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お嫁に行けません……!(下)

月のものの表現あります。




   *    *    *




 翌日、鈍い痛みで目が覚めた。

 イリーナはそばにいなかった。少し離れているようだった。


 広いベッドの上で独り蹲る。

 下腹部に走る鈍痛は時間の経過と共にどんどんと酷くなっていく。

 体をくの字に曲げて堪えようとするも、冷や汗浮かべた体が警告を発していた。

 とりあえず水を、と立ち上がれば何やら下着が気持ち悪い。ぐっしょり濡れている感覚がする。この歳でまさかおねしょ?と顔から血の気が引いたのが分かった。


 痛む腹を抑えながらトイレに駆け込んだ私は、下着に染みた赤いものを見て小さな声をあげる。

 それを見ただけで今までの自分の体調不良のわけを全て理解した。

 今の自分の体の状態を理解すると共にやらかした、と顔を歪める。粗相をしたのには変わりない。




 バンっと廊下に凄い音が響き渡る。壁にドアが当たった音だ。いつもであれば強く押しすぎたと首を竦める場面だったが、今の私はとにかくパニックになっていてそんなこと気に留める余裕なかった。


「い、イリーナ……」


 焦りにまみれた声で今頼れる人物の名を口にする。


 イリーナはどこ?

 どこにいるの?


 額から流れ落ちる汗を拭いながら彼女の姿を探す。

 彼女は休日をズラすと言っていた。つまり、今日はまだ城内にいるはずなのだ。


 だが、イリーナよりも先にジュードとルシアンを見つけた。というよりか、二人はこちらに向かって凄い勢いで走ってきた。

 ジュードとルシアンの顔を見た瞬間に私はイリーナはどこ!?と縋り付いた。


「今、イリーナはだめだ!それよりもお前どこか怪我して——」

「イリーナのとこ行かないと……」

「だからイリーナはダメだって!!」


 イリーナがダメってどういうことなの?


 ジュードじゃ埒が明かないと思ってルシアンの方を振り向くも、彼もイリーナの所には行かせないよと硬い声で返した。彼らしくない険しい表情に少しだけ怖気付く。しかし、焦燥感の方がそれを上回った。


「なんで……!?」

「とにかく怪我の手当てを……」

「——怪我なんてしてない!!」


 さっきから見当違いのことをいうジュードに私は募る苛立ちを露わにした。

 と同時に私は探していた気配に気が付いて勢いよく振り返る。廊下の先に彼女が姿を現したのだ。



「——イリーナ!!やっと見つけた!」


 その瞬間ルシアンとジュードが明らかにしまった、という顔をした。その一瞬の隙をついてジュードの横をすり抜けるとルシアンが目を見開いたのが見えた。


「っ、戻れ!!」


 焦った声が背中にかかる。


 だが、聞くわけがない。ジュードは男だから、ジュードじゃ訊けない。イリーナじゃなきゃ。女であるイリーナでなきゃ——


 そうやって顔を上げた瞬間、目の前にイリーナがいた。

 廊下の先にいたはずなのに。そんな数メートル単位の距離じゃない。数十メートルはあったはずだ。

 それの意味することが理解できないまま、勢いのまま踏み出されたもう一歩が床につく直前、私の体は乱暴に引き倒された。


「……っ!!」


 予想だにしなかった動きに受身を取る暇すらなく、私は思い切り背中を打った。

 

 何すんの!と怒鳴ろうとすぐさま体勢を起こす。が、目の前に立ち塞がる大きな背中と、その先に見えたルシアンに羽交い締めにされるイリーナに、私は言葉を失った。


「イ……イリーナ?」


 問いかけの声が恐る恐るになったのも仕方のないことだと思う。

 私の視界に映る彼女は俄かに信じられる姿ではなかった。


 

 長い髪を振り乱し……唸り、歯をむき出しにして何事かを叫ぶ。


 そんな姿を想像したことがあっただろうか。彼女が取り乱す姿なんて一瞬でも思い浮かべたことはない。寧ろイリーナの皮を被った誰かと言った方がしっくりくる。

 そう思ってしまうほど彼女はイリーナではなかった。



「来い!」


 放心した私の腕が引っ張られる。見上げればジュードが途轍もなく不機嫌な顔で私の腕を引いた。

 今更私もイリーナに近付こうと思えなかった。

 視界の先でイリーナは意味不明のことを叫び続けている。それを必死に押さえるルシアンも奥歯を噛み締めている。


「早く!」


 苛立った声にようやく口が動いた。


「……腰」

「あん?」

「抜けた……」

「……チッ」


 たった数文字で理解したらしい。ジュードが乱暴に私の体に手を回した瞬間、私は「あ」と間抜けな声をあげた。

 イリーナがルシアンを蹴り剥がしたのが見えたからだ。

 自由になったイリーナは真っ直ぐに私に向かって跳躍する。まるで美しい豹のようだと思った。

 鋭い爪が、私を掴もうと宙を掻く。


「くそっ……!!」


 ジュードが私の体を放って、代わりに前に出た。私が床に転がるよりも大きな音が——ゴッと、岩と岩がぶつかったかのような音が城内に響き渡った。

 一秒経って、それが二人の頭蓋が当たった音だということに気がついた。


「……行け!!」


 ボンヤリとそれを見ている私にジュードが叫ぶ。


 ……行けって、どこに?


