晴れて社会人になります(下)
「主様も……代理人って言った?」
「ああ」
「はぁ!?」
なんで会長であるはずの主様が代理人を務める必要が?
頭がマズい。こんがらがってきたぞ。
その疑問にジュードはあっさり答えた。
「主は顔バレしちゃいけねぇけど、このグループをここまで押し上げた力がある。その頭を使わないなんて無駄だろ?」
「いや、だから、なんでそんな二度手間しなきゃいけないのかっていう話で」
「襲われる危険があるからだ」
ジュードは至極真面目な顔でそう言った。
「文字通り?」
「そう。暗殺」
なんだなんだ。突然きな臭くなってきたけど。
「主様と繋がってる人間は多い。各国の主要人物とパイプがある。しかも、主様が頼られるという形で。主様一人が死ねば、簡単に戦争を起こせるぐらいの重要なパイプばかりだ」
「SPとかつければいいんじゃないの?」
「それならきっと命は助かるだろうな」
その言い方では生きているだけじゃダメだと言っているようなものだ。どういうこと?と先を促せばジュードは囁くように言った。
「主様は傷一つつけてはならない」
「ほんの一センチの傷も?」
「ああ、主様は正確に言えば死んではいけない、てわけじゃない。狙われることが問題なんだ。極端に言えば傷がつく、血が流れる、そのことさえ起きなければ問題ない」
傷はつけてはいけない。
血を流してはいけない。
しかし、死んでもいい。
まるで謎かけのようだ。
「主様を代理人という立場に見せかけている理由は分かったか?」
「暗殺される……可能性を減らすため?」
「その通りだ。パイプがあるのは会長のみ。代理人を殺したところでそのパイプに問題は発生しない。逆に警戒を与えることになるから代理人が暗殺の対象になることはない。つまり、主様が代理人である限り主様は安全ってわけだ」
ふぅんと相槌打ったところではたとあることに気がつく。
「ねぇ、このことって」
「我が社の最重要機密だ」
「ですよね!」
「因みに俺ら三人含めた幹部の数人しか知らない。重役だからって絶対口滑らせるなよ?誰が漏らしたかって話になったらお前しか犯人いないからな」
「信用うっす!」
仕方ないということは理解しているのでそこに止める。この話は。
「……でもさぁ。教えて欲しいことがあるんだけどさ」
さっきのは大した問題じゃない。じゃあ何が問題かと言えば。
「——そんな信用ない私が主様の秘書する必要はどこにあんの?」
そう、私はまだ納得していない。
この社会人一日目というウルトラスーパーペーペーの私に、暗殺の危険もある重大な方の秘書を任せるわけに。
「早く吐け!勿体ぶらずに早く!」
「えっとだな……」
「待てるか!」
こっちがどれだけ待ってると思ってる。
余計なこと話す余裕があるのなら先に話せって話だ。
「お前から見てあの方はどんな風に見える?」
なに、その質問は。
首から手を離してチラリと見やればジュードに早く言えと促される。
「……いい男だなぁって思うけど」
「だろう?けどな、そうしれっと言える奴はかなり貴重なんだよ」
「は?」
本当に何の話をしているのかとジュードを睨む。しかし、彼の眼差しは真剣でふざけている素振りは微塵もない。
私は諦めて聞く姿勢を整えた。
「今まで二十人つけた」
何をとは聞かずに待つ。
「そのうちの一人も秘書として役立たなかった。主様を見つめて、若しくは誘惑しようとして、全く仕事にならなかった。……二十人全員がだぞ?諦めたあの方は俺に秘書を頼んだが、俺はそれなりに使える人間なんだ。人材の無駄使いと嘆いている所に現れたのがお前だ」
「なるほど」
私は確かに主に恋愛感情は抱いていない。それなら誘惑なんてしないだろうとの考えだ。
「英語も碌に話せなかったくせに習得スピードがかなり早かったからな。物は試しとロシア語もきっちり教えたが、これがなかなかの采配とでも言うべきか、いい線言ってたもんだから主様の秘書として抜擢したんだ」
「つまり仕事ができる奴が私しかいなかった、と。……女じゃなくて男つけろよ」
「二十人全員が女とでも?」
「……まさか」
「ああ、想像の通りだ」
それは偶然、その男にとって主がどストライクだっただけでは?と聞けば、六人全員?いた彼女を捨ててまで?と返され無言になる。
男女問わずとか凄すぎるな主。
「丁度主様も五年間奉仕させる契約をしたと言っていたから、丁度いいと他の言語も叩き込んだ」
「……まさに計画通りってやつか」
「どうだろうな?」
そう語ったジュードは胡散臭い空気を醸し出している。
大分早い段階で計画を立てていたことに唖然としたが、今更文句も何もない。
「もういいや……」
「諦めたか」
諦めるしかないよね。
「……これから先、私が何の滞りもなく秘書の業務できるようになるまで、私について教えてくれるんだよね?」
もはや私にとって重要なのはその一点のみだ。
「そう言っているだろう?」
飄々さが憎たらしい。
私は不満を押し殺しながら、やりますよ。と呻くように言った。
満足そうなジュードに腹がたつ!
