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捨てる神あれば、ってやつ?(中)



 ずるずると力なくその場にへたり込んだ私は両手で顔を覆った。

 私は本当に死んだことにされてしまったようだった。でなければ、こんな——帰る場所が無いなんて……はは、口に出したら余計に悲しくなってきた。

 ちらりとマンションの立つ場所を見る。

 そこに毎日寝起きしていた家も無ければ、十数年通い続けた道場の姿もない。

 私の家族はいない。その事実に打ちのめされる。

 何故家族は待ってくれていると信じていたのだろう。葬儀が五年も前に行われていたことは知っていた。それで私は一度日本に帰ろうとしたのだから。

 思えば母の電話が繋がらないことにまず疑問を持つべきだったのだ。母は携帯を変えても番号は変えないようにしていた。それを変えたということは、変えなければならないくらいの事情があったはずなのだ。

 それに気付かずにいた自分は恐ろしいくらいの馬鹿だ。

 普通に考えれば分かることだったのに、私は過信していた。いや、縋りたかっただけなのかもしれない。僅かな望みがそこにあったのだから。


 家族の姿を一目見られればいいと思っていた。頼りない糸だけれど、私と家族の間には糸があると思っていた。縁は切れないと。会えずともその糸はずっと繋がっていると。

 しかし、糸は途中でぷつりと切れてしまった。

 もはや家族に会える日が来ることはないのだろう。


 震える喉でなんとか呼吸をする。

 突然孤独になってしまった私に、月が隠れてしまった夜道はとても暗く、煌々と光の灯るマンションは泣き崩れてしまいたいくらい眩しかった。


 地べたに座り込んでどれほど経っただろう。ぼんやりとどこかを見ていた私の顔に影が差した。


「……おばあさん、大丈夫ですか?」


 首を微かに動かして声のした方を見れば心配そうな顔を向ける女性がいた。大学生ぐらいだろうか、まだ顔はあどけない。

 目があった瞬間その子が息を呑んだのがわかった。私の赤い目を見たのだろう。それともおばあさんほど歳がいってないことに気がついたか。

 ただし、異様な姿であることには変わりない。そのことに自嘲的な笑みを浮かべる。こんな姿で家族に受け入れてもらおうと思ったこと自体間違っていた。


「すみません……」


 女の子はすぐに謝罪の言葉を述べた。蹲った真っ白な頭を見れば誰だってそう思うだろう。そして怯えるように逃げていく。

 このままの状態でここにいるのは得策ではないとその背中を見送りながら思い当たる。寧ろ何かしらの不利益を被ることとなりそうだ。特に先程の女性が万が一戻ってきてしまったら。きっと他の人間が後ろにいることだろう。それが例えば、警察だったなら。自分の行き先は決まったも同然だ。

