社会人と言えば一人暮らし、だよね?
間が空いてしまってすみません(´・ω・`)
暫くこの頻度になりそうです(´;ω;`)もうしわけございません
「うん?」
濡れた雑巾で床を擦りながら顔をあげる。
ブーとブザーのような音が聞こえた気がしたのだが。
「……気のせいかな」
顔を戻して、再び腕に力を込めた瞬間。
ブーーーー
「……やっぱ鳴ってる」
どこから聞こえるのかウロウロして、やっと見つけた壁に着いたモニター。その下には沢山のボタンが付いている。
今だ鳴り止まぬブザーは確かにそこから聞こえてくる。
「……あいつ、説明省きやがったな」
頭を抱えて呻く。面倒くさがりにもほどがあるんじゃないの?
再び鳴るブザー。最初よりも長く頻繁に鳴らされているように感じるのは気のせいじゃない。
口を引き結ぶと、並ぶボタンの中で一番デカイものを押した。
『やぁっと出たぁ!』
もう指疲れちゃったわよ?と可愛らしく唇を尖らせるのはイリーナ姐さん。
「ごめん……これの使い方イマイチ分からなくって」
『またジュードサボったのね……後でボスに伝えておくわ』
「頼んだ」
『任されたわ。それはさておき、真ん中のボタンを囲むように四コボタンあるでしょう?』
「あるね」
『右上の押して』
「押した」
同時にチーンとあのレトロな音が。
廊下の先のドアを見つめれば、それが一人でに開く。なんで勝手に開いちゃってるの。
呆然としたのも束の間、はーい♡と顔を見せたのはイリーナだった。イリーナの顔を見て、手を見て、そこの手にある紙袋に目が点になる。
「……なにごと」
「見てのお楽しみよ」
「……なんか多くない?」
「そう?」
ガサゴソ音を立てながら勝手知ったるように中に入っていくイリーナ。それを惚けたまま見遣って、途中で我に返って追いかける。
「イリーナ、ちょっと待って!」
「なぁに?ってあら……?」
こんな所に靴?
廊下に敷かれたラグに沿うようにキッチリ並べられた靴を見遣って、イリーナが呟いたのが分かった。
「ここで脱ぐのね?」
「あ、うん、そう」
「これが……へぇ」
頻りにふぅん、へぇと頷きながら靴を脱いで揃えるイリーナ。
「これが“和の心”ってやつ?」
「……ただ単に落ち着かなかっただけ。郷に入ったからには従うべきだって分かってるんだけどね……靴脱がないと家に帰った気分になれなくて」
「リラックスできる方がいいんじゃない?ハヅキの家なんだから」
あ、やっぱり、そうなんだ。
「本当に私の家なんだ」
「そんな雑巾片手に何言ってるの……」
こんな、きっちり磨き上げておいて。そう言われて下を見れば空が移るほど 輝くフローリングがある。
土足可の場所を土足厳禁にするために必死に掃除をした成果だ。
「いきなりこんな綺麗で豪華な高層階のワンフロアを家って言われて現実味ある?」
「どうかしらね」
「私は五回頬を捻った」
「せめてつまむ程度にしなさいな」
「おかげでパンパンです」
「だから赤いのね」
そうなんです。
私は頷きながら眼下に広がるニューヨークのビル群を眺める。誰もが一度は憧れたことがあるんじゃないだろうか。フワッフワのガウンに身を包み、ワインを飲みながら眼下に広がる夜景を眺める——なんてシチュエーション。
いつかやってみたいとは思う。
「まぁいいわ。とりあえず用事を先に終わらしてしまいましょう」
「『先に』?」
「ええ。陽が沈んだら外を案内してあげるわ。ここにいるのも長いから、どこで何を買うか教えてあげる」
「あっ、それは嬉しい」
どこで買い物すればいいのか分からなくて悩んでいた私にとっては有難い申し出だ。
とりあえず座っておくれとソファを指差す。座り心地は抜群のブラウンのソファ。それは私の私物ではなく、元々ここにあったものだ。ほどよく品があり、尚且つ部屋の雰囲気にあったそれはジュードが適当に買い集めたと言っていた。
実はソファだけではない。ソファの前に置かれたガラステーブルだったり、壁に掛けられた文字盤のない時計だったり、果ては寝室のベッドまで、全部、ぜーんぶ、ジュードが選んだらしい。
正直このシンプルさは嫌いじゃない。寧ろ好きだ。だからこそ若干複雑である。何故あんたが私の好みを理解しているのかと。尋ねたところで返ってくるのは「はぁ?お前の好みなんて知るか」な答えだろうから聞きやしないけど。
「さっそくだけど」
ソファに優雅に腰掛けたイリーナは紙袋の中に手を突っ込んで色んなものを取り出しては並べ、取り出しては並べを繰り返し……あれよあれよの間に小店ができた。
紙袋のどこにそんな沢山のものが入っていたのかという疑問はこの際捨て置く。なんたって私の目の前に置かれたのは、なんとまさかの。
