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ここはどこですか?(下)

前回に比べて長いです……すいません


 今、私に耳と尻尾があるのならばそれは確実に大きく揺れていることだろう。


「————————」

「ドーブライ……ヴィェーツェル!」


 この発音であってるはず……!

 得意げに挨拶を返す私に彼女はふふと笑う。そしていつも私の頭を優しく撫でるのだ。細くて繊細な指は声以上にこの人を女性であるとたらしめている。


 その優しげな声音が自分の想像していた姉の理想像で、私は彼女のことを密かに『お姉様』と呼んでいる。口に出したところで通じやしないだろうけれど念のため。


 お姉様と遊び人が何事か、歯切れよくポンポンと会話する。それは英語ではないし、やたらと小声だったのでどのようなことを話しているのか雰囲気すらも分からなかった。

 それでも私は大人しく待つ。きっとそろそろ肩を叩かれるだろうから。


 思った通り、肩が二度叩かれる。私がコクリと頷くと同時に膝の裏と背中に手が差し込まれた。


「——————」


 ヒッと息を吐く間も無く体が浮き上がる。安定した空中で私はふうっと息を吐きながら力を抜く。何度やっても慣れないものだ。その様子に私を横抱きにするお姉様はふふっとこれまた優美な声で笑う。


 その声に聞き惚れながら何者かの気配が近付いてくるのを察知した。数秒後予想していた頭に手が乗って数度横に動く。

 遊び人は私の髪の感触を楽しむように撫でながら、またな、バニーちゃん。と英語で告げる。これもまたいつものことだった。


 お姉様は私のことを抱き上げながら浴場に向かって歩く。黙って抱かれながら私はいつもお姉様の脅威の筋力に思考を奪われる。彼女の腕はほんの少しも動かないのだ。歩けば普通体は上下するものなのだが、その振動が私には全く伝わってこないのだ。骨折している部位への気遣いのようだが、ここまで完璧に振動をいなせるものなのかと純粋な興味が湧く。

 掌の感触を思い出すに、彼女は普通の、寧ろたおやかな細い腕をしているように思う。そんな彼女が私を横抱きにできるなんて、今でも信じられない。最初は遊び人に抱っこされているのかと思って悲鳴を上げてしまったほどだった。

 抱き上げられている時間は結構長い。一回角を曲がり、二階分階段を降りて、更に三回曲がった先にその部屋はあった。柔らかな安楽椅子のようなものに体を降ろされる。お姉様が私から離れていくのを感じるが、扉を閉めると彼女は私の元にすぐ戻ってくる。


「————————?」


 うまく聞き取れないのも毎度のことだが、何を言いたいかはもうわかる。コクリと頷くと彼女は三角巾を外して手と足のギプス部分にビニル袋を被せていく。


 次いで手をかけたのはワンピースのボタンだ。私の服は常にワンピースだ。前一列にボタンのついたミニ丈ワンピ。たぶん一番脱がせやすいのがこの形のものなのだ。

 お姉様は手際よくボタンを外して、下着をとられる。裸を見られるのは未だに恥ずかしいが、贅沢を言える立場ではないので大人しくされるがままである。


 だけど。貧相な体をしているので出来るだけ見ないようにお願いします……。


 全裸にすると彼女は私の頭に手を伸ばした。何度か手が彷徨って包帯の結び目を解き始める。私はギュッと目を瞑った。ここから先私は目を開けることはできない。


 包帯を取り終えると彼女は再び私を抱き上げる。そして、やけに湿度の高いところに入る。彼女は私を小さな椅子に座らせるとお湯をかけた。

 大人しくしていると、髪、顔、体、と順番に洗われていく。くまなく洗われていくのがとても恥ずかしくはあるが、贅沢を言える立場ではないので(略)

 そして、洗い終わると湯船に沈められる。その間彼女は消える。多分服の始末や、体を拭くための準備で先ほどの椅子に仕掛けを施しているのであろうと考えられる。

 数分後戻ってきた彼女に抱き上げられる。本当はもう少し長く浸かっていたいが、贅沢(略)


 部屋に戻ってくるといい香りがする。夕食が既に用意されているのだ。彼女に食べさせて貰いながら少々単語を教わって、食事が終わると寝る時間だ。


「——————」


 布団を被せた私に彼女がそう言えば私も同じように返す。

 彼女は私の頬に一度キスをする。


 そして蝶番が軋んで、ドアが閉まる。その音で私の一日が終わるのだ。


 これが私の毎日。

 蝶番の軋む音で始まって、蝶番の軋む音で終わる。

 これが私の日常だった。


 私の腕は、足は、いつ治るのだろう。

 いつになったら帰れるのだろう。

 そもそもどうして、私はここにいるのだろう。


 一人だけしかいない空間で毎日私は考える。


 知りたいことは尽きない。迷惑になっているのもわかっている。だが、彼らは私にその類の質問を許さない。言葉が違うから仕様がないことだが、彼らはとにかく私に言葉を覚えさせようとしているように思えた。


