護衛が一番危ないです(中)
R15です〜ちょっとグロめかも
——例えるなら、絶対的な捕食者に見つかったかのような。
恐らく本能。後ろを振り向いた私が、知らずのうちに構えていたのは。
その手が震えていたのは恐怖からだ。
額から垂れた汗を拭う余裕もない。
いつからそれはそこにいたのだろう。私が音を聞き逃したのだろうか。それとも——
バカッとスイカに棒を振り下ろすような音が聞こえて、それの足元に目を移した私は絶句した。
その女の履いていたヒールが、吸血鬼の頭部を踏み抜いている。徐にその踵を吸血鬼の頭から引き抜いたかと思いきや、またその踵を頭目掛けて振り下ろす。
ドスッ。
「こうやって、ちゃんと動けなくしてから逃げないと……ずっと、見ていたけれどあなたならできるでしょう?」
……できるわけあるか。
すぐさまツッコミを考えた頭でハッと女の言葉の意味に気がついて反芻する。
「……もしかして、あなたがジュード達の言ってた……」
「さぁ……どうでしょう」
静かに笑う女に心臓が突然騒いだ。生唾を飲み込む音は、相手にもはっきりと聞こえただろう。
そういえば一癖あるやつだとジュードは言っていた。
どこが一癖、だ。
一癖どころじゃないだろう。
あれは正真正銘の、ヤバい、奴だ。
「吸血鬼は再生するのが早い奴もいるので、少し念入りにやっといた方がいいですよ」
その間も女は同じ表情のまま吸血鬼の首に足を振り下ろす。
ドスッ。
ドスッ。
ドスッ。
それが彼らにとって致命傷でないと分かっていながらでも、目を背けたくなるほど凄惨な光景だった。
ドスッ。
ブスッ。
ブチュッ。
グチュッ。
グチャッ。
その女は何度も、何度も、何度も、足を振り下ろしてはあげ、また振り下ろす。その度に音が粘着性を帯びていくのが、とても嫌だった。
……無理だ。無理無理、絶対無理。
私の手に負えるような相手じゃない。
自分と同じ形をした物が、次第に形を失っていくことが途轍もなく恐ろしかった。
感情のないような顔で自分と同じ姿をした物を、壊していく彼女が恐ろしかった。
瞬間的に私は心の中でジュードを詰っていた。
いくら手が立つとは言え、こんなのを護衛にす、いや……監視にするなんて。……まさか、監視だからこその人選?え……そうなの?
無性に泣きたくなった。ジュードって実はこんな奴を寄越すぐらい私のこと嫌いなのだろうか。私は結構好んでいたのに。信用してたのに。
こんな奴に監視されてると分かって、今まで通りの生活を送れるわけがない。
私は地面に着いた両の足に命令を送り、静かに後方へと重心を移動させた。
この場に留まることは危険だと本能が告げていた。もうほんの一瞬たりともここに居たくない。
「やり方は分かりましたか?次からはこうしてくださいね」
いつでも逃げられる準備をした私の耳に届いたのは笑いを含んだ別れの挨拶だった。
「では、……また」
それを私が聞いた瞬間、女は吸血鬼であった残骸を掴んで消えた。後には不気味な赤い液体と、それを踏んだせいでついた湿った靴跡だけが残っていた。
それの生々しさに私は口を手で覆う。ともすれば、その場に崩れ落ちてしまいそうな足を叱咤して、私はその場を後にした。
フラつく足でオフィスに戻った私は、その部屋にジュードがいるのを見るなり、叫び声をあげた。
「——あの女一体なんなの!?」
バンと机を叩いた音がオフィスに広がる。衝撃で机の上に積んであった書類が床に落ちて散らばったのを見てジュードは顔を顰めた。
「……『あの人』?ご——」
「護衛なの!?あれが!?何かの冗談でしょ!!」
今思い出しても鳥肌が立つ。
味方とは思えないほどの威圧感だった。私を見る目は捕食者のそれでしかなかった。
「あいつが私の命綱なんて……とてもじゃないけど安心できない!」
「会ったのか?緊急連絡はなかったようだが」
「する必要なかったの、最初は!けど、いや……腕は立つ、それは確か。だけどあれは無理。あんな明らさまに食物として見られるのは許容外」
「……少し自分に正直なだけだ。ちゃんと処理しに来ただろ?」
「そんな程度で済む問題……?」
