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それは私の希望なんです(下)

 自分の体をほんのちょっと撒き餌の代わりに使うくらいで、この先の危険を排除できるというのなら乗らない手はない。進んで私は手を貸そうと思う。

 実際βは今回捕まえられなかった。ということは、またいつか狙われる時が来るのだ。その時、まだ主の庇護下にいるのならいい。守ってもらえるだろう。

 しかし、それが十年、二十年後だったらどうだろう。

 その時、私がまだ主の元にいられるとは限らない。その時に襲われた場合、十中八九私は死ぬだろう。無残に喰い殺されて。今だって全く敵わなかったのだ。少し老いた私が太刀打ちできるような相手では絶対にない。それを私はあの短い時間で十分に思い知らされていた。

 だからこそ、安全が最大限保障されている状態での囮くらいはやっても平気だった。

 その旨をジュードに伝えたが、ジュードはやめておけと首を振ることしかしなかった。


『主様のお前への気に入り様ははっきり言って異常だ。……今までにないぞ、餌を一人しか置かないなんてなんてよ。お前がついうっかり死んだ時のことを考えた方が俺は怖いよ』

『にしては、結構簡単に外出許してくれてたよね?ノエルがいるからってさ』

『βがいるとは知らなかったからな……』


 しかし、今回の失敗でβは当分姿は見せないだろうとのことだ。それだけの警戒心があるからこそ今まで死ななかったとジュードは言った。

 吸血鬼は不死身だと思っていたがそういうものでもないらしい。ジュードの話を聞いていると簡単に死んでしまうもののように思えた。

『ノエルはさ、主とお前の様子を見たことがなかったんだよ。だから、お前を囮にしてβを泳がせた。多分褒められると思ってやったことだろうな』

『……でも、主様の餌も今までβに喰われてるんでしょ?その時だってすごく怒ったんじゃないの?』

『いや?』


 喉からへっと気の抜けた音が出た。


『主様はどちらかと言うと餌を守ろうとした隷属を殺されたことに怒っていた。所詮餌なんてその程度のものなんだよ……お前が餌として異質なんだ』


 異質。それは脳にガツンと響いた。

 なんで、それだけが頭の中を巡る。


『……なんで、私が美味しいから?それだけでそこまで違うの?』

『さぁな、俺はお前の血の味を知らないし、主のお前に拘る理由も推測でしか分からない』


 だが、今までにないくらい大切にしているのは確かだな、とジュードは言った。

 それをどう捉えるのが正解なのか私には分からない。だから押し黙るしかなかった。


『それをノエルは知らなかった』

『……で、あんな剣幕で怒られた、と』

『ノエルにも自負があったんだよ、何をしても怒られないっていうな』

『……なんだそれ』

『あいつってあんなだろう?人懐っこくて、ちっさくて、主様はノエルをかなり大目に見ていてよ、ノエルにキレたことは一度もねぇんだ。——それが今回主様は誰を優先した?』

『私……だね』


 それはノエルにとって、大変腹立たしいことだったに違いない。よりによってぽっと出の私なんかに主の優先度で負けたのだから。


『主様も奴には甘くてな……だから、今回のことは何かしら言ってくると思う』


 それで最初の『怒らないでやってくれ』に繋がるのかと、私は納得した。


『我が強いところもあるが……いい奴なんだ』


 申し訳なさそうに眉を垂らしてジュードは言う。


『護衛の仕事を蔑ろにするような奴ではないから安心してくれ』

『そこは最初から心配なんかしてないよ』


 苦笑して見せる。ジュードがそんなこともできないような奴を庇うわけがないし、いい子だとも言うわけがない。


『適当に流すよ』

『……頼むな』

『了解——』





 ……と、そんな感じで話は終わったはずだ。

 やっぱり来ましたよ、ジュードさーん。


 入れた珈琲の中に泡立てたミルクを注ぎながら泣き言を言う。

 適当に流すと言ってしまった手前、無理に追い返すことはできないし、できればしこりは無くしたい。


「……どうしたものかな」


 カップを片手にリビングへ戻るとスカイブルーの瞳と目が合った。

 敵意がありありと見て取れる。


「そんなに威嚇しないでよ」


 ノエルの向かいに腰掛けながら笑いかけると、ノエルは一瞬ひるんだように見えた。


「いいよねぇ、ノエルは」

「……何が」


 珈琲を一口飲んで、その暖かさにほぅっと息を吐く。のんびりとした私の動作にノエルは酷くイライラとしているようだった。


「何がいいのか答えてよ!」

「だってさ、ノエルはこの先もずっと主様と一緒に居られるじゃん」

「……は?」


 私はどうせいつか捨てられちゃうんだよ、と呟いてまた珈琲を口に含む。


「ノエルはさ、主様のことお父さんって呼べるくらい近い存在だし、信頼されてるし。きっとこの先もずっと一緒にいられるんでしょ?」

「……当たり前じゃん」

「それに比べて私はさぁいつもお前だのなんだの呼ばれてさ、初めて会った時なんて凄く理不尽なことで怒られたんだよ?名前までつけてもらえたノエルとはえらい違いじゃない?」

