経験値が足りてません(上)
雰囲気で読んでください(´・ω・`)所詮社会経験のないものが書いているので……ありえねぇよと思っても見逃してください(´;ω;`)
「では、この条件で契約成立ということで」
どうやら丁度いい時間だったようだ。私は扉の近くで姿勢を正して待つ。くぐもった笑い声が聞こえるのをみるに、商談は上手くいったようだ。
急に入ったこの商談のせいで予定の調整やら、資料、書類の作成やら、昨日今日ととても忙しかったがそれも今報われた。
扉のノブが回るのを見て私は頭を少しだけ下げる。
「お疲れ様でした」
「ああ」
ジュードを労いながらも先程入った急の予定を口早に教える。
「第一で六時からとなっております」
「……わかった」
ジュードは振り返ると申し訳ないと商談相手と話し始めた。
「彼に代わりまして私がお伴します」
ジュードに倣って仏語で語りかけると、ジュードは任せたと言い、それから耳元で何か囁いて足早に消えた。それを見送り再び商談相手に向き直す。
「お邪魔と思うかもしれませんが、お見送りさせていただきます」
「別にビル内で迷ったりしないのだけれどね」
「エレベーター内では暇なこともございましょう。そんな時いい話し相手になりますよ」
「確かに。……君、東洋人だろう?」
一発で見抜いた男に一瞬素で驚く。
今までバレたことないのに、と思ってすぐ言われなかっただけで本当は気付かれていたのかもしれないと思い直す。
「どこの国なんだい?私の見立てでは日本だと思うんだが……」
「そうですよ。よくお分かりになりましたね」
「実は私は大の日本好きでね」
最初に見てからずっと話しかけたくて堪らなかったんだ、と頭をかいて照れたように笑う男性に私も微笑む。
「私で宜しければ何でもお話ししますよ」
「それは嬉しいなぁ」
掴みは上々といったところだろうか。お陰で日本について語らなければいけなくなったけれど。
エレベーターから降りた時私はもう疲労感でいっぱいだった。歴史についてばかり聞かれるからかなり必死に頭の中検索したせいだ。高校で真面目に歴史やっといてよかった。
「貴女のお陰で楽しい時間を過ごせたよ。ありがとう」
「いえ、こちらこそ……」
ほんとは疲れ切ってる。顔に出せるわけないが。
「貴女の名前は?」
「……ああ、申し遅れました。ディアナと言います」
ディアナ、かと男は反復して目を細める。
「月の女神とは……貴女にぴったりな名前だ」
「お上手ですね」
外国人はなんでこうもホイホイ口説き文句が出てくるのだろう。社交辞令でこれなのだから本気になったらどのようなセリフが出てくることだろう。
「よかったら、食事でも行きませんか?」
「……食事ですか?」
正直言えば行きたくない。が、相手は重要な取引相手。ここで断っても果たしていいものか。
「私と出かけるのは嫌かな……?」
「え、ええ?いや、そういうわけでは……」
「では、行ってくれるね?」
「え、あ、はい」
有無を言わせない笑顔に頷けば、更に麗しい笑顔を向けられる。麗しすぎて目を覆ったほどだ。眩しい笑顔というものがこんなにも毒になるとは。眩しさで目が焼けてしまうかと思った。
こういう時こそ大佐の真似をすべきなんだろうな。目があ!私の目ああぁぁぁあああってね。クスリと笑ってしまった自分に気がついて苦笑する。
自分で思い浮かべて笑っては世話がない。
しまった、余計なことに気を取られて無駄な時間を使ってしまった。今日のことについて礼を述べ失礼します、と腰を折ってその場から離脱を目論む。
お誘いは社交辞令だろうし、気にすることもあるまい。
ならば、これ以上世間話した所で私には一銭の得もない。
なんたって——給料、でないから。
とんだイリーガル企業もあったもんだぜ、こん畜生。
この給料無受給の状態で五年間尽くすことが私に課せられたものだった。
私は決して仕事命ではない。最近は楽しくなってきたけど、それでも給料無受給であることを無視できるほどではない。