 そう分かっているのに動く気になれない。自分の心の弱さに呆れれば余計に動けなくなった。

 なんて情けない。

 いっそのこと警察に事情聴取された方がいいのかもと心がぐらつく。きっとそうなれば自分の家族の居場所も知れる。

 だが、ちっぽけなプライドがその甘さを砕いていく。私を捨てた彼ら(・・)をどうしてこんな擁護するのか、もう自分でもわからなかった。


 やっとのことで立ち上がると再び歩き出した。わざと背を丸めゆっくり歩こうと苦心する必要もなかった。傷心のせいで。駅までの道をとろとろ歩いて、また溜息をつく。

 ホテルにチェックインするにもこの髪は目立つだろう。あまり印象を植え付けたくないのだが……こんな髪に目では無理だ。絶対覚えられてしまう。

 そうなると、おいそれとホテルに行くのはまずいということに今更気が付いた。

 またしゃがみこんでしまう。わたしはどうすればいい。八方塞がりで打つ手がない。最善の手が見つからない。

 何が正解だ。何を取るべきで、何を捨てるべきだ。


「どうすりゃいいの!!!!」


 うがあああああああと頭を掻きむしった時だった。


「……葉月?」


 耳に届いたのは私と同じ名前だ。

 偶然近くに同名がいるとは。

 その人がどんな人か興味があってのろのろと頭を上げる。が、誰かを把握するよりも早く、肩をガシリと掴まれて私は目を覚ました。


「お前、葉月だろ……?」


 遠い昔の記憶が思い出される。あいつもこんな声だった。

 顔が上がってその声の主と目が合う。

 やっぱりと思う間もなく抱きしめられた。


「葉月!本当にお前なんだな!?……夢じゃないよな?幽霊でもないよな!?」

「幽霊じゃないから、おっおちっ落ち着いてーー!!」


 ガックンガックン揺さぶられるせいで首が痛い。


「落ち着いてよ斗真(とうま)!」


 いくら言っても止まらないので片腕をとり捻る。関節を極めてやれば痛みで平常に戻るだろうと思ったのに。


「……ほんとに葉月なんだな!」


 寧ろ感激して男泣きし始めた目の前の男に眉毛がハの字に垂れる。こいつ人の話を聞かないところ全く変わってない。

 馬鹿らしくなったのと、少しは大人しくなった斗真に免じて左手首は解放してあげた。


「お前、……お前今まで、どこにいたんだ。俺必死に探して、俺だけじゃなくて、お前の家族も友人も」

「……ごめん」


 それしか私は答えられない。顔を歪めながら返した言葉に、斗真はそんな顔をさせたいわけじゃないんだ、と更に抱き寄せた。


「っと、そうだ……連絡」


 思い出したようにコートのポケットを弄る腕が、スマホを取り出したのを見て慌てて止めた。


「誰にも知らせないで!」


 さっきまで家が無いことに狼狽していたのは自分なのに、とその行動に私自身驚く。

 斗真は怪訝そうな顔で私を見ていたが「訳ありか?」の問いに私が頷くと、斗真は溜息をついてスマホをしまった。それを見て胸を撫で下ろす。


「……誰か待っていたのか?」


 どうしてそんなことを聞くのだろう。真意を捉えきれず戸惑いながら誰もと答えた。

 強いて言うのなら待っていたのかもしれない。家なんてもうないのに。誰かが帰ってくるんじゃないのかと、諦めがつかなかった。


「この後の予定は?」

「……特に」

「なら俺の家に来ないか?」


 意味を理解することができず間抜けな顔で斗真のことを見る。

 私の顔は相当酷かったのだろう。斗真は思わずと言ったように吹き出した。


「……笑わないでよ」

「いやぁ、ははっ」

「笑うな言ってんでしょ!」


 ひとしきり笑うと斗真はさっきの話なんだけどな、と話を戻した。


「聞きたいことは沢山あるし、夜も遅い。なんなら泊まっていけよ。……お前がいなくなってからのことも知りたいだろう?」


 一も二もなく首を縦にふる。確かにその情報は喉から手が出るほど欲しい。


「俺一人暮らしだから気遣うこともないし」

「おばさんとおじさんは?」

「定年退職した後悠々自適の海外旅行中。で、俺はその留守番も兼ねて一人暮らし。部屋は余ってるし、なかなか悪くないと思うけど」


 その申し出は私の家の現状を知っていてのことなのだろう。とても有難いと思った私は頷きかけたところで止まった。

 ……美味い話には裏がある。

 こんな簡単に行くところが決まっていいのだろうか。さっきまで人生のどん底にいたというのに。

 しかも、だ。

 今私のバッグの中にはとんでもない額の金が入っている。それをもし見られた時なんと言えばいいのか。

 私の思案顔を見つめていた斗真は一つ息を吐くと「撤回するから」と言う。


