閑話 折角の休暇が台無しだよ(下)
『お前さぁ……時間かけすぎじゃねぇの?』
「別にいいじゃん〜どうせまだ二年もあるんだよ?余裕余裕ー」
あはっと笑った瞬間、不意打ちを食らってDEADの文字が画面に表示される。
「……兄さんのせいで死んだ」
『おめぇの腕が悪いんだろ』
「うるさーい!」
最悪を連呼しながらコンテニューを押そうとして、やっぱりやめた。
『進捗はどうなんだ』
「上々〜。もう殆ど終わってるよー?後は離島だけ」
ベッドに寝っ転がりながら携帯ゲーム機を棚の上に置く。横着しいな自分のためにこの部屋の主が買ってきてくれものだ。なんともありがたい。
もう一度転がって隣の部屋が見える位置に移動する。視線の先にはスリーブ中のノートパソコンの前でうたた寝する男が一人。やっぱり眠かったようだ。
『あとどれぐらいで終わりそうだ?』
「終わらせようとすればあと数ヶ月ー」
『やっぱサボってんじゃねぇか……』
そんなことないよーって言っておく。
任務を始めてからもう四年程が経つ。日本中を飛び回った結果、与えられた任務はほぼほぼ終わってる。残りの離島と言ったってもう人口千人未満の島しかないし、注目を浴びることを嫌う吸血鬼がそんな所にまずいるはずない。
ただ潜伏場所としている可能性もあるため確認はしなくちゃなんない。入り口で気配だけ探ってすぐ帰る。その作業は面倒くさいことこの上なかったが、仕事だからしょうがない。
「で?なぁに?進捗探りたいわけじゃないんでしょ」
更にゴロリと寝返り打ってベッドから降りると、寝ていたベッドから毛布を引き摺り下ろした。
こんなに寒いのにワイシャツのままじゃ風邪をひく。人間の体は弱いのだから自己防衛しなよと日頃から言ってるのに。
男の背中に毛布をかけてからコーヒーを淹れに台所へ行く。彼のことだ。あと三十分もすれば一度起きるだろう。
「……兄さん?お〜い」
返答がないことも気にかかりつつコーヒーメーカーのスイッチオン。すると随分重苦しい声で兄さんは話し出した。
『単刀直入に言うぞ……ある人物の監視を頼みたい』
考えるよりも早く誰と強い口調で訊ねていた。
「あいつが出たの?」
兄さんに訊きながら思い浮かんだ奴がいた。
今まで何度も煮湯を飲まされた憎たらしい吸血鬼。何度殺そうとしても逃がしてしまう。あいつの危機察知能力は群を抜く。
そんな奴の監視となるといつも以上に面倒な仕事だ。
『違う』
「……じゃあ誰」
返ってきたのはそれを上回る予想外な人物だった。
『ハヅキだ』
「……えぇ!?」
ハヅキってあの……父さんの連れ帰ったパラヴィーナだよね、と確認すると肯定が返ってくる。
「どうしてまた……」
『マスターの考えだからな、俺が勝手に推し量れるもんじゃない』
「それは、そうかもだけど」
気が進まない依頼に愚痴が出る。
「えー、ハヅキちゃんを監視すんのー?なんかやだなぁ」
『……なんでそんな馴れ馴れしいんだよ』
「だってそんな感じじゃん、こっちで何度も写真見たけど小動物みたいな感じでさ」
『そうゆうことを言ってんじゃねぇんだよ』
兄さんの溜息がいつも以上に重い。
『わかった……とにかく、すぐにこっちに来い。任務は終わらせなくていい。他の奴に任せる』
「えーーー!?」
大声をあげてからしまったと口を押さえる。今は夜中で、何より近くで寝ている奴がいる。そっと窺うとまだ深い眠りの中にいるようで規則的な寝息が聞こえてくる。そのことに安堵すると再び電話に戻った。
『——心配しなくても横取りはさせねぇよ』
「そぉ?ならいいんだけど」
『……案外気に入ってんじゃねぇか』
兄さんが向こう側で笑った気配がした。
以前兄さんには、日本に縄張りがあったって困るだけと愚痴を零したことがあった。恐らくそのことを言っているのだろう。
兄さんが言う気に入ったという言葉には少し語弊がある。心残りがあるというのが正解だ。
四年。
それなりの期間を日本で過ごした。にも関わらず、日本に吸血鬼が集まった謎は未だ解けていない。
厳密に言えば直接的な理由はすぐに判明してたけど。
それは鮮烈な印象をもたらした。
それは何もかもを魅了して。
それに出会って世界は確実に変わった。
——何もかもを頭から追い出すほどの甘い香り。
その香りを初めて嗅いだ時、恥ずかしながら自制というものを失った。
……ほんとに恥ずかしいことなんだよ?父さんから貰ったナイフが暫く見れなかったぐらいなんだからね?