色々と言いたいことはあったが、助けてもらったのは事実なのでそれ以上の文句は言うのが憚られた。
……その護衛と再び会ったのは僅か三日後のことだった。
外に出てすぐ視線を感じてまさかとは思ったのだ。用事を済ませ、他社のロビーから出てきた自分の眼の前にあの女がいた時の驚きと言ったら……もう、言い表せない。
取り乱さずに済んだのは辺りに沢山の人がいたからだ。
「こんにちは、今日はいい天気ですね」
空を見上げると、見事なまでの曇り空。どこがいい天気だ。
目を細める女が真実笑っていないと気付いたのは結構すぐだった。
「……今まで全く姿を見せなかったのに、どうして、急に」
「もう、一度見せてしまっているのだからいいじゃないですか」
女は笑うと「帰りましょう?」と言う。護衛しますから、とも。
はぐらかされた、と気付いて眉をひそめる。
私はどうして今まで姿を見せなかったのか、を聞いたのだが、女は答える気がないようだ。その質問の意図を理解しているのにも関わらず。
本当に嫌な女だ。特にこいつの私を見る目が嫌いだ。
ヘーゼルの瞳は底冷えする鋭さで私を見つめる。私を喰いたいと、どうやって喰ってやろうか、とその瞳が言っている。
女を従えて歩きながら、私は全神経を背後に集中させていた。護衛なのに一番注意をしなければいけない相手とか、それってどこかおかしくない?
「ねぇ、吸血鬼に襲われたら姿を見せるんじゃなかったの?」
帰って早々、文句をつけるとジュードは顔を顰めた。会わせてくれないのかと、散々騒いだ身だ。何か文句を言われることも覚悟のうちで口にしたのだが。
「……注意はしておく」
ジュードはすんなりとその苦情を受け入れた。支障のなさに、逆に私の勢いが削がれたくらいだ。
どうしたのだろうと注意深く観察する私に、ジュードは苦笑して見せた。
「お前が一番不安だって分かってるよ。それでもあいつは主には忠実なんだ。主を裏切ることはしねぇよ」
「じゃあ……露骨に喰いたそうな雰囲気を出すのやめさせてよ」
「言っておく」
「……改善されない気がする」
口には出さないがジュードも同様に思っていることは窺えた。
「……他にいないの?」
「代理人の仕事はしないでひたすら吸血鬼を狩ってるような奴だからな……あいつが追って狩れなかった吸血鬼はいないぐらいの手練れだ。仲間内では死神とも呼ばれてる」
「つまり一番の適材ってことか……」
表情が曇る。これから先のことを考えて憂鬱にならないわけがなかった。
「とにかくなるべく外に行かない、行くとしても誰かと一緒に行け。そうすればあいつが出てこなきゃならない事態にはならない」
「……そうはいかないって分かってるくせに」
ジュードの視線がわざとらしく逸らされた。後ろめたい証拠だ。
最近の私のスケジュールが、過密であることは彼らも知ることだ。
実はジュードが中国に行かなくなったことで、私の役割にも変化があったのだ。
ジュードが主のスケジュール管理をしつつ、私がその他の雑用——翻訳や接待の準備——、そして、たまに取引先の元へ出向く。交渉を任されることも最近増えた。
これは仕込まれているのだとすぐに気がついた。私を一体どうしたいのか、聞けないままスケジュールをこなしている。
「別に監視を外せってわけじゃないからさ、人を変えるぐらい……」
「難しいな。あいつ長く生きてるからな、主様からの信頼が厚い。そもそもあいつを護衛に設定したのは俺じゃなくて主様だから」
「えー……」
お前は主様に直談判できそうか?と問われて首を振ることしか出来ない所が悲しい。
週に一度あるかないかのペースで主からのお呼ばれはあるが、その時に私が何かしら意味のある言葉を発することは基本的にない。仕事中は尚更私語できない。
「じゃあ、落ち着くまでずっとあの視線を感じながらの生活になるの?」
「まぁ……外行くなよ」
「だから無理って言ってんでしょ!この馬鹿!!」
「……あ゛あ゛!?やんのか!?」
「逆ギレで誤魔化すのほんとやめて」
「……逆ギレじゃない」
「どうやって見ても逆ギレだよ」
こんな場面前にも見たなぁと言いながら部屋にルシアンが入ってくる。
「ルシアン元気?」
「元気だけど?」
