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なんでこんなことになったのか(下)

いつもより文章量多めです



「にーーーーー!!!!」


 主に首根っこを掴まれた子猫が泣き叫ぶ。とんでもない怯えようだ。半狂乱になっている。


「……臆病だな」


 そんなレベルの話ではない。


「え、あ、あのすみませんっ、その子をこちらに……」


 どういう反応が返ってくるかか予想できず、私もビビりながら主に向かって手を伸ばす。


 しかし。

 主は子猫から手を離すどころか摘み上げたまま胸元の毛を弄っている。


 首根っこを掴まれながらも空を蹴る子猫には申し訳ないが、ちょっと可愛い。ともすれば緩みそうになるほっぺを引き締め、もう一度すいませんと声をかければようやく私の元へと子猫が返ってきた。

 一生懸命頭を押し付けてくる子猫は服の中に隠れたいらしい。私はパーカーのチャックを少しだけ下ろすとその中に子猫を押し込んだ。

 それでもまだ震える子猫の頭をゆっくり撫でてやる。これが最後の触れ合いになるかもしれない。私が愛情込めて子猫を撫でているとこちらを見ていた主が複雑そうにする。


「それは、どうなんだ……」

「なにか……?」

「……いや、なんでもない」


 かなり何か言いたそうではあったが、主は口を噤んでしまった。

 彼は遠慮なんてするような性格だっただろうか。

 子猫の頭を撫でながらつらつら考えていると、主は静かな声でジュードを呼んだ。そんな小さな声で、と思ったのだが一拍遅れて扉が叩かれる。


 え、今の、聞こえたの。


 六畳ぐらいの小部屋じゃないんだから、と呟くと同時に蝶番の音が辺りに響いた。


「失礼いたします」

「……は?」


 部屋に入ってきた男の頭からつま先まで目が二回往復する。


 うん。確かに姿も声もジュードだ。

 しかし、私は眉を顰めて誰だよ、と呟く。

 私の知るジュードはこんなにも丁寧な話し方をしない。こんなにも上品に動かない。


 戸惑う私の前にジュード(であるはずの人)が立つ。


「ハヅキ殿はご機嫌麗しゅうようで」


 その人に手の甲へキスをされた瞬間背筋に悪寒が走った。


「きもちわる……」


 堪えきれなかった本音が口からポロリとこぼれ落ちる。

 慌てて口を押さえてももう遅い。

 口から出た言葉は二度と取り戻せないと知っていたのに。



 あああああなんで主がいるこのタイミングで……!


 またジュードに失礼なことを言ってしまった。主を以前怒らせてからは失礼はないよう気をつけていたというのに。


 また怒られることを覚悟に恐る恐る振り向く。だが、私の目に飛び込んだのは腹を抱えて笑う主の姿だった。


「おい、ジュード、ククッ……お前気持ち悪い言われてるぞ」

「……うるさいです」

「だってお前……クックックッ……」


 どういうことですか——

 目の前で広がる光景はなんなんですか。


 ——前、あんなに怒ったのはなんだったんですか!!!?



 主は前ジュード達を軽んじたと言ってブチ切れた。

 なのに、今主は軽口を叩いたことに怒るどころか、笑っている。今までニコリともせずにいたあの主が。どんな時も機嫌悪い顔をしていた主が。


 今日が地球最後の日なのだろうか。

 今日だけで主の笑顔を私は二回も見てしまった。



 もう無理。意味わかんない。


 くるくる変わるこの状況に追いつけない。

 今一体何が起きているのか。私の脳みそでは理解できない。


 むしゃくしゃして、私は頭をめちゃくちゃに掻き毟る。


「……ショックを受けているところ、追い打ちかけるのはやめていただけませんかね」

「悪い悪い」


 二人の会話を聞いていた私は手を止める。ジュードの眉は心なしか下がっている。どうやら嘘じゃないらしい。


 ショック受けてたとは……知らなかったよ。ごめん。



「で、頼んでいたものは?」

「……手ぶらで参るわけないでしょう。持ってきましたよ」


 言いながらジュードは一度引き返して、何かを抱えて戻ってくる。


「……猫用トイレ?」

「猫砂も、キャットフードも買ってきましたよ」

「……誠に申し訳ないんだけどさ……私にはいつもの口調にしてくれないかなぁ、とか思ったり……」


 ジュードの眉がピクリと一瞬動く。

 主の纏う空気の変化をかなり気にしながら少しずつ言葉を付け足していく。

 全く変化がないことを確認して私は少し気を大きくして大胆にお願いすることにした。


「無理だったらいいんだけど——」

「しかたねぇな」

「——さっきから鳥肌がすごいんだよね」

「『分かりました。やめません』」

「なんで!?」


 一瞬戻したじゃん!!という抗議は聞き入られなかった。納得いかない。


 って、問題はそれじゃない!


