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ペーパーナイフの使い方ぐらい知ってるんですけど(上)



「やっぱいるか」


 ひょいと入り口から顔を覗かせたジュードに眉を寄せる。格好は昨日見たスーツのままだ。それが意味することは。


「……朝帰りとは……爛れてるなぁ」

「世の中の大半がこうだよ」

「それだけはないわ」


 闘技場の中に入ってきたジュードは私を見下ろして口笛を吹く。


 衝動的に舌打ちする。マズった。


 私は柔軟を止めて立ち上がると素早くジュードから離れる。

 あからさまに残念という顔をしたジュードに嫌悪感を露わにする。


「……威嚇するぐらいなら見える服着てくるなよ」

「今日も来ないと思ったからこの格好だったの」


 近くに置いておいたパーカーを羽織ってチャックを上げる。

 ここ四日程ジュードは姿を見せてなかった。今日だっていつもの時間より既に三十分が経過している。このまま来ないだろうとタカをくくっていたのだ。体を動かしていたら熱くなるし、汗もかく。夏もまじかな時に長袖のパーカー着て運動をするなんて馬鹿らしいではないか。


「脱いだままでいいだろ」

「いいわけあるか!」


 どうせ、さっきまで私なんかより何周りも大きいのを散々揉んでいただろうに。なんで今更見たがるのか。

 聞いたところで男はこういう生き物なんだよ、と返ってくるに決まっているのでなにも聞かない。


「で、どうする?今日はやめとく?」

「おいおい、それはこっちのセリフだろ」

「なんでよ」


 どう考えても私のセリフだわ。

 私が呆れたため息を吐く横でジュードは構える。格好はスーツのままで、靴だけ脱いでいる。


「後悔しても知らないからね」

「望むところだ」


 本当にもう知らない。

 昨夜は随分お楽しみだったようだ。楽しみすぎてきっと頭が沸いているんだ。


 私は構えることなく、ジュードの懐に向かって突っ込む。ニヤリとジュードが笑んだ瞬間、体制を更に低くする。

 思い切り空振ったジュードに、今度は私が笑う。背中に手を回すと腰に挟んでいた円筒を掴み素早く抜き取り、手首を捻ればジャキンと小気味好い音が鳴る。


「!それっ反そ」

「もう遅いよ」


 私の本気は武器あってこそなんだよ。


「見物代を頂戴します」

 

 胸骨を突くと同時に頰に向かって強かに打ち込めば、流石のジュードも姿勢を保てず後方に倒れた

 すぐには起き上がれないジュードへトドメを刺そうと尚詰めれば、ジュードが慌てたように手を突き出した。


「……いや、待て……」

「問答無用!!」

「いいから待てって!」


 いつになく余裕のない言に私は警棒を渋々収める。

 ジュードは自分の胸元を弄ると何かを勢いよく取り出した。

 掌程度の細長いものに興味が出て上から覗き込むと、それに巻かれた黒い布がハラリと解かれた。


 現れたものに私は息を呑む。


「折れてはないな……」


 中から出てきた宝飾品をジュードは確かめるように一撫でした。

 形はナイフのようなそれは、全体が透き通った硝子状のもので出来ていて、とても華奢に見えた。

 それがとんでもなく高価であることは、この私でも一瞬で理解できた。顔から一気に血の気が引く。

 あのジュードが傷がないことを必死に確かめているのもその一因になった。


「ごっごめん、そんな大事なもの入ってるとは思ってなくて……」

「こっちこそ、こんなん胸元入れてやんなって話だから気にすんな」


 そんなこと言われてもと眉を垂らす。


「傷もついてなかったから平気だ……今度からは置いてくるよ」

「そう……?」


 恐る恐るジュードの顔を覗き込むと、気にしすぎだバカと笑った。


 もう一度その細長いものをよく見てみる。ジュードの手にあるものはとても繊細な宝飾が施されていた。

 少しでも余計な力を込めれば呆気なく折れそうなほどに細い何本もの蔦が、絡み合うように透き通った硝子の刃に伸びていた。その蔦に守られるように一つの宝石があった。よく見ればそれはジュードの瞳と同じ色をしていた。


