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それはとても綺麗ですね(上)

久々のハヅキちゃん



「もう二度と出てこねぇかと思ってたよ」


 ジュードの軽口を叩きながらも指は止めない。


「……この一週間めちゃくちゃ忙しかったんだが」

「……」

「疲れたんだが?」

「……吸血鬼でも疲れるんだねぇ」


 微妙な気まずさを味わうと思っていたのだけど、この様子だとあっちは気まずさなんて感情持ち合わせていないのかもしれない。

 目を閉じてふぅと肩から力を抜く。

 そして再び目を開くとにっこり笑って言ってやった。


「文句は全て主様(あるじさま)にどうぞ?」


 そう言えばジュードが何も言えなくなることを私は知っている。

 案の定ジュードは顔を顰めて黙り込んだ。


「今日から復帰するんで、またよろしくね」

「……さっさと仕事しろ」


 ジュードはやさぐれた表情で机に向き直った。

 私もそれを尻目に自分の席に向かう。私が最後に見た時と何ら変わらない机に少しだけ嘆息した。

 書類で埋まっていると思っていたから、気合い入れてきたのに拍子抜けだ。これじゃ全くやることがない。

 くるりと向きを変えるとジュードの元へ戻った。


「ジュード」

「あん?」

「仕事」

「は?」

「なんでもやるから、チョーダイ?」


 そこまで言って私の机の惨状 (と言えるのか?)を思い出したのか、机の隅にあった書類を寄越した。

 ジュードがそんな簡単なことすらも失念しているとは、本当に忙しかったらしい。


「これ終わったら引き継ぎすっからそれまで翻訳してろ」

「りょーかい」


 席に戻りながら皆に迷惑かけちゃって悪かったなぁと思う。

 イリーナ達が早々にストライキを解除したことからそれだけ忙しいことはなんとなく理解していた。

 しかし、私は本来の仕事(?)を主に言われてやっていたわけで——それを私が謝るのは何か違う気がする。


 本当は謝ってしまえたら気は楽になれる。それは分かっているが、謝ったところでイリーナ達には「何を謝ることがあるの?」と笑顔で言われてしまうに違いない。……あ、ジュードは除いて。

 そのように思っている相手に対して謝罪をしても、自分の心は晴れやかになるどころかしこりが残るだけだ。

 ジュードは笑顔で文句を言ってくるだろうけれど。


 その後は無事引き継ぎも済み滞りなく退社の時間を迎えた。久し振りの業務ではあったがブランクは感じなかった。

 残れと命じられることもなかったので、普通に帰宅の準備をする。エレベーターのドアが開くその瞬間まで、とうとう主は現れなかった。当たり前だ。あの人は今ニューヨークにいない。ジュードの話を聞くに主はロシアにいるらしかった。

 それぐらいは自分から教えてくれてもいいんじゃないの、と心の中で思ったりもしたが所詮私はあの方の従僕。そんなこと願える立場に私はいない。

 チンと音を立てて開く扉に小さな箱に足を踏み入れ扉を閉めようとした時だった。


 突然現れた指に驚いて慌てて扉を開けるためのボタンを押す。すんでのところで挟まれずにすんでよかったものを、と目を眇める。


「少し付き合え」


 エレベーター内に入ってきたのは他でもない。ジュードだ。


「……どこ行くの?」

「少し体動かそうぜ」


 つまり闘技場へ行くつもりらしい。私は「了解しました」と答えて行き先を自身のフロアから変更する。そんな私はジュードからの言葉を待っていたと言っても過言ではない。

 何せ、聞きたいことは山のようにある。


 闘技場に行くにはジムを通らねばならない。足を踏み入れるよりも早く、ジム内に沢山の人の気配を感じ取って目を白黒させる。

 どうしてこんな急にと思ってから自分の思い違いに気付いた。

 恐らくこれがここの平常なのだ。

 私は今まで朝早くか、就業時間内にしかここを訪れたことがない。しかし、今は終業してすぐという時間、考えてみればこの時間は一番ジムが人気な時間だろう。

 帰る前に少し運動を。そう考える人は少なくないはずだ。


 ジム内に顔を出した瞬間注目を浴びた。ヒソヒソ声が聞こえてくる。皆が見ているのは一ヶ所、私の頭だ。

 ブロンドなんて見慣れているはずなのに、真っ白だと気になるらしい。……なんというか、アウェーな雰囲気に気が滅入る。この会社に勤め初めて三年は経つのに、未だこの態度。涙が出るね。

 堂々たる態度で入っていったジュードの後にピッタリついて歩く。でかいガタイに少しでも隠れようとしての行動だ。……焼け石に水なのは知ってる。

 気にしなければいいじゃないか、というのが正論であり最善であるのは知っているけれど、理解していても可能かどうかは別問題だ。厚顔無恥……とまでは行かないけれど、それなりに面の皮を厚くしたいところではある。

