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お久しぶりですね

今回だけロシア語と日本語を区別するために『』を使っています_(:3 」∠)_


所詮社会経験のない作者が書いております……すべてイメージです……イメージなんです……ありえないと思っても胸の中にしまってください……


 

「……お前、これから何しに行くか分かってる?」


 斗真の会社について早々そんなことを訊ねられてきょとんとしてしまう。


「え?通訳するんでしょ?」

「それはそうだけど、本当にわかってんのか……?」

「あ、ほら挨拶行くんでしょ?連れてってよ」


 白目剥かれて「強い奴」とか言われても困る。どうやら、全く緊張の色を見せない私が不思議らしい。

 強いわけじゃない。楽しみで楽しみで仕方がないだけだ。

 今日をどれだけ待ちどおしく思ったと思っている。

 今の私なら主の顔を見た瞬間号泣できる自信はある。

 問題は、私に気付いた瞬間に逃げられる可能性があるってことだ。主の術のおかげで匂いは分からないはずだが、もしかしたら術者である主だけは私に気付くこともあるんではなかろうかとノエルに聞いてみたが、ノエルはその辺は全く感知していないらしい。

 会議室に入るまで気付かれなければもう逃げられることはないと思うのだけれど……いや、主なら途中退出でも何でも許されるか。

 よし、扉前に陣取ろう。え、ダメ?……そうですか。


「ほら、挨拶すんじゃねぇのかよ」

「え、あ、うん」


 と言ってもほんの数人だ。卒なく挨拶をこなしていく。好印象にできたと思う。

 挨拶が終わって肩を下ろした私を、腑に落ちない顔で斗真が見ていたので、何?と訊く。

 

「……お前、そんな声出るんだな」


 うるさい。

 頭を叩けば、スパンといい音がした。

 

 それから暫くして部屋に入るよう指示が来る。斗真の後に続いて入る。


「頑張れよ」

「任せといて」


 斗真から離れて言われていた通りの人の後ろに控える。

 その人——山崎さんにも宜しく頼むと言われ、今度は礼儀正しく頭を下げた。

 それからそう掛からずに部屋にノックの音が響く。

 すぅと一度だけ呼吸する。それで鼓動がいつもより断然早いことに気付く。……緊張してたんだなぁ、と苦笑い。

 その音を聞いて座っていた皆が立ち上がる。


『どうぞ』


 山崎さんが言うと同時にガチャリと扉が開いた。

 この時の心臓の鼓動は計測できていたなら、今までの人生の中で最大値を叩き出していただろう。


 ふわりと懐かしい香りが私の鼻に届く。

 その顔を見た、その瞬間。胸が詰まった。

 あまり寝ていないのか、記憶の中の主よりも隈が数段酷くなっている。

 今すぐその男の胸の中に飛び込もうとする身勝手な足を必死で堪える。首を描き切ってしまいたくなる右手を左手で掴んだ。

 心臓がすごい速さで胸を打つから、とにかく痛くて、苦しくて。

 あの人のことが私はどうしようもなく好きなのだと再確認した。

 恐らく主も、その後ろに続くルシアンも、目の前に立つ男の目に隠れるようにしている私にはまだ気付いていない。


『ようこそおいでくださいました』


 予め教えておいたロシア語で山崎さんが挨拶をする。主もそれに答える。二、三言交わした後、大きな卓を挟んだ向こう側に二人が座る。それを見届けてこちら側も座った。

 私は立ったままだ。しかし、主とルシアンが私を注視することはない。今の茶髪姿の私を、白髪だったハヅキと一瞬で一致させるのは難しいと思う。更に今の私は駄目押しで眼鏡もかけているのだから尚更だ。