「綺麗……」


 溜息のように漏れ出たその言葉にジュードはだろう?と微笑んだ。その笑みはどこか得意げに見えた。


「これ何なの?」

「……硝子製のペーパーナイフ……ペーパーナイフって知ってるか?」

「知ってるよ!!封筒開けるやつでしょ」


 馬鹿にしすぎだと思う。使ったことはないけれど。


「どこで買ったの?」

「残念ながら非売品。イリーナ達は持ってるけど」

「てことは——主様からのプレゼント?」

「プレゼントってわけじゃないけどな」


 ジュードは苦笑しながらそれをクルリと手の中で回転させて見せた。手慣れていると感じる。

 その様子をじっと見つめているとジュードは静かに話し出した。——これは証なのだと。


「証?」

「いや……どちらかって言うと戒め、になるか」


 ジュードはそれを最後に一度指の間で回転させると掌に乗せる。


「俺が(けだもの)にならないための戒めに与えられたものだ」

「けだもの?」

「そう、(けだもの)


 ペーパーナイフが何の戒めになると言うのだろう。

 意味がよく分からず目を瞬かせるとジュードはサッとそのナイフを隠してしまった。小さく声を上げるとまた今度なと言われる。


「……そんなに気になるようなら聞いてみたらいいだろ?」


 反射的に顔を顰める。わかってて言ってるでしょと問えば、さぁなと返ってきた。


「気紛れに教えてもらえるかもよ?」

「……ペーパーナイフ、折れてればよかったのに」

「恐ろしいこと言うんじゃねぇよ」


 言いながら、ジュードは壁にかかった時計を見上げる。


「……っと、もう時間か」


 釣られて顔をあげれば、始業まで一時間を切っていた。


「お前も早く戻らなきゃヤバいぞ」


 ジュードは手をひらひら振りながら闘技場から出る扉に向かって歩いていく。


「あの野郎……」


 行儀悪いが舌打ちをかます。

 私も踵を返してずんずん歩く。


「性格悪すぎ!」


 背を向ける直前の彼は笑みを浮かべていた。口の端を歪めるだけの意地の悪い笑み。

 つまり、主様に教えてもらえることが無いと分かっていて、わざと聞いてみればと言ったのだ。


「腹たつっ……!」


 三人が持っていると聞いてすぐにそれが秘密の話に関わることなのだと理解した。

 私はまだ主様を崇拝しているわけでは無いし、あの三人と主様の間にあるような主従の関係は私との間に無い。

 だから、教えてもらえないことも沢山ある。そんなの理解している。

 ジュードが私のことを見下しているわけでないことも理解している。



 だが、やっぱ腹は立つ。

 私だって知りたい。本当は。



 そんな時に決まって過るのは五年という期限付きの主従契約。

 私と主様の間に設けられたその僅かな時が私の決心を鈍らせる。

 五年が経てば私は日本に帰れる。帰れるもんなら帰りたい。

 だが、彼らの秘密を知った時、私は日本に戻ることができるのだろうか。


「……できないって、分かってるから厄介だよね」


 ただの仮説と言い切れないその疑惑が私の思いを鈍らせる。

 そう、秘密を知ることはたぶん、主様から二度と離れられなくなることと同義だろう。


 段々と分かってくる。彼らが秘密を漏らさないのは私のためだと……あんな顔見たら知りたくなくても分かってしまう。


 ジュードは試しているのだ。私にこちら側へ来る覚悟はあるのかと。

 行きたいことは知られている。だが、私が日本に沢山の未練があることも彼らは知っている。

 だからこそ試してくるのだろう。



「私にはまだ……」


 決められない、と呟いた声は誰に向けてのものだったのか。

 まだ、あと三年もあるんだからと呟いて保留の箱に突っ込んだ。



 ——しかし、物事というものはそんな上手にいくものではないのだ。何においても。




