一生の契約をしませんか?(下)
ルシアンに色々聞かれたり触られたりしながら、今更ではあるが、自分のいる場所を観察していた。
主は近くにいない。ルシアンと入れ替わりで部屋を出て行ったからだ。
主が出て行った時、私はよっぽど情けない顔をしていたのだろう。ルシアンは少し吹き出して、『すぐ帰ってくるから』と笑われた。
「はい終わり。場所が場所だからバンドで固定するしかないけれど、数ヶ月たてば骨も綺麗につながるから」
「……何本折れてたの?」
「左のが五本。内一本が肺に刺さってた」
「……手術したんだよね?」
「そうしなければ肺の穴が塞がらないからね」
「でもここ病院じゃないよね?」
どう贔屓目に見てもここは病院なんかじゃない。
私の寝ているベッドはパイプベッドなんかではなく、スプリングも入ってふかふかだし、部屋の内装が豪華だ。
病院はどちらかというと物はなるべく少なく、色彩も少なくというような場所で、この部屋は余りにも病院には似つかわしくない。
先程ルシアンが入ってきた扉もバリアフリーなんかではない普通の扉だ。病院の扉はドアノブではないだろうし、スライド式が一般的なものだと思う。
「ホテルだからね」
「あ……やっぱホテルなんだ」
「そう。病院では手術だけして、次の日にここに運び込んだ。あそこは私達にとって鬼門だから」
年柄年中血の匂いがする場所は確かに吸血鬼がいてはいけない場所だろう。
「胸腔内に溜まってた空気も抜いたし、肺の穴も塞いだら無事膨らんだからね。以降は安静にしているだけだから」
後少し手術が遅れてたら死んでいたよと言われても苦笑いしかできない。例えあそこに戻ったとしても私は何度だって同じことをやっただろうから。
ただ、失敗したなと思うことが一つ。
「……お金随分かかったでしょ?」
おずおずと訊ねると、ルシアンは肩をすくめて肯定した。
「まぁねぇ」
「申し訳ない……」
保険証のない私が手術なんかしたのだから一体どれだけの金がかかったのか。考えるだけで恐ろしい。
しゅんと項垂れている私にルシアンが苦笑する。
「大丈夫だよ。ハヅキから戸籍を奪ってしまったのは主様のせいだから。これぐらい何とも思っていないよ」
「いや、それとは別というか……」
「長く生きているから金だけは本当に困らないくらいあるんだ。余りすぎてどうしようもないからスヴェルドルフ社を立ち上げたわけで」
「……逆に増えてない?」
「そうなんだよねぇ。いい暇つぶしではあるのだけれど……それが困りものだよね」
さてと言いながらルシアンが立ち上がる。
「そろそろ主様が帰ってくるだろうからね」
「これからどこかに行くの?」
「うん、塚原斗真のところ」
「ふうん……斗真のとこにねぇ…………って、斗真の所ぉ!?」
何で!?と叫んだ瞬間胸に痛みが走る。
痛む部位を抑えて蹲った私に「安静にしてって言ったのに」とルシアンが手を伸ばす。
ルシアンが取らせてくれた体制はとても楽なものだった。さすが。……じゃない。
「なんで斗真?……私が斗真に吸血鬼の存在を話したから?」
「……どこまで話したの?」
ルシアンの声音が急激に低くなって、自分が地雷を踏んでしまったことを理解する。
だが、これは隠し立てした方がまずい。
「私を襲ったのが吸血鬼だったってことまで……。主様達が吸血鬼だとは言ってないし、そもそも主様達とは面識がないことになってる。主様とは他の全く違う人が六年間私を匿ってくれたことにして」
「それでも迂闊だったね……それを彼は信じたの?」
「表面上はたぶん。……あの時主達には二度と会えないと思っていたし、斗真が主に会うこともないだろうと思ってて……」
けれど、斗真は主と面識ができたし、なおかつ近くで私と主達のやり取りを見ている。ロシア語だったためにどのような話をしていたかは分かっていないはずだが、親密な関係であったことくらいは気付いたかもしれない。
彼等までもが吸血鬼だと斗真が思い当たるとも思えないが、私が六年間スヴェルドルフにいたことぐらいは気付いた可能性がある。
そうしたら、主達が“吸血鬼の存在を知る”存在であることはバレる。
吸血鬼に襲われた私を助けてくれた人に面倒を見てもらったと、斗真には話したのだから。そこから主達が吸血鬼だとバレる可能性もなくはない。
