護衛が一番危ないです(下)
* * *
私は呆然とそれを見ていた。
主に抱かれるあの女が笑顔でこちらを見ている。その女は首元が血塗れで、それで気がついた。これはあの日の夢だと。
ふと意識が浮上したのが分かった。目を開けた私の隣では、珍しく主が目を閉じていた。規則的な呼吸音を聞くに、主は寝ているようだった。
主の寝ている姿を見るのは初めてで、私は何度か目を瞬かせながら寝ている主を眺めた。眺めているうちに、悲しみが私を襲った。
——『あの子』と主は呼んだ。その眼差しが珍しく柔らかなもので、その声に孕んだ情に気づいてしまった私は唇を噛んでいた。
主は吸血鬼で、あの女も吸血鬼だ。彼女の血は主の餌になり得ない。にも関わらず、あの日見た光景にあの女を重ね合わせる私は、怖がる自分に気が付いた。
「……嫉妬、って怖いなぁ」
自分を失うような激しい感情だった。居たたまれなくて、私はこっそりと主のベッドから抜け出す。一度、私を抱きしめる腕が硬直したので息を潜めたが、やがて主から再び寝息が聞こえてきたのを機に、私はそこから抜け出し部屋を出た。鍵は私のでも開く。そうゆう設定に主はしていた。
向かったのは自分の仕事場だ。全て放り投げて来てしまった。取るもの取って部屋に引き上げようとした私は、そこにいた人物に目を丸くする。
「……ジュード」
「おめぇ……なんでここに」
ジュードの顔は逆光になっていて見え辛い。昼間は曇り空だったにも関わらず、今は雲ひとつない。満月は静かな光を室内に届けた。
「……服ぐらいちゃんと着ろよ」
「誰かいるとは思わなかったから」
面倒だったのでワイシャツのボタンをいくつか閉めただけだった。手早く上まで閉めて自分の机へ向かう。
ジュードが私を見ていたのは分かったが、私はそちらを見れなかった。
自分の机の前に立った私は額に手をやった。
……そうだった。増えすぎた書類を整理しようと思って、今朝机の上に纏めて置いていったのだ。外から帰ったらやろうと思っていたのに、今の今まですっかり忘れていた。こんもりと積み上がった紙の山を前にして、私は肩を落とす。
それでも「見つけられませんでした」で済む問題じゃないので、自分を鼓舞して積み重なった書類の中から目当てを探す……が、やはりというか、なかなか見つからない。この上に探している書類はないのでは、と勘繰るぐらいには見つからない。
ジュードの方を気にしているせいか余計に見つからない。月明かりが明るいので、電気をつけなかったが、一度つけに戻った方がいいかもしれない。
戻ろうと体を起こした時、ジュードが動いたのが分かった。そこから振り向けずにいると、真後ろでジュードが止まった。
「有ったのか?」
「……分からない」
言いながら分からないってなんだよと、自分で自分に問いかける。ジュードも少し引っかかったようだ。無言の空間が辛い。
やがて、ジュードがふぅと息を吐く。頭をかいているのか、ガリガリと少々痛そうな音がした。
「何探してるんだ」
肩越しに伸びてきた手に、体をビクつかせる。すぐ後ろにジュードは立っている。私が一歩下がれば、私の背中はジュードの腹に触れるだろう。
「おい」
「……明日の会議の資料」
「分かった」
ジュードの腕がガサガサと机の上を漁る。
ワイシャツに包まれた腕は、細そうに見えて、実は筋肉質でガッシリとしているのを私は知っている。
周りを少し見て、自分の左側に腕がないことに気付くと、そちらに体をずらした。ジュードは何も言わずに両手で探し出したので、これでよかったのかとホッとする。
ジュードは数秒後、ほらと紙の束を差し出した。それを受け取りながら——他のタイミングはないと自分に言い聞かせ——ジュードに謝った。
「昼間はごめん……」
「お前が気にすることじゃねぇよ」
