表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

余命宣告プロジェクト

作者: 一抹

「本条さん、あなたは末期癌です。余命半年と言うところでしょうか」


「えっ?」



 そう冷たく医師に告げられ私は頭が真っ白になった。

 久しぶりにとった有給休暇。その半日を体調管理のため健康診断に費やした。

 午前中から色々な検査を受け、案内されたのは診察室ではなく取調室のような殺風景なこの部屋で、私は26歳という若さで余命宣告を受けているのだ。しかし本当に驚かされるのはこれからだった。


「本条さん、ニュースは見られますか?」


 続いて医師から唐突に無関係と思われる話を振られるが、受けたばかりのショックから頭が付いて行かない。



「最近よくテレビでも話題になっていると思いますが、現在我が病院でも入院患者が増えて病室の空きが追い付いていないんですよ。しかも言わせて貰うと、もう死ぬことが決まっている人に貴重な薬や診察時間を使いたくない。まぁ、つまり何が言いたいのかと言うと…… 」



 円形スツールから立ち上がり、白衣からのぞくネクタイを締め直しながら私を冷たく一瞥すると医師は信じられない事を言った。



「今日、死んでください」


「は? 」



 彼は本当に何を言っているのだろう。確かに病室が足りなくて救急搬送先をたらい回しとか、そんなニュースは時々聞く。しかし、今日死ねと言われ納得するなど絶対無理だ。なにより一人暮らしで猫を飼っているのだから。ウチの可愛い子ちゃんの今晩以降のご飯は誰が用意すると言うのだ?


「同じく余命宣告で死に待ちの患者さんが他に4名ほどいます。他の皆さん同じ境遇同士傷を舐め合ってますが、本条さんは投薬により死亡するまでの間あなたはどう過ごされますか」



 人間味に欠けた声が、ぼやけたバックミュージックのように耳をすり抜けて行きかけるが、ボーっとしている場合ではない。そうだ、今日ここで死んだら、独り暮らしが長くなるにつれ増えてきた荷物の整理は誰がするというのだ。


おそらく、親と兄あたりだろう。

   負の遺産とも云える中学生からなんとなく続けている日記帳の処分は?

   まともな勝負下着ならまだ許せる。しかし、若気の至りで買ったキワモノ下着やコスプレの処分は?

   一人暮らしゆえに無防備なパソコン履歴やお気に入りリストは?

 あれらを両親達が涙まじりに「あの子ったら」と苦笑いで見られてしまうというのか。駄目だそんなの、死ねぬ。私は死ねないのだ。



「先生の話は分かりました。しかし今日死ぬという事は出来ません」


 私の確固たる決意に、サディストのような医師は「おや」と言うように眉を上げた。


「冷静な方ですね、正直助かります。結構取り乱される患者さんが多くて困るんですよ」


 こっちは社会人として必死に平静を装っているだけだ。患者をバカにしているかのような薄ら笑いに、私は腹立たしさを覚える。


「入院も治療も結構です。生きられるだけ適当に生きますから」


 治療を受けなくても、いきなり今日死ぬなんて事は無いだろう。荷物の処分から始めよう、そう考えた私は立ち上がり殺風景な部屋を出ようとした。すると医師は更に蔑んだよう言い放った。


「あなたバカですか。それで急に倒れた時、もし誰かがどうせ死ぬあなたの為に救急車を呼んだらどうするんです?救急車だって足りていない。迷惑なんですよ、治らない者に救急車を使われても。」



酷過ぎる。私など迷惑なだけの厄介モノだと言いたいのか。私は今まで一度も救急車を使ったことはない。納税者の権利として一度くらい救急車を使わせてくれたって文句を言われる筋合いはないだろう。悔しくて涙が滲んできた。しかし、なおも医師は愉しげにゆっくりとした物言いで追い打ちをかける。


「なにも私個人やこの病院の独断でやっている事ではない。医療費の莫大な負担に困った国が秘密裏に決定した国家プロジェクトだ。『余命宣告プロジェクト』と言ってね、だから君だけが逃げる事なんて出来ませんよ」