 山崎さんが少しだけ振り向いてアイコンタクトをする。出番のようだ。私は小さく頷いた。

 そして一歩だけ前に出る。ようやく私の顔を主とルシアンが見た。


『通訳を務めさせていただきます、小野です』


 主とルシアンが同時に目を見開くのが分かった。私が私だと気付いたようだ。

 私はそれを一瞬だけ視界に映して、すぐに深くお辞儀をする。


『どうぞ宜しくお願い致します』


 それに対する返答は誰かの声ではなく倒れた椅子の音だった。

 顔を上げると立ち上がった主と目があった。黒と銀が入り混じったような色の瞳は、いつもより濃い色をしている。


『何故——お前がここにいる』

『まぁまぁ、取り敢えず落ち着いていただけますか?皆が萎縮してますので』


 慣れている私にとっては全く衝撃でもないのだが、慣れていない人は相当の威圧感を受けているだろう。

 主は周りに人がいたことを本気で忘れていたらしい。ハッとしてこちら側に座る人の顔を見る主は珍しく動揺していた。

 主は乱暴に椅子に腰掛けると頬杖をついた手で眉間のシワを摘んだ。


「お、小野くん、小野くん……!!」

「なんでしょうか?」


 焦る山崎さんに手招きされて、彼の口元に耳を寄せる。


「な、何か彼は怒っていないか?」

「いえ?少し驚いているだけのようです」

「本当に驚いているだけか!?」

「ええ」


 少しではないが。


 斗真が何か言いたげな顔をして私を見るから、そっちによってどうしたの?と問いかける。主は今だ下を向いているから問題ない。


「本当に泥舟じゃないだろうな……?」

「違うっての」


 しつこいわ、と軽く背中を小突く私を斗真が慌てて止めた。顔を上げると主がそれは険しい表情で私を見ている。

 うん、普通に怖い。


『ロジオン様、貴方が怖い顔をするから話し合いが始まらないではありませんか』

『……誰のせいだと』


 近くからヒィッと小さな悲鳴が漏れる。まぁ、わかる。あんな恐ろしい目を向けられたら誰だって悲鳴あげて逃げる。


『……今日のことをどうやって知った?』

『仕事の依頼が来ました時に』

『お前なら通訳が必要のないことぐらい知っていただろう』

『貴方と会えるチャンスをわざわざ私が潰すと思いますか?』


 睨み合い。

 今日の私は主に会えて興奮しているからか、恐怖心が全くと言っていいほどない。


『……お前を追い出してもいいのだが?』

『そんなことをしたら商談の時間が無駄に伸びますけど』


 主は商談の時の腹の探り合いにいつも顔を顰めていた。最初に高いハードルを用意して、それをゆっくりと低くしていくことが主には面倒で仕方ないのだ。

 それが商談の様式美であるように私は思うのだが、主にとっては違う。

 最初からお互いにどのくらいで妥協するかが主には見えていて、そんな中で行われる茶番に嫌気がさしている状態なのだ。まぁ、分からなくもない。

 その点、私は今回お互いの事情をよく分かっている唯一の人間で、お互いが欲しい情報を丁度良くお互いに与えることができる。

 そのことを理解しているから主も私のことを追い出さずに舌打ちするだけに留めるのだ。

 主が出張ってくるということはそれなりに欲しいものを斗真の会社が持っていることも意味しているため、事を荒げることもできないだろう。

 追い払われる事がないことを確信した私は満面の笑みを浮かべた。


『私はただの雇われ通訳です。舌打ちなんかしたら印象ガタ落ちですよ。ほら、気にせず話をしてください。私達は貴方達と違って時間は有限なんです』


 主は深い深い溜息を吐き出した。そして顔を上げた時にはいつもの仕事をする時の主になっていた。

 そこからは早かった。

 少々怯えている山崎さんを急き立てながら話し合いをどんどん進めていく。途中から私がそれとなく山崎さんその他の人を都合の良い会話になるように誘導したからか、恐ろしいぐらいあっさりと商談は纏まった。その間僅か三十分程である。