 どこに行けばいいの。こんな痛むお腹で。

 このまま蹲っていっそのこと意識を失いたいくらいには痛い。


 壊れたように首を傾げた私の視界が暗くなったのは本当に突然だった。真っ暗になって緩慢な動きで顔を動かせば、穏やかな声が降ってきた。


「落ち着け」

「……え……あ、るじ、さま……?」


 それに対する返答は与えられないまま、額に柔らかなものが触れる。


「少し眠ってろ————」


 急激に遠くなる声を危うげな意識で聞きながら、私は目を閉じた。





 再び意識が浮上した時、私は自室のベッドの中にいた。


 寝転がったままで、私はいつ寝たのだろうとぼんやり考える。


「寝た覚えが……」


 あれぇと寝返りを打った拍子に、股の間からとろりと何かが漏れ出る。

 その瞬間に私の意識は覚醒した。


「な、ナプキン……!」

「……なんだ?」


 はねおきて思わず日本語で叫んだ私に帰ってきたのはバリトンボイスのロシア語。……え、ロシア語?


 見たくないけれど確認しなければ、そのために恐る恐る下を見た私は灰色の瞳と目があった。

 盛大に悲鳴をあげる。それに対して主様は眉を顰めただけだった。


「いっいいいつからそこに!?」

「ずっとだな」


 平然と言われて更に焦る私は、どのように言えばいいか分からず口の中でまごまごする。


 血はついていませんか?なんて大っぴらには流石に言えない。

 とにかく恥ずかしい。

 そんな私の感情を知ってか知らずか、主はことも無さげに生理か、と言った。


「いっむぐぅ……まさか血がついてっ……」

「まぁ、そんなところだ」

「いやあああああ」


 堪えきれなかった悲鳴が口をついて出る。折角一度目は我慢できたのに!

 

 よくよく見てみれば自分の服が変わっている……気付かなければよかった。



「ねっ姐さん……イリーナが風呂に入れてくれたんですよね!?」


 んなわけあるか、と私自身のツッコミは総無視(フルシカト)とする。

 さっきの様子を見れば聞くまでもないことではあったが、僅かな希望に縋らせてくれ、後生だから!



 主に縋る視線を投げれば少々顔を顰めたがどうやら何かを教えてくれるらしい。期待して見上げた所苦々しい表情を向けられた。


「……イリーナは失恋したそうだ」


 ——それじゃない。

 私が今一番知りたいのはその情報じゃない。


 望んだものでない言葉に勢い萎んではぁ、と相槌を打つ。


「寝取られたそうだ」


 え、なんの話してんの。


 困惑する私を他所に主の話は続く。


「イリーナの男を寝とった相手は、お前に似た雰囲気の女だったらしい」


 落下点がなんとなく見当ついて私は口を噤む。


「お前がその女に見えたそうだ。殺してやるつもりで襲いかかったらしい」

「……なるほど」


 うん、想像してた昼ドラ展開だ。襲いかかった相手が私じゃなく、その寝取り女だったら完璧だったね。


 イリーナ姐さんにも嫉妬心はあったらしい。嫉妬は恐ろしい。あんなにも美しい人すら化け物に変えてしまう。

 ……といっても限度があると思うけど。


 そもそもあれは嫉妬心で片付く問題なんだろうか。

 実は私のことをめちゃくちゃ嫌っているという線も一瞬考えたが、イリーナ姐さんに限ってそれはない気がする。お姐様は恐らく嫌いなら嫌いというタイプだ。彼女はいくらか柔らかい口調に変換はしても思ったことは口に出していた。



「泣きながら謝っていた。怖がらせてすまないと」

「……そうですか」


 主は私達の仲を気遣って嘘をつくような面倒くさいことをしない。従ってそれは事実なのだろう。

 嫌われてるわけじゃないと分かって私は胸を撫で下ろした。



 さて、イリーナ姐さんの行動の謎を解明した今、残る問題はあと一つ。


「——で、私をお風呂に入れてくれた方は」

「……考えない方がいいこともあるんじゃないのか?」


 その台詞(セリフ)が全てを物語ってるじゃねぇか、畜生!!

 なんで今まで焦らした!?