「国家プロジェクト?!まるで年金泥棒国家ね! 」


「ふふ、確かに年金泥棒だな。今まで老後のために年金を払ってきたのにな」


思わずあげた大声に私が暴れるとでも思ったのか、入って来たドアとは別の扉から厳めしい顔をした屈強そうな男の看護士が二名現れる。どうやら逃げられる隙はないらしい。


「猫はどうなるんですか?私、独り暮らしで猫を飼っているんです」


精一杯出したつもりの声は小さかったが彼に届いたようで、さっきまでの見下したような表情を少し和らげた。


「君、猫を飼っているんだ?」


 『猫』というキーワードにすぐ喰い付いてしまうこの習性、この男も猫好きなのかと考えてから、自分が死ねと言われている事を思い出して苦笑しつつ頷いた。すると、少し人間味を取り戻したような表情で医師は国家プロジェクトだから残されたペットは政府で運営している保護施設で特例として一生面倒をみる事を保証しているので心配ないと言った。


 そうか、ここ何年か政権を握っているのは『人間もアニマル党』だ。『人間もアニマル党』と云うのは、動物愛護において欧州よりかなり後れを取っている日本の実体に奮起した帰国子女を名乗る人たちが10年ほど前に立ち上げたと言われるが、その当時は全然無名のどこから現れたかわからない謎の団体だった。しかし、彼らが与党となってからはペットをはじめとするに対する日本人の意識改革をすべく動物に優しい様々な政策を行ってきた政党でもあるので、そこが運営する施設が一生面倒みてくれると言うなら下手に自分で里親を探すより安心だ。


 これで私の一番の不安要素が取り除かれた。思わず、ふうと一息つく。


「それでは永眠に至る投薬がされる18時まで自由時間ですと言っても、決められた個室もしくは集合部屋以外へ出られる訳ではありませんが。また、荷物はすべて没収させていただき後日ご遺族に遺品として渡します」


 そう言うと医師は私の鞄を取り上げ、ポケットに入っていたスマホまで抜け目なく回収する。


「それ、鞄に入っている手帳とスマホは処分してもらえませんか」


 色々な私だけの為にあるプライベートな情報は跡かたも無く抹消したい。そう言うと、医師はそういう色々な処分の代行業者を後で呼んでくれると言う。死ぬ前に整理したい事、死んでからの事も金次第で引き受けてくれるそうだ。それは凄く助かる。


「では、本条さんは個室への案内で良いですね」


「はい、今の状況で他の人の事とかどうでもいいですから」



 薄暗く人気のない静かな廊下を歩き5畳くらいの部屋へ案内される。その部屋には逃亡予防のためか窓こそは無かったが、照明が灯され室内が明るい事に少し安堵する。部屋を出ようとする男の看護士にメモ帳と筆記用具を頼んだが、用意されたのは一枚のA4用紙と芯の丸まった短い鉛筆だった。

 これも逃亡予防のためかと内心可笑しくなった。私は紙に処分して欲しいものや、やって欲しい事を書いてやり残しの無いように整理し始める。



 それから二人の男性が現れたのは、一時間ほど経った午後三時少し前だった。上品そうな中年の男は上田という弁護士で、これから依頼する契約が本人の意思によるもので速やかに故人の口座より支払う事に自ら同意している証明するために立ち会い念書を作るという。

 もう一人の30代位と思われる何だかギラギラした男は荒井と名乗り、『生前・死後トータル請負会社』と言う分かりやすい会社名の入った名刺を差し出した。挨拶もそこそこ、時間の無い私は先程まで書いていた整理処分して貰いたいものリストを渡し、見積もりを出してもらった。


「大きい家具は残して置いて良いんですね。では、サービスして税込み90万円になります」


 荷物はかさばるほどお金がかかると聞いた事があったので、そういうのは両親に粗大ゴミで出して貰い少しでもお金を残した方が助かるのではと思ったからだ。しかし、そういう相場って調べた事無かったけど……。


「結構、高いんですね」


 やはりベッドやテレビなどの家具類をリストに入れずに正解だったようだ。


「ただし、ウチは即日・即時対応ですから」


 私の率直すぎる疑問に、荒井さんは自信満々に答えた。どういう意味かと聞くと、何でも本人が生きているうちに依頼品の処分を遂行し、整理処分した証拠に写真を撮って送ってくれるらしい。

 それは素晴らしいとばかりに私は全室拭き掃除という30万円の割高オプションまで付けて契約を結んでしまった。私の借りている部屋は独身にしては広いとはいえ、完全に足元を見られている気もするが、死後『綺麗好きな私』というイメージの見栄には抗えない。思わず荒井の袖からチラリと見える高級時計(フランクミュラー)を睨んでしまった。まったく、儲けやがって。