東京で暮らしていると辺り一体が強烈な香りで覆われる時がある。
その香りがするのはいつも数秒にも満たない時間で、すぐに我に返るけれど、本当に堪らない香りなのだ。あんな美味しそうなものがこの世に存在するとは思ってもみなかった。その香りを知ってしまったことは恐らく最大の不運で、最大の幸運だった。
その香りを知ってから頭から離れない『あれは一体誰の血なのか』ということ。それは、いつでも頭のどこかにある謎となった。
いくら肌があるとは言え、血の香りを体内に止めることはまずできないし、その肌からも絶対香りがあるはずなのだ。それこそ、あんな強烈な香りの持ち主なのにないわけがない。なのに、そんな香りはこの街にない。
吸血鬼はどんな僅かな香りでも、例え混ざり合ってしまった香りでも、それは誰の香りなのかを正確に当てることができる嗅覚を持つ。因みに、ここからどの方角にどれぐらい離れた場所にその獲物がいるのかも分かる優れものだったりする。
だけど、その嗅覚を最大限活用しも、そんな人間一切見つからなかった。他の吸血鬼も同じようだった。彼らもこの匂いにつられて日本に集まったのだと思う。というかそれしか他に考えられない。
この香りを知ったこと、それが何故幸運だったのか————これ以上にない最高の暇潰しになったからだ。
長い時を生きる吸血鬼、何が辛いって時間が余って余って仕方ないってこと。本当に余る、余りまくって困る。
大抵のことはできてしまうから乗り越えるべきハードルなんてものは存在しない。自分にあるのは単調な繰り返しの日々。
そこに突如現れた知りたくて知りたくて仕方のない謎。
これで楽しまなきゃ損じゃないか。
吸血鬼を駆除する傍らその香りの人間を探す日々が続いた。けれど手がかりなんてものはてんでなかった。犬以上の嗅覚を持つ吸血鬼を持ってしても見つからないなんて本来あり得ないことだ。
しかし、その香りは余りにも強すぎる上に広範囲に広がる。出所が全くと言っていいほどわからなかった。
翻弄するようなその香りは嗅ぐたびに嘲笑を浴びている気分にさせた。
こんなに胸糞悪い思いをしたのは初めてだよ。……だから逆にやる気が出たんだけど。
しかし、待てど暮らせど一向に手がかりはつかめない。何故なら、一年経った頃、急にその香りがしなくなったのだ。代わりに大阪の方に吸血鬼の気配が集まった。
どこまでも思い通りにならない謎。それは未だに自分を苦しめると共に、歓びをもたらす。
——絶対に見つけだしたい。
もうこんなの意地だよ、意地。
人間なんかに馬鹿にされたままでは終われない。終わらせられるはずないじゃん。
吸血鬼の討伐は実を言えば一年もしないうちに殆ど完了していた。それを今日まで引き延ばしたのは、そういう理由があったからだ。
これが自分の未練。
解けないままなのが悔しい、それだけだ。
決してこの場所を気に入ったわけじゃない。そこんとこ勘違いしないでほしい。
コーヒーの入ったカップを持ってリビングに戻ると机の上にそっと置いた。
「……ん」
小さな音に反応して微かな吐息が口から漏れたけど、起きる様子はない。
よっぽど疲れているらしい。
「これは起きないかなぁ」
あ、眉間に皺が寄ってる。
眉根を突くと嫌そうな顔をした。
男の寝顔はいつ見ても苦しそうだ。そりゃそうだ。こんな毎日働いていればそんな風にもなる。毎日朝早くに出社しているのに夜中に帰ってきて、パソコンと睨めっこ。絶対に父さん達より働いてる。なのに給料は比べものにならないくらい低い。
その生活に文句をつける気はないよ?こっちは居候の身なわけだし。ただ心配はするよね。
……心配する理由?
