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それは私の希望なんです(中)




   *    *    *




「ただいまー」


 玄関 (じゃないけど)に靴を揃えてから中に入る。誰もお帰りなんて言ってくれないけれど、それを言わないと居心地が悪く、どうしても言ってしまうのだ。

 リビングに行く途中出迎えてくれたブランを見つけて抱き上げると、ブランは「にう」と小さく鳴いた。再び小さな声でただいまを言うとブランの毛皮に頬擦りした。はぁ、やっぱりふかふか。いい気持ち。

 リビングに入ってソファにブランを降ろすとブランはお行儀よくちょこんと座った。

 さぁ、撫でなさいと言わんばかりの姿だったのだが、モッフモフの毛に寝癖がついていることに気がついて吹き出してしまった。顔に分け目が出来ていたのだ。

 毛が長いから仕方ないのだが随分と間抜けな顔だ。真面目な顔をしているところが尚更ツボにはまった。


「……にゃう」

「怒らないでよ」


 手でちょいちょいと寝癖を直しつつ顎を摩ってやるとごろごろと喉を鳴らし始めた。機嫌を直してくれたようで何よりです。

 ただし寝癖はとれなかった。これは、お湯か何かをつけなければ治らなそうだ。……寝癖を直すのはすっぱり諦めることとする。



「今日も疲れたよ〜〜!」


 ブランの横に座るとすかさずに膝に乗るブランにかわいいなぁとデレデレする。

 飼い主贔屓かもしれないがブランは本当に美人なのだ。とてもバランスのとれた顔だと思うし、涼やかな目元は麗しい。しかし、私を前にするとその目も僅かながら下がるように見えた。その目が私を見上げてにゃうにゃう鳴く。お疲れ様と言われている気がした。


「お腹すいたよね、ご飯食べようか?」

「にぃ!」


 いいお返事です。


 軽い食事を摂ってからブランにカリカリをあげる。カリコリと餌を噛み砕く音を聞きながら私は風呂場へ向かった。


 風呂を出て髪が乾くのを待ちながらブランと戯れていると、玄関の方から微かながらモーター音が聞こえた。

 時計を見るともう日付が変わるような時間だ。この時間にプライベートフロアのエレベーターが動くことは余りない。珍しいことだから誰が乗っているのか、つい考えてしまう。

 主もジュードも基本部屋に戻ったら出てこないし、そして私は二人が帰宅したところをこの目ではっきりと見ている。イリーナや、ルシアンにしても明日まで戻らないなので二人のはずはない。

 誰だろうなぁと他人事でいたのだが、エレベーターが私の部屋の前で止まったことに気がついて、私は目を丸くした。

 ベルが鳴る。誰かの訪問を報せる音だ。ブランが緊張のため耳をピンと立てている。やがて唸り声を上げると私の膝から飛び降りて何処かへと隠れてしまった。それだけで相手が誰なのか分かったようなものだ。


「二日連続なんて珍しい……」


 私は玄関へ続く廊下へ出て壁に嵌められたモニターを見る。しかしそこに写っていたものに言葉を失った。

 画面に映り切らない金髪の持ち主はすぐに思い当たった。どうして彼が、訝しみながらも玄関のロックを解除する。

 そこに立つ少年を見ながら私は呟いた。


「……どうしたのノエル」


 扉の向こうにあったのは予想通り、美少年ノエルの姿だった。

 しかし、その顔を見た時私は、その少年を初めて見たかのような錯覚に陥った。

 ブロンドのフワフワの髪の毛も、綺麗なブルーの瞳も、ふわりと鼻に届いた甘い香りも、全て知った少年のものだったが、彼が私に向ける冷たい眼差しは全く知らないものだった。

 昨日会ったノエルとこの冷たい視線が頭の中で一致しない。


「……父さんに」


 ノエルの声を聞いてやはりこの少年はノエルだったと、安心はできなかった。声の高さは昨日聞いた時と同じように思えたが、含まれた冷たさは全く別人のように思える。何をそんなに怒っているのか見当もつかない私はこっそり身構えた。怒鳴られても対応できるように、と。


「ちょっと気に入られてるからって、調子にのんないでよ」


 ……ん?


「そうやって可愛がってもらえるのは、今の若いうちだけなんだから」


 今のは誰の台詞だろう。……ノエルが言ったの?え、本当に?

 女達の男を巡る戦いのようなセリフを……?