 荒井さんは医者へ預けた私の鞄から手帳・スマホ・部屋の鍵を取り出す許可を求めてから、お掃除の実働部隊に連絡するため一時席を外した。

 上田という弁護士先生と二人になってしまったが、進めるべき話は特にない。彼は証人であり証拠の念書を書くためにいるだけなのだから。


「投薬での死って、痛みとか苦しみって感じるんでしょうかね」


「聞いた話だと悪いクスリみたいもんでね、感じるのはフワッとした気持ちの良い浮遊感だそうですよ。脳波等も調べたけど苦痛などは示していなかったと聞きました」


「ん~。なら、まぁ悪くない話かもしれないですね。上田先生もご一緒にいかがですか」


「フフフ」


 さすが中年狸は、私の嫌味を笑顔でかわす。でも悪くないと言うのは嘘ではなかった。

 少なくとも治らない病気苦しみ続けるくらいならその方がいっそ楽と思った。しかも故人のイメージを損ないかねない色々な物やデータを処分してくれるのだ。猫の面倒も見てくれる。私にはもう悔いはなかった。仕事?そんなものは生きている人たちで何とかしてくれ。彼氏?『突然死んだ彼女。苦しむ俺』って状況にしばらく陶酔しそうで怖いが、もう勝手にしてくれ。そろそろお互い別れようと思ってた頃だ。

 そうしてなんとなく世間話へ移行していった頃、荒井さんが部屋に戻って来た。




「あと、お客様のような方にお勧めのオプションがもう一つあるのですが」



 戻ってきて早々、荒井が営業トークを始める。

 私は少し腹が立った。この男は死に際の人間から取れるだけの金を絞り出させようというのか。そうして、新しく高級時計を買う金の足しにするに違いないのだ。しかし、まだ何か自分が失念している事があるのかもしれないという不安から話の先を促した。


「ご家族に遺体を渡す前に、火葬してしまうと言うサービスなんですけど……」


「それもお願いします!! 」


 その時、荒井と言う男は天使なのかと思った。すっかり忘れていたが、このままだと葬式代に貯金残高が足りているか微妙だ。第一、葬式代ってお幾ら万円なのだ?

 うちの両親に葬式を上げないという選択はたぶんあり得ないのだろう。その足りないお金を老夫婦に支出させるなんてありえない。遺骨で帰ってきて、読経済みですと言えばおそらく…いやたぶん葬式はあげずに済むかもしれない。だいたい無宗教な私に葬式や戒名など不要なのだ。


 またもう一つ言わせて貰えば、たいして親しくない親戚のおばちゃんとかにジロジロ死に顔を見られたくない!更に言わせて貰えば、死化粧とは誰がするんだ?何年か前に見た叔母の死化粧は、おてもやんも飛び上るほどの面白顔にされていた。それを弔問客が「綺麗だ」「綺麗だ」と言い合って拝んでいた様子を今でも克明に思い出す事が出来る。

 両親には申し訳ないが最後の我儘だ、骨でお受け取り下さい。


「では、お坊さんが読経し火葬してから、ご遺族様にお引き渡しっと言う流れになりますが、これが30万円になります」


 ほうほう、これは思ったよりも安い。ホクホク顔の私を見て荒井さんはほぼ普通の火葬場代と坊さんに下請けに出すだけなのでと説明した。特別な事と言えば、弁護士さんの念書に『遺骨での引き渡し』が本人の希望だと言う1文を付け加えるだけで良いそうだ。うんうん、これは本人の遺志とは言え遺族からは文句が出るだろうな。


「じゃあ、もう1文『葬式無用、戒名不要』とお願いします」


 調子に乗った私がそう言うと、「白洲次郎かよ」と荒井さんが突っ込み、笑い合って和やかなムードになった。うんうん、おっさんは白洲次郎好きが多いよね。




 あと一時間少しと刻限が迫りつつあった時、部屋にノックの音が響いた。荒井さんが呼ばれ、廊下で部下らしき人物と何やらコソコソ話し合っていたようだが。ややたって戻って来た彼の顔はやや青白くなっていた。


