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母蛾

母蛾 (茶庭)


街の名まえはパルペブラ。昼間はどの店も鎧戸を下ろしているけれど、夜はまるでべつの街のようなにぎわいを見せる。


夕刻、青い制服の点灯夫たちがガス灯へ火をともすと、店々が慌ただしく看板を出す。

店のランプは橙色、流れてくる音楽は様々。

パルペブラの長い夜はこうして始まる。


菓子売りのイナンナは外が暗くなったころにようやく目を覚まし、鏡に向かっておざなりに化粧をはじめた。

頭をよぎるのは夕べ宿の主から聞かされた話だ。


「今さらなんだってのさ」


いまいましげに吐き捨て、イナンナはさっと頬紅を刷く。口紅の色は控えめに。


毒々しいまでに飾り立てた街の女たちの中では、むしろこういった化粧のほうが客の目に留まる。


ゆえに女たちの評判はよくなかった。抜けがけはずるいというわけだ。派手な化粧はこの街の作法のようなものなのかもしれない。


「イナンナ!イナンナ!下りておいで!」

「はいよ」


化粧道具をしまって階下へ向かう。仕事のはじまりだ。

籠に菓子や酒の肴を詰めながら、おかみさんは声をひそめて例の話を持ち出した。


「よしとくれよ。きのう旦那からもさんざ聞いた」

「まじめに聞いてる節がないじゃないか。噂になってるんだよ、あのぼうやのこと」


宿の旦那とおかみが気を揉んでいるのは、最近になってパルペブラに現れた少年のことだ。彼は人を探しているのだという。


「あたしはぼうやを見たんだ。どことなくあんたの夫だった男に似てる」


イナンナは苛立ちを隠そうともせず、乱暴におかみを押しのけて夜の街へ出た。


なじみの店や賭場を回って菓子などを売るのが彼女の仕事である。


客におごってもらった酒を飲みながら、イナンナはかつての夫のことを思い出していた。


女房の稼ぎをすべてサイコロに注ぎ込み、ついには盗みをやって捕まり、流された先の星でぽっくり逝ってしまった男。

家族として過ごしたのはほんの僅かな時間。


顔なんて、思い出したくもない。


イナンナは過去の憂いを酒でごまかし、明け方近くに宿へ戻った。旦那とおかみはまたぞろ少年の話を持ち出す。


「あの子ね、金星の駅で、手あたりしだいに話を聞いてるらしいよ。あんた、名乗ってやったら」


「何を言ってるんだい、馬鹿馬鹿しい。あたしに子はないよ。それにしても、十六のガキがひとりで親探しとは笑わせるね」


おかみさんの目に哀しみの影が差す。

「あんた、あの子の年を数えてたんだね」


居間に沈黙が下りる。


「あたし、湯をもらうよ」

有無を言わさぬ口調で言って、イナンナは風呂場へ向かった。




体を洗って髪を乾かし、寝巻きに着替えて薄暗い部屋へ戻る。閉めっぱなしのがらり戸のおかげで、日があるうちでもぐっすり眠れる。


イナンナはまぶたを引き下ろし、無理やりにでも眠ろうとした。休ませなければ体がもたない。


そうして得た浅いまどろみの中、故郷の星の夢を見る。


イナンナの家ではツォップと呼ばれる芋虫をたくさん飼っていた。ツォップは繭を作り、そのままにしておくと最後には蛾になる。


この繭を糸にして売るのがイナンナの家の生業であった。


ツォップは寒さや病気に弱く、母蛾が病気を持っていると、その卵も感染している可能性が高い。

そのため、母蛾に問題が見つかると卵は焼却処分される。


まぶたの裏にちらついて、消えてくれないあの火。


「ちくしょうめ!」


イナンナはすこし外を歩くことにした。頬を朱く燃やし、人びとの間をすり抜けながら、金星の駅を目指す。


「両親を探しています。何か知りませんか。手がかりはこの布なんです」


通り過ぎる人に冷たくあしらわれても尚、少年は根気強く声を掛けつづけていた。


背は中くらい、痩せぎすで髪は黒、すこし癖 っ毛だ。濃い茶色の虹彩、まぶたは一重、目のふちが赤い。


派手な服を着ていて、ちょっと見には不良のようだが、近くで見れば頬のあたりにまだまだあどけなさが残る。悪ぶりたい年ごろなのだろう。


手には汚ないぼろきれを握っている。黒?