言われたって素直にはいと思えるような性格はしていない。
「でも……ジュード、キツそうだった」
「そりゃあ、長らく喰ってなかったからな」
申し訳なくて、ジュードの顔を見ていられず、そっと視線を足元に下ろすと、もう一度「気にするな」と彼は言う。
「さっき喰ってきたし、おめぇは悪くねぇんだ……だからこっちを見ろ」
おずおずと顔を上げた私に、ジュードは笑う。今度ははっきりとその顔が見えた。
「怒ってるように見えるか?」
「……見えない」
「だろう?気にされるとこっちが気が滅入るんだよ」
「……分かった。でも、ちゃんと謝らせて。次は無いから」
「それでいい。代わりにちゃんと守れよ」
ジュードが私の頭をぐしゃりと撫でる。乱暴なのに、気遣われているのが分かって、こそばゆい気持ちになる。
ジュードは一見柄が悪くて、女遊び激しい適当な男に見えるけれど、実際は普通にカッコいいし、優しい。……女にはやっぱり不誠実なようだけど。
「ジュードは兄って感じがする」
「呼んでもいいぞ『お兄ちゃん』って」
「そしたらジュードは私をなんて呼ぶの?」
「俺の可愛い可愛い妹」
「やだ、それシスコンっぽいよ」
「……『シスコン』?」
「うーん、なんだろう……大袈裟に言うと、日本では妹至上主義みたいな意味で使われてる」
「……妹至上主義」
あくまで私の主観だけど。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだ、……妹よ」
あーあ、とっちゃった、と少し残念に思いながらこの芝居を続ける。
「私、あの護衛、嫌だなぁ……」
「変えろっておねだりか」
「うん」
どう嫌なんだと問われて、正直に話す。
「……あの子は、主に信頼されてる。私は監視つけられちゃうのに」
「……監視じゃなくて護衛だっての」
「それでもあんな風に私のことを、主は見ない」
嫉妬しちゃった、ポツリ呟けばジュードは難儀だなぁと相槌を打つ。
「お前が、本当に惚れてたとはな」
「イリーナ達に聞いていないの?」
「聞いてはいたが、その場だけの感情だと思った」
ジュードは労わるように私の背中をゆっくりと撫でる。
「おめぇは主様のどこに惚れたんだ?」
「…………優しい所かなぁ」
「ありきたりだな」
「うるさい」
しょうがないじゃないか。気付いたら、主に抱かれていた名前も知らない女に、嫉妬してしまうぐらい好きになっていたのだから。
理由なんてあってないようなものだ。主が欲しいだけだから。
「…………ねぇ、お兄ちゃん。私まだ死にたくないの」
「あいつはそこまで分別ないやつじゃねぇから」
「頑張ってよお兄ちゃん。これで、もしなにか起きたら、お兄ちゃんのこと恨むよ」
「恨むってお前なぁ。お兄ちゃんに対して随分辛辣じゃねぇか」
「ジュードだし」
「……理由になってねぇぞ。あいつには、不用意に接触しないようには言っておくけどよ」
期待はすんな、とジュードが言う。それ程までに制御ができない存在ということだ。やはり油断はできそうにない。
私は嫌な空気が垂れ込めてくるのを感じた。どうにもならない閉塞感に身を委ねるしかないことが、私には堪らなく嫌だった。
「こんにちは」
振り返った体制で私は固まった。
勿論顔は歪んでいる。
「そんな怖い顔をしないでほしいのですが」
誰のせいだと。
こいつに会いたくないが為に、吸血鬼に遭遇しないよう細心の注意を払っていた。そして現在吸血鬼に襲われてなどいなかったのに、この女は何故かいる。
「……仕事はどうしたんですか」
「現在仕事中ですが?」
見て分かりませんか、とバカにしたように言われムッとする。
余り接触しないように言っておくとジュードに言われたのが一週間前だ。
また近くに吸血鬼がいるのだろうか?