「おっ……お嫁にいけない……」


 さめざめと涙を流す。何故隠すのか。考えれば分かることだ。

 全て見られたんだ。主に。しかも僕の分際で体(下手したら下着も)洗わせたんだ。

 居た堪れず、うわあんとベッドに突っ伏せば、主が気にするなと言う。


「嫁き遅れたら私がもらってやろう」

「……流石に笑えません……」


 冗談を言っていい場面と悪い場面があることを知っているだろうに、そんな軽口を言う主を涙目で睨む。


「例え本気だったとしても、主様のような整った顔の人を夫にするつもりはありません」

「……何でだ」


 少しはショックを受けたような声に驚く。

……まぁ、振られたこと無さそうな顔しているもんね。


「……自分に自信がないので」

「それで?」


 いや、それで分かってください。

 と心の中で告げるが主は本気で分かっていないようだった。

 癪にさわるが説明を付け足す。


「相手が魅力的であればあるほど、相手の浮気を疑うんですよ」

「どうしてだ」

「……相手はかっこいいのに、私はブスだからですよ!私程度の女、いつ捨てられるか分かったもんじゃないんです!」

「何故だ」

「相手はより取り見取り、いい女選びたい放題。私はブスだから相手を繋ぎとめられません。相手の周りにはもっといい女がいっぱいいるから私のようなブスは価値が無いに等しいんです」


 分かっているのでしょうか、主様は。私の心が今とんでもなく抉られていることを。

 ブスとただ思ってるだけなのと、口に出すのとでは負うダメージに大きな差が出る。

 それに対して主は顔を顰めてそんな男がいるのか、と呟いた。


「いや、そうじゃなくて……自分がただ卑屈になってそう思ってしまうから、というだけなんです……」

「どうして卑屈になる?」

「私がドブスだからですってば!!」


 何度言わせるつもりだ、このクソ親父!!


 もういい。何が起きても構わん。

 沸点に達したままに叫んでやろうかと思った私の顎を掴む手があった。

 

「……そうか?」


 何を言うのかと見つめれば、主の口が私の右耳に触れる。そして一言。


「——俺はお前を可愛いと思っているが」



 一発K.O.でした。


 火照った顔から湯気が出る。


 凶器だ。主の声は凶器。主は声だけで私を殺せる。

 現に私の腰は砕けている。


 主の顔がまともに見れず、私は布団の中に潜り込んだ。

 そんな私を主がからかうように笑う。


「いつでも嫁に貰ってやる」

「結構です!!」


 力一杯叫んだ私に主がまた笑った。



 それから一週間。主は私の部屋にずっといた。仕事は三人衆に任せたらしい。聞けばブランと遊びながら、偶には休ませてくれ、だってさ。


 主のお休み二日目に主は小さな包みを持ってきた。それの中身はナプキンだった。


「え、まさか、主様が……」

「買ってきたが?」


 ええ、全力で謝りましたとも。

 もうね、羞恥心なんてどっか飛んでったわ。はは……。



 それからきっちり一週間後、朝一でイリーナが訪ねてきた。

 あの日はどうかしていたと頻りに謝る彼女に、一週間考え抜いたことを申し出た。


「……買い物をさせて、ですって?」

「うん。それであの日のことはきっぱりすっぱり忘れるよ?どう、安いと思うんだけど」


 彼女が私に負い目を感じることは分かっていた。だが、私としては別に謝られるようなことではない。確かに怖い思いはしたが、私に怪我一つなければ精神的打撃もない。寧ろイリーナの方が辛いはずなのだ。

 つまり、その申し出はイリーナの謝罪を止めるためだけに用意したものだ。


「私は前から買い物に行きたかったし、不本意だけど、イリーナの言う償いにもなると思うの」


 姉妹でウィンドウショッピング、楽しいと思うんだけどなぁ、と上目遣いに言えばイリーナは私を抱き締めて可愛いと悶えた。

 可愛いとか言われて有頂天のまま二人で買い物に行く。主はあっさりと許可をくれた。

 何で今までくれなかった、という恨み言は胸の内で消化する。



 久々の買い物はとても楽しかった。

 あのモッサリ帽子が欲しいと思ったけど、これから暖かくなっていくのに無駄だろうから我慢した。

 そんな私にイリーナは可愛い髪飾りを買ってくれた。髪が伸びてきたから使って、と。


 ロシアに来てからもう一年半以上が経つ。

 坊主だった髪も、肩につくぐらいまで伸びていた。


 紅いクリップ状のそれをありがとうと受け取る。



 二人で歩いた帰り道。道端では花が咲き、蜜を吸おうと蝶が舞う。ぽかぽかとした陽気はもうすっかり春だ。

 準備期間終了までこの時、残り一月になろうとしていた。



今までストレスやら、体重の減りすぎやらで生理が止まってた葉月ちゃん。あの痛みは経験しないと分かんないよね(´・ω・`)

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