いや、ちがう。あの布が元は鮮やかな青をしていたことを、イナンナは知っている。


「お兄さん、おいで。きみが毎日来るもんだから、かわいそうになってきた」


口ひげを生やした四十がらみの駅員が、少年に声を掛けた。

イナンナは柱の陰で二人の会話を盗み聞く。


「手がかりはこの布なんです。おれはこれに包まれて、ホームの待合室へ寝かされていたって」


「かわいそうだけどこの布じゃなんだか分からないよ。それにホームと言ってもいくつもあるよ。この駅はとても広いし、そもそも何年前のことだい」


「十六年前です。ホームは、星間列車の…」

「東西南北、どこ?」

「西!父さん…養父が、仕事先からの帰りに使う路線だから」


「じゃあこのパルペブラ改札から行くのが一番近いな。それでここで探しているというわけか。しかしねえ、ずいぶんとまあ頼りない手がかりだなあ」


「頼りなくてもそれしかないから。たぶん、パルペブラの女のひとが母親だろうって、養父が言ってました」


「それじゃあ尚のこと難しいよ。あの街にどれだけの女がいることやら。きみは顔も覚えてないだろ」


「覚えて、ません。捨て子だと知ったのもつい最近で、それまでおれはなにも知らなかった」


「育ての親御さんたちも、実の子と同じに思って大切にしてくれていたんだよ」


「でも、どこかで違和感があったんだ。ときどきおれは自分が浮いているような感じがした、あの、家族のなかで。自分がおかしいんだろうなってずっと思ってました」


「幸せじゃなかったのかい」

「よく分からない。でも、たぶん、」


どちらかというと不幸せで、たまに幸せな、普通の生活でした、と少年は囁くように言った。だから尚のこと、出生の秘密が胸に痛いのだと。

イナンナはその小さな声を人びとのざわめきの中から確かに聞き取った。


その後、何を話したのだろう、少年と駅員が街のほうへ歩いていくのを、イナンナは黙って見送った。


何と言おうと、あの子は幸せなんだ。いい親に拾われて、清潔な服を着て、うまいものを食べて、きっと学校にだって行かせてもらっただろう。恋人はいるだろうか、いるとしたらどんなお嬢さんだろう、結婚の話はまだ早いか。


パルペブラの女はだめだ。パルペブラの女は母にはなれない。なっちゃいけない。


イナンナは宿の二階へ戻り、今度こそ本当の眠りに落ちた。ツォップの卵が燃える夢は、見ないですんだ。


そうしてまたガス灯に火がつく夜になり、イナンナは酒場を渡り歩いて、したたかに酔った。


「あんたがこんなに酔うなんて、やっぱりあの子のことでしょう」

「いいかげんそのことは口にしないでおくれよ。あたしにどうしろって言うのさ。卵を火に投げ込めってか?捨てたうえに、更に苦しめろって、おかみさん、あんたそう言うのかい」


「あんた酔ってる。何を言ってるのかさっぱりだ」

「分かるだろうよ。両親がろくでなしだと知って、子どもはどうなるって言うんだ。そのことが、子どもの将来をどうするだろうね?分かりきってるじゃないか、めちゃくちゃにしちまうんだよ」



まぶしいくらい青い布と、赤ん坊の真っ赤な頬との対比、まるまるとした白い腕、指、柔らかな髪。


呼ぶことのなかった、名まえ。


「子どもの名まえを知らない母親なんて、いるもんか」



イナンナはそれから再び、朝の街をさまよった。気がつけば、また駅へ足が向いている。


駅員と少年は今日も言葉を交わしていた。


「きみ、親御さんと仲直りしたほうがいい。おやじさんもおふくろさんもきみのことを思っているさ」


「おれはそうは思わない。あの人たちは、どこかでおれに遠慮していた。おれが何をしてもあの人たちは反対しなかった。本当の親だったら叱るようなことも、あの人たちはあいまいに笑って許した。変だよ。それでグレちゃったよ」