 

「……かっ、飼ってもいいんですか!?」

「ダメだったら、キャットフードなんて買って来させないが?」


 それが肯定の言葉だと分かって私は頭を下げる。


「ありがとうございますっ」

「……飼っていいが条件が一つある」


 この子を手放さずにすむというのならなんだって聞きましょう、と主の言葉を待つ。

 しかし、主から告げられた条件が俄かに信じられず、聞き間違えかと顔をあげる。


「えっ……と、もう一度」

「飼ってもいいが、私とこいつの仲介をしろ」

「……ん?」


 なんだその条件。


「……私は動物に嫌われやすいのでな」


 心でも読んでいるのだろうかと思うほど完璧なタイミングだ。

 そして、その顔は悲しげだ。結構心の傷になっているらしい。


「分かりました。がんば」

「にぃやぁあぁぁぁぁぁ」

「……お二人が心を通わせられるようできる限り努めさせていただきます」


 服の中で抗議する子猫を覗き込む。小さいながらもいっちょまえに威嚇する子猫は絶対イヤ!と徹底抗戦する構えを見せている。

 うん……道のりは長そうだ……。


 前から私以外の相手が来ると怖がってたしなぁ、というのは口に出さずに胸の内に止める。



「……名前をつけていないのか?」

「いや、あの、その……」

「飼っちゃいけないとか言われると思ってたんでしょう?」

「必死に隠してるようだったもんね」


 突然入ってきた二人の顔を見て二人も知っていたことを知った。


「いつから知って……」

「僕は最初からかな。覚えてる?コートに毛がついてた日。様子おかしかったからちょっと観察したんだよ」

「え、あれだけで……?」

「嗅覚が鋭いのよ」



 イリーナの意味深すぎる言葉は聞かないフリをして、ルシアンの言葉を噛み砕く。それで見えた真実が一つあった。


「……てことは、あんな必死に猫の砂掻き集める必要も、えさをわざわざ別に作る必要も——」

「うん、なかったね」


 必死になって隠してるから言い辛くて、ルシアンにそう言われた瞬間も私はブチ切れた。



「さいっしょから言っとけよ畜生ーーーーーーー!!!」





「でどんな猫?」


 ようやく落ち着いた私は唇を突き出しながらソファに座っていた。


「見た方が早いでしょ……ほら、ちょっとだけだから……いい加減機嫌なおして?」


 イリーナが苦笑しながら言うが、私は唇を尖らせるだけだ。


「だって、あんな苦労する必要全くなかったじゃん……この子にも窮屈な思いさせちゃった……させちゃってるし」

「その節はすまなかったね」

「悪かったわ」

「その代わり名前をつけるの手伝ってやるよ」


 主を覗く皆に謝られ促され諦めた私は、イヤイヤする子猫をなんとか宥めて頭だけパーカーから出す。

 その子猫の顔を見てジュードがお、と声をあげた。


「ウェジーじゃないか」

「『ウェジー』?……飼い猫?」


 まさかと思って尋ねると苦笑したジュードに違うと否定される。


「ウェジーってのはノルウェージャンフォレストキャットの愛称だ。アメリカじゃ結構そう呼ぶんだよ」

「え、ジュードってイギリス出身じゃなかったっけ」

「数年前まで長らくアメリカにいたんだよ」

「……だからイギリス人らしくないのか」

「なんか言ったか?」

「いや?」


 そうだよ。今はジュードの出身地と性格の差異なんて考えている場合じゃない。



「ノルウェーの子なのか……そっか……じゃあ」


 それならノルウェーの言葉がいいかなぁと頭をひねる。ノルウェーの言葉はなんとなく分かる。フィンランド語はノルウェー語にとても似ているのだ。だからフィンランド語を教わりながら同時進行でフィンランド周辺の言葉も勉強していた。その周辺にノルウェーも含まれていたのだ。だから結構単語もわかる。