 それは、日本に返さないと言外に告げられているような気がして、私の心は休まらない。いずれ日本に返す気があるのであれば、言葉なんて教える必要ないはずだ。


 私はふぅと息をつく。考えてもしょうがないと分かっているのだが、不安なものは不安なのだ。


 どの道、と呟く。

 私の両手足は当分動かないだろう。動くようになってから考えればいいのに。

 私の頭は身勝手だった。



* * *



 ここに来て何日目の朝だったか、その日は朝から体が怠かった。

 頭や体の節々が痛む。息も荒く、口内もいつもより乾燥していた。すぐに風邪を引いたんだな、と思った。

 熱はもう上がりきったのか寒気やめまいは無かった。一日中寝てればすぐに治りそうだ。そう思っていると蝶番が軋んだ。紳士が来たのだ。


「——————」


 挨拶を返そうとする。だが、口はパクパクと空を食むことしかしない。私は困ったように首をかしげた。私の様子に彼も気づいたのかいつもより足音がはっきりと聞こえた。その足音が枕元で止まって、私の体を起こそうと手が背中に触れる。だが、彼の手は背中に触れた瞬間ビックリとしたように大きく動いて、急いで手を抜いた。

 そして、額に彼の手が触れる。冷たい感触が火照った体には丁度良かった。しかし、その手も呆気なく離れていく。彼は英語で早口に言うと、荒ぶった足音で遠ざかっていった。


 英語、話せるんじゃん……。


 彼は待ってろって言った。

 足動かせないんだから待つ以外私はできませんよ?ってね。


 ——触られている。その感触で朧げに意識を取り戻す。いつの間に寝ていたのだろう。ぼんやりしていると胸元に冷んやりしたものが何度か押し付けられるた。いつボタンを外されたのだろうか。

 この金属の感触は覚えている。日本でも何度もお世話になっている。不意にそれが離れていった。

 医者と恐らく紳士は何事か話し始める。英語ではないから内容がわからなかったが、二、三言医者の言葉を聞いた紳士は明らかに安堵の声を出した。やはりただの風邪だったようだ。

 薬を飲まされ、寝ろとばかりに布団を被せられる。私は素直に従った。寝るのはとても簡単な事だった。意識する間も無く私は暗闇に落ちていった。


 その意識が戻ったのが何時だったのか分からない。けれど、私は確かに目を覚ました。音はない。誰もいないらしい。と思った瞬間の事だった。


 何かが私の頬をそっと撫でた。


 突然すぎるその感触に私はビクリと体を揺らした。頬を辿っていたそれも私の反応に驚いたのか動きが止まる。しかし数秒後、それはまた静かに動き出した。

 冷たいのだが、どこか温かみのある手つき。その手は私を一度、撫で上げると静かに離れていった。


「——————」

 

 告げられた言葉は、お姉様の締めくくりの言葉と一緒だ。

 ゆっくりと私の意識は沈むように深くなっていく。

 おやすみなさい、と告げられたかどうかは全く覚えていない。




 朝起きると気怠さはなくなっていた。熱は下がったようだ。頭もスッキリしている。そのせいで、昨日の夜中に起きたことが現実とは思えなかった。幻かのような儚い記憶は、私の頭に確かにあったが、夢だったのではと言われれば否定はできない。


 私は、ただ、熱に浮かされた夢では無かった、と望むだけ。


 紳士は元気な私を見て嬉しそうな声をあげた。遊び人は心配させるなよ、と息をついた。お姉様はお土産を持ってきてくれた。


 口元に運ばれたそれは、ショートケーキのようだった。久しぶりに感じた仄かで優しい甘さに頬が緩む。その顔に遊び人もお姉様も声を上げて笑った。


 彼女はそれからたまにスイーツを持ってきてくれるようになった。リンゴのパイにモンブラン、ミルフィーユ、ガトーショコラ。


 だからお姉様が来ると私はいつも以上に嬉しい声を上げる。

 それと同時に遊び人ははあっと息を吐く。俺と態度違いすぎないか?って声が聞こえてきそうなため息だ。

 それを聞いたお彼女が遊び人に絡み遊び人も応戦する。それがこの時間のデフォルトになったのはそんなに遅くない。


 彼女にどうしてここまで尻尾をふるか。そりゃあお菓子を持ってきてくれる貴重な存在だったからだ。


 だって……私の元にお菓子を持ってきてくれるのはこの人だけなんだもの。


 たかがお菓子、されどお菓子。女の子はお菓子でできている。お菓子を侮るなかれ、切らせば女の子は死ぬ、とは日本で私がしょっちゅう言っていた言葉だ。弟はひたすらケーキを食べる私を見てよくえづいていたが。曰く『見ているだけで糖尿病になりそう』だ、と。まぁ、辛党だった弟の欲目もあっただろう。正直言えば太らないよう考えて食べてはいたし。

 そんな大事なお菓子を私は目が覚めてから、ただの一度も摂取できなかったのである。

 彼女が甘いお菓子を持ってきてくれるのは数日に一回程度だが、それだけでもあるかないかでモチベーションは大分変わる。そりゃあ相手が女性だからに決まっている。


 それ以外にもお姉様が好きな理由はある。男と二人きりの空間にいるのは結構緊張するのだ。そんななか女性ならではの細やかな気遣いに大分助けられた。ストレスが溜まらないのは彼女の献身のおかげであると密かに思っている。