勘違いはしないで欲しい。タダ働きでも私は構わないのだ。問題はそれが主達のたその仕事が主やジュード達の為になるのが前提である。彼らのためなら残業でも何でも喜んでやる。
何せ、給料は出ないと言っても生活費や家賃は出してもらっている身だ。寧ろ充分以上の額が支給されるものだからいらないと返したことがある。しかし、給料に比べればこんなの端た金だぞと言われ懐に戻した。戻すしかなかった。
ここでの生活を始めてから半年経つが最初の支給額もまだ使い切っていない。
そんな経緯があって、彼らには全力でサポートすると決めている。それは、あくまでも彼らのみである。
私の今の仕事はこの重要な商談相手を見送ること。重要な相手だからこそ無下にはできずこうやって話し相手をしているわけだが、この話段々仕事の相手の枠を超えてきている。
最早プライベートの域に片足を突っ込んでいた。
早く戻ろうと踵を返した私の腕が引かれた。そのせいで足が止まる。
「……お時間は、よろしいのですか?」
私の腕を引っ張った張本人に眉を潜めて訊ねる。すると男は自らの腕時計を見てああ、ほんとだ、なんて言ってみせる。
「そろそろ行こうかな」
そうですよね。ここでもう十分は話していますからね。
「お気をつけてお帰りください」
「そうだね」
そうだね、ってもう帰るってことだと私は思っていたのだけれど。
なんなんですか、この手は。
前に進めず再び振り向いた私の目に映ったのはガッチリホールドされた右手だった。
あからさますぎる視線で手を離せと伝えてもニッコリ微笑み返されてスルーされる。
「では、行こうか。何がいい?フレンチ?イタリアン?それとも寿司でも食べる?いい店知ってるんだ」
「……まさか……今から、ですか?」
「そうだけど?」
口元がひくりと引き攣る。さっきのは社交辞令じゃなかったのか。少なくとも私は社交辞令を前提に置いた上での返答をしたつもりだ。
だが、男にとってはそうではなかったらしい。
二つ返事をしたことを今更ながら悔やむ。
あの時きっぱり断っておくべきだった。関係を気にしてしまったせいで、どうやって断るか悩む羽目になった。
もう何度目だ、この展開。今月に入ってもう五回はしている。ここまで来れば自分の脳みそに呆れ果てる。
最近このようなお誘いが急に増えた気がする 。
とうとう私にもモテ期とやらが来たのだろうか。と楽観視できるような状況ではない。ガードのゆるい女と見られていて間違いはなさそうだ。
「……すみませんが、この後も仕事がございまして……」
「さっき帰っていいと言われてただろう?」
舌打ちしそうになる。この男はジュードが私にロシア語で囁いた言葉を聞いていたのだ。ロシア語できる人だと思ってなかった。
大抵は勤勉さをアピールしてまた今度と言わせてその場は逃げるのだが、迂闊さに頭を抱えたい。ジュードももう少し注意すべきだった。
「いえ、言われましたが、そういうわけにもいかないので……」
「今日ぐらいは言葉に甘えていいんじゃないかな?」
なんであんたがそう言うんだ。それは私が自分に向けていう言葉だ。
しかも、ここでジュードの言葉に甘えれば結果、苦行に成り替わる。
フレンチなんて行けば何時間もかかる。ドレスコードのある店であれば尚更時間がかかる。その間私は粗相がないように振る舞わなければいけない。相手は取引相手だ。私の振る舞い一つで商談がパァになることだってあり得る。そんな状況で料理を楽しめるはずもない。
必死に頭の中で断り文句を探すが、検索結果は芳しくない。経験値が少なすぎるのだ。日本にいた頃だって数回しかお付き合いってやつをしたことない。それもおままごとレベルでしかない拙い恋愛だ。
それがいまや、三段階ほど飛び越えた恋の駆け引き的なことをさせられてるのだから人生わからない。
「冗談はやめてください」
そうだよ冗談だで終わらせてもらおうと強行手段に出た。なのに。
「これが君には冗談に見えるのかい?」