 見れば子猫はウルウルした目で私を見上げている。


「うーん、……そうだねぇ」


 出会ったのは木の上だった。冬も終わって残った雪も雪解けを待つばかり。そんなにかからないうちに春になる。そうすれば花も咲く。その中で戯れるこの子はきっと可愛いだろう。

 そこまで考えて花という単語に目をつける。


 ……花……いいかもしれない。


「……(ブラムストゥ)、じゃ長いか……じゃあブランはどう?」

「にぃ!」

「お、気に入ってくれた?じゃあ、お前は今日からブランね!」


 よろしくブランと笑うとブランも目を細め高い声で一回鳴いた。




   *    *    *




 ブランが来てから早一ヶ月。


「あの、怯えてるので……」

「今日もダメか」


 主は心なしかガッカリした声を出す。

 申し訳なくも思ったがブランの平安のためだ。私は心を鬼にして猫じゃらしを構えた主の前からブランを取り上げた。

 腕の中でぷるぷる震えるブランに怖がりすぎだよ、と囁く。


「ブランには怖くないでしょ?」

「おい、お前には怖いみたいじゃないか」


 どの口が言うんだ。


 こっそり肩を竦めた私に主は気付かない。

 


 仲介役という仕事を引き受けてから主は事あるごとに私の部屋を訪れる。その頻度週に三から四回。驚きの数だ。訪れるのは朝だけではない。気が向いたときに顔を出すようだ。


 正直予想していた以上の頻度で会っている。こんな郊外に重要 (であるはずの)人物が頻繁に来ていていいものかと思ったこともあったが、考えてみれば目の見えなかった頃も二日にいっぺん来ていた時期もあったくらいだ。どうやらこの城は主の生活圏から案外離れていない場所にあるらしい。そうゆうわけで気にしないことにした。


 最初はかなり気を遣っていたが、主は常にブランにかまっていて私の様子なんて気にかけない。そっと話しかけるとすんなり会話が続く。拍子抜けした。


 そんな主はブランに対してめちゃくちゃ構うくせに猫の扱い方をわかっていない。

 悩みに悩んだ挙句ものは試しと、大胆にも猫との距離感やらを口授してみたら主は素直に従った。

 悩んだ時間は何だったのかと思うほどの呆気なさだった。


 それからは主の様子を窺いつつだが、自ら話しかけたり冗談を言ってみたりと関係の改善を目指して努力してみた。おかげさまで私の言葉に穏やかな返答をするし、たまぁに笑顔を見せてくれるまでになった。

 あんなに険悪な顔を向けられていた関係からのスタートを思えばとんでもない進歩である。


 人が変わったようだ、とはこのようなことを言うんじゃなかろうか。

 初見の日の印象が強すぎて主は怖い人とずっと思っていた。だが、不安な夜に訪れてくれた優しい方は主で、泣いた私の我儘を聞いてくれたのも主で、子猫を飼っていいと言ったのも主で、私の部屋のソファで寛いでいるのも主で、最近笑うのも主で——



 あの日の主と今の主。


 二人が同一人物とは思えないほどの隔たりが二人の間にある。

 優しい方が本当の主ではないのかと思う私がいる。あの日怒りを見せた主は何か事情があっただけではないのか、と都合のいいことを考えてしまう。それこそ苛ついていたとか。仕事で何か不利益を被ることがあったとか。