 勘違いしないでほしい。紳士と遊び人に文句を言いたいわけではないのだ。二人だってそりゃあ優しくしてくれる。見知らぬ人間にどうしてここまで優しくなれるのかと不思議に思うほど尽くしてくれる。そんな二人に感謝こそあれど不満などない。


 だけど、やっぱり同性の存在は私に安らぎをくれるのだ。彼女も私のそんな態度に絆されたのか、会う度に私に甘くなる。

 餌付けも楽しくなったのか、持ってきてくれる頻度も段々と短くなり最終的には二日に一度持ってきてくれるようになった。自分が肥えたように思う今日この頃。手が動くようになった時、お腹を触るのがとても怖いですお姉様。


 不意に、肩をトントンと叩かれる。

 私はいつものように手を待つ。抱き上げらるのにももう慣れたものだ。

 いつもの道を通って風呂場に辿り着く。お姉様は今日も手際よく服を脱がしていったま。

 彼女に包帯をとって貰いながら、ぼんやりと彼女の手の動きを追いかける。

 本当は目を閉じておく必要は無いのだろう。だって、私の目はもう見えないのだから。

 もう見ることなんて出来ないのだったら目を開くこと自体気にする必要無いようにも思うが、私の手を抑えて叫んだあの人のことを思うとそんなことしようとも思えなくなってしまうから不思議だ。


 そして、ふと思い出す。昨夜私の部屋に来た人とその人の手の大きさがとても似通っている事を。


 訪問者は風邪を引いたあの日から何度か来た。いつも気がつけば枕元にいる。そして、私の事を優しげな手つきで撫でるのだ。その大きな角張った手が好きで、最近私は夜更かしするようになっていた。来ない日もある。だが、その人は大抵毎日来た。そして、一撫ですると帰る。


 包帯を取ろうとした私のことを止めたのは紳士だったと思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれない。

 私はこの屋敷に住んでいるのは三人だけだと思っていた。夜たまに現れる訪問者は三人のうちの誰かなのだと思っていた。誰なのか特定できないのは寝ぼけていたからだと思っていた。だが、四人目がいる可能性がでてきた。

 問題は、何故その人は昼間に姿を現さないのか、だ。


 昼間は忙しいとかだろうか。それともここには住んでいない?もしかすると変質者?実は皆訪問者の存在に気付いてないの?


 考え込む様子を見せる私にお姉様が声をかける。私は頷きながら考えていたことを頭の隅に追いやった。訪問者の正体が分かったところで、私には伝える術がないのだから、考えるだけ無駄なことなのだ。



 私は風邪をひいた翌々日から、蝶番の鳴る音を数えるようになった。


 二十回も数えた時、左肩を固定していたテーピングが外された。

 少々痛みがあったが、数日もあれば痛みは消えた。


 四十回数えた時、今度は右腕のギプスが外された。

 やっと自分でご飯が食べられるようになった。目は見えず、使い慣れないナイフとフォークだったので、補助は長いこと必要だったが、八十回も数えれば、大抵一人で食べることができるようになっていた。


 百二十回も数えた頃には大抵のやりとりを英語でなら話せるようになっていた。

 人間の進歩って地味にすごい。そして、この頃になって、遊び人とお姉様が話していたのはロシア語だったと知った。


 二百五十九回目を数えた朝、両足のギプスが外された。

 今日からリハビリ開始になる。

 私の両膝は粉砕骨折していたのだと聞いた。こんなに早く治るとは思わなかったと医者が驚いた。私も驚いた。寧ろ粉砕骨折だったのに治ったことにも驚いた。いつ手術したのか聞いたら、ここに来る前とのこと。だから、いつだ。

 正確な日にちは結局教えてもらえなかった。


 数えた数が三百五十回を超えた。

 ロシア語でも日常生活なら難なくできるレベルに到達した。英語はもう結構いい感じ。

 最近は紳士からイタリア語も混ぜられるようになった。どうせならこれも習得してやろうと思う。はい、調子に乗ってるという自覚はあります。

 でも、最近遊び人に合わない。少しだけ寂しい。奴の話す英語が恋しい。


 四百回を超えた。

 筋肉も戻り、目が見えない生活にも慣れ、ほぼ一人で動けるようになった。壁を伝ってだけど。

 退屈だからと色々出歩いて、この屋敷がとてつもなく広いことを知った。浴場に行くのにもかなり時間がかかる。目が見えないということもあっただろうが、私を抱き上げたお姉様があんなにも早く移動できたことをすごく疑問に思う。


 五百回を超えた。

 最近三人とも顔を出すことが極端に減った。そろそろ潮時なのだろうか。食事は雇ったという使用人が作ってくれた。何故前までいなかったのか、不思議に思った。




 そして、六百二十一回目を数えた朝。


 私は、二度と見ることがないと思っていた自身の姿を、両の目でしっかりと見つめていた。






これにてようやく導入部終了です。

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