「早速だが」
クルリと体を反転させたジュードが笑う。
「とりあえず電話対応、頑張ってくれ」
全てはそこからだ。言うと同時に電話が静かに鳴り出した。
タイミングの良さが怖い。じゃなくて。
「……我が社の正確な名前やら所属やらなんやら、教えていただけませんかねぇ!?」
* * *
基本的な内容をジュードの資料を基に確認していく。
暫くして私は顔をあげた。
「えーっと……つまり」
「『つまり』?」
「私は、」と切り出す。
「会長『アレクサンドル・イリイーチ』様の秘書という肩書きで、筆頭代理人『ロジオン・シードロヴィチ』様の秘書が私の仕事……ってことでいいんだよね」
正解だったようでああ、とジュードは頷いた。
「ああ、めんどくさければ愛称でもいい。アレクサンドルは『サーシャ』様、ロジオンは『ロージャ』ってなる」
「……アレクサンドル・イリイーチ・スヴェルドルフ様が会長でアレクサンドル・イリイーチ様、愛称はサーシャ様、私はこの方の秘書、ロジオン・シードロヴィチ・ツァレンコが筆頭代理人でロジオン・シードロヴィチ、愛称はロージャ、私はこの人の指示を聞く、……アレクサンドル・イリイーチ・スヴェルドルフ様が会長で」
「やめろ、念仏を唱えるんじゃねぇ」
「ややこしすぎんのが悪い!」
逆ギレなのは自覚している。が、この人名、すぐには覚えられそうにない。
電話対応でパニクっている時にこの名前を言おうとしても言える自信がない。寧ろ取り違えて言ってしまう可能性もある。そうなったらあかん事態が待ってる
これは最重要課題と頭の隅にスペースを作って鎮座させておく。あとで紙に書きなぐって覚えるしかなさそうだ。
早くも挫けそう。
心の中で嘆きながらジュードの説明を聞く。その後はスムーズに覚えられた、と思う。結局頭の中に入れた所で実践してみなければそれが本当に頭の中に入ったのか分からないのだけれど。
とまぁ、そんなことを思っていると再び電話がなった。私の真隣で。
うそん。呟きながらジュードを見れば素早く離れたジュード。
その顔は早く取れと言っている。
とりあえずさっきはジュードに受話器をパスすることで何とか事を為した。
だが今回は、ジュードは我関せずといったかんじで遠くからニマニマ見ている。しかし、この間も鳴り続ける電話。早く出ろよ、と怒鳴られている気になる。
震える手で受話器に触れる。
さっき会社の名前もきっちり教わった。電話の出方も教わった。だから出ることは出来るはず、なのだが。
私は今回も受話器を掴み上げた瞬間にジュードへと向けて投げつけた。うん、子機でよかった。
ジュードは真っ直ぐ飛んできた子機をついキャッチしてしまった自分の手を、憎々しげに見ながら電話に出る。
相手を待たせたのだから最初から対応できる人が出た方がいいに決まっている。私はジュードの対応を聞きながら頭の中にその姿、言葉、何をメモしているかをピンで留めていく。
私もそれができるようにならなければいけない。……だけど、今日は甘えさせてくれ。私のメンタルじゃぶっつけ本番無理なんで。
「お前なぁ……」
「甘んじて怒られるが謝る気はない」
眉を釣り上げるジュードの前で私は背筋を正す。その姿は堂に入ったものだろう。
「……聞いてて分かったと思うが、ここにかかってくる電話は基本的に社内からの電話だ。そんな怯える必要はないんだよ」
「だとしてもお手本はあるだけいいと思う。ってわけで先輩、今日だけはお願いします。明日から頑張るんで」
「……お前に先輩て言われると鳥肌が立つな……」
なんて言い種だ。
心の中で鬼畜野郎!と散々罵倒しながら黙って説明の続きを受ける。
途中イリーナがやってきてジュードは自身の仕事を彼女にたんまり押し付けて行くぞと私の腕を掴んだ。
イリーナは笑顔で言ってらっしゃいと言う。
「後で遊びに行くから」
遊びに行く?どこに?
