捨てる神あれば、ってやつ?(下)
私は最初から話した。
自分がバイトの帰りに吸血鬼に襲われたこと。死んだと思ったけれど、気付いたら満身創痍でロシアにいたこと。目が見えない私を知らない人が世話してくれたこと。一年後くらいに失明したと思っていた目が失明していなかったと知ったこと。それと同時に私が色素欠乏症になっていたことを知ったこと。その人に世話かけた対価として労働を持ちかけられたこと。その後ニューヨークに行ったこと。五年間その人の下で働いて、それでやっと日本に帰ってきたこと。
流石にその相手がどこの会社の誰とは言えなかった。
「……吸血鬼ねぇ」
「あ、信じてないな」
「いや?……現場のことを思い出しただけ」
そういえばそうだった、と思い出す。
「血の海だったんだって?」
「お前の血と、よく分からない赤い液体がばら撒いてあったんだってよ。……俺はその時は見せてもらえなかったけれど、一週間後に見に行ってもまだ血が残ってた」
私の荷物が見つかったガード下の有り様はそりゃあ酷いものだったらしい。
髪の毛は散らばってるわ、血の匂いが篭ってるわ。第一発見者の方はあまりの惨状に吐いてしまったらしい。それは申し訳ないことをしました。
「葉月がただの人間に遅れをとるわけないとは思ったんだけど……犯人が吸血鬼だったとはな……どうした?」
何も言わない私の顔を斗真が覗き込んで苦笑した。
「何そんな情けない顔してんだよ」
「……だって、こん荒唐無稽な話を本当に信じてくれるとは思ってなくて」
「バカだな、お前昔から嘘つかなかっただろ?」
信用されているのが嬉しいと同時に、申し訳なさで心が沈む。
ごめん、斗真。私は今斗真のことを裏切っている。
それともう一つ。
いくら私が嘘ついたことなくても、信じていいものとよくないものがあると思うんだ。
「それにさ、あのお前がだぞ?葉月にかかりゃ大の大人の五人や六人、瞬殺だろ。犯人が人間じゃないってわかって今すごく納得したわ」
「いや、五人や六人は無理だから」
今は別だけど、とは言わない。
「手がかりがなさすぎてどうしようもなかったんだよなぁ……人間じゃなかったらしょうがなかったのかもな。ていうか、そこから助けてくれたその人もすごいな」
「……まぁ、私でも勝てないような人だったから」
その助けてくれた人も吸血鬼で、私の血をあげていたことは最初は言うつもりだったが、結局言っていない。話す寸前でやめてしまった。それを隠して話を続ける自分にも戸惑ったのだが、どうしても言えなかった。
「どうやってロシアに行ったんだ?」
「ああ、それは私もわからないんだけど……あの人大富豪だったからなぁ。金にものを言わせたんじゃないかな?実際日本に戻ってきた時も気絶している間に置き去りだよ?ひどくない?」
「……どうやって入国したんだ……」
「だから、金にものを言わせたんだって」
実際戸籍のない私がビザを取得できるわけがない。つまり、私は密出国に密入国しているわけだ。発覚したらニュース沙汰では済まないだろう。
「警察に行く気は……?」
「ないよ」
「それはなんで?」
「恩人に迷惑かかるから」
「……お前を拐かした罪人でも?」
「あの人に連れて行ってもらえなければ、私は今ここにいない」
すらすらと出てくる主をかばう言葉に、自分でも驚いた。あんなほっぽり出され方をしても、私はあの人に頭があがらない。プライドだなんだと言ったけれど、結局迷惑をかけたくない、嫌われたくないというのが私の深層心理にあって、それに則って行動を起こしているわけだ。
「でもどうすんだよ。戸籍ないままだとこの先就職難しいと思うけど」
「……だよねぇ」
もっともなことを言われてしまい項垂れる。
そう。その問題もある。
「戸籍がなきゃ身分証明書も作れないし、住民票も発行できない……困った」
アメリカにいたならばお金を積めばどうにかできたが……日本にはそのようなツテがない。
「ちなみにどんな職種がいいとか考えたりは?」
「……在宅で出来る仕事ならもうなんでもいいや」
「在宅?なんで、また」
「この頭じゃん?外行くとすごく目立つの」
髪の毛は一房摘んで見せると斗真は納得した。
本当は目立つぐらいなら別にいいのだが、私が小野葉月、もしくはディアナとバレるのがマズイのだ。
