない。彼らがボスと呼ぶあの髭親父からルールとして定められているのかもしれない。ただ単に私の料理が気に入らないだけなのかもしれない。
どうしても知りたくてイリーナには悪いが、私に対しての個人的な感情からか、髭親父の例のルールブックに則った行動なのか、カマをかけたりしたこともあったのだが。このことに対してだけはイリーナも騙されてくれなかった。
その理由を彼らは決して教えてくれないのだと今では理解している。
彼らは他にも教えてくれないことがある。
例えば、勉強の理由だって。
今私は何のために勉強させられているのか分からない。
それがあの髭親父との契約に関わってくるのは知っているが、この知識を使って何をしろというのか。私にははっきりとしたことが教えられていない。明確な未来だとか。私のすべきことになる仕事だとか。
教えてくれればいいのに、と独り思う。
私は何をするために勉強させられているのか。
隠す必要なんてないでしょう!とわめき散らしたいぐらいには鬱憤が溜まっていたが、この勉強は何のためにしてるの?とルシアンに尋ねる日々。いつも空ぶって終わるが聞かないわけにもいかない。
自分のことなのに。知らないことの方が多すぎる。
とにかく教えて欲しい。私だけを仲間はずれにしないでほしい。しかし、彼らは口を閉ざしてしまう。
こういうことが例の閉塞感に繋がるのかなと思ったりしている。
心の中ではなんとなく違う気がすると分かっているようなことを思っているようだったが。……自分で言っててよく分からん。
「……」
もぐりとお肉を食む。なかなか上手に焼けた牛肉だった。だが、勿体無くも味は全く分からなかった。
* * *
勉強を始めてから一ヶ月が過ぎた。
今日もよく分からないまま授業は進む。それを私はとにかく必死に頭に詰め込む。
最近ジュード達が心配そうな目を向ける。私はそれに気付かないフリをする。
明らかに私の体は痩せてきていた。
体力も落ちた。貧血も頻繁に起きる。それでも体は動かし、脳は全力で回転させて。
でないと気が滅入って仕方がない。他の余計なことをできりだけ考えたくなかった。その中で独りでの食事は考え事をしてしまうのにぴったりな時間だったため、意図して減らすようにしていた。
お風呂で自分の胸を見る。前は掬えるくらいあった胸が、今や私の手でも隠せるくらい。
……明らかに減ってる。
腕も足も細すぎるし、これでは筋肉が維持できないのも分かっている。
こんなに痩せていいことがないのは分かっていたが、最近ではあまりお腹も空かないし、美味しくない食事を進んでする気にはなれなかった。
今日は自分の好物だったはずのマルゲリータピザをわざわざ作ったが、いざテーブルにつくとそれ油っこすぎて手で掴むのも躊躇うほどだった。
デキはよかった。それだけは誤解しないで。家でよく作ってましたからね。
残すのだけはダメという精神に則って食べ終わった私は、吐き気を堪えながら窓辺に向かう。
ここ最近、寝る前に私は毎日外を眺めるのが習慣になっていた。寒いのも構わず窓の近くで。流石に開けるのは無理。真冬の深夜に外気温に晒されるなんて自殺行為にしかならない。翌日には氷漬け私が発見されるだろう。
視線を向けるのは、例の木がある方向。あの日は気づかなかったがその先には街がある。
眼下に広がる街はイリーナから田舎町だと聞いた。だからか、灯りが消えるのも早い。それをボンヤリと眺めながら私は耳をすましていた。
「……」
時計の針が頂点で重なってようやく諦める。ため息つきながら着ていたカーディガンを脱いでベッドに潜る。
一ヶ月、ただの一度も訪問者は姿を現していなかった。私が寝ている間に来ているのではないかと考えて、徹夜をしたことは何回かあったが、それでも男の姿は見ていない。
「ペットの様子も見に来ないなんて……薄情な飼い主」
茶化しながら呟いても反応する人は誰もいない。
今日も来なかった、その言葉をいつまで言えばいいのだろう?