そんなのストレスの溜まった血は美味しくないからに決まってるじゃん。
テレビの時計が深夜の一時を表示したのを見てやれやれと立ち上がった。手早くスーツを脱がすと抱き上げて寝室に連れて行く。
寝台に寝かせるのに四苦八苦したが、男が目を覚ますことは最後までなかった。
「……仕事変えればいいのに」
心から思った。
そうもいかないってわかってはいるけど、愚痴らずにはいられなかった。
* * *
——実際は護衛と変わらねぇよ。
そう言った兄さんに渋々了解を伝えた結果、今自分はここに立っている。
先ほど搭乗を指示する放送が流れた。行き先はニューヨーク。スヴェルドルフの本社ビルがある土地だ。あそこに行くのは何年ぶりだったっけ?……もう二十年近く行ってない気がする。
「じゃあ……そろそろ行こーかなぁ」
立ち上がって体全体を使って伸びするのは気持ちがいい。知ってた?吸血鬼でも体凝るんだよ?
ん〜と目一杯伸び上がって、目を開いたら男と目があった。もうばっちりと。
上に伸ばしていた手を下ろすと男の頭に手を乗せて、よしよしと撫でてあげる。
「…………何してんだ」
男はギロリと睨んできたけど、そんな顔はちっとも恐くない。
「えー、なんか縋るような目してたから?」
男が怒ると分かっていながらそんな風にからかってみた。案の定男は眉間のしわをさらに深くしながら「……嘘つくなよ」と答えた。
いつも通りな男の反応にあはっと声をあげた。
「これだからからかうのやめられないんだぁ……」
こみ上げてきた笑いは止められないし、そもそも止める気も初からない。
男はイラついた態度を隠しもせずに立ち上がる。そうなると「おーよちよちタイム」も終了だ。
男が立ち上がると途端に身長差ができて、手が頭に届かなくなるから。
座ってよって毎度思うけど、立ち上がるまで苛めるのも楽しいもんだから選べなくて辛い。
「俺より小さいくせに人の頭撫でるな」
「小ささなんて関係ないよー? 年齢の方が重要じゃない?」
男の言う理屈では、母親は大きくなった息子の頭を撫でてはいけないことになってしまう。それはおかしいんじゃないかな?
そうやって言ったのに男は全く話を聞いてない。代わりにボソリと一言。
「……そういや結局お前の年聞いてなかったな」
……やっばぁい。
「今、ヤバいって顔しただろ」
「してないよ!」
「お前嘘つく時すぐキレるから分かりやすいんだよ!」
それは知らなかった。今度から気をつけることにしよう。
「でもっ……あの勝負は引き分けだからね?賭けは無効だよ!」
「そうやって逃げるのか?」
「あったりまえじゃん!!」
「……随分力強い肯定だな、おい」
怒らせてボロを出すのを狙ったんだろうけど、お生憎様、こっちだって伊達に長生きなわけじゃない。
男もそれからすぐにやれやれと肩を竦めた。
「次は絶対に吐かす」
「やれるものならどうぞ〜」
無駄に男を煽った所で再び放送が流れた。もう遊んでられる時間はないようだ。
荷物を手に取ると男に行くのか?と問われた。
いかなくてどうすんのさ。ここに来た意味なくなるじゃん。
そういう気持ちを込めて男を見たらバツの悪い顔をした。
その顔が面白くて、可愛くて笑い転げた。一頻り笑って涙を拭っていると憮然とした男の顔が視界いっぱいに映る。
その顔にまた笑いながら、手をとった。
硬くて骨ばった男らしい手。自分にはないその手はいつも男らしさの象徴に思える。
「一人でもちゃんとご飯食べるんだよ?」
ロビーはザワザワといつまでも姦しい。そんな中で発した小さな声は聞いてもらえないかなと思ったけれど、男が顔を顰めたのを見て杞憂だったなと思う。
「……お前に言われるまでもない」
「…………それは、どうだかなぁ」
「何が言いたい」
居候を始めた当初、冷蔵庫の中に入っていたのは酸っぱい匂いのモヤシと腐った卵と牛乳のみで、人間が食べれるものが何もなかった。
ロクなもの食べてないなぁと思って、君への哀れみから料理を作ってあげたこと……まさか忘れたりしてないよねぇ。
じいっと男の目を見つめていると気まずそうに逸らされた。その反応、やっぱ忘れてるはず無いよね。