どこに私のことを知っている人がいるとは限らない。小野葉月にせよ、ディアナであるにせよ、どちらもバレたら七面倒なことになるのは今から予想できる。それは避けたい。
「在宅ねぇ……内職とか?あんま稼げないけど」
「それも致し方なし、かなぁ。一応等面のお金はあるんだ」
「ああ、そうなのか」
当面の金どころか、本当は一生遊んで暮らせるだけの金はある。だが、あの金はできるだけ手をつけたくない。生活の目処が立てばどうにかして返したいと思っているからだ。
「向こうでは何やってたんだ?それによっては仕事の幅増えると思うけど」
「ああ、私は秘書やってた」
「秘書?……秘書は在宅ではなぁ」
「在宅じゃできないね」
と、斗真がポンと掌を打った。
「葉月、お前英語はできるのか?」
「英語?できるよ」
「TOEICのスコアは?」
「とーえっく?受けたことないけど、なにそれ」
「英語がどれだけできるかの指標みたいな」
「……したことはないけど、それなりに自信はあるよ」
斗真はまずそれを受けてからか、などぶつぶつ呟いている。
「さっきからなに?」
「いや、翻訳の仕事はどうかと思って?」
「翻訳?」
斗真はスマホを取り出すと何か調べて見せてくる。
「こうやって登録して、どの仕事をやるか選ぶだけ。ITとか、医療とか詳しい専門分野があると仕事を貰いやすいらしい。葉月はそこら辺詳しい?」
「どちらもバッチリ」
スヴェルドルフの業務内容は幅広く、自然と色々な分野の内容を覚えることとなった。専門というほどではないが一般の人よりはかなり詳しいと思われる。
「じゃあ試しにやってみたら?英語意外にもできるのか?」
「英語とロシア語と中国語、あとドイツ語、フランス語は完璧だと思う。、イタリア語、ヒンディー語はビジネス会話ぐらいだったらまぁ……専門的な話になると辞書が必要になることもあるかなぁぐらい?」
「なんだそのハイスペック……」
なんたって六年間頑張ってきたんだから。ふふんと自慢げに胸を張ると「ドヤってんじゃねーよ」と叩かれた。理不尽。
「でも、それなら問題ないかもな。幅も広がるだろうし」
「分かった。その方向で動いてみる。ありがとね?」
「なんだお礼なんて……怖い怖い。明日は地震でも起こるのか?」
失礼すぎる。
睨みつけると斗真は大笑いした。腹立つな。
「……うわ、もうこんな時間か」
斗真のうんざりした声で顔を上げて時計を見上げるともう十二時になるところだった。この部屋に来た時に時計を見ていなかったもんだからどれだけ話していたのかは分からなかったが、斗真の慌て様を見て申し訳なさがでてくる。
「ごめん、長居しちゃって……」
近くに置いておいたコートを手繰り寄せて着込む。それを斗真が訝しげに見ていた。
「今日は斗真に会えて嬉しかった」
言いながら鞄を手繰り寄せる。誰かの家にいるには些か遅すぎる時間だ。
明日も仕事だろうにこれ以上負担かけるのは申し訳ないと思ったのだが、腕を掴まれて身動きが取れなくなる。
「今なんて?」
「え?……だから、そろそろ帰るよって」
斗真ははっきりと怒った顔をする。
どうして怒るの、と息を飲んで、眉を寄せて、それで斗真を見つめていると、斗真は泊まっていけよと言った。
「それは流石に申し訳ないし……」
「なんで気を使うんだ。お前いつだってここに泊まってただろ」
「だって迷惑かかる……」
「そんなことお前考えたこともなかっただろ。……今すごい腹立った」
困惑したが、斗真の言いたいことはなんとなく分かる。
私達は兄弟のように、親友のように育った。いつも一緒にいたため気遣いなんてものは二人の間にずっとなかった。それなのに、私が変に遠慮なんてしたから斗真は怒った。
誰よりも近い人。
二人の関係性が崩れることを恐れたのだろうか、と斗真の内心を思う。それこそ今更なのに。
「……俺達はさ、いつも相手のことなんて気遣わずに好き勝手やってきただろ。それでもお互い本気で怒らせたことなかっただろ」
「……ん、ごめん」
「……変に気遣うなよ。気持ち悪くて鳥肌が立つ」
「それはひどい」
まぁ、とにかくと斗真は私の腕から手を離す。
「仕事が安定するまでは好きなだけここにいろ。どうせ両親は半年は帰ってこない。パソコンも好きに使っていいし、電話も使っていいから。他にも必要なことあれば好きなだけ言え。変に隠すな、俺達だろ」
「……ありがと」
「……お前がお礼言うと気持ち悪いんだよな」
ほんっと!腹立つ男だな!
