第八話:私、見られているの
「……おねえ、ちゃん?」
机に書かれた沢山の侮蔑にメリーは驚きを隠せなかった。
まずったな……。昨日の今日だもんな。なにもしてこないわけがないか。
「まったく。たまに早くに登校したと思えばこんな程度の低いことしかできないんだ」
机に打ち付けられた藁人形を引き抜く。
「そのお人形さんも覗いてみなよ~」
皆が目を反らす中、睨み付けていた数少ない人物の一人、日下が教室の中の方の席でニヤリと笑って言った。
言われた通りに藁人形の空いた風穴から割り開いて見る。なにか紙が入っている。
「――ッ!?」
――漆原 雪。
母の名前だ。どこでそれを知ったのかは知らない。その名前の書かれた紙は藁人形に包まれ、五寸釘で貫かれていた。
示す意味は一つである。
「日下、あんた!!」
藁人形を放り投げ、日下の席へ大股で詰め寄る。唯一の肉親を侮辱されて激昂しないはずはなかった。
手に持った五寸釘を大きく振り上げ、日下の机へ叩きつけようとした。さすがに本人に降り下ろす気にはなれなかった。
「あっれぇ~、こんな程度の低いことなのにぶちキレちゃうんだ~?」
寸でのところで降り下ろしていた腕を止める。これ以上(もう遅いかも知れないが)、弱いところを見せたら余計につけ入れられてしまう。
「みんな、なんの騒ぎ!?」
救世主とも呼べるタイミングで現れたのは委員長だった。それを見て日下は軽く舌打ちをする。
「漆原さん……。何かあったの?」
日下に襲いかかろうとしたままの体勢だった私に疑問を投げる。クラス1、2を争うお調子者と根暗がいがみ合っているのだ普通ではない。
「……別に」
平静を装ってそう答える。教室の後方、私の席の様子に勘づいた委員長がつかつかと私を追い越し、机を見下ろす。
「――ッ!?……酷い」
思わず顔を覆う委員長。直ぐにこちらに向き直り、日下を見る。
「また貴女ね。何度こういうことをすれば気が済むの!」
日下は委員長が苦手だった。どうしてなのかは分からない。真面目くんが苦手というのは間違いないだろうが、それ以外に逆らおうと思えなくさせる何かを持っているらしい。日頃教師らを辟易させているあの日下をだ。
ガタッ
委員長がさらに詰め寄ろうとすると、日下は急に席を立ち、教室を出ていった。
「まったく……」
深い溜め息をつく。
「机、どうしましょう。このままじゃ授業は受けられないわ」
改めて机を眺めて「酷い」と委員長は呟いた。
「ありがとう」
あのまま委員長が現れなければ、多分、おそらく、一発は殴ってたと思う。
それに、最初に見付かったのが委員長で良かった。もし、先生に見つかれば下手すれば"停学"なんて罰則も与えられかねない。
とにかく。感謝を伝えたかった。
「気にしないで。友達でしょ?
私、先生に机余ってないか聞いてくるね!」
少し照れた顔をして頬を赤らめた委員長は、慌てたようにそう言って教室を出ていった。
怒りというのはとても体力を使う。今日はもう授業をサボってしまいたいくらいだ。気分も良くないし。
……。
……?
…………あれ?
なにか忘れている。
メリー!
そうだ。怒りに我を忘れていた。メリーは何処に!?
辺りをキョロキョロと見回すと案外彼女はすぐそこにいた。私の机の前に。心ここに在らずと言った感じだ。
私は周りに怪しまれないようゆっくりとメリーの手を引いて教室を出た。始業時間まではあと少しある。
「大丈夫?メリー」
屋上への扉まで取り敢えず連れてきた。ここならメリーと話しても見つかったりはしないだろう。最近の学校は当たり前なのか、生徒の屋上への出入りは禁止されている。単純に危ないという話もあれば、生徒が自殺した。なんて噂もあるからだ。
「……さい……ご……さ……」
目の焦点の合っていないメリーが、小さな声で何かを呟いている。顔を近づけよく聞こうとする。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
懺悔の言葉だった。
ひたすらに。ただ、ひたすらに。
「メリー!メリー!大丈夫。私はここに居るから!」
メリーの肩を掴んで大きく揺さぶる。
もしかして、彼女の生前のトラウマを呼び起こしたのかも知れない。
「メリー……」
何度か揺すっていると、メリーの瞳に光が戻った。
「……ぁ、……れ、おねえ、ちゃん?」
今度は逆に心配そうに覗かれてしまう。
「大丈夫?ごめんね。変なとこ見せて」
メリーは「ううん」と首を横に振って答える。
「辛いなら、帰ろうか?」
また首を横に降る。
「せっかくだもん。おねえちゃんと学校に居たい」
キーン、コーン、カーン、コーン
「やば!ホームルーム始まっちゃう!」
ホームルーム開始の鐘が鳴り響く。「急ごう」と、私はメリーに手を差しのべ、メリーはそれを優しく握り返した。
教室に戻ると一番に声をかけてくれたのは委員長だった。
「大丈夫?漆原さん。あ、机は先生に手伝ってもらって綺麗なのに取り替えて貰ったわ」
なにからなにまで申し訳ない気持ちになり、頭を下げる。
「席につけー。ホームルームはじめっぞー」
私が教室に入ると、すぐに担任の米村郁枝が入ってきた。喋りや態度はいつも気だるそうだが、そこそこ面倒見の良い体育教師だ。いつでも赤いジャージ姿が特徴的だ。
日直の号令に合わせて、起立、礼を行う。
「はい、おはようさん。じゃ、出席とるぞー。有村、井上、漆原」
名前を呼ばれ、返事をする。郁枝先生と軽く目があった。優しそうな目をしていた。……心配してくれている?