と言っても、私にはその気配が分からなかった。もし、この間襲ってきた男のように、覇気がないのだとすれば、私だけで感知することは不可能だろう。
……いるんなら、早くどっかに行ってくれないかな。
女を後ろにイヤイヤ従えて歩く。気分は殺人鬼にストーカーされているような、そんな感じだ。本当に落ち着かない。
歩いていくうちに目的の建物に着いた。
「帰ってくるの遅くなるから」
「大丈夫ですよ。数時間なんてあっという間ですから」
そこは数分を当てはめるべきところじゃないのだろうか。
諦めて、ビルのロビーに向かうべく、数段の階段を上る。
……吸血鬼さん、吸血鬼さん。私の周りには長生きでお強い吸血鬼が沢山いるそうですよ。だから、とっとと逃げた方が身の為ですよ。というか、お願いだから消えて。たぶん、この女がいる限り、あんたらが私の血にありつけることは少ないから。まずもって無理だから。だから消えてくれ。
願いは切実である。
数時間後。
いなくなってますように……!と願いながらロビーに降りた私は外に変わらずある気配に気が付いて、うわあと唸る。
頭を抱えたい衝動になんとか打ち勝って、外に出る。行きと違い、太陽が雲間から顔を出していて眩しい。隅に女の姿を認めて顔を顰める。
「なぜそんなに嫌うのですか?」
女が苦笑する。
私はそれを冷めた目で見つめた。
分からないわけがないだろうに。白々しく聞いてくる女に、心底苛つく。心情を隠しもしなかったので女はやれやれと肩を竦めた。
嫌われたくないのであれば、まずその飢えた目付きをやめて欲しい。人を食い物にする、そのギラついた欲を隠すか、解消してくるか、とにかくどうにかしてほしい。
嫉妬だけで人を嫌うほど自分の性格は悪くなかったはずだ。その視線さえなければ友好的に接する……ぐらいはできる。はずだ。
「私はそれほど嫌われているのですね」
女の悲しげな顔に、少しだけ胸が痛くなる。私ってちょろい女なんじゃ、と疑念が湧いてきた。胸を押さえながらそんなことを思った。
「……って、えーと、どこ行くの?」
真っ直ぐ奥の方へ向かおうとする女を引き留める。そのまま離れてくれるっていうんならもう万々歳しちゃうんだけど。
「こちらの方が近いじゃないですか」
女はそうのたまった。
確かに女の言う通り、人通りの多い道を通ると、会社まで遠回りになる。だけど、前回そっちで襲われたじゃん。
「何のために私がいると思っているのですか?」
……私がいるから大丈夫ってか。
自分に大層自信があるようだ。主のお墨付きでもある。
私は腹をくくると最短距離を通るべく、歩き出す。
背後で女が「それに、今はとても晴れていますし」という言葉が印象的だった。
確かに普通に目を開けているだけでも眩しいくらい空は照っている。夏も終わり、もう秋になるというのに太陽の勤勉さには参る。
もう少し照度を落としてくれるとありがたい、というのが本音だ。
裏の道はあまり通ったことがない。ただ、前に主と一度だけ通ったことがあったので道順は覚えていた。
ただ、完璧にではない。所々で記憶をほじくりながら歩いていく。そのうちに日が陰ってきた。たまたま大きな雲が太陽を隠しているだけのようだ。日射がないだけで、空気が随分ヒンヤリする。
ずっとこのままだと有り難いんだけど、と呟いて次の道に差し掛かる。ここまで来たら、もうすぐだ。ビルの全貌が見えてきた。
緊張から解き放たれたような気分で歩く。
辺りがゆっくりと明るくなってきた。雲が太陽の下を通りすぎるらしい。
また暑くなるのか、とげんなりしながら空を見た瞬間のことだった。
正直一瞬何が起こったのか理解が出来なかった。
日傘が凄い力で飛ばされて。
手を伸ばしたその隙に頬を思い切り殴られてサングラスが飛んだ。突然保護を失った私の目は陽の光に耐えられなかった。
痛い!
それは目を炎の中に放り込まれたかと錯覚するほど。
目を守ろうと伸ばした手が、顔に届く前に絡めとられる。そのまま首と胴に細い腕が回された。
しまったと思ったその時には、いつだってもう遅い。私がその牙を避けられるような所に女はいない。避けられそうなら、しまったなんて言葉思わない。
吸血鬼は私を軽々と担ぐほどの筋力を持つ。そんな相手の腕にしっかりとホールドされた私が、逃げられるわけがない。
首から掌の距離も離れていない場所に吸血鬼はいる。ねっとりとした甘い麝香が鼻につく。吸血鬼が今にも食いつこうと口を開けた音が聞こえた。
「やめて!!はなしてっ!! 」
自分はなんてバカだ。
あんなにも嫌だ嫌だと言っていたのに、彼女に対して隙を晒すなんて。自分の愚かさに庇うこともできない。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
私はほんのすこしの自由が利く左手で、必死に耳へ手を伸ばす。
私は主と契約したのだ。雪の深いあの国で貴方に従うと。
それから私の体は私のものじゃなくなった。
主は離れるなと言った。
だから、それを私は守らなければいけない。
ピアスを起動させた所で、もう遅いかもしれない。
この女が今動いたのは、それだけの理由があるはずだ。もしかしたら、主が私を食べていいと言ったのかもしれない。
だが、私は主の口から直接聞いていない。主以外に喰われていいと聞いていない。私が抵抗する理由はそれだけで十分だった。
ピアスに向けて伸ばした手の遅さといったらない。やっとのことで耳元に届いた時には、冷えた感触に触れた私の肌が粟立っていた。
恨む!