せっかく殊勝になってやってるっていうのに!
顰め面の斗真に近くにあったクッションを投げる。当たればよかったのに簡単に受け止めるから余計に腹が立つ。
「どうせなら来週クリスマスパーティしようぜ」
「……それはいくらなんでも気が早くない?」
クリスマスはまだ二週間も先だ。
そう思ったのに斗真ははぁ?と声を上げた。
「今日は十七……いや、もう十八日か。丁度一週間後にクリスマスだろ?」
「え、うそ!?」
斗真がホラとスマホの画面を見せてくる。
「……ほんとだ」
「お前見た目だけじゃなくて、実際にボケたのか……」
「……なんか言った?」
「何も」
笑顔で拳を作った私に斗真はわざとらしく惚けてみせる。
「チッ……先に風呂借りていい?それとも先斗真が入る?」
空き缶を手早く回収しながら問いかければ、斗真はひらひらと手を振ってみせる。
「どうぞどうぞ」
「タオルどれ使っていい?」
「あー、確か棚に葉月のがしまってあるはず…………なんだよ」
カチンと固まった私を斗真が訝しげに見る。
きっと斗真は気付いていない。私が今の言葉にどれだけ嬉しく思ったか。
よく斗真の家に泊まっていた私のために、斗真の家、もとい飯島家には私専用のバスタオルがあった。
私がいなくなったら必要のなくなるそれが、未だ残っていることが嬉しかった。私が生きていて、また飯島家を訪れる未来を待っているかのようで。私の帰還を信じてくれていたかのようで。
もう、彼等にも、家族にも、捨てられたと思っていた自分にとっては限りなく嬉しいことだった。
「……漁っていい?」
「いつも好き勝手に散らかしてた奴の言い草じゃないな」
「あんたじゃあるまいし、そんな散らかしたりしたことないんですけど?」
言いながら部屋を出て行けば、後ろから笑い声が追いかけてくる。
昔に戻ったようで知らずのうちに頰が上がった。
その日は昔みたいに斗真のベッドで一緒になって眠った。一瞬躊躇はしたのだが、あまりにも気にしていない様子の斗真に気を張るだけ無駄かと諦めた。
斗真と背中合わせでベッドに寝転がる私は、いつもと違う暖かさに戸惑った。主の体温は温かいけれど、ここまで熱くはない。
斗真はもう寝たらしい。寝息がそれを示してる。ベッドからそっと抜け出すとコートを羽織って外に出た。
「……さむ」
コートの前をかき寄せながら上を見上げる。ニューヨークよりは見えるけれど、星の数はそう多くない。
私ははぁと手に息を吹きかけるとぽそりと「ノエル」と呼んだ。
「いるんでしょ?」
足音はない。だが、後ろにさっきまでなかった気配があることは気が付いている。
「……いつからバレてたの?」
「斗真の家に入る直前。少し焦ったでしょ」
「わぁ、もろバレじゃん」
立つ瀬ないじゃんと呟くノエルに苦笑する。
「……あれは恋人?」
「いいや?幼馴染」
「幼馴染で同衾すんの?」
「……昔からやってたから」
ここで斗真に出会えたのは僥倖だった。住処も提供してくれたし、ケータイや、銀行の口座など戸籍のない私ではできないものでは斗真の名前を貸してくれると言う。
パソコンも好きに使っていいと言われた時は神様がいると思った。
「あれでほんとに幼馴染なの?一回や二回はヤったんじゃ……」