「きみはほんとに甘っちょろいおぼっちゃまなんだねえ」


駅員の呆れたような言葉に少年は一瞬だけ食ってかかろうとしたが、すぐに肩を落としてしまった。


「おれ、逃げてるんだ。ほんとうの親探しだって逃げなんだ。分かってるよ。だって見つかるわけないし、会ったって、おれのこと捨てたひとたちなんだから、喜びやしないのに」

少年は頭をかきむしってうなだれた。それを駅員は静かに見守っている。


ベルが鳴って、ホームから人が溢れてきた。


「だれか急いでこっちへ来るね」


イナンナは駅員の声にハッとし、柱の陰から改札を眺めた。

きちんとした身なりの、恰幅のよい紳士が小走りに少年のほうへ近づいてくる。その後ろにはほっそりとした女性がつづく。


紳士は少年の前へ来ると、平手でその頬を打った。にぶい音がした。


少年は何も言わずに肩を震わせる。紳士はつづけて少年の胸ぐらを掴み、瞳を見据え、それから自らの顔をゆがませた。彼らはふたりとも泣いていた。


列車を降りた人びとのざわめきに、親子の会話はかき消されてしまう。

イナンナは近づこうとしかけ、はたと足を止めた。


ほっそりとした、少年の養母と目が合ってしまったような気がしたのだ。


薄い茶色の瞳、目のふちが赤い。長いまつ毛がけぶるような影を目元に落とし、青白い頬は冷たく張りつめている。蝶々のように儚げで、心配を顔中に浮かべ、それでも母らしい強さを感じさせるひと。


イナンナは目を閉じてきびすを返す。近づいて盗み聞きして、それであたしはどうしようって考えだったんだろう。何にもできやしないくせに。


そうだ、あたしには子はない。あの少年はほっそりとした女人の大事な息子で、捨て子だったなんて話はきっとぜんぶ勘違いで、あたしは夢を見ただけなんだろう。


イナンナの口元には微笑が浮かんでいた。


もうこんなに辺りが明るい。ツォップの吐き出す糸のように、何もかもが白っぽく光ってまっすぐ目に刺さる。

卵を糧にちろちろ燃える、あの小さな炎のように。


大丈夫だ、あの子の母親には何の問題もないだろうし、父親だってちゃんとした勤め人に違いない。


子を捨てた親の身勝手な言い訳に過ぎないけれど、あたしや、あのろくでなしと暮らすより、あの子はきっと幸せだったはずだ。

そう心のなかでつぶやき、イナンナは歩き出す。


あの子と私の人生が交わることはない。

お互いのことを何も知らぬまま、十六年前に別れたこの駅で、すれちがうだけ。


列車がホームを出るときの轟音、重なって聞こえるアナウンス。


「ペガル、あなたの母さんはずっとあなたの母さんよ」


イナンナは息ができなくなるほど驚いた。心臓が早鐘を打つ。


女人は囁くような声で息子の名を呼んだだけだったが、すべての雑音の隙を縫って、その音はイナンナの耳に届いた。


ペガル、それがあの子の名まえ。


イナンナはそれから振り返らずにひたすら宿を目指し、小走りになって道を行った。


「イナンナ!あんた、出て行こうなんて考えてるんじゃないよね」


宿の前へ立っていたおかみが、叫ぶように言う。


「イナンナ?あんた、笑ってるの」

「泣いてはいないさ。ほら、中へ入って飯でも食おうよ」


「…名乗ったの?」

「名乗りやしないよ」

それでも。その資格が無くとも。


ペガル、あなたの母さんは、ずっと、ずっとあなたの母さんよ。


パルペブラの女がこれほど綺麗な言葉を口にすることはない。ただ、彼女らは心の中へすべてをしまいこむ。


イナンナの笑みには、母親の悲しみが溶けている。けれどそれが、薄化粧の平凡な顔に、たとえようもない美しさを添えていた。

(おしまい)

星間列車 第四話「母蛾」は今までのお話と比べて格段に地味なものとなりました。金星の駅と、ツォップという芋虫だけがちょっと現実離れしているかもしれません。


このシリーズは基本的に一話完結ですが、すべての話がゆるく関連しています。

パルペブラという街を覚えていてください。

閲覧ほんとうにありがとうございました。

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