 こっそり溜息をついたそんな時だった。


「ディアナじゃないか!」

「……あれ、ロイド?」


 聞いたことのある声に顔を上げたら汗だくのロイドがいた。何やら笑顔の彼を不思議に思いつつも、定型文な挨拶を交わした。


「最近見ないから心配したぞ?」


 ウェア越しに見事な腹筋が筋を浮かばせている。スラリとしていると思っていたが、実は『脱いだら凄いんです』系だったらしい。

 ちらりと目をやって数を数える。……エイトパック。ほんとに見事な腹筋だ。


「ちょっと体調崩しちゃって」

「そうなのか?もう大丈夫なのか?」


 心配性なロイドに苦笑する。今元気じゃなければこんな所にいないってことにすら気付けないのだろうか。……それとも。


「見ての通り、もう元気」

「そうか〜?まだ顔が青白いぞ」

「いつものことでしょ!」


 そうだったなとロイドは笑う。やはり、からかわれていたらしい。


 ロイドと初めて会ったのは三年前、会長の秘書になって一ヶ月もしない頃だったと記憶している。エレベーターで二人きりになった時、この男はあろうことか私の髪を鷲掴んだのである。

 曰く触りたくなったと。そのまんまじゃねぇかと突っ込んで、それから仲良くなった過去がある。というか、何かと絡まれたのだ。今では社内ですれ違うと少し話し込むような仲である。


「おい、ディアナ!」

「今行きます!」

 

 呼ばれちゃったていうのを前面に押し出して教えると、ロイドに呼び止めて悪かったと謝られた。


「今度食事に誘うよ」

「……楽しみにしてる」


 笑顔で手を振りながら私は想像した。……行けるだろうか。誘われた日に主から呼び出しがあったとしても。


 ジムの奥の奥——誰もが気づかないような場所に闘技場へ続くドアがある。そこを潜るとさっきまでの騒がしさが嘘のように、静まり返った部屋だった。


「その格好で平気か?」


 生憎、今日はパンツスーツだったので平気だと顎を引く。


「じゃあ……やろうか」


 それが始まりの合図(ゴング)の代わりだった。

 久々でも体は動く。単純に楽しいと思った。

 決着らしき決着がついたのはおよそ十分後。顎元に足刀を蹴込まれたジュードがこんなもんかと言ったのがきっかけだった。


「衰えてはいないようだな」

「まぁね」


 ジュードは安心したと相貌を崩した。ジュードがそんな顔をするのは珍しく、不思議なものを見たとばかりに見つめているとすぐに戻してしまった。勿体無い。


「お前さぁ……」


 ジュードの歯切れが悪い。なに、と軽く聞き返すと、ジュードは胸の中の重りを吐き出すべく深い溜息をついた。それでも重りは消えなかったらしい。


「……携帯式の警棒持ってたろ?」

「うん?」


 問いかけを聞いた私はそんな顔するようなことかと疑問に思う。どんなことを言われるのかと、知らずのうちに拳を作っていた私に謝ってほしい。

 しかし返事をするのは礼儀なので「持ってるけど」と返す。

 支給された生活費で買った唯一完全な私物があの警棒だった。前に通販で買わせてもらったが、特殊警棒と呼ばれるタイプで畳めるところを重宝している。衝撃にはそれなりに強く、今のところ曲がったりはしていない。


「あれ常に持ち歩け」


 全く予想していなかったことを言われて眉を潜める。


「それで……吸血鬼殴れってこと?」

「そういうわけだな」


 今度ははっきりと眉をひそめた。

 無理があるとしか思えない。


「……吸血鬼相手じゃ数秒も時間稼げなくない?」

「その数秒が重要なんだ。十秒稼げればまず間に合う」


 何が間に合うっていうんだ。

 顔に出ていたのかジュードが説明を追加した。


「今な、主様(マスター)の命令で四人ニューヨークいる」

「主様の命令……?」

「お前の血目当てに集まってきた吸血鬼を追っ払えって命令が下ったんだよ。それで急遽近場にいた隷属が呼び出された」


 ルシアンからその話は聞いていた。だからこそ私もすぐに、対吸血鬼用の武器にしようとしているのがわかった。が、初めて聞いた単語に頭の中で疑問符が飛び交う。


「“隷属”って何?どういう意味?」

「あー……知らねぇのか。主様の部下みたいなもんだ。全員漏れなく吸血鬼だがな」


 軽い衝撃が私を襲った。頭をガンと殴られたような気分だ。それだけ考えてもみないことだった。


「……ジュード達だけじゃなかったの?」

「他に二十はいるな。今はたまたま俺達三人が代理人の役を担ってるが、数年単位で代理人役をローテしてんだよ」


 二十。

 少ないように一瞬思ったが、高校のクラスの半分が吸血鬼と考えてみればかなり多いように思えた。

 しかし、何でそんな面倒なことを……と聞きかけて、理由が分かって自身の掌を打つ。


「年を取らないから?」

「そういうことだ」


 入れ替わるため。

 そういう理由で主も会長ということを隠して仕事をしている。今の世の中は写真というものがあって、昔と違い人物の照合が簡単になった。一度ネットに上げられた写真が世界中に広がるのも一瞬だ。

 もし、何かの折に主の写真が撮られたら?数十年後に再び撮られて見比べられたら?