 ちょっと予想外だったもんだから、驚いてしまった。物語の中だけの台詞をまさか現実で聞くとは。怯えるよりもびっくりしてしまって、「はぁ」とだけ答えるとキッと睨まれた。

 穏やかじゃないなと眉を顰めた私に対して、ノエルは猶続ける。


「所詮君はただの餌なんだからね!」


 顔には出さずに済んだが、結構な衝撃を受けた。ノエルと私はほんの少ししか会ってないというのに、物事の本質をよく見ている。

 流石長生きなだけある。

 素直に感心しながら、私は体を引いて通路を空けた。


「とりあえず入ったら?」


 ここで話すのは結構な迷惑だ。ノエルが帰らない限りエレベーターは使えないのだから。どうせこの時間に使う人もいないだろうが、これくらいの気遣いは必要だろう。

 しかし、口をポカンと開けて私を見上げるノエルは動く気がないらしい。私は「早く」と促した。


「……呆れた」

「何が?」

「もうちょっと警戒心持った方がいいんじゃない?」


 やれやれと首を振る少年に一瞬イラっときたのは内緒だ。

 自分から押しかけて来ておいて何言ってんだこのがきゃあ。

 それは内心で言うに留めて、私はにっこりと笑って言ってやった。


「中にどうぞ?」


 ノエルは一瞬ビクリと体を揺らしてから渋々私に従った。とても不満げだ。

 ソファにどうぞと手で示すと、少年はそこに踏ん反り返って座る。昨日の可愛い美少年は一体どこへ行ってしまったのやら。ふてぶてしいにも程があるんじゃない?

 自分も腰掛ける前に飲み物を用意しようと思って、ノエルに礼儀として尋ねる。彼等からしたら礼儀でもなんでもないだろうけれど、自分の分だけ用意するというのは酷く落ち着かない。


「なんか飲む?」

「……何言ってんの、僕吸血鬼だよ」

「だよね、一応聞いてみただけ」


 ノエルは顔を分かりやすく歪ませた。


「君は正気?」

「正気だけど?」

「僕は君を簡単に抑え込んで食べれちゃうんだよ?」


 核心を突いた物言いに僅かながら感心する。やはり長く生きているだけある。見た目が子供だと侮るのは愚者が侵すことだ。

 反応の悪い私に少し苛立ちが増したらしく、ノエルは更に言い募った。


「もしくはここで腕や足を捥いで、外にいる吸血鬼の前に放り投げたっていい」


 想像したら中々にグロテスクな光景だ。そんな最期は御免こうむる。やろうと思えばできてしまうところがまた恐ろしい。

 とはいえ、そんなことされるはずがないので私は「やれるものならどうぞ」とため息まじりに言う。


「そんなことしたらもう庇ってあげられないけどね」


 ノエルの周りがヒュッと寒くなった、気がした。

 その原因はわかっているつもりだ。


「……今だけだから、精々自慢してるといいよ」


 ノエルの憎しみのこもった声が私に向けられる。痛いくらいの気迫だ。肌に突き刺さっては小さな穴を開けていく。私はそれを払いのけて、鷹揚に立つ。

 それにしても随分な曲解だ。私は自慢しているわけではない。


「何しに来たの?忠告?それなら間に合ってるよ?」


 自慢できる立場だったらどんなに良かったか。その立場にいないことは泣きたいほど分かっている。できればそっとしておいてほしい話題だったのだが、ノエルはこれまた癇に障ったようで「うるさいッ!」と叫んだ。フーフー、と息を荒げる様はまるで猫の威嚇のようだ。

 私はそれを見て苦笑した。


「……安心しなよ。どうせ、私はただの餌だから」


 それだけで私の意図は察してくれるだろう。私自身が私を卑下したことに少し溜飲が下がったのか、ノエルの纏う空気は少し和らいだ。


「そうだよ、君はただの餌なんだから、僕とは違って代わりがあるんだから……自分が特別なんて間違っても思わないでよ!」


 結局言いたかったのは、ノエルの方が主にとって特別であるという点だったのだろう。そして、私は主の特別じゃない、と。


 ジュードの言う通り、か。

 私は立ち上がると「少し待ってて」と言い置いてキッチンへ向かった。コーヒーを淹れる間に思い出すのは今日の昼間のことだった。

 ジュードに呼び止められて少し話したのだ。


「……ほんとうに」


 子供なんだなぁ、音にならない呟きが口から外へと零れ落ちた。

 ぼんやりとしていると、ジュードの声が聞こえてきた。あぁ、これは昼間の記憶だ。






『おい』


 唐突な呼び止めに私は不機嫌さを隠しもせずに振り返った。


『何?朝の謝罪?』

『俺、何か悪いことしたか?』


 反省の色が全くない。痛むこめかみを押さえて呻く。何を言っても無駄なのか。

 