「……そうなの?」

「そうだよ」


 あの時はめちゃくちゃ泣いたんだからと言うとノエルは少しだけ嬉しそうな、それでいて後悔するような、いろいろな感情を混ぜた顔をしていた。


「この血の味も変わらないんなら別にいいけどね。歳とったら誰だって血管脆くなるし、血もドロってしてくるし、体内に不純物溜まるし。そんな血が今も変わらず美味しいわけないよね。あと十年もすれば主様のお気に入りは違うコになってるよ。それで私は捨てられちゃうんだよ?その頃私は若くなんてないし、主様に見捨てられたら誰にも見向きもされないオバさんの出来上がりってわけ。結婚なんて望めないどころか、まず生きていけるかどうか……私はこの会社しか知らないし、大学の途中で行方不明ついでに死亡扱い。戸籍もない人間が真っ当な職に就けるわけがないからね……どう?こんな惨めな女を羨む必要なんてないでしょ」


 言ってて自分がとても切なくなる。こんなこと本人に言わせるもんじゃないよね。

 というかお先真っ暗すぎて、途中本気でこの先のことについてどうすべきか考えてしまいそうになった。

 心の中に広がる苦味は、珈琲が苦くなく思えるほどだ。ミルクの入った珈琲なんて甘くしかない。


「……僕、そこまでは言ってない」

「同じことだよ」


 打って変わって申し訳なさそうな顔をするノエルに内心で微笑む。ジュードの言う通りノエルは確かにいい子だ。

 この程度で自分の発言を後悔するとは思ってもみなかった。何故って出合頭でいい気にならないで、なんて言えるような子だ。なかなか図太い神経を持っていないと言えるようなセリフじゃない。

 それが、私が自分の救いようのない状況を言う度にどんどんと顔を曇らせていくのだから、微笑ましさから笑えてくる。

 心の底から私のことを悪く思っていられないなんてまだまだ甘い。それだけ純粋だということか、と同時に感心もする。

 そりゃあ可愛がりたくもなるなと主達の心境を察した。寧ろ私だって可愛がってやりたい。


「他にも言いたいことはある?今のうちに言っておいた方がいいよ」

「……どうして、そんな風に」


 ノエルの声は途中から言葉にならなくなった。何を言いたかったのかは分かる。しかし、私はあえてそれに気付かないフリをしてみせた。


「言いたいことがないならもうこの話はいいよね。この後はどうするの?」

「……帰る」


 会話を強制終了させられたノエルは剥れた顔でそう言った。だが、私はその顔よりも気になることがあった。


「そういえば、ノエルってどの階に住んでるの?今まで会社内で会ったことなかったよね?」


 ノエルが細心の注意を払っていたのだろうが、それでも気配すら悟らせないとは凄い。そう思って尋ねたのだが、返ってきたのは予想外すぎる場所だった。


「……僕、屋上にいるから」

「…………屋上?」


 あの、ヘリポートのある?と聞くとこくりとノエルは頷いた。


「なんでそんな場所に……?」

「……部屋に篭ってたらすぐに行けないじから。ここセキュリティ特殊だから他の部屋に行くの大変だし……だったら最初っから外でやってくる吸血鬼を待っていた方が断然楽だから」