「あいぽん?」
「iPh○neね」
「私の?」
「そうよ」
「なんで?」
「連絡手段が無いと不便でしょう?」
私が聞きたかったのはそういうことじゃなかったのだけど、憧れのiPh○neが私の物になる嬉しさから小さな疑問は追い出してしまおう。
「めっっっっちゃ欲しかったの!!!ありがとうイリーナ!」
「礼を言うならボスとルシアンにね。金を出したのはボス。買いに行ったのはルシアンよ」
あ、知らない間に借りが増えてる。考えたらこの部屋も、家具も、なんもかんもが貸しになっているのだろうな。考えれば考えるほどダークサイドに落ちそうな事実に目頭が熱い。
「喜んでくれてよかったわ」
「……喜んで入るけどさ……うん」
「どうしたのよ?見て欲しいものがあるんだけど」
「……なにさ」
すっと差し出されたのは手のひらサイズの一枚の紙。
真っ白なそれに目をやれば、捲ってと言われる。
言われるままに手を伸ばし触れた感想は、とても滑らかな手触りであること。
次に思ったのは何だ、これ。
小さな紙の中には沢山の情報があった。会社名、人名、役職名、ケイタイアドレスにケイタイナンバー。
その中で見覚えあるのは会社名と役職名のみで、後は全く知らない。が、問題なのはその役職に就いているのは唯一人のみであり、それが私であることだ。
「……イリーナ?」
「あなたのよ」
「……名前が違うけど?」
「あなたのよ」
イリーナ曰く会社ではその名前を名乗って欲しいとのことだった。
「わざわざ偽名にする必要あるの……?」
「ジュードからボスの正体が知られたらマズイということは聞いたわよね?」
こくりと頷く。
「代理人だけがボスの招待を知っているということも?」
「うん」
「では、ボスの招待を知りたくて知りたくて仕方の無い人はどのような手段を取ると思う?」
「代理人を脅す?」
「では、どうやって脅す?」
「殺すぞ?とか?」
「それでも吐かなかったら?」
「……周りの人を、人質、にとる……」
「その通りよ」
イリーナは頷きながらだから偽名を名乗るのと答えた。
「じゃあ、……イリーナも偽名なの?」
そう考えるのは当然の流れだと思う。今まで名乗られていた名前が偽物だとしたら、ちょっと、いや、結構傷つく。
そんな私を見てイリーナは笑いながら違うわよと言う。
「私達は偽名というより昔に名前変えちゃったの。だからこれはある意味偽名でもあり、本名でもある。他に呼ばれたい名前なんて持ってないから安心してこれを使って?」
「……色々聞きたいことはあるけど、分かった」
「他に偽名を使うことについて疑問は?」
「ない……かな」
ほんとうに?と顔を近づけられて少しだけ後ずさる。美人のどアップは迫力がすごい。
「ないんだけど……」
「そう?……でも、浮かない顔してるわ」
眉をハの字に垂らしたイリーナに向けて慌てて手を振って違うということをアピールする。
「偽名自体は別にいいんだけどっ……なんというか、名前が大層すぎやしないかと」
「ディアナ?……月の女神がってこと?」
結構多い名前よ?と言われても困惑するしかない。
「ハヅキだって月に関した名前じゃない」
「いや、私が気にしてんのは女神の方……って」
そこまで言い募ってからイリーナの言うことに疑問を覚える。
「私の名前知ってたんだね……いつから?」
「ノーコメントよ」
「ファミリーネームもその分だと知ってるんでしょ」
私は名前を聞かれた時、下の名前しか、しかも音でしか伝えたことはない。だから皆は私をハヅキと呼ぶ。
「……今更文句なんて言わないけどさ」
正しくは言う気にもなれない、だ。調べたのも彼らの好奇心からというわけではないだろう。一緒に暮らした約二年の間に、彼等が自身の好奇心を満たすためだけに動くことはないと知っている。
そこには必ず主と私の契約を達成するためという明確な理由があった。恐らく、今回のことも契約に関わる何かじゃないかと思う。
「……勘違いしてるみたいだから言うけど、調べたわけじゃないのよ?偶然だったそうなの」
「……ほんとう?」
「今更嘘つかないわよ。状況はよく知らないけどね」
続きはボスにでも聞いてちょうだいと言われてしまっては黙るしかない。
「私がそういうこと主様に聞けないって分かってるくせに……」
「なんで聞けないのよ?これぐらいなら答えてくれると思うわよ?」
「だっ……て、緊張とかさ、こんなこと聞いてもいいのか、とか葛藤がさぁ……」
「?よくわからないわ」
私もうまく説明できないんです。
「もういいや……一生の疑問としておこう」
これは諦めた方が楽だなと早々に投げる。
