知ることって……残酷だよね(下之上)
はい!予告していた通り短いです!誠に申し訳ございません!!!
「どうしてこちらに?イリーナは?」
問いかける私に主は何も言わずに私の腕を引っ張った。
同時にエレベーターの扉が閉まり、小さな箱が上昇を始めた。狭い閉じきった空間のこの息苦しさったらない。数秒のことなので耐えるしかないが。
その空気を先に変えたのは主だった。
「その格好は」
「ああ……これですか」
何も考えていなかったものだから、ベビードールのまま出てきてしまった。何かしら羽織ってくるべきだっただろうかとは考えたが、すぐに大した問題じゃないなと思い直す。この人の前で布を付けてるだけマシな方だ。
「イリーナの趣味です(おそらく)」
テロテロの生地を摘みながら答えると主は明らさまに嫌そうな顔をした。
ケッと僻み根性丸出しで主の足元辺りに視線を落とす。
すいませんね、お見苦しいものをお見せして。そこまで酷くはないんじゃないかなと自分では思っていたのですがね。
やがて扉が開く。主の様子を伺いながら後に続く。
突然の出来事だった。振り向いた主に掬うように抱き上げられ、気付けば私の眼下に誰かの頭があった。遅れて三秒後、それが主の頭だと気付く。
主の曲げた肘というか腕というかの上に座っているような状態だ。
主が状況を説明してくれるわけもなく、そのまま部屋の中に入っていく。
主の頭を見下ろす風景はかなり新鮮だった。髪の毛を触りたくなったが必死に抑えた。
私が下されたのはソファの上だった。
主は私の真向かいに腰掛ける。
足を組む姿は余りにも優雅だ。見惚れるほどに。
「聞きたいこととはなんだ」
問われて視線の先を主の瞳に合わせる。
「早く言え」
その瞳から感情は何も感じ取れない。この人は心を隠すのがとても上手いのだと今更気付く。もう何年も側にいたというのに。何故気付けなかったのだろう。
「……ルシアンに聞きました。快感が血を美味なものにすると」
主の感情はまだ見えない。
「ですが、貴方が私の血を飲んだのは最初の一度だけでした。その後は抱くだけで一切血を口にしませんでした」
静寂が場を満たす。
「率直にお聞きします」
腹にある問いを口から出すことに、もはや躊躇いはなかった。
「私の血は口に合いませんでしたか?」
主は眉を寄せて考え込むような顔をする。
「……どうしてそう思った」
「私の血を飲んだのは一度だけでしたから」
主は再び目を閉じて眉間に皺を寄せた。
耳の奥で甲高い音が鳴っている。そのことに気付く程ここは静かだった。時計の秒針が時を刻んで、元の場所に戻る。
何度目に戻った時だったか、主が動いた。
「……それを知って」
鋭い目に見つめられて体が少しだけ跳ねた。主は私を見ながら体を後ろに倒すと、ソファの背もたれに肘をついた。その腕で頭を支えている。随分と偉そうなポーズに関わらず、様になっているのが主らしいと思った。
「お前はどうする?」
言われたことへの理解が遅れて固まる私に主は尚言い募る。
「興味か?好奇心か?自分の価値を知るためか?理由はなんであれ、そんなことをお前が知る必要はない」
主はその話を勝手に終わらせようとしている。そのことも分かっていたが体は動かなかった。
「……お前が知るべきことは一つだけだ」
ここへ来い、と主は自身の前を指差す。
私は目を伏せたまま立ち上がると、机を避けて主の元へ進んだ。
「座れ……違う、ここだ」
主が指示する通りに膝の上に跨った私の首を、主が掴んで引き寄せた。体勢を崩した私に主は囁く。
「お前は私の僕だろう?」
——それはきっと毒のように。
「お前は、それさえ知っていればそれでいい」
耳から。
「例えお前が不味かろうと、私が食べたい時に食べる。食べたくない時は食べない。お前がそのことで気を揉む必要はない」
口から。
「後は私が勝手にやる」
指先から。
体の先々まで毒は染み渡り、そして自由を奪う。
「……拒否権は」
「ない」
最後の抵抗も簡単にいなされる。
「脱げ」
着ていた服は紐を解くだけで簡単に肌蹴る。その布の下にあるのは下着のみだ。もともと隠す要素なんて殆どなかった。
その下着も全て取り去れば、主に腰を引かれた。
「いい香りだ……」
思わず漏れたというのが妥当な小さな声だった。
腹に頬を寄せる姿が甘えたブランに被る。
「あなたは……酷い方です、とても」
声が震えたことは分かってしまっただろうか。主は気付いてか気付かずか、その事には触れなかった。
代わりに、なんだ——と本気で驚いた声を出す。
主は私の顎を掴むと強制的に視線を合わせた。
バカにした笑みを浮かべる口元が私のそれに近付く。しかし二つが重なることはなかった。焦らされることで僅かに募った苛立ちが顔に出る。
それでも主は意地の悪い笑みを深めるだけで私にキスをくれることはない。思えばキスだって、されたのは最初の一度だけだった。
「……今更気が付いたのか」
私をソファに押し倒しながら主が言う。
「ウサギとは思えない愚かさだ」
ブラックアウトする直前に見たのは主の自嘲的な笑みだった。
瞳にも珍しく感情がある。
それがどんな感情かはわからなかったが、主はその瞳に確かに何かを宿していた。
「……どの道、 お前は——」
何を言いたいんですか、主様。
よく聞こえないんです、主様。
そこから先のことは、覚えていない。
————————…………
間抜けなウサギが一羽跳ねている。
近くに獰猛な獣がいるというのに、気付かずに無邪気に跳ねている。
自分は自由なのだと勝手に思い込んで跳ねている。
そんな呑気にしてるから、獣が気付いてしまった。叢から顔を覗かせるのは美しい黒い獣。
早く逃げればいいのにウサギは動かない。その美しさに目を奪われてしまったのだ。
ウサギはゆっくりと近付く。獣の美しさに魅入られて、恐る恐る、少しずつ——前に喰われたことも忘れて。
獣は座って待っていた。座って、身動き一つしないで、白いウサギが近付くのを見ていた。
そしてウサギが獣の脚に触れたその瞬間。
獣は身を引いた。
ウサギは寄りかかりを失って地面にころりと転がる。
そのまま獣は消えた。ウサギを喰うでもなく、助けるでもなく。
白いウサギは転がったまま、呆然とする。赤い瞳は獣の消えた叢をジッと見つめていた。
そして題名からも分かる(?)通りまだ続きます!連続投稿も考えたのですが、内容が纏まらず諦めました……(´・ω・`)すみません