 だが、そう信じきれないのは理由がある。




 ブランを撫でながらチラリと視線を送れば、主は私の腕の中のブランを恨めしげに見ている。

 そんなにこの子が気になるかと苦笑した私は、心の中でブランに謝る。

 主の腹の上に置かれたブランは私に対して裏切り者という視線を送る。

 だから、ごめんて。


 主は腹の上に来たブランの顎をちょいちょい撫でる。嫌そうに体を捩るも逃げないブランに律儀な子だなと呟く。



 元いたソファに戻って二人の様子を眺める。不本意なブランと若干緩んだ主を見ているのは結構楽しい。


 主はかなりのいい男だ。

 若く、瑞々しいイケメンではない。年は四十を超えるあたりか。肌には張りがあるどころか、たまにシワが見つかる。


 だが、この男は“セクシー”かつ“ハンサム”だった。

 もう一度言おう。

 イケメンではない。ハンサムだ。


 張り出した男らしい喉仏のある首だったり、ガタイのいい骨格であったり、チラリと服の裾から覗くバッキバキに割れた腹筋だったり、それらの全てから色気を感じる。

 不潔と、嫌っていたはずの無精髭ですらも彼から発せられる色気を増やすアイテムにしかなりえない。

 黒く癖のある長めの髪も、そこから覗く少し垂れた目元も見る角度で灰にも黒にも銀にも変わるロマンスグレーな瞳も全て全てが色っぽい。


 どんな女すらもその視線一つで落とせるだろう。

 そんな男が子猫に手を伸ばし(判りづらい程度だが)デレデレしている様は面白くて仕方がない。


 だが、その様子を黙って眺めるには主の寝ている場所が悪すぎた。

 主はガタイがいい。

 二人掛けのソファなんかでは収まらない程度に。

 いつ落ちるだろうか、と気になり新聞の内容が入ってこない。

 主のためではない。主が落ちた時の自分を考えてしまったのだ。



「あの……宜しかったらですけど、ベッド使ってください」


 諦めて渋々声をかける。

 ソファのような狭い場所では、寛げないだろうになんでそこで遊び始めたんだ。

 現に主の体は半分ソファからはみ出ている。そのせいでなんとも言い難い提案をする羽目になった。


 自分のベッド使いますか、ってほんとどうなの……。

 しかし、これも主とブランの間を取り持つためのもの。耐えるんだ私。

 心の中の悲鳴を知ってか知らずか、主と目があう。


「お前も一緒か?」

「はい?」


 真顔であんたは何を言う。


「いえ……私は、このままここで新聞読んでます」

「……ならいい」


 何が言いたかったのだろう。子猫に集中し始めた主を眺めていると、ブランの助けを求める瞳に気がついた。


 それを見て先ほどの主の言葉の意味に気がついた。

 私が行かなければ多分ブランはすぐさま主から逃げる。今だって私が視界のうちにいるからこそ主の腹の上から逃げないのだ。



 ふむ、どうするのが正解か。


 少しの間考えを巡らせて、やはりこれしかないかと私は机の上に広げていた新聞を軽くたたんで脇に抱える。


「……分かりました」


 見つめあって(片方は睨んで)いた二人が同時に顔を上げる。息ぴったりだね。


「私も行きますのでベッドで遊んでください」

「……くるのか?」

「貴方が言ったんじゃないですか」


 本当にさっきから何を言ってやがるこの男。子猫にデレすぎて脳みそドロドロに溶けちゃってるんじゃないだろうか。

 失礼なことを思いつつスタスタ歩いてベッドに向かう。


 ベッドは一枚扉を挟んだその先にある。なんと驚くべきことにその部屋には浴室も隣接していたので、目が見えるようになってからベッドをそちらに移した。というか移してもらった。それまで隣の部屋や浴室、トイレの存在など全く知らなかった。移してもらったおかげで知ったと言うべきか。

 何故部屋に風呂があるにも関わらず毎度大浴場に通っていたのかというと、誰かにお風呂に入れてもらうのには少々狭かったからだ。


 主は勝手知ったる風で、私よりも早く部屋に入りブランと共にベッドに寝転んだ。

 私はそれを見ながらベッド脇の椅子に腰かけた。


 うーん、いい被写体だなぁ。


 愛くるしい子猫。それを愛でるダンディーなおっさん。口元だけ笑っているのがまたいい。子猫を撫でていると無骨な手が際立つ。

 この二人で写真集作ったら売れそう。

 あの手で同じように愛でられたいと思う女子は多そうだ。


 ……カメラ、欲しいかもしれない。


 でもそんな高価なもの買う金も無ければ、私は買い物に行くことすらできない身だった。


「おい」


 いや、待てよ。……ルシアンあたりが持ってそうじゃないか?彼になら趣味なんだ、とか言われても違和感は全くない。


「……おい」


 しかもかなりいいやつ。機能やらボタンやらが多すぎて説明書がないと使えないようなやつ。


「……ハヅキ」

「はい、なんですか?……って……え?」


 今ハヅキって呼んだ?