男は私の髪を掬って涼やかな笑みを浮かべる。
「こんなにも本気で君を求めているというのに」
墓穴。掘ったわ。
最悪だ。最悪。やばい、逃げ場なくした。
「やっ、やめてください!私そういうの慣れてないんです!」
「……そうか」
しぼんだ勢いにホッと胸を撫で下ろす……のは少し早かったらしい。
「なら私で慣れればいい。初々しい反応がとてもソソられる」
そそられないで。お願いだから、面倒だと思って。そんな追い詰めないで。ほんとどうすればいいか分からないから。
「——何をしている?」
聞き慣れた低いバリトンに私はパッと顔を上げた。逃げる口実ができた。と勢いよく駆け寄る。
「お帰りなさ——」
「資料は出来ているんだろうな」
足が止まった。
「え、資料……ですか?」
「……連絡しただろう」
さぁっと血が引いていく。
確認してない。うん、まずいねこりゃ。
「……できてないんだな」
「いっ今すぐ、やります!」
初の失態だ。今までそんなミスしたことなかったのに。申し訳ございませんを連呼しながらスマホを確認する。
その様子を黙って見ていた男はそうかと少し沈んだ声を出す。
「じゃあ、ディナーは難しそうだね」
忘れていた、……と言ってはダメだってことぐらい分かっている。
少し目を泳がす。何と言うべきか。……というわけですので、お引き取り下さい、とか?
何故私はこんなに追い詰められているのだろう。いざ逃げられるとなったのに素直に喜べないどころか、窮地に瀕している。全ては男の誘いを上手いこと躱せなかった私が悪いのだけれど。
「……仕方ない、今日は帰るよ」
男の言葉に今度こそ胸を撫で下ろした。勝手に諦めてくれて助かった。
安堵の息と共に感じていたストレスを吐き出した私は、少し油断していた、のだと思う。
何の力も入れてなかった手が掴まれた。ひょいと簡単に。気がついた時には甲にキスされていた。唇の感触が変に柔らかくてぞわりと鳥肌が立つ。
男は私を見て何を勘違いしたのか、これでもかというくらい甘ったるい表情で暇の挨拶を述べる。
「またね、ディアナ」
「…………はい」
歩き去っていく男の背を呆然と見送る。
あまり会いたくないとは流石に言えなかった。
「……って、資料!」
ハッと我に返って叫ぶ。
「早く戻らないと……っ」
駆け出そうとした私を主が押しとどめる。もう一度進もうとしてもビクともしない。
「主様?どいてくれませんか?」
「何故そんなに急ぐ」
「え、だって仕事が……」
「あれを信じたのか」
私はゆっくりと主の顔を見上げる。
「嘘に決まっているだろう」
何当然な顔して言ってんだ。
衝撃の事実に私の目が今までにないほど、眼球が落ちそうなほど開いていく。ぎしりと奥歯が軋んだ。
「……ないんですか?」
「そんなに仕事したいのか?」
「……いえ」
「じゃあいいだろう」
いくない。
こっちは本気で焦ったんだよ。
一気に心労がかさんだんだよ。
なんでそんな嘘つくんじゃボケェ!と呻いて、そこで浮かんだ一つの疑問。
わざわざ嘘をついた理由は——と考えて勢いよく主に振り返る。気付いたたった一つの可能性に胸が期待で膨らんでいる。
「もしかして……私のこと助けてくれたんですか?」
その声が届いたのか主がゆっくりと振り返る。伏せがちな瞳に胸がドキッと跳ねる。
「……実はな」
ゆっくりと上げられた瞳は物憂げで、……どうしてそんなにも色気があるのだろう。
「最近、会ってないんだ——」
確かに主に会ったのは四日ぶりだ。
主に限ってまさか、そんなとか思いながらも心の奥底では期待している。私と会いたかっただなんて——
「——ブランに」
「……ぶらん」
一瞬の間空けて、そっちかーーーーー!!!と心の中で絶叫する。
「お前がいないとブランに会えない」
「……さいですか」
猫。
私より猫。
嘘を捏造してまであの男を追い払ったのは、猫のため。
——トキメキを返せよこの野郎!!
やっぱり私には経験値が足りてない。