「日下ー。いないか。いつも通りっと……」
日下はさっき教室から出ていってから戻っていなかった。保健室でサボってでもいるのだろうか。お付きの二階堂はちゃんと出席している。
しかし、あの日下を黙らせるなんて委員長とは一体どういう関係なんだろう。
普通の生徒なら私のようにやり返されるものなのに。なにもしてないけど。
「人、いっぱいだね!」
メリーが楽しそうにはしゃいでいる。メリーはどんな学校に通っていたんだろうか。こうして、日本語がペラペラなのだ。きっと頭が良いに違いない。
もしかしたらそれなりのお嬢様学校に、通っていたりしてるのかもしれない。
『楽しい?』
メリーとの筆談用のノートを取り出して、隅に書く。
「もちろん!すっごく楽しいよ!」
メリーは大きく頷いて、身ぶり手振りで今の興奮を伝えようとする。それがおかしくて笑いをこらえようと、肩が震える。怪しまれてしまう。
ホームルームがいつの間にか終わり、郁枝先生が教室を出ていく。次の授業は数学だ。体育は3時間目。郁枝先生とはそれまでお別れだ。
授業の準備を始めたとき、ふと、視線を感じた。いや、感じていたのを思い出した。皆が目を逸らした中感じていた視線の一つだ。
ハッとその視線の先に目をやる。教室の扉側の後ろから二番目の席。彼女だ。
花澤華子の睨むような鋭い視線が突き刺さる。昨日、助けられたのをもしかしたら根に持っているのだろうか。
それとも、助けたせいでこうなってしまったことを哀れんでいるのだろうか。
キーン、コーン、カーン、コーン
授業開始のチャイムが鳴り、数学教師が教室に入ってくる。
私はなるべくその視線を感じないように授業に集中することにした。
―――
四時間目の歴史の授業が終わり、大欠伸をする。ようやくお昼休みだ。
体育の授業で疲れた体で、眠くなる授業はほんとにやめて欲しい。しかも、歴史の教師がほんとにまったり喋るもんだから、余計に眠くなってしまう。というか寝てた。
クラスの不真面目組のほとんどは寝ていたであろう。
「ダメだよー。ちゃんと授業受けなきゃ」
メリーが私の顔を覗き込んで言った。人間で最も強い欲求は睡眠欲だと思う。
それに勝とうなんて思うのは馬鹿馬鹿しい。疲れたら寝る。それが一番だ。
「漆原さん。お昼、一緒にどう?」
声を掛けてきたのは委員長だった。その隣には白鵺小夜子が小さくお辞儀をして立っていた。
しまったな。今日はメリーに学校の案内も含めてお昼は中庭で食べようと食べようと思ってたんだが。
「あ、あー……」
言いごもっていると背後に「ぬっ」とした気配を感じた。
「う、うるし、漆原さん」
後ろに影のように立っていたのは花澤華子だった。まさか、彼女から話しかけてくるとは思わなかった。
「あ、花澤さんとお約束されてたのね」
何を察したのか委員長はにこっと笑って見せる。そして、小さな声で「気にかけてくれてありがとね」と耳打ちをし、小夜子と共に席を離れていった。
「あ……」
……なんか勘違いされてる気がする。
私は彼女に話し掛けられる理由を持っていないと思うのだが……。
…
……
………。
話しかけてきておいて何で黙っちゃうのよ!逆に気まずいじゃない……!
「……じゃ、じゃあ、中庭で一緒にご飯でも食べようか」
予定が崩されるのは不快ではあるが致し方ない。溜め息混じりに息を吐いた。
授業中、彼女の視線が絶えなかったことを考えると少し怖い気もするが。
「その子、漆原さんの妹さん?」
お弁当袋を持って席を立つと、花澤華子は私に指を差して言った。
いや、私の後ろに居たメリーに――