 現在は纏めに入ってる。

 あとは今作成して貰っている書類にお互いサインするだけだ。

 その待ち時間に世間話が始まって、私はその会話の通訳に徹している。話が途切れそうになったら、さり気なく私の意見も混ぜて会話を長持ちさせるだーいじな仕事だ。

 本音では主と話したくて仕方ないのだけれど、山崎さんに期待した目で見られては嫌とは言えない。

 お願いだからもう英語で話してくれよ。

 結局その役目から抜け出すことができないまま文書が届いて、そして商談は終わった。終わってしまった。

 退室していく二人の背中を見送りながらあまり話せなかったな、と肩を落とす。

 できればこの後に時間を少しでもいいから取ってもらえないだろうかと期待していた私にとっては厳しい展開だ。ここで話ができれば“あの計画”はしなくても済んだのだから。

 これから迷惑をかけるノエルに心の中で謝った。


 山崎さんや他の人に深く感謝されながら私も退室する。斗真もそれに続こうとしたが仕事しなさいと言って置いてきた。


「じゃあ、頑張ってね」

「……ああ」


 言いたいことがたくさんあるって顔だ。私は追求される暇を作らないようすぐに会社を出た。それからタクシーを捕まえて、斗真の家の住所を告げた。


「……そこですと料金も高くなりますが……大丈夫ですか?」

「構いません」


 そんなやり取りの後にタクシーは出発した。途中渋滞に捕まったせいで電車を使うよりも長くかかってしまったが、一人になる時間を作る方ことは危険でしかない。

 逸る気をなんとか落ち着かせてやっとタクシーから降りた時、空はもう西の方が赤いだけで星が見えるくらいになっていた。

 私はタクシーの運転手に提示された倍の金額を支払う。チップだ。不機嫌そうだった運転手も最後は笑顔で車を発進させた。

 ここからは時間の勝負だ。階段を駆け上がって斗真の隣の部屋に入る。使うことはほとんどなかったが、一応私の部屋として貸してもらっていた場所だ。そこのベッドの下から黒いカバンを取り出す。日本に来た時には持っていたものだ。その時と違うのは、中に何も入っていないのかと思うほど軽いことだろう。

 その中から便箋を取り出す。これで正真正銘このバックは空っぽになった。

 あの大量の札束とニューヨーク銀行の通帳はノエルに預かってもらってある。私に何かあればそれを主に渡してくれるように言付けて。

 そして、空のバックに私の少ない私物を次々と詰め込んでいく。どうせ捨てるのだからと適当に突っ込んだ。

 便箋はリビングのローテーブルの上に置いた。

 中に入っているのは一枚の手紙と、斗真名義で作ってもらった通帳が入っている。

 今まで家に置いておいたお礼にと、日本に帰ってきてから稼いだ全ての額を入れてある。それなりに稼いだから十分お礼になるだろう。

 手紙には今まで家に置いてくれた感謝と何も言わずにいなくなるお詫びを書いておいた。再会を匂わせるような言葉は一つも書かなかった。このあと私がどうなろうと、日本に戻ってくる気は少しもないからだ。


 やることは全て終わらせた。

 玄関から外に出て鍵を閉めるとポストにその鍵を入れた。

 そしてその場から駆け出した。

 脇目も振らずに一心不乱に。

 自分を追い込むために。


 そして私は立っていた。

 あまり人目のつかない寂しい小道に。静かすぎるその場所では私の荒い呼吸がよく聞こえる。

 胸を手で押さえて深呼吸する私は女子高生の言葉を思い出していた。


 ——飢えた吸血鬼が、最近ここらをうろついています。


 女子高生は「念のため注意をしておいてください」と言った。

 その吸血鬼が女と聞いて、すぐに誰だか分かった。

 私の血の香りに狂ったβは周りに沢山の敵がいるにも関わらず私を喰らおうとした。注意深さという武器を捨ててまで私の血を求めた彼女が、たった一度の失敗で諦めるわけがなかったのだ。

 逃げたと見せかけて、きっと私達をそう遠くないところで窺っていたに違いない。私を主が手放したその瞬間に追ってきた。ずっと待っていたのだ、私の血を味わうことのできる機会を。

 夜、無人、一人。彼女にその情報を貰ってからずっと避けていた状況だ。もし私が冷静なままであればその状況に恐怖を抱いていただろう。

 しかし、私の頭のネジは主に会えると分かった時から飛んだままだ。

 恐怖は微塵も無かった。むしろ身の程もわきまえずに、早く来いとさえ思っていた。


 そんな私のすぐ後ろに誰かが立った。

 命の危機。なのに、それに気付いたその瞬間にも、俯いて顔を隠す陰で私の口は三日月を描くのだった。


 

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