「撤回?」

「……話したくないことは無理して話さなくていい。お前のやることに文句は付けない。ただ、少し酒飲みながら少し話すだけ。お前もう成人してるんだよな?」

「……成人してるけど、なにその質問」

「余りにも外見が変わりすぎてるのに、中身が変わらないお前にちょっと不安になった」


 成長してないってことか。この野郎。

 お望みらしいので、もう一度手首の関節を極めてやる。ギブ!と騒ぐ斗真の姿に溜飲が下がって解放する。


「正直な話、ここでお前を逃したらもう二度と会えなくなりそうだと思ったからさ」


 自分に都合のいい展開に、少し警戒心が生まれたが、斗真とは赤ん坊の頃からの付き合いだ。

 高校の時にも何度か彼の家に泊まったことはあったが、変な雰囲気になったことは一度もない。純粋に私を心配してくれているのだろう。


「俺を安心させるためにも一緒に来てくれない?」


 それはズルい、と思いながらも心配をかけまくった私には何も文句が言えない。

 頭の中で算段を整えると、私はお願いしますと頭を下げた。


「どうぞどうぞ」


 斗真に腕を引かれて来た道を逆戻りする。明るいマンションの前を通りすぎ、更に数軒分歩いて角を曲がる。そしてもう一度角を曲がった奥にあるのが斗真の家だ。


「今鍵開けるから待って」

「うん」


 素直に待つこと数秒、斗真に入ってと促された。


「お邪魔します」


 少し変わったなぁと思いながらも靴を脱ぐ。昔はもうちょっと物があったはずの玄関は、すっきりと整えられている。しかし、中の匂いは何も変わっていなかった。


「俺の部屋とリビング、どっちがいい?」

「……久々に斗真の部屋見たい」

「じゃあ先行ってろ」


 また頷いて階段を上っていく。ノックをして開けた部屋は驚くほど整頓されていた。

 常にぐちゃぐちゃの配線がされていたゲーム機も、あちらこちらに置いてあった漫画達もどこにも見当たらない。

 そして。

 一番違うのは窓から見える景色だっただろう。

 前はここから私の部屋が見えた。

 斗真は裏の家と言っておきながら、斗真の家と我が家は柵を隔ててすぐ横にあった。特に私の部屋と斗真の部屋との間には数メートルの間が空いているだけだった。

 お互いの部屋に行く時はいつも屋根伝いに行ったものだ。しかし、それももうできないんだと、窓から見えるマンションのクリーム色の壁を眺めながら思った。


 ぼんやりと床に座ったまま見ていると階段を上る足音が聞こえてきた。そう間も開かずにドアが勢いよく開けられる。

 斗真の手を見てその勢いの良さの理由に気が付いた。


「言ってくれれば開けたのに」

「ドアノブ壊れてるから体当たりで開くんだよ」


 どうなのそれ。


「早く直しなよ」

「別に問題ないからな……で、どっち飲む?」


 斗真がふるふると降って見せるのはビールとカクテルだ。

 ふむ、と思案してビールを指差す。


「発泡酒だけどいいのか?」

「……いいんじゃないの?」


 正直発泡酒とビールの違いが分からない。だからそんな違い些細なことだ。



「じゃあ、再び出会えたことを祝して」

「か、かんぱい?」

「乾杯」


 斗真が手にしているのは私の持っているのと同じものだ。カクテルはそのまま置いて、一度下に降りていった斗真は缶とスナック菓子を持って戻ってきた。

 斗真は喉を鳴らしながらごきゅごきゅとその缶の中身を飲んでいく。

 そんなに美味しいのだろうか、と吊られて缶を呷った私は、その液体のあまりの苦さにむせた。


「大丈夫かよ」

「……けほ、……よく飲めるね、こんな苦いの」


 噎せたせいで喉はヒリヒリとするし、ビールの苦味余韻のせいで舌の置き所に悩む。

 口元を軽く拭いながら斗真を見ると、斗真は呆れた目で私を見た。


「葉月、酒飲んだことないんだろ」


 無言の肯定に斗真は溜息をつき、置いたままだったカクテルを徐に掴み上げると私の手の中の缶とトレードする。


「あ、ちょっと!」

「酒も飲んだこともないお子ちゃまはそれでも飲んでなさーい」

「お子ちゃまぁ!?」

「この歳でビール苦手とか子供だろ。成人してない大学生かっての。……お前まさか本当に成人してないんじゃ……」

「あんたと同い年でどうしてそんな不思議現象が起きうるわけ!?」


 本気でイラッときて斗真の手の中の缶を奪い返すと一気にその液体を飲み干す。「待て……!!」と焦ったように手を伸ばした斗真が見えたが構わず一気。苦さを覚悟してのことだったが、……あれ、意外と悪くない。寧ろ爽快感。


