落くり物
かつてこの大地に英雄現れん。
彼の者、悪逆非道の限りを尽くす王を屠り民を救い新たなる国を立ち上げ、
数多の戦場を駆け抜けるその姿は何よりも気高く雄々しく。
背負いし聖剣は人の身程大きく曇りなき輝きは英雄の威光を余すことなく知らしめん。
されど英雄とて人の子、病に伏し最期のときは近づいていた。
「この命、戦場で散らすものとしていたが最期を迎えるのは自宅とは。まさかこの齢まで生き永らえようとは思わなんだ」
「我のこれまでを書に残す? はっはっはっ! ただがむしゃらに生きた過去の者のことなど誰も気にしないだろうに酔狂なことを言う。話すことはやぶさかではない。が、ひとつ条件を設けよう。我の生きた軌跡が書になるというならばこの国が辿ってきた歴史もまた書にする必要があろう? ひとりが生きた証を残すよりも大いに価値がある。よってそちにこの国の歴史の編纂を命じる。後の世のため尽力せよ」
「さて何から話そうか?
やはり我が剣についてからよかろう。これがなければ革命どころかどことも知れぬ野でのたれ死んでいたに違いない。我が若かりしとき天に最も近いとされるリュイール山を山頂まで登ったのだ。……理由? 我も若かったのだ。永久に添い遂げると契りを交わした者を亡くし悲しみに明け暮れた我は天に最も近いとされるリュイール山ならばもう一度会いまみえることもできると考えたのだ。
当然のごとく死にし者に会えることは叶わなかった。が、山頂にはこの剣が突き刺さっていた。抜き放つとそれまでの世界が一変しまるで他人の眼でものを見ているようかの感覚に陥ったのだ。そして我は悟ったのだ、逝ってしまった者を悲しむよりその想いを胸に抱いてやるべきことがあると。
真にあれは聖剣であったのかもしれぬ。幾多の戦場を駆け抜けるうちにただの物であるとは思えなくなった、そうまさに戦友のそれと変わらないと。
しかし、我が剣もすでにかつての輝きを失った。いずれ朽ち果てるなら我と共に天に来ないか? あちらで待っている者もそちならば喜んで迎えるだろう。
ああ話が逸れてしまったな。我が過去についてだったか、そのあと我は旅に出、行く先々で困難にまみえながらもこの地に辿りつきーー」
私が英雄と話したその日から一か月後、彼は永久の眠りについた。それに応えるかのように聖剣は錆びつき半分に砕けた。
英雄と呼ばれた者は戦友と共にかつて契りを交わした相手に会いに行ったのだろう。
歴史家ハルメント・レイン手記(一部抜粋)
なお彼はかの聖剣についてこのような記述を残している。
「その剣、人の背丈より大きく全てを一太刀のもとに切り裂く。柄も鍔もなくひとつの鉱物より切り出されたかのように均一な素材で作られていた。全体的に平らな形状をしていた」
よって聖剣とは一般的な剣とは大きく異なる形状していたと後の歴史家は分析した。
「あれ? おかしいな、ここにしまったはずなんだけど」
さっきから棚を探しても見つからない。だいぶ前に使ったきりしまいっ放しにしてたのがまずかったのかもしれない。
「アウロ!!」
叫びながら部屋に入ってきたのはアウロの妻であるイミルだ。声の調子から怒っているのは確実である。
「なんてことしてくれたの!!!」
「さあなにをしたんでしょう?」
アウロには心当たりしかなかった。が、あまり多すぎてパッと思いつかない。ちょっと好奇心に駆られて彼女の化粧品を使ったのが悪かったんだろうか? それとも料理酒を二樽程消費してアルコール風呂と洒落込んだことか? 女関係は結婚当初にベッドを投げつけられて以来ばっさり断ったからそれではないことは確かだ。
「これはどういうことなの!?」
そういって差し出してきたのはアウロの誕生祝に彼女が贈った宝剣だった。柄に散りばめられた装飾品は調和するように並べられていて剣としての性能はもとより芸術品としても価値の高い一品だ。
「この剣がどうした? 傷でもついたら大変だと思って厳重に保管してメンテナンスするとき以外は滅多に持ち出さないようにしてたはずだけど?」
「じゃああなたの言っているメンテナンスとは剣をベタベタの油まみれすることですか!!」
確かに剣本来の輝きとは別に油脂100パーセントの反射光が見える。実際持っているイミルは油で滑らないように両の手でガッチリと掴んでいる。
が、度重なる抗議の声にアウロは顔色ひとつ変えずに言い放った。
「そうだけど?」
「なっ!!!?」
「まあまあ落ち着いて落ち着いて。油をつければ剣が錆びにくくなるって聞いて、すぐに試したかったんだけど身近に丁度いい油がなくてね。そこでバターを塗ってみたんだ」
「ば、ばたー?」
「そうそう」
予想外の言葉に怒りの矛先をどこに向ければいいかわからなくなったイミルは呆然とし「いや……」、「でも」、「ぱんなこった」などと意味にならない言葉を呟き始めた。
アウロはそんな妻を見て畳み掛ける。
「そもそもイミルがプレゼントしてくれたものを粗末に扱うわけがないだろう? 近所で走りながら『これは我が愛する妻がくれた家宝です』と自慢してまわりたいのを堪えに堪えて大切にしまっているんだ。傷でもついたら大変だからね」
「そ、そう……」
まだだ! まだ足りない! あともうひと押し! アウロは自分の直感と経験を頼りに最後の締めにかかる。
「それともイミルは俺のこと信じてくれないのか? 愛していないのか?」
「っ!!!!」
ハッとしたような顔したあと、イミルは後ろ手を組みながらアウロとは視線を合わせないようにしてぼそっと呟く。
「……嫌いなわけないじゃない、バカッ……」
アウロは勝利を確信した。感情を表にださないよう心の中でガッツポーズをした。
いつもやっていることがやっていることなだけに出来るときにご機嫌をとっておかなくてはならない。これが夫婦円満の秘訣さ!と誰にともなく偉ぶる。欲を言えば「愛してる」と言いながら抱きつかれたかった、と考えるアウロこそが夫婦円満を妨害していることには気づいていない。
「ああそうだ。聞きたいことがあったんだ」
イミルの赤面が落ち着いたころにアウロが思い出したように声を上げる。
「なに?」
「バターナイフどこにあるか知らない? 探しても見つからなくて」
「バターナイフ? そういえば最近見てないわ」
「そっかじゃあ落としたのかもしれないな、下に」
「それじゃ探すのは無理ね。新しいの買ってくるわ」
「うんそうしよう。そういえば剣にバターを塗ったときに使ったんだよな、てことは40年前にはなくしてたかもしれないのか」
「……40年前。そのバターって金色の模様が描かれた桃色の箱に入ってなかった?」
「……そういえばそんな箱に入ってた。バターにしてはおしゃれな箱だったなぁ」
「……それバターじゃないアロマキャンドル」
「えっ……」
「ついでに限定50個のレアもの」
「……」
「なくしたかと思ってたんだけどまさか剣に塗られていたなんて」
「あ、あの。イミルさん?」
「私の考えていることわかるわよね? 愛してるんだもの。
あ、な、た?」
そして彼らの家は半壊した。
そこは天界、人間が住む地上のはるか上にある世界。彼らにとって些細ものであってもひとりの人生を変えるには十分な影響力がある。
その日、尽きぬことのない流れ星が地上に降り注いだそうな。
ちなみに英雄がいた大地はイミルが投げたベッドです