「本条さん、あなた猫何匹飼ってますか」


「え?13匹ですが、あっ!! もしかして出入りしている隙に逃げちゃいましたか?!」


「いいえ、そう言う事ではなくて…。」


 荒井さんの否定の言葉に安堵するも、さっきまで穏やかに笑っていた上田弁護士からも笑顔が消え、静寂の中で二人とも淡々と書類を片付け始めた。


「え?どういう事ですか」


 事情が分からず尋ねた私に「担当医と相談してくる」とだけ言って二人は部屋から出て行ってしまった。

15分後、部屋を訪ねてきたのは先程のドS医者だった。何だ、死ぬ時間が早まったのだろうか。まだ、部屋の色々な処分をしたという証拠写真を確認していないし、弁護士の念書にサインもしていない。まだ死なないぞ、私は睨みつけるように冷徹医師と対峙した。

 そんな私に医者は疲れたような表情を見せてこう言った。


「あなたのプロジェクトは失敗しました。今日の事を他言しないとこの宣誓書類にサインしてさっさと帰って下さい」


「どうしてですか?何か問題でもあったんですか」


 私はもう今日終わる気になっていたし、覚悟も完全に決まっていたのだ。いきなり中止とはどういうことだ。


「君ねぇ、13匹もの猫が施設に入った時のこれからのお世話代や食事代・病気になった時の治療費も入れたら、あなたに掛かる医療費の国負担分よりかなりの赤字ですよ」


 そんな事を文句言われても正直困る。


「じゃあ、どうすれば良いんですか?」


 困惑気味に尋ねると、「これにサインして、帰って下さい」素っ気なく言われ渡された書類を見ると、『秘密保持契約』と書かれていた。

 どうやら今日見聞きして知った事は全て秘密厳守で、これを破った場合は死刑以下の厳罰に処されるという内容だった。死刑以下ってなんだよ。まぁ、そんな事どうでもいいから誰にも言わないけどさ。


 私はさっさとサインして、もう帰る事にした。今日は死なないとしてもあと半年の命だ。色々準備を始めなければいけない。

 帰り際、冷血医師に「来週も診察に来てくださいね」と声を掛けられる。診てくれるって言うなら行くが、確か無駄だからやらないと言ったのはお前のはず?

 もう訳が分からない。しかし、成猫の多いウチの子たちの里親探しは難航しそうなので、政府が面倒を見てくれないとなると自分で最後の一匹の貰い手を見つけるまでは長生きしなければいけないので、素直に従う事にするか。まずはとりあえず日記帳と勝負下着の処分だな、そんな事を考えながら肌寒くなってきた夕闇を家路へと急ぐことにした。








*********









 静かになった部屋へコーヒーの香りと共に若い女の看護士が入って来る。


佐渡医師(センセイ)、お疲れ様です。集合部屋の患者は見事全員カップルになりました」


「今回も成功だな。多くから選ぼうとするから選べないが、深層心理を突いた状況を作れば簡単に運命の人だと思い込む」


「しかし、あの死亡一択タイプの彼女はあのまま帰して良かったんですか」


「ああ、構わない。ああいう人間は自分と猫以外はどうでもいいと考えてはずだ」


「確かにイケメンぞろいの佐渡医師(インテリ眼鏡)にも看護師(マッチョ)にも荒井さん(ワイルド系)にも上田弁護士に(ロマンスグレー)もまるで興味無しでしたね」


「ああいうのは確かに国策の害になるのだ。それじゃなくても少子化が進んでると言うのに、自身の顔の良さを武器に結婚する気もなく適当に遊ばれたのでは、他の婚活男女の邪魔になる」


そこへ、ノックが鳴りドアから荒井が顔を出した。


「お疲れ様です、佐渡医師(センセイ)。」


軽い挨拶とともに部屋へ入って来ると、看護師は心得たように一礼して退室していく。


「あの女はあのまま帰したんですか」


「仕方がない。記憶操作で、障害が残っては猫達の世話が出来なくなる可能性があるからな。多頭猫の保護先は貴重だし、99%遺伝すると言われる猫好きDNAも尊守せよと政府からのお達しでもある。結婚する確率も全く0とは言えない」



お手上げだと言う佐渡に、荒井は悪い笑みを浮かべる。


「彼女、早くしないと猫たちの里親探し始めちゃいますよ、きっと」



「来週あの女が診察に来たら奇跡的に癌が消えて余命の心配はなくなったとでも言っておくさ。何一週間やそこらで、あの女は可愛い猫たちを手放したりはしないさ」





そうして余命宣告プロジェクト実施から15年経った現在、年を追うごとに日本の生涯結婚率・出産率は鰻上りである。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