 その二枚に違うところがあるはずない。彼らはそのままの姿で生きていく。それは未知を嫌う人間にとって恐怖の対象となるだろう。

 彼等はそれを危惧しているのだ。


 会長職じゃないにしろ十年もこのままの若々しい顔をしていたら、怪しむぐらいはされる。いや、その前に気も悪がられるだろうか。

 ただし。


「……持て囃されて終わりそうだけど」


 困った状況になるのは、ジュード達がカッコ良くなければの話だと私は思う。イリーナなんて美魔女の一言で終わりだ。なんて羨ましい話だ。私なんてあっという間に皺くちゃのお婆ちゃんになる。しかし、横にいるイリーナはとんでもない美貌を保ったまま、いつまでも美しいままでいるのだ。


 恐怖の対象にもなるが羨望の対象にもなり得るだろう。

 


「脱線したな……戻すぞ」


 ジュードが座るかと言ったので私も床に座る。と、ジュードから上着を投げられた。


「腹にかけとけ、冷やすぞ」

「……不器用なおとんか」


 だが、気遣いは有難く頂戴しておく。ジュードの上着からはいい匂いがした。主とは違い、爽やかな香りはほんとジュードに似合わない。


「今失礼なこと考えただろ」

「……気のせいじゃない?」


 鋭い男だ。鋭すぎて嫌になる。



「……まぁいい。さっき四人いると言ったよな?」

「うん」

「本当はもう一人いる。……今はいないが、一番戦闘能力は高い。そいつをお前にかん……護衛としてつける予定だ」


 二人の間に一拍の間が生まれる。


「…………今監視って言いかけたよね?」

「細かいことは気にすんな」


 気にするに決まってんだろ。


「監視ってなに!?見張られるようなことした!?」

「……日本に帰ろうとしただろ」

「戻ってくるつもりだったよ!!」


 確実にチケットを見られたせいだ。今更ながら手帳に挟んでおいたのは迂闊だったと後悔する。主に不信感を与えるには十分な出来事だったらしい。

 つまり、信用されてないわけだ、私は。


「あんなこと起きなきゃ、今頃何事もなくニューヨーク戻ってきて仕事に復帰してたよ!?勝手に誤解したのはそっちじゃん!!」


 正直泣きたい気分だった。

 借りの返済は終わってないし、契約も満期までまだまだある。そもそも、逃げたところで匂いが覚えられている私が、彼等から無事逃げ果せるとはとてもじゃないが思えない。


 ジト目で非難の視線を送る。ジュードもそれらのことは分かっているらしく、バツの悪そうな顔をしていた。いままでこの男がここまでしおらしくなったことがあっただろうか。

 普通の顔してればやっぱり精悍な好青年だ。なのに何でいつもはあんなにガラの悪いチンピラみたく見えるのだろうか。


「主様の命令は絶対なんでな。ま、諦めてくれ……そんな顔すんな」

「どんな顔よ」


 真実、主の命令らしい。

 諦める他に方法がないことは私も分かってはいるが、顔に態度が出るのは仕様だから仕方ない。


 

「——あ、いたいた」


 突然登場した第三者の声に驚いて顔を上げると、入り口から丁度ルシアンが入ってくるところだった。

 ルシアンがここにいる姿は新鮮で、パチパチと瞬きする。幻覚ではないらしい。


「いないから探しちゃったよ。匂いですぐ分かったけど」

「……そんな匂う?」

「まぁね」


 ルシアンはジュードを見ると、到着したってと話した。


「そうか、助かった」

「いえいえ、お安い御用だよ」


 何が到着したのやらと首をかしげるとルシアンがこちらに向き直った。


「体調は……よさそうだね」

「うん、副作用は今んとこ感じない」


 なら良かったとルシアンは安堵すると共に、何かあったらすぐ言うんだよと言った。

 念押しがすごい。こっちはもう成人してるいい大人だ。自分の体調管理は自分でできる。

 改めてすぐ言うからとはっきり誓うとそれでようやくルシアンは引き下がった。


 そろそろ帰ろうかというわけで、三人連れ立ってエレベーターへ向かう。ジム内にはまだ人が多く、帰りも注目を浴びた。もうやだ、この髪。


ロイドはたぶんもう出ない(笑)

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