「自炊する時間がなかっただけだ」
「……やっぱ心配だなぁ」
絶対に元の生活に戻るよね。折角健康な体にしのに。今までの苦労を無駄にするのはちょっと許せないなぁ。
視線で抗議をしていると大きな手が降りてきた。無骨な手が乱暴に頭を撫でる。
「ちょっと!グシャグシャしすぎ!」
文句は黙殺された。諦めてされるがままにしていると、不意に手の動きが止まった。どうしたんだろうと見上げたら男と目があった。
男は一度口を開いた、が、それが声になることがないままで口は閉じられ、再び開いた。
「……終わったら戻ってこいよ」
言葉に詰まった。
男はきっと違うことを言おうとしてた。
だけど、それが叶うことないってわかっちゃったんだろうね。君ってば変な所で聡いから。
「俺はずっとここにいるから」
「……気が向いたらね」
男はわかっただろう。今の言葉ははぐらかしていることを。
男は一瞬だけ顔を歪めて、すぐに元に戻した。
「……ゲームもとっといてやる」
「わかった」
「即答かよ」
男は「分かってたけど」と笑いながら頭から手を離した。そのことに少しだけ寂しさを感じたこと、きっと君は気付かないんだろうね。
……気付かなくていいんだけどさ。
それからまるっと三ヶ月後、ビルの上に自分はいた。
昔は人なんて殆どいなかったのに、今では絶えず車が行き交いクラクションが響く騒がしい街。初めて来た時は家すらもなかったのに、今ではビルがそびえ、世界の経済はここから動き出すと言っても過言ではない街。
「丁度いい天気」
空は雲が厚く垂れ込めていて今にも雨が降りそうな具合だ。空気も水分を多分に含んで湿っぽい。そう経たないうちに雨が降るだろう。
やっぱり高いところは好きだ。なんたって眺めがいい。ビルの淵で足をブラブラさせながら地上を見渡す。沢山の人がいる道路から少し逸れた路地に彼女がいた。
「——あの子がハヅキちゃんかぁ」
見事な動きを見せる彼女に護衛の意味なんてあるのだろうかと悩んで、すぐにそう言えば監視だったなぁと思い直す。
ここ数ヶ月観察していたけれど、彼女は素直で実直な人間のように見えた。それに父さんによく懐いている。あの子が父さんの下から逃げ出すようには見えない。
心配しすぎなんじゃないの?と昨日も兄さんに聞いたが返事がハッキリしない。どうやら兄さんの考えは自分と一致しているようだ。
そうなると、この過保護は父さんの一存で決められたものなのだろう。いい年してるくせになんだかなぁ。
そんなに気に入っているんなら嘘でもなんでも愛の言葉を囁いちゃえばいいのに。少し年はいってるけどそれすらもプラスに持ってく顔を持っているわけだし。父さんならあんな若い子すぐに落とせるのに、しない理由は一体何だろう。
大体吸血鬼って知っても父さんの下から逃げ出さないとこからあの子の真意なんて分かるだろうに。
何千年も生きてるにしては不器用すぎる。今まで完璧に見えていた父さんの新しい一面が見えてくすりと笑った。
彼女の雪のような白い髪はよく目立つ。
彼女の髪が大きくうねると同時に香りがこんな所まで届く。鼻をすんと鳴らせば肺の奥まで彼女の香りが広がった。
まろやかでとろみのある蜜のような香り。
これは確かにちょっとやそっとじゃ諦められそうにない。
あの父さんが連れ帰ってしまったのも頷ける。
「兄さん達も大変だなぁ……」
あんなのと四六時中一緒にいたら常に飢えと戦わねばならないだろう。
自分だって言われた通り食事はしてきたのに、今すぐにも襲いかかりたくなるほど衝撃的な香りだっていうのに——
「っと、危ない危ない。彼女は父さんの、彼女は父さんの、彼女は父さんの——」
父さんの信頼を裏切ることはしたくない。
数回自分に言い聞かせてよしっと頷く。
めんどくさい仕事はとっとと終わらせるに限る。あの幻の少女を含め日本の謎はまだ解けていないし、帰ってこいって言う奴もいる。
つまり日本には心残りが沢山あるのだ。
「……初対面だし、行儀よくしないとね」
笑顔を浮かべるとビルの淵から一歩踏み出した。
次回、久々に主人公視点にもどります
12/24 矛盾点修正しました