「——うまい!」

「……それはようござんした」


 斗真が焦った顔をすぐに呆れた顔に戻したのには触れなかった。

 伸ばしてた手の行き場をなくした斗真を笑ってやろうと思ったのだが、その手が私の虚をついて頭に伸びたせいでそのタイミングを失ったからだ。

 斗真は私の髪を取るとシゲシゲと眺めた。


「……脱色したのか?」

「ううん。気付いたらこうなってた」

「目も?」

「そう。カラコンじゃないんだよ、これ」


 斗真は私の目を覗き込むと「真っ赤だな」と呟いた。


「うさぎみたいだな」


 あの人と同じことを言う斗真のせいで胸がグッと締め付けられた。その痛みを隠して笑う。


「……でしょ?」


 無理していることに気付かれそうでドキドキしたが、斗真は何も指摘しなかった。斗真手が降りると同時に頰に髪が落ちてくる。


「よく気付いたね、私だって」

「それは俺も思う。けど、蹲ってるお前を見た瞬間葉月の名前が浮かんだ」

「なんか怖い」


 超能力かよ、とスナックに手を伸ばす。二、三枚食べたところで斗真が口を開いた。


「この六年、葉月はどこにいたんだ?」

「……やっぱ訊いちゃう?」

「そりゃあそうだろ」


 もう一回缶を呷ってから中身が空であることに気付いて呻く。そうだ、さっき飲み干してしまったばかりだ。

 斗真にカクテルを無言で渡され、そちらを一口口に含む。まずくはないが、ジュースみたいで甘ったるい。できれば、ビールみたいにもう少しアルコールが欲しい。顔を顰めると斗真は苦笑して自分の持っていた缶と交換してくれた。

 感謝の言葉を述べながらごくっと飲む。ああ、美味しい。

 斗真はそんな私を複雑な表情で眺めるとカクテルを飲む。顰め面から察するにやっぱり甘いらしい。


「なんで普段は飲まないものを家に置いてんの」

「貰い物だよ。母さんがいないからそのまま冷蔵庫に眠ってたのを発見した」

「ふぅん」


 そのまま話がそらせればと思ったが、私の幼馴染はそんな阿呆じゃない。


「髪の毛が真っ白になるとか一大事だろ。誘拐か?拉致か?それより日本国内にいたのか?」


 結構核心をついてくる斗真にどうしたものかと頭を抱える。


「……絶対信じないよ」


 やっとのことで絞り出した声に斗真は「早く言え」と催促する。


「いいから話せって。信じるか信じないかは聞いてから判断する……それとも俺が信用できない?」

「そんなわけないじゃん」


 斗真とは兄弟のように育った。親同士も仲がよく、共働きで忙しかった斗真の親はうちによく斗真を預けていた。

 弟以上に一緒にいた斗真。それこそ風呂は中学に上がる直前まで一緒に入っていたし、ゲームで疲れて倒れたまんま同じベッドで眠るなんて日常茶飯事で大学に入ってもやっていた。

 そんな斗真は私の秘密を沢山知っている。勿論斗真の秘密だって沢山知っている。それこそお互いの親以上に。

 そんな斗真のことを信用できないはずがない。

 それでも話す勇気が出ないのは吸血鬼の存在のせいだろう。


「ほんとに……余りにも、現実離れしていて……フィクションのような話なの。作り話としか思えないような、そんな感じ」

「例えばお前が嘘を言っていたところでなんだ?俺がお前が失望するとでも?馬鹿馬鹿しい。俺がお前は嘘つきだと、頭のおかしな人間だと周りに吹聴するのか?ありえないな」


 そう言って斗真は缶を傾ける。

 斗真の言は至極真っ当で、何故ここまで話することを躊躇っているのか分からなくさせる。


「とにかく作り話でもいいから話せって。六年もの間行方不明だったお前が、今ここに座って酒飲んでること自体が物語みたいなもんだろ」


 確かに。と納得させられた瞬間私の躊躇いは消えた。


「……ほんとにぶっ飛んでるよ。覚悟はいい?」

「お前程度の体験なんて世の中に沢山あるって教えてやるよ」


 不敵な笑みを浮かべる斗真に私も笑顔で応戦する。絶対ぎゃふんと言わせてやるんだから。


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