知ることって……残酷だよね(上)
えー、先に謝っておきます。
すいません!かなり明け透けです!オブラートなんて食っちゃったよやっべ、ってぐらい明け透けな所多いと思います!すいません!!
どこだろう、ここ。
ふわふわとした意識の中に私はいた。目覚めと眠りの境目。起きているのか、起きていないのか。私に知る術はない。
朦朧とした頭で嗅ぎ慣れない空気だとは思った。
額に重みを感じて目が覚めた。
「起きた?」
「……おきた」
なんとなく視界に映るその人が現実的でないような思いがして目を数度瞬く。
どうしてルシアンが、そう思った瞬間自分の格好に気がついた。
のろのろとシーツを引っ張って体を隠したが、もう遅いのは分かっていた。
「…………見た?」
「不可抗力だから許して」
そりゃそうだ。胸とか腹とか、身体中に散らばっている鬱血痕もきっと。何も羽織ってなかった私が悪い。
怒るどころか恥ずかしいと思う体力すらも残っていなかったので、とりあえず無言で否ということだけ示す。
「悪かったって。ごめんね」
許さん。
フンッとそっぽを向いた私にルシアンが苦笑したのが分かった。
「怒ってもいいけど後でね。先にほらこれ。飲んで」
はい、と渡されたのは錠剤と水の入ったペットボトルだった。
「……なにこれ?」
「アフターピル」
薬の正体に絶句した。薬を落としそうになって慌てて手を握る。
「もう七十二時間近く経つ?そしたら正直意味ないんだけど念のため。副作用はほとんどないやつだから」
「……妊娠、するんだ」
当たり前のことなのに、考えもしなかったこと。そのことに肝が冷える。震える指を抑えてどうにか薬を飲み干した。
「確認するけど、ハヅキの生理ってあと三日後ぐらいだよね。それならやっぱり薬の効果は殆どないのだけれど」
「なんで知って……」
今日初めてルシアンの目を見た。ルシアンの目は綺麗な青色。空の色だ。
「…………ルシアン、も?」
「ジュードもイリーナもだよ」
考えてみればそうだ。彼等もペーパーナイフを持っているのだから。
「……血の匂いで分かっちゃうの?」
「そうゆうこと」
イリーナは別として男性陣からもモロバレだったとは。恥ずかしいを通り越して悲壮感でいっぱいだ。項垂れて呻く。頭痛い。
「……因みに」
「なに?」
「私の血は美味しそう?」
そんな質問予想していなかったに違いない。ルシアンは視線を彷徨わせてから窺うような瞳をむける。
「……それって答えなければダメ?」
「黙秘権はなるべく使わない方向で」
抵抗したところで無駄だと思ったのだろう。数秒の沈黙の後、たまらなく、とだけルシアンは答えた。
「じゃあ私が生理の時どうしてるの?襲いたくなってる?」
「なるからお腹を満たしておく」
その答えで、決まった時期に皆がいなくなる理由が分かった。そういうことだったんだと腑に落ちる。
「生理が再開してからの数ヶ月はちょこちょこ変わって予想が難しかったけれどね。今じゃもう皆周期分かってるからそれに合わせてるよ」
「……そっか」
それなら文句を言うわけにはいかない。私のためなのだから。
「それにしても……ほんとすごい香りだね」
ルシアンは溜息と共に食べてきてよかった、と零した。
「ゲテモノを?」
「……そんなことを言ったこともあったねぇ」
種を明かしてみれば思ってたほどゲテモノではなかった。イリーナの少食も、ルシアンのゲテモノ食いも説明がつく。
「言ったのはジュードだけどね」
ルシアンがクスリと笑う。こういう優雅さが垣間見える所がジュードと違う。絶対に二人とも出身地を勘違いしていると思う。
ルシアンに合わせて私も一緒に笑おうとしたのだが、上手く口が動かなかった。
私の表情が曇っていることに気付いたルシアンがどうかした?と優しい声で聞く。
「……そのことでさ、気になってるんだけど……」
やはり言い辛くて一度口を閉じた。
こんな事で怖気付く必要がないことは分かっている。
ルシアンは察しがよくて気遣いが細やかだ。恐らく今のでルシアンは私が聞きたいことを分かったはずだ。それでいて待ってくれている。それは私の望む答えがあることを示している。だから不安になる心配はない。
だが。
もし、違かったら。そう思うとその質問を口に出すのは躊躇われた。
なんでもないと言おうとした私の口は、真っ直ぐ見つめる青い瞳に負けて動かすのを止める。
「聞きたいことは今のうちに聞いて?」
ルシアンは後回しにしてもいいことなんてないよと言いながら笑う。ストレスになるだけだからね、と彼は言い足した。
