第二話:私、真っ暗闇の中にいるの
何、言ってるの?
死んでる?誰が?この子が?
どうして?死んでる?そんなわけない。
だって足だってしっかりあるし、さっき私頭を撫でたじゃない。
まぁ、そもそも幽霊は足がないって決まりもおかしなことだとは思うけど。
「普通の女の子にしか見えないけどね。私、霊感とかないし」
電気ケトルのお湯が沸騰したのを確認し、カップにインスタントココアの粉末を入れ、お湯を注ぐ。
訳のわからない。全く訳のわからない展開だけど、取り敢えず落ち着こう。うん。
「そいえば自己紹介してなかったね。私は漆原 椿」
彼女の前にココアの入ったカップを置く。何故か不思議そうな顔をしてこちらを見てくる。
「私は……メリーさん、だと思う」
顔を俯いて彼女は寂しそうに言った。
だと思うって、本当の名前は違うってことなのかな。
とりあえず、今はそう呼ぶしかないか。
「ごめんなさい。どうやって伝えたらいいかわからなくて……」
必死になにかを伝えたいという眼差しで見つめられる。こんな可愛い女の子のことなら是非とも知りたいものだが……。
「とりあえず、ココア淹れたから飲みなよ。落ち着くよ」
メリーの前に置かれたカップを勧めるも、ぽかんとした顔をして、メリーはこっちを見返した。
そんな可愛い顔されても……。
彼女の前に置かれたカップを取り彼女に手渡そうとすると――
!?
手がカップを貫通した。
彼女の右手が熱々のココアの入ったカップを貫通したのだ。
いや、そんな、私怪力でカップに彼女の手をねじ込ませたりなんて出来ないし。
物理的に貫通しているようには見えなかった。透き通っている。そう、"幽霊"のように透き通っているというのがたぶん正しい。
危うくカップを落としそうになった。正直言うと、多めに作ってしまったのもあって10分の1くらいはテーブルに溢した。
覆水盆に帰らず。取り敢えず拭こう。
「大丈夫?」
慌てて布巾でテーブルを拭く私を見て心配そうに彼女は声をかけた。
「いや、まさか。ホントに"幽霊"、なの?」
まだあまりきちんと状況は飲み込めてない。もとより"幽霊"だとか"UFO"だとか否定するつもりはないが、あまり信じてはいない存在だった。
「もし居たら楽しそうだな」程度にしか考えたことはなかった。
オカルトな話題も好きだが、所詮は空想、そう、ファンタジーだと思っていた。自分には関係ないと。
そんな存在が目の前にいる?
本当に?本当にいるなら……
「目が覚めた時辺りは真っ暗闇だった……」
メリーが頭の中で、ゆっくりと言葉を紡ぎあげるように口を開き始めた。
多分自分で考えながら、整理しながら伝えようとしてくれてるんだ。
「気が付いた時にはなんとなく自分はもう"死んでる"んだなって理解できた。
何でかは良くわかんない。ホントに何となくとしか言えないから……。
それで、私、何かをずっと探してて……。
真っ暗闇の中、ずっと、ずっと探してて、もう何を探してたのか、自分が何だったのか忘れちゃうくらいに。
そんな時に、椿さんの後ろ姿を見たの。
真っ暗闇の中にたった一人だけ歩いてたの。
だから、だからどうしても気付いてほしくて……。
"メリーさん"は良く分からないんだけど自然と口から出てたの」
ゆっくりゆっくり紡がれた言葉。メリーは顔を伏せて大きく息を吐く。
「ごめんなさい。うまくまとめられなくて……」
一息ついたメリーはバツの悪そうな苦笑いをして見せる。
つまるところ、"良く分からない"。ということか。なんで死んだのかも、なにを探してさ迷っていたのかも、どうして私に目をつけたのかも。自分が誰なのかも……。
自分のことが分からなくなるっていうのは本当にあることなんだろうか。
聞く話だと鏡に向かって「お前は誰だ」って言うと自分が分からなくなるらしいけど、どんな感じなんだろうか。
「私と会うまでずっと、真っ暗な世界にさ迷っていたの?」
そう問いかけると「少し違う」と、小さく首を横に振って彼女は答えた。
「今も真っ暗なんだ。
でも、このソファとか、テーブルとか、玄関とか……
それはなんとなく"見える"んだ」
メリーは存在を確かめるように、自分の座っているソファやテーブルをぽんぽんと軽く叩いてみている。
「てことはこのカップは見えてないってこと?」
そう言ってさっきメリーの右手で貫いたカップを指差す。メリーは「見えてない」と頷いた。
私はメリーの手を取って、カップに触れさせようとしてみる。メリーも探るように指先に神経を集中しているようだった。
「あっ」
二人同時に声を漏らした。
先ほど貫通したはずのメリーの手が、しっかりとココアの入ったカップを握っていた。
「"見えた"」
嬉しそうにカップを持ち上げて見せるメリー。もし、メリーの姿が見えない人間が居たとしたら発狂ものだろう。いろんな意味で。
しかし、見えなかったものが突然見えるようになる。そういうことは在るのだろうか?
そもそも、既に幽霊などという怪奇現象が起きている場で、我ら生きている側の法則が通用するものなのかも分からないが。
「それじゃあさ、これはどうかな」
"見える"ようになる仕組みに興味が沸いてきた私は別のものを試してみる。テレビ台の上にあった手のひらサイズの木彫りのリスの置物だ。
テーブルの上にカタンと置いてみるも、メリーは不思議そうな顔をするだけだった。"見えない"らしい。
今度は私がメリーの手を引いてそれに触れさせてみる。
「リス、さん?」
"見えた"ようだ。
「可愛い」と言いながら手のひらに乗せてくるくると回して観察している。
メリー自身がソレに触れることによって"見える"ようになっているようだ。
そもそも、幽霊は肉体が無いわけで、視覚的に物質を捉えている訳ではないのかもしれない。
もし肉体を持っていたらそれはゾンビである。幽霊とは違う気がする。
しかし、最初に私がカップを差し出した時には、触れることも出来なかったのにどうして?
「どうか、したんですか?」
メリーは大事そうに手のひらに乗せたリスの置物を、よしよしと撫でながら首をかしげていた。
「ねぇ、メリーがソレを"見える"ようになったのって、触った瞬間だよね?
それまでは何にも感じなかった?」
少し食い付き気味問いかける。ほんの少し、メリーの肩が震えたような気がした。
「えっと、そこに椿さんが"何か"を置いたから、そこに"何か"在るんだろうな。とは、思いました」
もしかして、私がカップを差し出しても触れられなかったのは、「私が"何か"を差し出している」ということに彼女が気付かなかったor判らなかった。ということか?
そしてそれを実際に在ると思い込み、触れることで"認識"、"見る"ことができるようになるんじゃないだろうか。
いや、さすがに飛躍しすぎな考えか。もう少しいろいろ試してみるのが良さそうだ。
「ねぇ、幽霊ってお腹すかないの?」
ふと、晩御飯をまだ食べてないことを思い出した私はさっと立ち上がり、キッチンへ向かう。
幽霊が、彼女が現世の物質に触れることができると言うことは、もしかしたら食べるという行為も出来るのでは。と、変なことを思い付いてしまった。
"幽霊"に対する恐怖心なぞもう既になく、知的好奇心が私を動かしていた。