 マジマジと主の顔を見る。この場にいるのは私と主と猫一匹。猫が私の名前をよべるはずもないのでブランは除外。

 となると残ったのは主のみ。


「……ハヅキ?」


 マジか。そう思いながらいかがいたしましたか、と問い返す。その数秒後の私は呆然としたまま主を見上げることになる。

 主の顔を見る間も無くベッドの中に引きずり込まれたのだ。驚きすぎて叫び声を上げることすらできなかった。


 主はそんな私を見て満足そうに笑っていた。

 私はブランを挟んで主の右側にいた。

 主の顔まで私の掌ほどしかない。余りにも近すぎやしないだろうか。そう伝えたいのに。


 なんですか、そのセクシーな笑みは。


 思わず赤面してしまった。ここで暮らし始めてから顔を青くする事はあれど、赤くした事など今まで無きに等しい。

 超至近距離でのその顔はとんでもない破壊力を生み出す。


「あの……」

「今はウサギだろう?」

「はい?」

「ペットなんだろう、お前は」

「ええ……と」


 そんな風に言われては我儘を言った手前何も言い返せない。


「ペットは飼い主の言う事を聞くものだ」


 私は吐息と変わらないくらい小さな声ではいと返事した。


 言いたい事はたくさんあった。

 こんな急に態度をガラリと変えたのは何故ですか、とか。このまま寝るんですか、とか。私なんかを隣に寝かせて何が楽しいんですか、とか。なんで突然名前で呼び出したの、とか。

 しかし、真ん前にある甘い顔を見てしまっては毒気も抜けてしまう。

 せめてもの抵抗と主に背中を向けて瞳を閉じたのに、私の背を掻く猫に負けて、再び主と面を合わす羽目になった私は今回だけだと無理に目を閉じた。



 しかし。

 私の予想に反して、それ以来事あるごとに主は勝手に私のベッドで寝るようになった。そういう時、私は問答無用で道連れにされる。そして三人川の字になって眠る。そうなるとベッドから抜け出すわけにも行かず、自主勉もできず……新手の嫌がらせか何かだろうか。

 その甲斐あってかブラン自ら主に近付くようになったのだけはよかったと言うべきか。


 現に今も主は私の横で目を閉じている。身動き一つしない姿はまるで彫刻のよう。

 その上でブランが一つ欠伸をする。最初の怯え具合が嘘のようになつている。今やその逞しい腹筋に擦りつく勢いだ。羨ましい。



 横で子猫を撫でる主を盗み見る。

 拾ってから一月が過ぎて、子猫は子猫と言えないくらいに成長していた。にーとしか言えなかった猫は高い声でにゃあと鳴くようになっていた。

 たまに誤解しそうになる。主は動物好きの優しいおじ様だって。

 だけどそうではない。たぶん本性ではない。



 主は本当は穏やかな優しい人、と思いたい自分にあの日の私が違うと叫ぶ。


 あの日の恐怖がそうじゃないと言う。

 あの日ぶつけられた激情は偽物なんかではなかったと。声も顔も目も、私に恐怖を植え付けた全てすべてが本物だったと。


 彼は牙を隠している。


 今だってたまに感じる時がある。ふとした瞬間に、私の体は冷える。主の近くにいる時、手が触れた時、その目で見つめられた時、私は凍りつく。

 恐ろしいのだ。何がとは言えないが、彼は恐ろしいと私の細胞全てが私の脳に告げる。

 彼は恐ろしいモノだと。



 こんなに優しいじゃん。

 優しいフリをしてるだけ。

 うっとりするほど甘い笑みを見せてくれるのに?

 そんなの役者だってできる。

 私の下らない我儘に付き合ってくれるのも?

 偽った、演技だよ。

 私をペットだと言って撫でるのも?

 演技に決まってる。考えてみなよ?

 でも、子猫をそんな恐ろしい人が愛でる?

 思い出せ葉月。


 子猫は最初何に怯えた?




 そっと目を向ければ主も私を見ていた。口元に笑みを湛えた彼は私に手を伸ばし、優しく抱き寄せ髪をすく。


 本当にあなたは誰?あの日の貴方と同じ人?


 優しい腕の中、私は緩やかに瞼を下ろす。

 できることならば、明日の主も穏やかであってくれと願いながら。

というわけで答えはベッドで二人(と一匹)で寝ているでした

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