「ごめんなさい……」
「言ってしまったものはしょうがないね。彼とは少し話をするけれど別にいい?」
「……殺さない限りは」
「殺すわけないよ、ハヅキの大切な人なんだから」
ルシアンが言うのを危うく聞き流しそうになって、「何で!?」と声を張る。
「どうしてそれを……!?」
「ノエルから色々聞いたよ。実家がなくなっていたから、ここ数ヶ月幼馴染の家にいたとか、その男とずっと同じベッドで寝ていたとか」
全部知られてた。
ザッと顔から血の気が引く。
その情報を彼等にもたらせたのは一人しかいない。
「……もしかしてノエルのこと、主様怒ったりした?」
「ううん。今回は皆に非があるから」
「よかった……」
あんなに大丈夫だと言ったのに、ノエルが怒られていたら謝っても謝りきれないところだった。
ホッと息をはく私を見下ろしてルシアンが「まぁ」と言う。
「——一番悪いのはハヅキだけどね?」
笑顔に隠されていた大量の怒気。それが一気に私に向かう。
『ルシアンはかなり怒ってる』——そのことをようやく認識した私が、流れるような土下座を披露したのは言うまでもない。
土下座を見たルシアンは無言で私の体を元の楽な体勢に戻した。彼に土下座は逆効果だったらしい。ついでに私へのダメージも著しい。
「今更何でこんなことしたのかは聞かないけど」
「…………はい」
「こんな肝が冷えるような思い、二度とさせないで?」
「……はい、ごめんなさい」
それには素直に頷くしかない。謝った私にルシアンはようやく笑ってくれた。
「ああ、そうだった」
そう言ったのは退室しようとしているルシアンだ。彼の右手はドアノブにかかっている。
「どうしたの?」
何か忘れ物だろうかときょろりと近くを見回した私に爆弾が落とされた。
「近いうちにハヅキの家族と会えると思う」
「ふぅん?……………………はい?」
頭の中で記憶を数秒前に巻き戻して再生させる。
カゾクトアエル?
家族?誰の?私の。————私の!?
「どういうこと!?」
幼馴染の斗真でも知らなかったのに!
部屋を出て行こうとするルシアンを引き留め家族について詳しい説明を求めたところ、私の意識がない間に探したんだとか。
見つけたはいいが、コンタクトをどう取ろうかと考えあぐねていた時、ノエルから私の幼馴染の存在を聞き、斗真にq
聞けば私が意識を失っていたのはたったの二日間。そんな短期間で行方が全くわからない人物の居場所を突き止められるものなのかと、スヴェルドルフのというか、吸血鬼の底力に慄く。
「ハヅキの家族が引っ越してるとは知らなかったとはいえ、あんな場所に置き去りにして悪かったね」
「いや……それは別にいいんだけど……」
一瞬「置いてったのやっぱあんたらか!」とか不満に思ったりもしたけれど。
今はやっぱりそれどころじゃない。
「……会ってもいいの?」
「よくなかったら探さないよ」
「……だって、私はもう死んだ人間で……母達のことは一目見れたらいいかなって思ってて」
「確かに社会的にはこのまま死んでいてもらうよ、申し訳ないけれど。けれど、敬愛する主の奥さんの家族を蔑ろにするわけにはいかないからね」
ルシアンは一度言葉を切ると私の頭を撫でた。
「すごいよハヅキは」
「……何が?」
「ハヅキは私達の常識を覆した」
それが、私と主の結婚についてだと察する。
「私達は恋愛感情を持たない。実際今だって私が誰かに恋をする日が来るとは思えない」
「……主は、私に好きだって言ったわけじゃない」
「でも分かっているんだよね?」
何をとは言わない。けれど分かってしまう。
ルシアンの問いに頷いていいのか分からない私は、目を伏せて俯くだけにとどめる。
「私は……主に好きって言って欲しい。けど、自覚はして欲しくない」
「……それはなんで?」
「残念だけど、吸血鬼のルシアンには言えないよ……今は」
「『今は』?」
「うん」
時間の問題かもしれないけれど。
「もし主の私への思いが本当に恋で、愛なら……いつかは理由が分かると思う」
「すごい気になるけれど、仕方ないね。その日を待とうかな」
ルシアンの感想におやと驚いた視線を向ける。
「ルシアンは吸血鬼が恋すると思うの?」