「……おい、ルシアン」
ルシアンは笑いながら恐ろしい量の書類をジュードの机の上に積んでいく。
「主様に報告頼んだよ」
「なっ!?てめ、自分で言え!」
「却下」
「却下!?」
そのままルシアンは部屋から出て行った。
ジュードは悪態ついてすぐ資料に目を通し始める。
その様子を見ている私の内心は複雑だ。
最近イリーナとルシアンの主様への態度がおかしい。分かり辛いが避けている。話している場面は見かけているのだが、その様子はヨソヨソしい。交わす言葉も必要最小限で、極力話さないようにしているように見えた。
それはきっと私だけが思っていることじゃない。ジュードが顔を顰めつつも書類を受け取ったのはそのことに気付いているからだ。
そんな態度を取り始めたきっかけは恐らく私だ。
二人は主の部屋へ行く私を見ていつも顔を顰める。本当は私を止めたいのだとその表情を見ていれば分かる。
しかし、二人は私の気持ちを理解していて止められずにいる。二人の細やかな反抗は主に向けての非難からくるものだった。
私の所為でそんな態度をとらせるのは心苦しいが、だからと言ってそんな態度はやめてと私がお願いをしたところで、彼等の気持ちは抑えられるものではないし、どのみち私に拒否権はない。
私のせいで主との仲に亀裂を入れて欲しくはないのだけれど、人の機微は難しい。そして吸血鬼の不思議さに再び思いを馳せる。
恋愛するという感情はないのに、私に愛を以て接する彼等。友愛も突き詰めればいつかは愛になりうる感情だ。彼らの感情も愛になりうることはあるのだろうか。
不意に甘い香りが鼻を掠めていく。この嗅ぎ慣れた匂いは、と顔を上げれば主が部屋に入ってきたところだった。
「……どうした」
二人で主のことを見ていたからだろうか、主が目を眇めてこちらを見た。そして、主は眉間のシワを深くする。
「どうしました?」
「……お前から匂いがする」
「どのような?」
「知らない匂いだ」
今日は護衛としか会っていないのだが、知らないうちに吸血鬼と接触していたのだろうか。この間襲ってきた吸血鬼も見た目は普通の人間だった。気付かないことも大いにあり得る。
だから、護衛が姿を見せたのかと納得する。
「この間、助けられました」
「そうか——あの子はあれで、腕が立つ。きっと役に立つだろう」
「……はい」
きっと、そうなのでしょうね、とは言いたくとも言えなかった。代わりに唇を強く噛む。ブツリと音がして、鉄の味が口内に広がった。
あ、と思った瞬間に主の腕に抱き込まれる。何がと思った私は、主の腕の隙間から、喉を押さえて苦しげに呻くジュードの姿を見た。
「おい!」
叱責の声に体を硬直させる。自分が何をそたか、その時にようやく理解した。
「ジュード、ごめ……」
「謝罪は後にしろ——来い」
そのまま体を持ち上げられて部屋から連れ出される。エレベーターに乗っても離されるわけなく、放られたのは柔らかなベッドの上だった。
脳を落ち着かせる間もなく、乱暴に主に組み敷かれて唇を舐められる。キスではない。止血のための行為だ。主に舐められた場所は、傷が消える。そのためのものだと分かっているのに体を疼かせる私はなんて愚かだろう。
ジュードに申し訳ないことをした。そのことは分かっているのに、唇を舐められているだけで腹の奥が欲して動き出す。
主も私の顔の変化に気付いたのだろう。唇の血が止まっても、主はキスをやめなかった。触れるだけのキスは次第に深く、長く……冷たい舌が口内に溜まった唾を全て攫っていく。
主は何も言わないまま、私の服を脱がした。その瞳は興奮していた。血を少し舐めたからだろうか。
そういえば、主が最後に私の血を飲んだのは一ヶ月も前だった。
だから、ほんの少しの血の匂いに当てられたのだろうか。
私の血を欲する主に、仄暗い喜びを感じた。
主は私に快楽を与えることのみに執心した。
何度目かの絶頂の後、首に痛みが走る。
やはりあれだけでは足りなかったのだ。私はその傷口を深く吸われたことで、快楽を感じ再び体を震わせる。意識を手放したのは恐らくその時だ。
深い意識の底に私の体はゆっくりと、沈んでいった。