その軽い空気にに勇気付けられる。きっと悪いことにはならない。
私はもう一度口を開いた。
「みんなペーパーナイフを使ってるんだよね?」
「勿論」
「……血を飲むために殺したりしてないよね?」
「してないよ」
きっぱりと否定されたことに胸を撫で下ろす。それだけがネックだったのだ。もう後はなんだっていい。
「私達が恐くなった?」
「……いや」
元々、殺されるかもしれないという恐怖は持っていなかった。
私は友人である彼らが殺人を犯してしまっていることを恐怖したのだ。
人を殺さないからいい吸血鬼っていうのは何か間違っていると私でも思う。実際人の血を吸っているわけだし。
だが、私はもう彼らが好きだ。
家族のように思っている。例え本当の家族から引き離したのが彼らであろうと笑って許せるくらいには彼等が好きだし、信用している。……信用は若干一名を除くが。
心って不思議だ。赤の他人が殺人を犯せば最低だの、こんな奴生きている価値がないだの、最高刑に処するべきだとか思うのに、懐に入れた友人に対してはそんなことを絶対に思わない。彼等が殺人を犯して警察に追われていたとしても匿ってあげたいと考えてしまう。
結局自分とその周りさえ幸せであればいいと思ってしまうのだ。
人間はエゴでできているっていうのもあながち間違いじゃないなと思う。
「他にも聞きたいことあるんじゃない?時間はあるから気になってること話してみなよ」
「時間が?」
「沢山あるよ」
どういうことなのかイマイチ分からなかったが、ならばとお言葉に甘えて気になったことを頭の中でリストアップしていく。
「まず。……そんな血の匂いって分かる?」
「私達って犬より嗅覚鋭いんだよ」
「じゃあ事故とかに行きあったら大変じゃない?実際街中出れば女性だって沢山いるわけだし」
「うーん、相当お腹空いていたらなるかも」
「相当って?」
「餓死寸前」
「吸血鬼って餓死するんだ……」
驚きだよ。
「餓死っていうのは語弊あるかもね。私達は餓死しないようにできているんだよ」
「死にそうなのに?」
「死ぬ前に理性を失って手当たり次第食い散らかす」
「……」
「だから、気をつけて食べてるよ」
「うん。お願いだから本当に気をつけて。限界だったら私のあげるから」
その言葉にルシアンは複雑そうな顔をした。どうしたのだろうと首を傾げるとルシアンは教わってないんだねと頬をかいた。
「何が教わってないの?」
「……うーん。本当は手出したあの人に説明の義務があるのだけど……しょうがないか」
ルシアンは苦笑しながら、なんで私達が人間を抱くか分かる?と聞いてきた。
「抱くって、……交尾という意味でいいんだよね?」
「そうだけど、なんでよりによってそれをチョイスしたの」
「一番変な空気にならないで済むかなって」
……私が悪うございました。だからそんな目で見ないでください。
「まぁ、私達にとっては子作り以外にもっと重要な意味合いがあるのだけど」
「精液処理?」
「……さっきまでの恥じらいはどこに捨ててきたのかな?拾っておいで」
そんな骨みたいな……。
閑話休題。
ルシアンの説明を受けた私は渋顔で黙り込む。
「ついてきてる?」
「一応」
言われたことをまとめることにも抵抗を感じるが聞いたのは私の方だ。答えないわけにはいかない。
苦虫を噛んだ顔ってこういう顔を言うのだろう。
「つまりは——相手が快感を得れば得るほど血が美味しくなる、ってことでしょ?」
「そう」
「……私はお料理されてたの?」
「そうとも言えるね」
そんな身も蓋もない……。
谷底に突き落とされた気分だ。
あの行為がまさかの料理と同義。ショックが隠せそうにない。
「もう一つあって」
「ま……まだあるの?」
えぇー……と情けない声になる。嫌な予感しかしない。ルシアンも気が進まないという顔をしている。が話さないという選択肢はないらしい。
「主を中心としたコミュニティで定められたルールの一つに『他人のものには手を出さない』というものがあるんだよ」
勘のいいハヅキなら分かる?と言われて自分の想像したことが正しいことを知る。
「それって……」
「抱くことで匂いが相手に少なからず移るから、それでその人間が誰の手つきか判断できるから手を出さずに済む。抱いてしまえばその人間をとられることもない」
「……つまり」
「まぁ、マーキング、だよね」
その答えに引くのは決して間違った反応ではないはずだ。
彼らにとってその行為は愛を育むためのものではない。
自分好みの食材を、自分好みに料理して、自分の名前を書くような行為なのだ。
畜生。そんなこと知りたくなかったよ!