「自分の心に従うならいいえなんだけどね……主様とハヅキを見てたらなんとなく希望が見えたかなとは思っているよ。……なんたって私達はもともと人間だから」
「『人間だから』……?」
「……いつかは誰かに恋してみたいものだね」
ちょっぴり切なさを滲ませてルシアンは笑った。
それから、ルシアンは「私達の希望になって?」と言ってから部屋を出て行く。
私はそれを手を振りながら見送って、代わりに入ってきた主に見守られながら眠りについた。
数日後訪ねてきた家族は少しだけ私の記憶と違う姿をしていて、それ以外は変わっていなかった。
大いに姿の変わった私を見ても彼らは私を黙って受け入れてくれた。
実は私、この六年間、記憶喪失になっていたことになっていた。
話はこうだ。
六年前、何故かロシアの海岸でぶっ倒れていた私は記憶がなく、たまたま見つけて助けてくれた主に今まで世話されていた。
日本で行方不明になっていた黒髪の小野葉月とこの白髪のディアナが同一人物だと気付くことなく、六年間海外で生活。そしてたまたまこちらに来た時に、ホテルの階段から落ち頭を打った際に記憶を取り戻したと。
流石に吸血鬼のことを言えない主達がでっち上げた話だ。
しかし、それを家族は信じたらしい。私が何故ロシアにいたのかという点は、未だに思い出せないと言えばスルーされた。
理由はなんでもよく、とにかく私に会えたからいいのだと母は言った。思わず母の胸で泣いた。
そしてその時に主と結婚することになったことも伝えた。主は見た目四十代なので少し驚かれたが、家族の誰も反対はしなかった。寧ろよろしくお願いしますと主に向かって頭を下げていた。
問題は斗真だ。意思疎通のために家族と一緒にやって来た斗真は終始不機嫌だった。
私が勝手に家を出て行ったこともあったのだろうが、一番彼の機嫌を損ねていたのはどうやら私が嘘をつきまくっていたこと。当たり前だ。
主はどうやら自分たちの正体について包み隠さず話したらしい。
主と斗真がどのような話をしたか、私は知らない。
だから斗真が「二人きりで話がしたい」と言った時驚いた。更に驚いたのは家族もそれならと部屋を早々に退出して、更には主達も部屋を出て行ったこと。
そこで私は驚くべきことに斗真から告白された。
「……さっさと振れよ」
唖然とする私に斗真が不貞腐れた様子で言う。
実際それしか選択肢が無かったので「無理」って言ってやった。
斗真を選べば、私はそれなりの幸せを得ることができるだろう。しかし、私はそれよりも上の幸せがあることを既に知っている。上を知っている時点で、斗真を選ぶという妥協はいつか私の不幸になる。
それに、私は斗真とそうなる未来が思い描けなかった。だから振った。
なのに、斗真は若干傷ついた顔をした。斗真から振れと言ったくせに。
「……これで満足なの?」
何がしたいのか斗真の真意が読めず、素直に尋ねる。斗真は一つため息を吐くと「けじめをつけたかったんだ」と答えた。
「ハヅキがいなくなった時すごく後悔したんだ。自分の思いの捌け口がなくなって……どうしたらいいのかずっと分からなかった。けれどお前にまた会えて今度は後悔しないようにって思ったんだけどなぁ……すぐに分かったよ。俺が土俵に既にいないって」
私は主が好きだったことを斗真には伝えていない。そもそも、主の元にいたことも伝えていない。
だからすごく驚いたのだが、斗真の種明かしはとても簡単なものだった。
「だってお前泣くんだよな……毎晩よくわからない言葉呟きながら……それが誰かのことで、お前のこと捨てた奴なんだって数日で気付いた。今思えばあれロシア語だったんだな」
しみじみと言われて頰が熱くなったのが分かった。主のこと呼びながら泣いてたって……全く気付いていなかった。
頰を押さえて恥ずかしさに悶える私に斗真が尋ねる。
「……お前は幸せになれるのか」と。
私はそれに一二もなく頷いた。
私にとって最高の幸せは主の側にいられることで、私にとっての最大の不幸は主の側にいられないこと。
この先私がどうなろうと、今主の側にいることだけが私の幸せに繋がっている。
「うん、幸せだよ」
そう答えると斗真は泣きそうな顔で笑った。
説明ばっか……実は次回もほぼ説明……
明日で最後です
いつもの通り0時に予約投稿しました( ๑´•ω•๑)