   *    *    *




「……一週間ですか?」

「ああ」

「……本気ですか?」

「ああ」

「……嘘じゃないですよね?」

「しつこい」


 これ以上訊き直すのは宜しくないなと判断して口を閉じる。


「ただし、休みを取るのは再来月にしてくれ」

「……何か不都合が?」

「支社が本格的に始動するんだよ」


 近くにいたジュードが会話に混ざる。


「ああ……私がこの仕事する羽目になった理由……因みにどこに行くの?」

「中国」

「……今まで支社が無かったことに驚きだよ」


 私がじっとジュードを見ていると何か聞きたいことでもあんのか?と言われたので、遠慮なくうんと頷く。


「中国語話せるの?」

「てめぇって奴は……誰が中国語教えたと思ってんだ」

「そういやジュードに教わったんだっけ?」

「だっけ?じゃねぇよ」


 だっけ?とか言うジュードに鳥肌が立って、必死に腕を摩っていたらなんか知らんがキレられた。理不尽。


 そんなことより、休みだ休み!

 ブランのことを撫でながら携帯を弄る。


 週二で休みはあったが、一週間まるまる休日というのは初めてだった。

 一週間もあれば、前々から考えていた計画を実行できる。そうと決まれば実行に移すしかない。そんなわけで私は電話をかけた。





「……お前最近機嫌がいいよな」

「機嫌いい方がいいんじゃない?警棒使われたくないでしょ?」

「あれは気を取られただけだっつーの!」

「へぇ?そうなの?にしちゃ、最近遅れとってるみたいだけど?」

「抜かせ!」


 ジュードが大きく跳躍して私から距離を取る。その瞬間に時計が鳴った。


「逃げた!!」

「偶然だろ」

「卑怯者!」

「勝負に卑怯も糞もねぇよ」


 勝てないからって逃げるのは卑怯者ではないだろうか。


「早く勝敗きっちりつけたいのに!」

「……諦めろって言ってんだろ」 

「じゃああの時計誰が払うの!!」

「お前だろ!!」


 闘技場の時計を音が鳴るタイプのものに変えたのは少し前だ。ここ最近時間が過ぎることがよくあったので、時間に気付けられるように買い換えたのだ。

 闘技場に似合わない振り子タイプを買った理由は二個セットで安く売っていたから。部屋に時計が無かったので丁度いいじゃんと思って買った。


「なんでそんな払いたくないんだよ!?」

「ジュードが時計見て『先越されたなぁ〜』って言ったからじゃん。買ってくれる予定だったんでしょ?だったらジュードが払ったって問題なくない?私よりお金持ってんだからさぁ」

「お前だって大量に貰ってるだろ」

「使えるわけないじゃん!正当な労働報酬じゃないんだから!」

「何のための金だ!」


 ブーイングしているとジュードが言い忘れるとこだったと言いながら振り返った。


「俺明日から数日間来れないから」


 考えるよりも早く「えーーーー!!またぁ!?」と非難の声が出た。


「なんだよ……」

「ルシアンとイリーナも揃っていなくなるのもう何回目?もう二十回はあるよ?」

「数えてんなよ」

「だって私のこと置いて旅行行ってるのかなぁって思ったら憎くて」

「憎く……旅行なんて行ってねぇよ。今回はただの視察だ」

「今回()!?」

「前回は休みだ!!」


 皆そう言う、とボソリ呟けば偶然だって返ってくる。だから、それも含めて皆そう言うって言ってんだよ!


「主様も明日は外行く日だし、私は独り寂しく外国語翻訳……出社しなくていい?」

「俺に聞くなよ」


 電話番する必要があるため無理だということは分かっていたが、試しに聞いてみただけだ。淡い期待は簡単に打ち砕かれたが。




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