「ヤってません」
ジュードみたいなことを言うんじゃありません、と額を軽く叩く。額を押さえて唇を尖らせるノエルはやはり可愛らしい。
「日本に来たのは主様の命令?」
「ううん」
ノエルは軽く首を振ると「あっち」とある方角を指差す。私もその方向を見るが、住宅街が続くだけだった。その方向になにがあるのかとノエルの方へ首を戻す。
「僕のお気に入りの餌がいるんだ。僕はハヅキが父さんの元を離れた瞬間にお役御免になったから。様子を見に来たのはついで」
「……この近くにショタコンのおと……いや、深くは考えまい」
「なにブツブツ言ってんの」
「いや?」
ノエルは怪訝な顔をしたが、まぁいいやと言ってふらりと歩き出した。
「……帰るの?」
「うん、思ったより大丈夫そうだから」
ノエルの言葉に胸がきゅうと痛む。締め付けられるような心臓の痛みに、私は胸を押さえて深く息を吸った。
「もしかしてそうでもない?」
「…………うん」
全然大丈夫じゃない。
本当は今すぐノエルに縋り付いて主の元へ連れて行ってと叫びたい。
それをしないのはできないと分かっているからだ。みっともなく泣き喚いたところでノエルは主の元へ私を連れて行くことはしないだろう。
主の最後の顔を思い出せば分かる。主はもう決めてしまった。私を主の世界から追い出すことを。それを隷属しているノエルが独断で覆すことはおそらくない。
斗真がいるのに寂しさは消えない。すぐそばに温もりがあるのに、違うと体が叫ぶ。
私が欲しいのは微かな温もりと、私を包んでくれる大きな腕だ。
髪に斗真が触れるたびに筋張った手を思い出す。その手にまた撫でて欲しいと私は心の中で叫んでいる。
斗真が近くにいると昔に戻ったようで嬉しい。しかし、それは結局のところ、昔に戻ったようにすぎない。
私は斗真に言えないことが多すぎる。昔みたく何でもかんでも言えるわけじゃない。斗真の家からお暇しようとしたのだって斗真に遠慮したからじゃない。主に勝手に操を立ててるだけだ。
昔の関係に拘った斗真と私は違う。それが今日身にしみた。私はもう斗真以上に大切な人がいる。私はもう昔と同じ人間じゃない。主と過ごした日々が私を変えたのだ。
ノエルはおろおろと私の周りを歩く。俯いたきり黙り込んでしまった私を心配しているのだろうか。手を伸ばしては、躊躇って手を戻すという行為を何度か繰り返してから私の腕を掴んだ。その様子が可愛らしくて堪えきれなかった笑いが口の端から漏れた。
「ねぇ、ノエル」
「なに……?」
「……主様はさ、ノエルに本当になんの命令も出してないの?」
ノエルは考えることなくすぐに首肯する。
「私の状態の報告も?」
「ほんとになにも。僕は日本に休養を取りに来ただけ」
「そっか……」
もう眠いからと言ってノエルから離れる。ノエルは私の変化に気付いたようだったけれど、そこには触れないでくれた。
玄関の鍵を閉めたところで限界がきた。扉にもたれるように地面に腰を下ろす。汚れるだとか気にする余裕はなかった。
「……『幸せになれ』とか言っておいて、すごい無責任」
なんて惨めなんだろう。
もはや、自嘲することもできなかった。