布団に潜り込みながらそんなことを考える日々。
「……だめ」
寝返りながら硬い口調で呟く。
愚痴っていいことと悪いことがある。それを知りながらも、つい口に出してしまいたくなる言葉があった。
「あは、疲れてるなぁ……糖分とろ」
明日の献立を考えつつ目を閉じる。
限界が近付きつつあることに私は気がついていた。
そんなある日。
フォークでうまいことパスタを食べている時だった。
最近は毎日パスタだった。
たまにはうどんとか、ラーメンとか食べたいなと思いながら、淡々とパスタを口に運ぶ。
時間はあるのだから麺打ちでもしてみるか?と悩む。形にはなるだろうが、コシのないものになってしまいそうだと諦める。
「日本ならこんなこと悩む必要もないのになぁ……」
ダメだと思いながらも口にするのは積もり積もった不満。
次から次へと口からポロポロこぼれていく。お箸がないだとか。ア◯フォートがないとか。寒すぎる気候だとか。なのに、炬燵がないとか。
限界だなと思った。
「帰りたい……」
自分を偽る限界。
それは、意図して言わないよう気をつけていた言葉だった。
それを機に堰が切れたように、その言葉は私の口から何度もこぼれ出る。
帰りたい。帰りたいのだ。
日本に帰れば訳のわからない不安に駆られることはない。ぬくぬくしながら蜜柑を向いて。美味しいご飯が食べられる。使い慣れた日本語しか使わなくていい。こんなみっちり勉強することもない。
もういいや。帰ろう。あの髭親父なんて知らない。
損失と償い?そんなのあの親父が勝手に言ってるだけのことだ。
言葉は話せるから、どこかで雇ってもらって。お金貯めて。日本大使館にでも駆け込めばなんとかなる。
だから帰ろうよ。自分の心に呼びかける。
しかし、そこまで考えているのにどうしてか、私に立ち上がる気力はなかった。ここまで来たらコートを着て、あとはこの城から飛び出るだけなのに。
しかも、今日は誰も城にいないのだ。皆して出かけると言って姿を消した。城を出て行くには絶好の好機だ。呼び止められることはまずないし、明日の朝まで探されることもない。
なのに、足は動かない。
ぎゅっとフォークを握りしめる。
涙が溢れる。
足が動かない理由は既に知っていた。認めたくなかっただけで、私がどうしてその言葉を言いたくなかったのも知っていた。
「ははっ……日本に帰るのが怖いなんて……馬鹿みたい」
動けない理由。帰りたくないわけではない。ほんとは今すぐに帰りたい。だが。——私を日本という国は受け入れてくれるのだろうか?
その一行が私の本音の邪魔をする。
日本人は外国人に馴染みがない。金髪ですらつい見てしまうくらいだ。そんなところでこんなおかしな容姿をした人間は受け入れられるのだろうか?誰がこんな老人のような髪をした人を好いてくれるのだろうか?
……そんな奇特な人いるはずがない。
私ですら、私の容姿を気味が悪いと思ってしまうのだ。見るたびに顔をしかめてしまう。
顔の形もたぶん少し変わってしまっている。家族はこの人間を娘だと、姉だと認識してくれるだろうか。家族として受け入れてくれるだろうか。
例え家族が受け入れてくれても、友人は?大学は?……この先就活だってある。引きこもっているわけにもいかない。
そもそも、私はまだ生きているのだろうか。死亡扱いにされているのではなかろうか。家族として認められないのではないだろうか。
怖い。怖い怖い怖い。
今まで無理して目をそらしていた現実が全てのしかかってくる。考えたくなかった。そんなこと思いたくなかった。
だが、帰ろうとすることで奥底に溜まっていた不安が表面化する。
あんなに世話を焼いてくれた、ルシアン、ジュード、イリーナ、彼らですら本当の意味で私のことを心配していたわけじゃないのだ。
彼らは報酬のために仕事で私を世話していたのだ。面倒なことも嫌がらずにしてくれていたのは、私のためじゃない。褒美のためだ。
誰も、私のことなんて必要としていない。
その現実を受け止めるしかなかった。
「……会いたい」
涙をボロボロと零しながら思い浮かんだ人にまた泣く。
あんな数ヶ月分にしかならない時間しか会っていない人間が家族よりも会いたい人なのだろうか。
家族との絆はその程度なのか。私の家族に限って拒絶されることはないと信じたい自分がいる。
しかし、本当は信じきれていない。もし拒絶されたら?その考えが捨てきれない。
だが、彼だけは。
彼だけは私をとても大事そうに抱きしめてくれたのだ。こんな姿の私なんて、もう他の誰も愛してくれないだろう。なのに、彼だけは——
「……あ」
私は小さく呻くと手のひらをギュッと握り込んだ。
今更わかったのだ。彼にこんなにも会いたかった理由が。
彼の存在に思う感情は安心感。
私に接する時、夜に訪れるあの男だけは打算が一切なかったのだ。
あの人だけが、私という存在以外に何も求めなかった。私という存在そのものに価値を見出していた。抱き上げて膝の上に置く、その行為に男はいつもホッと安堵のため息をついていた。毎度安堵するその姿に私は無意識ながら優越感を持っていたのだろう。それは、求めてくれることを形として実感できたからだ。
そのことに気が付きながら、男が私を抱きしめて安堵する理由から目を逸らしていた。その居心地の良さに目が眩んでいたのだ。私は彼の気持ちを無意識に利用していたのだ。
カチャンとフォークが皿に当たって音を立てる。手からフォークが滑り落ちた。
……酷く身勝手な女だと思った。
自身がとても醜く思えた。
ここに来てからの私は本当に最低だ。
力が入らず震える手に私は苦笑する。
「……まだ、食事中か」
震える手でフォークを拾い上げ、止まっていた食事を再開する。
「……冷めてる」
冷めてふやけたパスタを義務感で無理に口へ押し込む。もう、帰りたいという考えは浮かんでこなかった。
「まずい……」
一人で食べる食事は味気なく、たった一人だけついた席は本当に寂しくて、次第に食事を取らない日の方が増えていった。
しかし、私は人間で。
食事は生きる上で必要不可欠なもので。
食べなければ栄養が足りなくなることなんて分かりきったことだった。