なんて反応返せばいいかわからないよ!!
「だから、ハヅキの血はもう主様のものってこと。誰にもあげることは許されないからね?」
「……分かりました」
必要以上によく、ね。
いくらか気をとり直して、目の前のルシアンを見る。
ルシアンも吸血鬼ならばそのルールに従っているわけで。恋愛感情なんかも持っていないわけで。人間を餌としか思っていないわけで。
……あ、ダメだ。考えたら凹む。
そんあ私にはぁと呆れた溜息がかけられた。
「さっきのはハヅキに当てはまらないって分かってるよね?」
いつの間にか少し泣いていたようだった。ルシアンに目元を拭われてそのことに気がつく。
私はルシアンの問いに頷いた。
私だって彼らと三年近く暮らして、毎日彼らの優しさに触れていた。だからこそ彼らを家族だと思っているのだ。あれぐらいで揺らぐ程度の仲ではない。
それでもやっぱり凹みはする。私も餌としか見られない未来があったかもしれないのだから。
……若干一名はそのように私を見ていたようだけれど。
しかし、その一名にだけは何事かを言える資格を持たない。他の誰かなら私は餌じゃないときっぱり言えたのかもしれないが。
私は所有物。所有物を餌にしようとなかろうと、問題は何もない。だからこそ凹む。
嗚呼、この世のままならなさよ。
ルシアンに背を叩かれ宥められながら私は深く息を吐く。
一定の間隔で叩かれる刺激が心地よい。このまま身を預けてしまいたいぐらいに。
なのに私は心の中で違うことを考えている。そんな私に吐き気がした。
「……もう一つだけいい?」
私はげんなりしてしまった。
「……まだあるの?」
折角引っ込んでいた涙が出戻りするかも。そんなことを言ったらルシアンがこれは真面目に聞いてほしいと言った。そんなもんだから姿勢を正す。
「他の吸血鬼の存在に気が付いても絶対に近付いてはダメだからね」
「へ、なんで」
瞬間的に質問返しした私にルシアンが、危険だからだよと答えた。
「私達はこんな方法を選んだけれど、普通こんな回りくどいことしない。適当なの捕まえて血を飲むだけ飲んで、それでどこかに捨てればいい」
淡々とした口調が余計に恐怖を煽った。彼の言い方では世界に結構な数の吸血鬼がいることを示唆しているように思えた。
「まだそれならいい。普通の神経をした吸血鬼なら主の庇護下の人間には絶対に手を出さない。敵わないと知っているから。——問題はハヅキの血が類を見ないほど美味しそうないい香りだということ」
「私の血が……?」
ルシアンは一度頷いてから先に進める。
「死ぬかもしれないと分かっていても、ハヅキの血を飲みたいと思う輩は多いと思うよ」
「そんなに……?でも私日本にいた時そんなこと一回しか……」
「あそこは極端に吸血鬼の数が少ないんだよ。私達にとっても攫った人間が行方不明で騒がれるのはなるべく避けたいことだから、すぐに騒ぎになる日本は採餌に向かない。今までがラッキーだった」
本当に用心してね。とルシアンは言う。
「数日でかなりの数がここに集まってきているみたい。多分殆どがハヅキの血に気付いて隙を狙ってる。単独行動はやめた方がいい」
手が凍りついたように冷たかった。
何故今までそんなことも思わなかったのか。
吸血鬼が全員私に害するはずがないと思い込んでいた私に気付かされ、少し恐怖した。
「しかもそういった好戦的な輩は、快感よりも苦痛を与えた方が美味いと考えているのも多い」
この時私の頭の中では全ての元凶の夜を思い出していた。
苦痛をスパイスと思うタイプに違いない。私の体を散々痛ぶってくれたあいつは。
そこまで考えて、はたと思い出したことがあった。