「なにそれ……言ってくれればよかったのに」


 βをおびき寄せるためにそのような手段をしていたのだろうとすぐに思い当たったが、言わずにはいられなかった。

 自分のせいで誰かがそのような生活を強いられていることに納得できなかったのだ。


「ノエル、ここに住みなよ」


 きょとんと、なにを言われたのか理解していない様子のノエルに同じことを繰り返し言う。


「ここなら何かあってもすぐに駆けつけられないっていう心配は無くなるし、さっきの話だとろくに寝れてないでしょ」

「……僕が怖くないの?」


 今更すぎる問いに、正直に今更でしょ、と返す。


「主様には散々血を飲まれているわけだし」

「そうじゃなくて、だって僕はハヅキのこと……」

「だから?」

「……僕はハヅキがどうなったって構わないと思って」

「それがどうしたの?」


 そんなことを言われると思っていなかったのだろう。ノエルは愕然とした表情で私を見た。


「ノエルはいい子だから、結局助けてくれた。私は生きている。何か問題ある?」

「……僕のこと、なんて知らないくせに——」

「みんなノエルのこと信頼しているのに、私がノエルのこと信頼しない理由はないよ?」


 今度こそノエルは絶句した。

 小さな口が忙しなく動くが、それが何か意味のある言葉を発することはない。


「ほら、そうと決まったら寝るよ。いつの間にかこんな時間だし」


 時計を見ると日付が変わって久しい。また明日も寝坊すればジュードになにを言われるか分かったものじゃない。

 ノエルの腕をとるとグイグイ引っ張って寝室へと向かう。


「ちょっと……!」

「——あ、そうだ。うちの家の猫凄く臆病だから怖がらせないでね?」

「僕まだ寝るなんて言ってない!」

「コンクリートの上で寝るのと、ふかふかのベッド、どちらの方がいいわけ?」

「それは……ベッドの方だけど」

「じゃあ決まりじゃん」


 往生際の悪い少年を両手で抱えてベッドに放り込む。ノエルは受け身を取って転がるとベッドの端に陣取った。


「ほら、おいでよ」


 (ブラン)顔負けで威嚇するノエルに手を差し出す。


「一緒に寝よう?」


 私の顔と、差し出された掌を交互に見て、大分逡巡があっただろうが……やがて、ノエルは私の手を取った。

 私はその手を引っ張って、自身の腕の中に閉じ込める。小さなノエルの体は私の腕が抱きしめるのに丁度いい。ノエルは暫くそのまま硬直していたが、次第に体の緊張を解いていった。

 それを微笑ましく思いながらノエルの頭に頰を埋める。ふわふわでとても気持ちが良い。


「ノエルはやっぱりいい香りがするね……」


 いい匂いーとすんすん鼻を鳴らしていると、ノエルは控えめながらハヅキの方がいい匂いだと言った。


「私の匂いは私には分からないよ」


 だから意味はないのだと言外に告げる。

 

「それよりも、ノエルは抱き心地がいいね……このまま抱き枕になって」

「……別に、いいけど」

「やった、じゃ、おやすみ」


 狼狽える声が聞こえたが、無視して寝る体制に入る。もう夜も更けていい時間なのだ。睡眠時間は少しでも大いに越したことはない。

 ノエルは落ち着かないのか、暫く身動ぎを繰り返していたが、その動きも時間の経過と共に減っていき、今は壁に掛けられた時計の針の音が聞こえるのみだ。

 カチ、カチ、と緩やかに、だが、確実に時間は積み重ねられていく。


「……もう、寝たの?」


 不意に押し殺された声がした。私はもう眠りも半ばで、それに言葉を返すべきという意思はない。


 ノエルは嘆息して、小さくお休みと言った。

 それからまた無言が続く。

 深い眠りに入る直前、「ごめんね」という謝罪の言葉を聞いた。

 自然と頬が緩む。


 ノエルが、本当はここに謝りに来たことを私は知っていた。顔を合わせた時、ノエルの口は頻りに謝罪を言おうとしていたのだから。

 結局女子の牽制みたいなことを言っていたけれど。その後は弾みだったのだろう。私のことを言うたびに小さな唇が僅かに震えていた。

 申し訳なさと共にどうしようもない苛立ちも抱えていたのだろう。そのような感情は溜めておいてもいいことはない。吐き出してしまうのが楽だ。

 私はノエルにその気持ちを吐き出させることを選んだ。散々私を貶めた、そのノエルが……相手が寝ているとはいえ、謝罪をしたのだ。

 この子は結局いい子なのだ。

 自分が悪いと分かっていることを、他のことで正当化しようとしない。自分の非を認めても謝罪をしない大人なんてたくさんいる。その道をノエルだって選ぶことはできるのに、ノエルは選ばない。そのことが彼をとても好ましく思わせた。

 よく言えたねと褒めたくて仕方がない。ふわふわの頭を撫で回して目一杯甘やかしたい。

 あいにく眠すぎて瞼も腕も動かないし、そんなことをすればデレた子猫がまた威嚇して逃げてしまうのは確実だろう。

 このことはそっと自分の胸の中に秘めておくことに決めて、私は今度こそ眠りについた。

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