イリーナの言葉の意味を理解する前にジュードによって部屋から連れ出され気付けばまたエレベーターに乗っていた。
今まで乗ったのとは違う。何故わかるかって数字の書かれたボタンがあった。たった十個だけだったが。
それで一番下まで下がるとエレベーターから降ろされ、また違うエレベーターに乗せられた。そこは今までと違い、とても広い。優に三十人は乗れそうだ。そのエレベーターにはボタンが大量にあった。見慣れたエレベーターだ。
ちょっと待って欲しい。
このビルにエレベーターいくつあるの?
「このエレベーターは一階から八十五階まで行ける。そっから先は俺たち代理人しか入れない」
「……ほう」
「とりあえず一階のエントランス行くぞ」
「……あいさー」
「発音酷いな」
日本語での発音ですからねー。
ジュードはそれから私を引き回した。社内の案内らしい。ここは何。ここのフロアはどこの部門。あそこから先は何々。一気に説明されて覚えられると思う?と告げた私にジュードは一言。
「覚えろ」
「……はい」
「渡した資料の中身もな」
「……ふぁい」
「明日までだ」
「……」
この鬼畜野郎!
結局エレベーターは合計で十基あった。正確に言えば十基あるらしいだが。
そのうちの一つが最初に乗ったエレベーター。最下層の地下駐車場からしか乗ることが出来ず、窓の無いスイートルーム階から下十つのフロアのみ立ち入ることができる。そのエレベーターを動かすためにはあの円盤状のキー、そして、登録された人間の特定の指の指紋が必要だという。円盤を押し付ける際にその指定された指も一緒に押し付けると照合され、それでようやく動くというわけだ。フロアによって違う指が登録されているそう。つまり、階数の指定は指紋で行う。
私の指も勿論登録された。メモしようとしたらするなと言われた。理由を問えばセキュリティのためだそう。当分好きな階に辿りつけないと思われ。因みにこれは年に数回登録の変更があるそうだ。畜生!!
他七つは例の高層階以外のフロアに行くことができる普通のエレベーター。若しくは運搬用エレベーター。
そして最後の一つがスイートルームの階にあるらしい。それだけが最上階まで行けるエレベーターであり、それを使えるのは会長サーシャ様のみ。スイートルームの上に二つのフロアがあり、そこが会長のプライベートルームになっているとジュードから聞いた瞬間思わずズルいと叫んでしまった。
「ズルいってお前なぁ」
「え、だって会社に住んでるってことでしょう?」
「お前の家もあるけど?」
私はゆっくり振り返る。
「わんすもあ」
「……発音ひど」
「もう一回!!」
「……お前の家もこのビル内にあるって言ってんだ。どちらかって言えば、プライベートルームな感じだけどな」
そんなことってあるのだろうか。
ただの新人社員が。会社内に家を持つって。何かドッキリの一種だったりするんじゃないだろうか。
「俺とイリーナ、ルシアンの家もある」
「え!?……もしかして会長の正体を知ってるメンバーが住んでる?」
「そういうことだ。お前のはここ、プライベートフロアの四階な」
例の指紋認証が必要な高層階のことをプライベートフロアというらしい。覚えておこうと思っているとジュードにエレベーターから引きずり降ろされた。
「どうだ?お前の家は?」
「……全部見てないからまだ何とも……」
「そうか、じゃあ俺が案内してやる」
「うぇっ!?ちょっと待って……!」
止める前にジュードはスタスタ進んでいく。勿論土足で。
今までは郷に入っては郷に従えだと、気にしないように努めて生活してきた。しかし、自分の家ではないからそう思えたわけで、これが——自分の家となるとそうはいかない。
「——止まれ!!」
剣呑さを含んだ私の一喝にジュードの足が止まり上体だけ捻って私を見る。
寸刻開けずに私は再び言い放った。
「ここは今から土足厳禁だ!!!」
私の城を踏み荒らされてなるものか。
説明的文章が続く&尻切れ蜻蛉ですみません(´・ω・`)