『次にノエルに会ってもあいつのこと怒らないでやってくれ』

『……なに?』


 こめかみから手を離してジュードを見る。ジュードは今まで見たことのない表情を浮かべていた。

 しかし、身近だった誰かがよく私に向けていた表情。……あれは、誰だっただろうか。


『怒る気なんて最初から別にないけど……理由くらいは教えてくれるよね?』


 記憶の中の誰かを思い出せないままジュードに問えば、ジュードは表情を見慣れた飄々としたものに戻してしまった。


『あいつも長生きっていうのは知っているだろ?』

『まぁ、一応は』


 本人から聞いたからねと頷く。未だに信じられないが。

 それがどうかしたのかと視線で問えば、あいつは子供なんだ、という答えが返ってきた。


『子供……?』

『そうだ、子供のままだ、二千年近く生きていても』

『どういうこと?』


 思い出してもみてくれ、とジュードは言う。


『俺達は吸血鬼になった時に成長を止める。そこから先何も増えることも、減ることもない。……それは精神も同様なんだ』


 へぇ……と少し驚く。心の成熟と体の成熟は違うものではないのかと、今まで考えたことのないことを考える。


『あの歳で成長を止めることに主様(マスター)は最後まで悩んでいた。あの歳だと自分の感情を定めるための材料が少なすぎるからな。もう少し歳を重ねていればノエルの精神の方の成長も見越せたんだが、あれは幼すぎた。……結局ノエルの懇願を聞き届けた主様に寄ってノエルは八歳という幼さで吸血鬼になった』

『八歳!?』


 あれで!?とノエルの姿を思い出しながら叫ぶ。確かに幼かったが、それでも十歳は超えていると思っていた。


『八歳、か……そりゃまだ子供だよね』

『それなりに長く生きているから普通の子供(ガキ)よりはよっぽど大人だ。知識もある。経験もある。だが、あいつは子供らしく我儘で、自制の利かない奴だ』


 それはつまり、ノエルがやろたいと考えたことは全てできてしまうということを意味している。

 普通の大人なら、考えてやめておいた方がいいと思ったことはやらない。普通の子供なら、やりたいけれど、技術、経験、力が足りないことはできない。

 だが、ノエルはやめた方がいいと考えることはないし、力不足になることもないからできてしまうのだ。


『もしかして……今回のこともそれが原因?』


 今回のこと、とは昨日の事件のことだ。結局私は詳しいところを知らなかった。


『そうだ。……あいつの言ってたβってのはお前を襲った吸血鬼だってことはもう分かってるよな?』

『状況から考えたら……ね』

『βは今まで主様の餌を四回喰い殺してる』


 驚きすぎて目が飛び出るかと思った。


『そんなに……?』

『隷属もいれれば十人だ』


 隷属は吸血鬼だ。それらを六人も殺している。それだけの吸血鬼があの女に勝てなかったのだ。人間の私に敵うはずもない。

 背中に薄ら寒いものを感じた。


『βはどうやら主様と同じだけの歳月を生きているらしい。しかも、匂いが薄く気配を隠すのに長けている奴で、……警戒心も強い。大抵気付いた時にはもう後の祭りってやつだ……だが、今回は色々と冷静さを失っていたようだな』

『私の……血のせい?』

『そうだろうな、お前に随分執着していたと聞いたし……お前一回βに助けられてるんだろう?』


 そうだったと初めてあの女吸血鬼に遭った時のことを思い出す。助けられたからこそ、彼女を護衛と疑わなかった。ノエルはその光景をどこかで見ていたのだろう。

 そして、βを殺す時を待った。私を囮にして。


『……ノエルからの報告はハヅキの言うことと矛盾がなかったから、怪しむことすらしなかった。まんまとノエルに騙されたわけだ』

『にしては怒ってないよね?』

『……お前が死んでたら別だったろうが、生きているからな。それにβを殺しておきたいのは俺も主様も同意見だ』


 確かにと思う。

 今まで姿を見せなかった凶悪犯罪者が、警官が沢山張っている場所にのこのこと姿を現すなんて普通はない。そしてそれは警官にとって千載一遇のチャンスだっただろう。何が何でも捕らえたいと思うはずだ。


 私とて元からその話を聞いていれば、自ら進んで協力していただろう。そんな危険因子は取り払うに限る。

 そこまで考えて、いつの間にか吸血鬼の考え方に寄っていることに気がついて苦笑する。

 私はいつから、人の形をしたものを殺してもいいと考えるようになったのだろう。

 ゆっくりとだが、彼等に毒されている。しかし、今更毒を抜こうとは思わなかった。



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