この人達と付き合うには諦観の念がひとつまみほど必要なのだと思えば何の問題もない。
私は机の上の妙な存在感を放つ一枚の紙をもう一度持ち上げる。
名刺の方には『ディアナ・ブランシェット』という名前が印刷されている。
「他にもあるわよ」
いくつかパターンがあるにも関わらずそこに小野葉月の名前で作られた名刺はない。
「文句はないけどさ……」
せめて、建前上だけだとしても小野葉月の名刺を作って欲しかった。
その後渡されたものの説明やら、ジュードがサボった部屋の機能の説明やらを受けた。
部屋のブザーがなったのは、ボタン一つでカーテンの開け閉めが出来ることを聞いている時だった。これはジュードに最初に説明して欲しかったなと思いながら開けに行く。
プライベートフロアの部屋は全てエレベーターと玄関が直結している。どうやって鍵の開け閉めを行うのかと言えば、モニターの下のボタンを押すことで設定を弄れるそうだ。ロックがかかっている階にはそのフロアのマスターキーを持っている人しか行こうとしても行けず、解除してもらえて初めてマスターキーを持ってない人は向かうことができる。
細かい設定も可能で、誰かの鍵を一時だけ私の鍵と同じ扱いにすることもできるそう。そうすれば不在時にその人は一度だけ私の部屋を出入りすることができるなど。
「どうだ?ディアナちゃん?」
「うわぁ……めっちゃはらたつ。バニー呼ばれるより腹たつ」
「イライラするんなら後でジム行ってこいよ。なんなら相手してやってもいいぜ」
ニヤリと笑うジュードに冷めた目を送る。ボッコボコにしてやる。
「そんな顔していいのか?俺はこいつを連れてきてやったのに」
「あ……ブラン!!」
「にゃぁ」
ケージの中にいたのは今朝方別れてきた愛猫だ。そういえば朝の時点では家が変わるなんて知らなかったので、そのまま部屋に残してきたのだ。当分ホテル暮らしとばかり思っていたのだ。
ブランを腕に抱えながら、ジュードに礼を言う。
「嫌そうな顔だなぁ」
「あ、わかる?」
「わかるだろ」
どうする?ジム行くか?と再び問われて内心ひきつる。さっき案内された時も思ったが、どれだけ体動かしたいんだ。一人で動かしてこいよ。
結局体が固まっているのもあって、夕食前にと頷く。それまではイリーナと買い物だ。
帰宅後、着替えて(服は備え付けのウォークインクローゼットに大量に入っていた)エレベーターを乗り換えながら下に降りる。定時を過ぎて約三時間は経つというのに、ジムの中に人は結構いる。社員には使用料がかからないとあって使う人は多いようだ。
トレーニングマシーンには目もくれず、二人で奥の闘技場に向かう。
軽く組手しながら様子を見る。
「これから朝と夜どっちがいい?」
打ち合いをするのはどの時間帯がいいのか聞いているようだ。
「朝六時」
朝シャンするにもそれぐらいなら始業に間に合う。
「分かった。今日はとりあえず流しだけな。……質問あるなら聞くぞ」
突然の質問に面食らう。その顔面に裏拳が飛んできたもんだから、危なっ!と声を上げながら体を反らす。
ニヤリと笑ったジュードににゃろうと唇を噛む。そのまま地面に手をついてジュードの伸びていた腕に足を絡め、体を捻る。しかし、極める前に逃げられた。
「あっぶね」
「どっちが……!」
結局軽い打ち合いですまないのはご愛嬌ってやつだ。
汗を拭う私の横で涼しげな顔をしているジュードに対し、こいつは人間なのかと疑問を持つ。
いつかその顔崩してやると思いながら立ち上がったジュードは戻るかと前を歩き始めた。
ジム内に残っている人はいなかった。二人で静かな廊下を歩き、エレベーターに乗った。
「ねぇ……例えば、なんだけど」
さっき聞くどころで無かったので、今のうち聞いてしまおうとジュードの顔を見上げる。
「もし暴漢が襲ってきたらどうすればいいの?」
「相手を取り押さえるか、お前が盾になれ」
「……わお、過激ぃ」
瞬時に帰ってきた答えに顔を引きつらせる。それに対してジュードは至って真剣だ。
「冗談なんかじゃねぇからな」
ゴクリと唾を飲む。急に空気が重くなったの思うのは錯覚じゃない。
「覚えておけ。主様に傷が着いた瞬間、その時で……俺達は終わりだ」
俺達、という言葉に引っかかりを覚える。
それが主様を頂点とするこのグループ全体を指すのか、主様達四人を指すのか、私も含めた五人か、何れにしても頭に入れておくに越したことはない。
無言の脅しに他ならないそれに私が分かった、と返した瞬間重い空気は立ち消えた。
エレベーター内で聞くべきじゃなかったなと後悔すると同時にエレベーターは止まった。
話の持っていき方下手だなぁと痛感する日々……