絶対に恨む!
主をとめられなかったジュードを恨んでやる!!
心の中で盛大に呪詛を吐く。
呪われたくなかったら早く来て——!!
ぞれでもよく知った気配は現れない。
お願いだからと、望む私に、残酷なほど冷たい牙が首に食い込む。
嫌だっ嫌、嫌、嫌ぁっ!
私は、まだ、主様と————………………
その時、私の耳にカチャリと小さくて、それでいて重たい音が届いた。
少し先では車も走っていて、人も沢山いる。そんな喧騒の中で聞こえるはずのない小さな音に、私の意識は全て持っていかれた。
その後を、気の抜けたぱしゅっという音が続く。
聞いたことのない音だと思った私の背後で硬いものが砕ける音を聞いた。
何かを考えるよりも早く、私の拘束がとかれる。自由になった体で私は呆然と立っていた。
えっ、と小さく声を上げる。吸血鬼の呻き声を聞くに吸血鬼は地面でもがいている。
「逃がさないよ」
聞いたことのない声だった。
突然現れた気配に、ビクと体を揺らせば、その高い声は「大丈夫」と言った。
「君を食べさせるなんてしないから」
ハッとした時には沢山の気配に囲まれていた。しかし、もがいていたはずの女の気配はない。どうなったのか、状況を把握するよりも早く、高い声が指示を出す。
「……逃がしたら分かってるよね?——行って」
ドキッと心臓が一度跳ね上がる。
背後から聞こえた声は先ほどより硬い。声のトーンも心なしか低い。そして、その声を合図に沢山の気配が同じ方向に向けて消えた。
……今、一体なにが起きているの?
目を開けようと思うけれど、眩しくてすぐに目を閉じる。
軽い足音が私の元から少し離れ、やがて戻ってきた。
「はい、サングラス」
トントンと腕が叩かれた。
「……どちら様ですか?」
その声の主が、私のサングラスを拾ってくれたのは分かったが、この状況で受け取る気にはなれなかった。
「怪しくなんかないよ。兄さんに言われてるでしょ?護衛をつけるって。とにかくサングラスかけなよ。ほら、日傘も持って」
「……さっきの女が護衛なんじゃ」
「あいつが護衛?そんなわけないじゃん。とにかく、これかけて。君は日に弱いんだから。早くしないと」
「ちょっ……ま、待って」
意外と強引だった。
なすがままにされてようやく目を開けた私が見たのは、光に透けるような淡い金の髪の十二、三歳の子供だった。瞳は驚くほど綺麗なエメラルド色をしている。
目が離せないぐらい綺麗なその姿は、天使と言っても遜色ないほどに愛らしい。
しかし、その背中にあるものは天使には似合わなすぎる代物だった。
「挨拶が遅れちゃってごめんね?ノエルって言うんだ。父さんに頼まれてずっと君を見てた」
「……『父さん?』」
「そう、父さん。僕に名前をくれたのが父さん。僕を可愛がってくれたのが兄さん」
「ええっと……?」
結局誰のことだと首を捻る。私に構わず話を進めていくこの子は、私が理解することを求めていないらしい。
「二人に頼まれなきゃ、まず護衛なんかやらないんだけどね。偶然、あの女が葉月ちゃんのこと付け狙ってるって分かったから、君の存在を利用させてもらっちゃった」
「『あの女』?」
「さっき葉月ちゃんのことを喰おうとしてたあの女だよ!昔っから何度辛酸を嘗めたことか……でもね、君の血に惹かれたいたせいか、隙だらけだったから、これは、チャンスかなって思って」
今頃捕まえたかな?という子供の独り言に呆然とする。さっき、この子が言った『逃すな』という言葉は、仲間の吸血鬼に告げたものだったらしい。
つまり私はこの子供——本物の護衛に囮として使われていたらしい。……知らないうちに。
これからよろしくねと言いながら、朗らかに笑う少年を見て、いっその事気絶してしまいたいと思った。気絶したら——少年の背中にあるライフルも、あの腐った柿が潰れたような嫌な音も、このよく分からない状況も、夢のように一つの泡として消えるんじゃないかと、愚かにも本気でそう思った。
いつも閲覧ありがとうございます( ´ᐜ`♡)
正月から更新停滞させていた身で申し訳ないのですが、二月の頭まで週一更新にしたいと思っております
できれば土曜日に更新したいのですが……前後する可能性もあります
申し訳ございません(´・ω・`)




